ベアトリーゼ先生の芸術講座
「よく集まってくれたわね」
各地からやってきた芸術家の卵たちに向けて、壇上のベアトリーゼは言う。
場所は王宮の一室で、文官が使う会議室――というよりも、教室のような場所だ。
今日は画家の見習いたちを集めて悪だくみをしようという魂胆だったのだが。
集まった画家志望の若者たちの前へ、使用人たちが山のようにキャンバスを持ち込んできた。
「今から君たちには、誰も見たことがないような絵を描いてもらうわ」
例えばこんな風に。
そう言って彼女が取り出したサンプルは、絵と呼べないほど雑な、線の
酷いものだと、黒いキャンバスの上に赤い絵の具をぶちまけただけの作品もある。
「そう……これが、
そんなことを言われても、画家見習いたちには訳が分からない。
こんな落書きを買えと言われたら、値札が銅貨数枚でも悩むレベルだからだ。
どうして
「あの、ベアトリーゼ様。我々は、画家の養成所に、応募をしたはずなのですが」
ためらいがちに言う青年だが、彼らは「未来を担う画家を育成する」という名目で集められたのだ。
ある程度の教育が終わっている商家の人間に限定した募集をかけて、それに応じた十六人が名乗りを上げた、という流れだった。
歴史に名を残すような、売れる画家になりたい者は
そんな誘い文句に釣られて来たのに、サンプルとして出されたものは子どものいたずら書きと見紛うような絵である。
戸惑う参加者たちへ不敵な笑みを送りながら、ベアトリーゼは指を真上に向けた。
「この絵が売れると思う者は残って、売れないと思う者は隣の部屋へ」
若者たちは顔を見合わせたが。
結局、出て行った者と残った者の割合は半々だ。
予想よりも残ったなと思いつつ、ベアトリーゼは続ける。
「なら、ここにいる八人に聞くわ。例えばこれは、値札を付けるとしたらいくら?」
出されたモノは、六色の顔料で適当にグルグル巻きの模様を描いた珍妙な絵だ。
フリップが配られて、各々が思うそれの適正価格を書き込んでいく。
「ベアトリーゼ様。書き終えたようです」
「よろしい。順位はどう?」
「このようになっております」
手伝いに来ていた家臣団の一人がフリップに記入された金額を書き写し、一覧にして報告していく。
下は銅貨5枚から――上は金貨20枚まで。
それを確認したベアトリーゼはにっこりと笑いながら、扉の方を掌で指す。
「はい。一番、三番、四番、八番は残って。他の者は隣の部屋へ」
高い値をつけた者から順に並べていき、上位の四名を採用した。
そう、採用である。
このやり取りだけで、彼ら、彼女らは王室お抱えの画家となった。
「ではまず、金貨20枚の値を付けた人」
「はい、私です。レーツェの街出身、リィナと申します」
ベアトリーゼと同年代くらいの女性が手を挙げて、名乗りを終えたところで聞く。
「そう、リィナ。どうしてこの絵が金貨20枚なのかしら?」
「王族であるベアトリーゼ様がお持ちになった絵画ですので――値付けは自由かと思いました。どれだけ高価だとしても、物言いを付ける者はおりません」
「素晴らしいわ」
求めていた回答が返ってきたベアトリーゼはご満悦なのだが、適当に値段を付けたらしい四番の青年は戸惑っていた。
もしも目の前の王族が趣味で描いた絵だとしたら、あまり低い値段設定では無礼かと思い。彼は接待のために高めの値段を掲示しただけなのだ。
彼が掲示した金額は金貨5枚だが、実際には銅貨5枚でもいいくらいだと思っている。
そして、そんな考えを見透かすかのように、ベアトリーゼは流し目を送った。
「つまりね。美術品なんてものは、値段を付けた者勝ちなのよ」
金貨1万枚で取引される絵が、金貨1枚の絵よりも一万倍優れた技術で描かれているかと言えばそうでもない。
巨匠が認めていたり、偉い人が認めていたりといった権威性もそうだが。
「だから私はこの絵に、金貨40枚の値を付けることにしたの」
「……売れますでしょうか?」
「コレは売らない。
ここから先は説明した方が早いだろうと、ベアトリーゼは語り出す。
「この絵もそうだけど。まずは貴方たちが描いた絵を、友好国の使節にプレゼントするつもりでいるの」
来月やって来る予定になっている、西のモルゴン王国の使節へ絵を渡す。
その際に「これらの絵はどれも金貨40枚くらいのものだから、丁重に運んでね」と言い含めるのだ。
すると使者は、
国王としてもそんな奇妙な絵を欲しがるわけはないし、宝物庫にしまうだけスペースの無駄だと考えるだろう。
しかし友好国からのプレゼントなので、無下にも扱えない。ではどうするか。
『長年の忠勤に感謝し、友好国から贈られてきた絵を下賜しよう』
『は、……はい』
『そなたも受け取れ。金貨40ほどの価値があるそうだ』
『あ、ありがたく』
と、適当な家臣に褒美として投げるに決まっている。
家臣としても、国王から贈られた絵をお蔵入りさせるのは気まずいだろう。
家宝にします。などと言って、屋敷に飾るしかない。
その後家に客人が来る度に、「これは国王から贈られた絵だ」と言えば。
訪れた下級貴族や御用商人たちに対して、勝手に権威付けがされていくだろう。
その絵画はローズ・ガーデン公国の王室が認め、モルゴン王国の王室が認め、実際に貴族の屋敷に飾られている。
となればもう既成事実はできた。ブランド化に成功しているのである。
売りたくないが、財政難のため渋々家宝の絵を手放すことにした。
などと言って、転売される日もそう遠くはない。
モノがどうであれ、権威が欲しい人間が勝手にお買い上げしていくことだろう。
「そうなれば転売価格が上乗せされて……最終的には金貨100枚を超えるでしょうね」
金貨100枚の絵を生み出した画家の新作を、銅貨や銀貨で売るなどあり得ない。
画家が描く絵の価値は、前に描いた絵の値段が基準になっていくのだ。
だから、「彼が描いた絵は王室御用達で、最低でも金貨50枚から」という評価を、先に得てしまおうという魂胆だった。
「理屈は分かりました。ですがそう、上手く転がるでしょうか?」
「絵画の市場にある名画だって、そうして値上がりを続けていくものでしょう?」
「ええ、それは……そうですね」
転売でオークションへ掛けられる度に、値は上がる。
描かれてから年が経つ毎に、値が上がる。
だから大手商会の中には、絵画に投資して儲けるところも少なくはない。
言われてみれば確かにそうかと思い、青年は何となく納得させられた。
彼も絵を描くことは好きだが。金貨100枚とされる有難い絵を見ても、全く欲しいと思わなかったからだ。
その値段で売った人がいて、買った人がいるだけで、彼の中では銀貨1枚の価値もない絵なのである。
が、その値段でも欲しいという人間は確かにいるらしい。
「大切なのはストーリーよ。顧客は絵の
無駄遣いができる金持ちほど、品物よりも背景を楽しむ傾向がある。
商品が生まれた歴史、過程、ドラマ。そうしたものを楽しみたいのだ。
そして芸術品への知識を得た人間は、「自分はこんなにも教養がある」と自慢したがるものだ。
一代で成り上がった成金ほどこの傾向があるわ。と、ベアトリーゼは続けた。
「だから商人を集めたのよ。この意味が分かるかしら」
そう。今回の募集では、画家になりたい
蒼い薔薇の面々は芸術を楽しむため、純粋に文化を発展させる計画を立てているが。ベアトリーゼは違う。
芸術品を売った先にあるもの。
お金儲けを楽しみたくてこんな作戦を考えた。
「つまり我々がやるべきことは……評価される絵ではなく。評価されることが前提で、売れる要素のある絵を描くということですね?」
「そういうことよ」
だからこそ前衛芸術の絵を描かせるのだ。
単純に上手い下手で評価される風景画や、写実主義の画家に描かれた絵は、技術力でも評価される。
しかし、上手いか下手かの判別が難しい絵を出してしまえば、大切なのは権威が在るか否かだけである。
「そう。恐ろしく高い顔料を使って、何百枚も絵を描く必要はないのよ。失敗作でも
本物と偽物をきちんと見分けられる審美眼の持ち主は彼らの絵を避けるだろうが。
残念ながら世の中にいるお偉いさんのほとんどは、絵の
そして少なくともベアトリーゼから。
王族から評価されることが前提で絵を生み出すのだから、決して敗北はない。
「原価をカットして、利幅を広げていく……ふむ」
「確かに、
絵具は意外と高価であり、鉱石や宝石を粉状にして作るものも多い。
だから何百枚もの失敗作を積み重ねながら成長していく画家には、巨額の資金を出してくれる
この方法であれば失敗作でも、「これは計算されたミスタッチだ」などと言って押し通せる。
訳知り顔の自称専門家が「この絵はいいものだ」と言えばそれで勝ちだ。
その専門家サイドを丸め込むどころか、隣の部屋に集めた二軍の画家見習いたちは、
つまりベアトリーゼが考え出したのは、国家ぐるみの壮大な八百長プロジェクトであった。
「後世に名を残す……というのは、今はどうでもいいです。まずは食べていけることが大事ですから」
「そ、そうだな。俺もそのつもりでここに来た。画家になれるなら、取り敢えずは」
誰かが「まずは稼げるようになりたい」と言えば、皆がそちらに流れていく。
画家になるためには大金が必要なので、まともに稼げるようになってから
また、彼らはある程度教育を受けているので、こんな悪企みを外に出せば死罪になるだろうと考えている。
実際にはテイムされて、キレイさっぱり記憶を消されるだけだとして。
ともあれ。目の前の策士がどう転んでも成功するように準備を整えていることなど、画家見習いたちには知る由もない。
「全員、異論は無いようね? それなら全員にアトリエをプレゼントしようかしら。もちろん庭付き一戸建てで、入用な物があれば何でも用意させるわ。…………ふふっ。君たちには期待しています」
もちろん
衣食住完備、道具は使い放題、召使いまで付けて作業に当たらせるのだ。
しかし絵を描くことは、彼らの仕事のほんの一割。
九割の時間は、売るためのバックボーンを考える時間になるだろう。
誰も居なくなった部屋で両手を合わせて、恋する乙女のようなポーズを取りながら――ベアトリーゼはくるくると、ステップを踏むように回った。
「完璧だわ。これで資金源を増やして、ゆくゆくは夢の触媒使い放題生活に……!」
芸術界に真っ向から喧嘩を売るような作戦を仕掛けたベアトリーゼだが。
当然のこと、彼女は芸術に全く興味が無い。
そんな彼女が、ライナーの立てた芸術の都計画に乗ったのは何故か。
絵画市場で荒稼ぎするためである。
全ては魔法の研究資金を確保するため。
ひいては芸術分野を荒らした金で、自分が自由に使える魔法研究所を設立するためなのだ。
「皆は芸術品を愛でていればいいの。その間に私はお金を愛でて、触媒を大人買いさせてもらうから。腹の膨れない花より、美味しいパンの方がいいのよ」
自分が所属するパーティの名前にもさらっと喧嘩を売ったベアトリーゼは、とにかく上機嫌だった。
――アンデッドと戦うために、大量の触媒を使い捨てにする未来は訪れなかった。
だから彼女の認識は。ライナーの領地を開発するためにガンガン触媒を使っていた、セルマが羨ましいというところで止まっていた。
欲望のままに行動した彼女の策略で、後世の画家や評論家たちが芸術論争を巻き起こすことになるのだが。
ともあれ。
誰も気づかぬ水面下で、彼女は大陸の絵画市場を支配しようとしていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
以下。五百年後に発行された、美術の教科書より抜粋。
ローズ・ガーデン公国のベアトリーゼが広めた画風は、「商業主義」と呼ばれています。
一部の画家から「あんなものは芸術ではない」と批判を浴びていますが、画家の収入が上向くきっかけになりました。
政策以前の世の中では、経済的な理由で夢を諦めざるを得なかったであろう(普通の絵を描く)大作家が何人も誕生。
五百年経った今でも、彼女が打ち出した政策への賛否両論が続いています。
また、商人の間では商売の神の一人として崇められており、絶賛されています。
ベアトリーゼモデルとして、ブランド化の手引きを記した本が後世でベストセラーになりました。
という未来を見たライナーは頭を抱えましたが。
結果として色々な人間がハッピーになり、大富豪の懐が少し痛んだくらいの結果に終わったこと。
また、ベアトリーゼがいい笑顔だったことからスルーを決定しました(白目)
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