第九十一話 生きて帰る
「北方の偵察に向かった冒険者三十八名のうち。十九名が死亡。十二名が行方不明。生き残りも深手か」
ライナーが報告書の内容を読み上げると。ただでさえ重たかった広間の雰囲気が、更に重くなった。
公国で活動していた冒険者のうち、二割近くが失われた。
しかも犠牲者は中堅以上のベテランばかりだ。
探索のプロが大勢失われたことは、国にとって大きな痛手になる。
「前線には、生き残りの冒険者が報告に向かってくれたようだな」
「そのようです。しかし、この被害は……想定外でございますね」
普段は冷静なアーヴィンにも、どこか浮足立っているような雰囲気がある。
ここで動揺すれば、部下にも伝播するだろう。
「命懸けで集めてくれた情報だ。最大限の対策を打とう」
「承知致しました」
だから、ライナーとルーシェは平素と変わらない表情をするように努めながら。
冷静に対応策を進めることにした。
例の如く地図を広げると。
王国から引き抜いた騎士や武官が、迎撃に有利な戦場を次々と選び出していく。
ライナーはしばらくの間、家臣たちの議論を眺めていたのだが。
「近い方から順に倒していくべきだろう」
「そうですね。西側は数が多い分だけ、進軍が遅れているようです。まずは北西か南に対処しませんか?」
「西側は行商路を破壊して、行軍を阻止。南部はフィリッポ伯爵家を中心に、連合軍を組むのが妥当でしょうね」
数が少ない方から順に撃破。
戦力を集中させた箇所以外は、遅滞戦術で時間を稼ぐ方針に決まりつつあった。
新しい材料がないままに三十分ほど会議は続いたのだが。
そうしていたところに、新しい報告が届く。
「伝令! 主力軍の動きがワイバーン便で届きました! こちらへ戻らず、北上して敵を迎え撃つとのことです!」
「そうだな。一度戻るよりも、その方が早い」
「同時に――ノーウェル将軍は、指揮権を副官へ委譲! 自らがドラゴンゾンビの討伐を行うとの報せが!」
ドラゴン討伐。いくら精強な軍でも、龍種を相手にすれば全滅も視野に入る。
当然、広間は騒めいたが。
ライナーはノーウェルからの手紙を読み終えると、作戦の許可を出した。
「了承した。ノーウェル将軍には、ドラゴンゾンビの討伐を命ずる。代わりの将軍は、副騎士団長を――」
「へ、陛下! それはいくら何でも無茶でございます!」
ノーウェルがドラゴンスレイヤーと言っても、討伐したのは三十年以上も前のことだ。
老齢に差し掛かった彼では、いくら何でも荷が重いという意見は出たのだが。
「ドラゴンを討てる者が、他にいるか?」
「それは……いえ、放置するという手もございます」
「放っておけば帝国領まで向かうかもしれません」
ドラゴンゾンビが更に北へ向かうことを祈る。
それも一つの手ではあるだろうが、ライナーからすれば放置しておきたくない相手だった。
「いや、今はドラゴンゾンビの討伐が最優先だ。アンデッドの群れは、進軍を止めるだけでいい」
天変地異が待ち構えている以上、山崩れで進路が変わる可能性も大いにあり得る。
意思もなく破壊の限りを尽くす存在を、国境沿いにいつまでも置いておくのは不確定要素が多すぎるのだ。
だから、可能な限り早く排除しようと思っていたのだが。
自分が出陣するよりも、ノーウェルに任せて他の方面に出た方が効率はいい。
そう判断して、討伐案を強く推した。
「アンデッドと合流していない、今が好機だ。叩くなら今しかない」
しかし深くは語らず、ライナーはただ討伐を命じた。
ララは何も言わないので。国王が命じたならばと、その方向で話が進んでいく。
口を挟んで議論が中断したものの、取れる手はそう多くない。
南方の敵はフィリッポ伯爵家を中心とした、元王国北部貴族に応戦してもらう。
主力軍を北西に向け、アンデッド十万と戦い。
西から攻めてくる三十万に対しては、川にかかる橋を落とすなどして対応する。
水中でも構わず進んでくるので、本当にわずかな時間しか稼げないが。やらないよりはマシのはずだ。
そう締めくくり、対策会議は終わりを迎えようとしていた。
「この辺りが最善だと思うが。……この作戦で、どれくらいの人が死ぬと思う?」
「少なく見積もっても兵士の半数。民の二割、ほどかと」
騎士の一人がそう言えば、ライナーは固く目を閉じてから。数秒、黙り込み。
やがて、全ての作戦を承認した。
「西方の遅滞戦については考えがある。南は王国がどう出るかによるが、各領地からの援軍は一度、旧リリーア領に集合させてくれ」
「東部はいかがしますか?」
「元々が不毛地帯だ。生物の死体はないだろうから、監視だけ怠らなければいい」
方針は決まった。
それぞれが役目を果たすため、早速持ち場に戻ったのだが。誰もが暗い顔をしていた。
ともあれ。誰もが不安を抱える中で、作戦が始まる。
◇
その日の深夜。
ライナーは身支度を整えて、屋敷を抜け出そうとしていた。
「本当についてくるのか?」
『こうなったら最後まで見届けてやるよ。……介入はできないけどな』
「そうか。まあ、好きにしてくれ」
冬の間に作成した新兵器を背負い。ライナーは一人、西の戦場に向かう。
遅滞戦術ではなく、正面から叩き潰すための戦いだ。
「湿地帯で迎え撃つ。そこを越えられたら、途中の
『滅茶苦茶なことを考えるよな、本当』
「
支度は完了した。視察に出てくるという書置きも残したので、国王が逃げたと混乱する事態にはならないだろう。
しかし帰ってきたら、きっと怒られるだろうな。
などと思いながら、ライナーは敷地を出ようとして。
「どこに行くつもりですの?」
後から出てきたリリーアに、呼び止められてしまった。
「装備は万全で、こんな夜中にこっそりと。戦場にでも向かうおつもりですか?」
「近くで指揮を執るだけだ。危ないマネはしない――」
「嘘ですわね」
「……む」
嘘を吐く時に目を逸らすクセがあると言われて以来、そこは修正したはずだ。
しかしあっさりと見抜かれたのは何故だろうと言い淀めば。リリーアは呆れたように溜息を吐いた。
「はぁ……動揺しましたわね」
「そんなことはない」
「騙されませんわよ。こんなカマかけに引っ掛かるだなんて、ライナーさんらしくありませんわ」
確かに最近は余裕が無かっただろう。
それはライナーにも自覚があった。
「ね? 皆さんお強いのですから、貴方が危険を冒すこともないでしょう?」
しかし、ここで引くこともできない。
今は諭すように言われているが、行かないでくれと泣かれたら決心が鈍りそうだ。
そう判断したライナーは、風の精霊術を発動させた。
「《
「な、なに……を」
「少しだけ、眠っていてくれ」
害意はなく、ただ睡眠薬を風に舞わせただけだ。
普通ならあっさりと眠りこけるはずなのだが、リリーアはまだ意識を保っている。
頭を振りかぶって眠気に抵抗しながら。
一歩も先に行かせまいと、ライナーを抱きしめた。
「い、いや、ですわ」
「大丈夫。全部片付けて、無事に帰ってくるから」
「絶対、行かせ、ません」
冒険をしていた頃は、仲間に毒の耐性を付けてもらうため。毎回の食事にごく少量の痺れ薬や睡眠薬を混ぜていた。
セリアとベアトリーゼは変わった味付けを絶賛していたが、あれは痺れ薬の味だ。
そんな裏事情はともあれ。
だから彼女にも、睡眠薬に対しては微量の抵抗がある。
そのせいもあってか一向に眠ろうとしないリリーアを抱き寄せて。
肩をゆっくりと叩きながら、ライナーは彼女を寝かしつけにかかる。
「大丈夫。大丈夫だから」
「あう……」
「俺が失敗したことなんて、ないだろ?」
「ら、ラ、イ……」
多少の耐性があっても、直撃すれば抗えない。
目は虚ろになり、次第に力が抜けていった。
「大丈夫。必ず、生きて帰るから」
やがて眠りに落ちたリリーアに向けて、そう呟いた。
――彼女を抱きしめたまま、少しの時間が経つ。
意識を失ったリリーアを部屋に戻そうとすれば。今度は玄関へ入ってすぐに、ララとベアトリーゼが待ち構えていた。
「リリーアは運んでおくわ」
「……ん」
「止めないのか?」
「止めても行くんでしょ? だったら寝かされるだけ損じゃない」
それはそうだと苦笑しながら、ライナーは眠ったリリーアを二人に預ける。
「策はあるのよね?」
「当たり前だ」
「……死なない?」
「俺はベッドの上で、穏やかに寿命を迎えるのが人生目標だよ」
二人は寂し気な表情を見せたが、すぐに気持ちを切り替えたようだ。
まずベアトリーゼが。リリーアを支えたまま、ライナーに抱き着いた。
「私は絶対いい女になるわ。死んだら、成長した私を見られないんだからね」
「今でも十分、いい女だよ」
「……あら、ようやく口が上手くなってきたじゃない」
冗談を交わして笑い合えば、今度はララの番だ。
「……まだ、後継ぎ。いないから」
「死ねないな。君たちのためにも、皆のためにも」
「……約束」
「ああ、約束だ」
少しの間、四人でくっ付いていたのだが。
ややあって、二人の方が離れた。
「……行ってらっしゃい」
「怪我、しないようにね」
「ああ。行ってきます」
別れの挨拶は済ませた。
見送る二人から離れて、屋敷を出たライナーは宙に浮かぶ。
その横で一緒に飛び上がった風の大精霊は、そんな彼を呆れた様子で見ていた。
『あーあー、よく言うぜ。無茶する気満々だってのに』
「それでも怪我はしないさ。敵からは一切、一発も貰わない気でいるからな」
西の方角を目指して、大精霊と共に街を離れて行く。
今のライナーにどこまでやれるか。
一抹の不安を覚えた大精霊ではあるが、現世に介入できない以上、見守ることしかできない。
『その力はまだ不安定なんだ。使い過ぎるなよ』
「分かってる。……さあ、行こう」
動きが鈍いと言っても、亡者たちは休みを取らずに歩き続けている。
今この瞬間にも、公国を目指して真っ直ぐ進撃してきているはずだ。
なるべく早く戦場予定地に辿り着きたいライナーではあるが、移動のために消耗しては意味が無い。
「長丁場になりそうだ。途中にあるルーシェ領に寄って、態勢を整えて行こう」
ライナー・バレット対、敵軍三十万。
無謀な戦争の始まりは、すぐそこに迫っていた。
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