エピローグ これからも一緒に
「あら、こんなところに居ましたのね」
読んでいた本で顔を挟み、日光を遮っていたのだが。
何でもない調子で近づいてきたリリーアが、本を手に取った瞬間。ライナーの視界が太陽の光で、真っ白に染まった。
「……リリーア」
「ほらほら、早く起きてくださいな。そろそろ移動の時間ですわよ」
真っ暗だった視界が急激に色を取り戻して――ふと、ライナーは考える。
今日は何の日か。
確かこの日はセリアとアーヴィンの結婚式を予定していたなと。
「……ふむ」
セリアの領地の郊外にある教会で式を挙げるというから、蒼い薔薇のメンバーと共に馬車で移動してきたのが昨日のことだ。
式場の近くで時間を潰しがてら、本を読んでいたことを思い出したのだが。
「何を寝ぼけて――あら? ライナーさん、泣いてますの?」
「ん? ああ、何だろうな」
あくびと言うには涙が流れ過ぎだ。
普段の彼は寝起きから意識がハッキリしている日が多いので、リリーアも怪訝そうな顔をしていたのだが。
山の方を見てから、彼女は納得顔になる。
「ああ、花粉のせいですわね。……今からこれでは先が思いやられますわ。植林した木が育てば、こんなものでは済みませんもの」
リリーアは花粉症なので、仲間が増えたと嬉しそうな顔をしていたが。
その様子を見たライナーは、軽く笑いながら答える。
「どうかな。案外花粉は関係が無くて、怖い夢を見て泣いていたのかもしれない」
「ライナーさんが泣くほど怖がる夢……なんでしょうね?」
リリーアは顎に人差し指を当てて、考え込むような素振りを見せているが。近頃ではライナーをからかうためのネタ探しに余念がない彼女のことだ。
素直に怖がるものを話せば、夫婦喧嘩の時やお仕置きの際に嬉々として持ち出してくるだろう。
だからという訳ではないが、ライナーもとぼけた風に返した。
「そうだなぁ。何億年も、時空の狭間を彷徨う夢かな」
「ライナーさんが無駄な時間を何億年も過ごせば、発狂しそうですわね」
「……俺でなくとも相当辛いと思うが」
なるほど。彼に罰を与えたければ、何もさせないというのもアリかもしれない。
そんな考えが顔に出ているリリーアの横に立ち、ライナーは伸びをした。
「しかしよく寝た。……長い夢を見ていたような気分になるのも、当たり前か」
「誰よりも先に会場入りしようとして、逆に寝過ごすだなんて。ライナーさんらしくもないですわねぇ」
式は午後からの予定だが、既に時刻は昼時だ。
昼寝は午後の作業効率を高めるとかで、ライナーはたまに午睡を取るのだが。
午前中いっぱい草の上で寝ころんでいたなら、寝過ぎと言われても仕方がないだろう。
そう思いつつ、ライナーは西の空を見上げて。
「式が終わり次第、皆を見送ることになるからな。これで俺も、少し緊張していたらしい」
「見送る? どこかに用事ですか?」
「……ああ、そうか。もう、彼らも居ないのか」
この世界を滅ぼす原因となりそうなものは、未来の世界で既に取り除いてきた。
ライナーたちの日常を脅かす者はおらず、これから先も平和に暮らせることは確定している。
アンデッドが復活していないのだから当然、出兵の予定も無くなっているはずだ。
――ここから先の展開は過去と違う。
そう思い直して首を振ったライナーを、リリーアは不思議そうに見ていた。
「変なライナーさんですわね。今日くらいお仕事を休まれてもいいではないですか。朝まで飲みますわよ」
「たまには、そういう日があってもいいか」
そう言いながら、ライナーはリリーアの手を握った。
無限に続く刻の中で精神を擦り減らし、人としての感情を全て失ったかとも思ったが。こうして触れ合えば、心の底には確かに温かさを感じられる。
そのことに言い知れない喜びを感じながら、彼は更に思い返す。
「そう言えば、ララが前に言っていたな」
「……何の話ですの?」
「いや、奪還作戦の後なんだが」
日常に帰れると分かった時、心が温かくなったとか。
抱きしめられて、恋心を自覚しただとか。
あの時点でのライナーは、「そういうこともあるのか?」という感想を抱くばかりだったのだが。
「今なら、その想いも理解できそうだ」
何の話だろうと目を丸くしたリリーアを――ライナーは、強く抱きしめた。
「そうだ、俺が取り戻したかったのは……」
「え、ちょ、ちょっと、ライナーさん? お、表ですわよ? 往来で、こんな……」
郊外とは言え、もう結婚式も間近というタイミングだ。
当然人は集まっている。
そんな中で急に抱きしめられたのだから、リリーアは赤面しながら、あたふたするばかりだったのだが。
「あーっ! 何で着替えにも来ないで、こんなところでイチャついてるのよ!」
「……時と場所、選んで?」
「えっ、違っ! これはライナーさんが抱きしめているのであって、私は、その!」
彼らを探しに来た仲間たちから、怒られることになった。
ただでさえ遅刻しそうなのだから、ベアトリーゼとララからは厳しく追及されることになったし。横で見ていたルーシェも呆れ顔だ。
しかしそれを意に介さず、マイペースにライナーは言う。
「まあ待て、そろそろ行かないと、式に間に合わなくなるぞ」
「……そうだけど、ライナーのセリフじゃないよね」
「……ん」
「ふ、ふふっ、くっくっく。はははは!」
呆れ顔が三つに増えた。
それがどう面白かったのか、ライナーは笑う。涙を流すほど笑った。
「……何か悪いモノでも食べた?」
「……精密検査」
「失礼な、俺は正常だ」
そんな冗談を言い合ってから。
ライナーは改めて顔を見渡して、全員に向けて言う。
「それはそうと。後で皆と合流したら、言ってほしい言葉があるんだ」
「何を言えばいいのでしょう?」
「……おかえり。って」
ララが言われて、嬉しかった言葉。
それは「帰ろう」と「お帰り」の二つだったそうだ。
日常を取り戻すために。
ついでに世界を救うために。
永劫とも言える長く果てしない時間に耐え抜いたのだ。
せめて、それくらいのご褒美があってもいいだろうと思ったライナーではあるが。
「えっと、それ、セリアへのサプライズですか? 何の意図があるんです?」
ルーシェは、きょとんとした顔で聞き返してきた。
しかしそれも無理はない。昨日までのライナーはずっと蒼い薔薇の五人と行動を共にしていて、解散したのはセリアの領地に入った後だ。
少なくとも、ライナー以外は全員そう思っている。
どこかに出かけていたわけではないし、離れ離れになってもいない。
彼はずっと近くにいたはずなのだから、この願いを理解してくれという方が無茶だと分かってはいた。
「何のことか分からないだろうけど、俺にとっては重要なことなんだ。何も聞かずに頼む」
「まあ、それなら構いませんが」
「別にいいけど。理由は後で教えてよね!」
「……ん」
そんな話をしている間にも、時間は流れる。
「おーい、みんなー! そろそろ集まってくれー!」
「あ、セリアが呼んでるわ」
式の最中では出し物や祝辞を読む予定があるので、リハーサルが必要だった。
配下に任せればいいところを、誰も来ないからと花嫁が自ら探しに来てしまったらしい。
その様子を見たリリーアは二回手を叩いて、移動するように促す。
「ほらほら。もう行かないと、本当に間に合いませんわよ」
「そうね、行きましょうか」
「……後で、教えてね」
「むぅ、ごまかされた」
ルーシェ、ララ、ベアトリーゼの順で歩き出して、ライナーもそれに続こうとしたのだが。
不意に腕を引かれて動きを止めたライナーの前に、リリーアが回り込んできた。
居住まいを正して、咳払いをしてから。
にっこりと笑って、彼女は言う。
「お帰りなさい、ライナーさん」
不意打ちに、ライナーの思考が止まりかけたのだが。
対するリリーアはニコニコとしたままだった。
「ずるいな」
「ふふっ、言って欲しかったのでしょう?」
「皆が揃ってからで、良かったのに」
「そこはほら。私一人で言った方が、特別感が出せるかと思いまして」
そう言って笑い合っていれば、遠くから急かすような声が聞こえた。
こんなことで時を戻しても仕方がない。
ライナーはリリーアの手を引いて、仲間たちの元へ急ぐ。
「そうだリリーア。俺も、先に言っておこうと思う」
「何です?」
「……これからも、ずっと一緒だ」
長い人生。喧嘩をしたり、愛想を尽かしたりすることもあるとは思うが。
多分、心配はいらない。
これから先も一緒に。共に生きていける。
花が咲いたように微笑むリリーアの姿を見て、ライナーはそう確信していた。
最速英雄伝説 完
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ここまでのご愛読、本当にありがとうございました!
今後は不定期に後日譚などを掲載しますので、フォローはそのまま置いてもらえると嬉しいです。
五章からは真面目な話や戦闘ばかりだったので。
物語の展開や、尺の関係でカットしてきた日常編を主に投稿しようと思います。
最後に。
感想、レビュー、ページ下の☆での評価をいただけると、非常に励みになります。
ここから先はのんびり更新になるとは思いますが、もう少しお付き合いをいただければ幸いです。
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