最終話 最速の英雄



 曇天から差し込む日差しが辺りを照らす中で、ライナーは微笑んだ。


「ありがとう、リリーア。あの祈りは多分、君なんだろうな」

「ライナーさん……?」


 リリーアの肩に上着を掛け直してから、軽い口づけを交わす。


 彼女の肩を抱いたまま、光の精霊術を発動すれば。

 ライナーを中心として円形に光が広がり。


 世界が色彩を取り戻していく。


 大地でしおれる草木や花々が咲き誇っていき、灰色の世界に色が溢れる。

 それは彼女が愛した、春の光景だった。


「ふふ、気が、利きますわね。……どんな手品でしょうか?」

「タネも仕掛けもないよ。ただ、元通りになっただけさ」


 初めての発動なので、これでも効果は控え目にしてある。

 光と色を取り戻したのは、今はまだ公国の王都周辺に留まっていた。


「もう大丈夫だ。後は全部俺に任せて、ゆっくりとお休み」

「ええ、お任せします。私は、ここで……待っていますから」


 リリーア髪を撫でたライナーは、彼女を抱きしめて――安堵した表情で眠る彼女を芝生に寝せると。

 光を身に纏い、ゆっくりと地上を飛び立った。


「ああ。……行ってくる」


 しかし、ゆっくりとは言っても光の速さだ。

 次の瞬間には宇宙空間に居た。


「瘴気はこの世界に根付いたものだ。消してから時を戻さないとな」


 星全体が黒い霧に覆われているかのような光景を目にした彼は。

 全身の光量を上げて、眩い輝きを放つ。


「まずはこれを取り払おう。一秒間に星を八周。それくらいの速さでいいだろうか」


 そう言い終わる前に、もう星の反対側にいた。

 ライナーは光の速さを超えて、世界中を駆け巡り始める。


 彼が光を伴いながら星を廻れば、漆黒のもやが残らず消滅していき。

 世界中に散ったアンデットたちも活動を止めていく。


「もう眠れ。君たちにも、還る場所がある――っと、これは師匠のセリフか」


 人間も、狼も、鳥も、龍も、豚も、猿も、魚も、牛も、木々も、花々も。


 弔われず、亡者と化した生命の全てを天に還して行き。

 星を覆う闇も、残らず引き裂いていく。


 そうして全ての瘴気が取り払われれば、星は元通りに青色を取り戻した。


「……本当に、できるものだな。あとは時を巻き戻せば、この星の滅びは回避できる」


 しかしそれでは、一時しのぎにしかならない。

 確かにこの星は歪みの進行で破綻したが、その大元は遥か彼方かなたにあった。


 元を絶たなければ、遠い未来で同じことが繰り返されるだろう。

 それは非効率だと彼は笑う。


「いくつもの平行世界を見たが――どれも滅びの原因がある場所は同じだったな」


 世界・・とは、どこからどこまでの範囲を言うのか。

 答えとしては宇宙の端から果てまでが一つの世界となる。


 ライナーが言う歪み・・の元となる場所。

 そこは宇宙が始まった場所だ。

 それがこの世界の、始まりの地と言える。


 太陽系の外。銀河系の外。宇宙の外。

 宇宙の最果てに、根源とも言える元凶がある。


「全て、終わらせよう」


 見果てぬ先を見据えて、ライナーは飛び立った。


 今の彼は、光の速さを少し超えて移動している。

 だから移動を始めてから一秒で、月は既に通り過ぎた。


「――しかし、光速は絶望的なほど遅いな」


 時速や秒速という概念で考えれば、光が頂点だ。

 光の速さを少しでも超えた瞬間に時速無限、秒速無限へ到達する。


 一時間につき、どれだけ進めたか。

 一秒につき、どれだけ進めたか。


 光の速さと並べば時間が停まるのだから、「一秒につき」の、最初の一秒には永遠に到達しない。だから無限に進める。


 だが速度で考えれば、秒速無限ですら遅い。

 光は秒速、約30キロだ。しかし数の単位はいくつあるのか。


 一、十、百、千、


 億、兆、けいがいじょ


 じょうこうかんせいさい


 ごく恒河沙ごうがしゃ阿僧祇あそうぎ


 那由他なゆた不可思議ふかしぎ無量大数むりょうたいすう



 単位はその先にもまだまだ続く。


 一般的に無限をイメージされる無量大数を上限とした時ですら、全21ランクの下から5番目。

 光の速さというのはその程度のスケール感だ。


「遅すぎる」


 人類の夢。光速の世界は絶望的なほど遅い。


 そもそも宇宙は光の速さよりも早く膨張を続けているのだから、秒速約30万キロの速さでは、宇宙の果てまで辿り着けるかも怪しい。


 精霊神と化したライナーは、速度の概念から解き放たれているのをいいことに。

 上げられるだけ、速度を上げていくことにした。


「さあ、始めよう。目指すは史上最高速だ」


 ライナーは光を超えて加速し、まずは天体望遠鏡で確認できる最も遠い位置へ。

 宇宙の果ての少し手前にある、クエーサーを目指す。


 輝きを増す毎にライナーの身体は加速していき。

 出撃から一分足らずで、火星は既に通り過ぎた。


「まだ遅い。もっとだ」


 光の倍。

 五倍。

 十倍。

 百倍と無限に加速していく。


 秒速29兆キロメートルというバカみたいな速さになっても、加速は止まらない。

 そうして宇宙を突き進めば――そのうちに、障害物が現れ始めた。


「おっ、来たな。外宇宙からの侵略者が」


 彼の前に立ち塞がるようにして、視界を埋め尽くすほどの敵が立ち塞がる。


 これは星を救う勇者を倒すため、魔王を作り上げたのと同じ原理だ。

 宇宙を救おうとする勇者に対応するべく、虚空から球体状の塊が無数に出現していた。


「世界の歪みは平行世界を超える。進んだ魔法文明に現れた歪み・・なら、そういう攻撃もしてくるよな」


 暢気に敵を分析しているライナーに、あらゆる角度から光線が飛んできた。

 ライナーは――世界の歪みを全て・・、根本から丸ごと修正しようとしている。


 だから。滅びてたまるか。逆に滅ぼしてやると言わんばかりに。

 あらゆる時空で生まれた邪神が総出で、ライナーを駆逐しようとしていた。


「あれは一兆の弾丸トリリオン・バレット。あそこから来ているのは一千兆の剣クアドリオン・ソードだったかな」


 宇宙空間に現れたおびただしい数の敵。

 それが各自、数億から数千兆の光線を出しながら進んでくる。


 国を滅ぼすのが魔王ならば、大陸ごと滅ぼすのが大魔王だ。

 邪神ともなれば惑星ごと滅ぼすような存在となる。


 そして一つの世界に一体しか居ない、邪神たちを束ねる親玉。


 それが目の前に立ちはだかる者だけで数百体はいるのだから、敵も本気なのだろう。

 しかし彼らの攻撃を見たライナーは、それでも笑っていた。


「無駄なことを。いくら数を撃っても所詮は光線・・だ。そんな遅い攻撃に当たると思うか」


 光の速さで敵を攻撃する。

 それが彼らに許された最速の攻撃方法だった。


 しかし、そんな速度は気が遠くなるほどの昔に超えていた。


 降り注ぐ光線の全てを置き去りにして、虚空から応戦用のライフルを出現させる。

 すぐに撃ち方が始まったものの、特に狙いを付けずに乱れ撃ちだ。


「全宇宙の掃除でもしていくか」


 今のライナーは光速を超えて。

 四次元の壁を超え。

 五次元の壁も突き破っている。


 平行世界パラレルワールド間の移動も可能なら、過去と未来の行き来も自由自在だ。

 ライナーという存在は今や、全時間軸の全空間へ同時に存在する。


 簡単に言えば、今の彼は残機・・が無限状態だ。


 違う時間軸を生きているので、敵の攻撃には一切当たらないし。

 仮に、今ここにいるライナーを倒せたところで意味は無い。


 第二、第三のライナーが異世界からやって来て、必ず敵を殲滅する。


 ついでに、その副産物というわけではないが。

 過去に敵が存在していた空間と、未来で存在す・・・る予定・・・の空間を攻撃してもダメージが入るという、意味不明な能力を持っている。


 存在する可能性のある空間を攻撃すれば、時空が歪み。

 当たっていなくとも攻撃が当たる状態だ。


「適当にバラ撒けば全滅だ。……行くぞ」


 自動で周囲を飛び回るライフルを従えながら、そんな考えで宇宙空間を跳ね回り。

 全方位射撃で敵を消滅させていく。


 ――が、途中からはもう面倒になったのか、肉弾戦がメインになった。


 地球から四十億光年の位置にいる敵を、殴り飛ばして消滅させた直後。

 地球に襲い掛かる個体の元まで戻って、殴り飛ばす。


 これを三回ほど繰り返しても、一秒と経っていない。

 むしろ速すぎて、時はどんどん巻き戻っている。


「時間の調整が面倒だな。今から六億年後まで進めれば、俺たちの時代か? ……まあいい。終わってから処理しよう」


 五次元攻撃により、未来で倒した敵は過去の世界でも居なかったことになる。

 そして過去に倒した敵は、もちろん未来には存在していない。


 速度と時間の概念を粉々に破壊しながら進み続けて――ライナーは宇宙の果ての一歩手前、クエーサーに到達した。


「あれが大元か。なんだろう、悪魔の影……みたいだな」


 遥か先に意識を集中すれば、敵の親玉の姿があった。

 宇宙が始まった位置に、角を生やした巨大な何かのシルエットを見える。


 それ毒々しい紫色に発光し、宇宙の果てを絶望の色で染め上げていた。


 「滅び」という概念が実体化したものなので、禍々しいのは当然か。

 そんなことを考えながら。

 ライナーは近場の敵を打ち砕いていく。


「今さら数を増やしたところで、意味は無い」


 奥に進むほど敵は強くなるが、それでも理の中の強さだ。

 冷静に観察すれば。恒河沙ごうがしゃを超える数の光線を出して、ただの光る玉になっているような敵も見受けられたのだが。


 当たらなければ全く意味がないどころか、当たったところでノーダメージだ。

 絵本に書かれた二次元の魔王に負ける、三次元の子どもはいない。


 文字通りに次元が違う存在となったのだから、彼らから見ればむしろライナーの方がバケモノだろう。


「……まあ、大元は確認できたわけだし。折角だからアイツは最後に取っておこう」


 ライナーの感覚だと目の前で拳を振りかぶった相手が、自分の顔面を殴るまでに数十年かけるような感覚だろうか。

 速度差を考慮すれば、敵の時は止まっているに等しい。


 邪神の親玉、歪みの大元も何らかの攻撃を仕掛けたはいいが。届く頃にはライナーの寿命が、先に尽きているくらいの速度だった。


 滑稽に感じるほどの遅さに呆れつつも。

 何はともあれ、力の解放にも慣れてきた頃だ。

 全方位からの集中攻撃を全く意に介さずに、ライナーは更に加速する。


「どこまで速くなれるか、重要なのはそれだけだ」


 速度の単位は既に秒速阿僧祇あそうぎキロメートルを突破して、秒速那由他なゆたキロメートルの世界に入っている。

 これ以上加速しても意味は無いと知りつつ、ライナーは更に加速した。


 宇宙の彼方かなたへぶっ飛んで、敵を殴る。

 殴った次の瞬間、宇宙の反対側・・・に飛んで、別な敵を殴る。


 ここまで速くなれば全ての敵と、時は停止している。

 ただ速度を上げて、衝突するだけで敵は消滅していった。


 速度の単位はいよいよ無量大数の世界へ突入し。

 突き抜けて。


 一秒間に宇宙を往復する回数の単位が、十から百に切り替わり。

 そのうち千すら飛び越えていった。


「徹底的にやってやろう。全宇宙の全空間を通過して――塗り潰す!」


 無限加速を続け、全宇宙の上下左右をくまなく飛び回り。

 ライナーが通った後の残光が消えるよりも早く。

 新しく宇宙をなぞった光が、空間を上書きしていく。


 真っ暗だった宇宙全体が、ライナーの身体が発する光で埋め尽くされていき。

 次第に輝きを放つようになっていった。


「そろそろ、終わらせようか」


 速くなることが、ただ嬉しくて。

 最高速度の更新に夢中になり。

 宇宙の全空間を巡り終わった男は、地球の上空に停止した。


「お前で最後だ――。覚悟はいいな」


 彼は宇宙の全てを光で塗り潰し終わったことを確認してから、ようやく歪みの根源に目を向けた。


 敵は生命ある者ではない。歪みから生まれた、滅び・・そのものだ。


 物理攻撃でも魔法攻撃でも倒すことはできないのだが。

 しかし今のライナーなら、体当たりだけで倒せる。


「行くぞ。宇宙の果てまで、最速で撃ち抜いてやる!」


 身体の向きを合わせ、ライフルで照準をつけた。

 ここまで来れば射撃はオマケに過ぎない。


 彼はただ、最速で駆け抜けるだけだ。



「見えてはいないだろうが、記念に食らっておけ。これが――史上最高速度の攻撃」



 ライナーは全ての敵をきっちり沈めてから、最期に残った元凶に向けて飛び出す。


 翔けるライナーは、八つのライフルから放った銃撃を追い越して。

 宇宙を一瞬のうちに貫くと。

 歪みの根源に自ら吸い込まれていった。


 歪みの元凶は光すらも折りたたんで消滅させる、ブラックホールのような身体をしていたようだ。

 しかし最早、その程度の障害で止まる男でもない。


 彼はただ一直線に、己の身体を弾丸に見立てて突き進み。

 やがて亜空間のような身体を貫通して、突き抜ける。



 敵の体内を通り過ぎた直後、彼の移動速度は0へと戻り。


 放った閃光もまとめて着弾して――



「作戦開始から一秒も経っていない。間違い無くベストタイムだ」



 ――右手を水平に振った瞬間。停まっていた時が再び刻まれ始める。


 それと同時に歪みの大元を中心にして、全宇宙で一斉に爆発が起きた。


 むしろ時を超えて過去に戻っているくらいなので、作戦開始時刻の数千億年前に作戦を終わらせるという滅茶苦茶な動きをしていた。


 しかし、何はともあれ。


 これで未来と過去。

 無数に存在する平行世界まで、全て丸ごと救ったことになる。


 世界を一つ救っただけでも伝説の勇者になれるのだから、自分の行為は過去最大の偉業だろうな。

 などと思いつつも、そんな思考に呆れて彼は笑った。


 こんな宇宙の果てでの出来事だ。

 全てを救おうと、伝説を打ち立てようと、誰が知ることも無い。


 ――誰も知らないままに世界を救った英雄は、一人思う。


 そもそも目で追うことすら叶わないのだから、目撃者がいないのは当たり前だ。

 偉業を称えられなくても仕方がないし。そんな喝采は求めない。


 ただ、例え自己満足だとしても。

 これだけは言える。



「俺が、最速だ」



 そんな満足感を胸に、ライナーは宙に漂った。


 爆発で白く染まる世界から目を背けながら。彼は一人、静かに目を瞑る。


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