第百九話 希望の灯



 生身で宇宙遊泳からの、生身で大気圏突入という荒業をした直後だ。

 力と体力の回復には時間が必要だった。


 というよりも、ライナーは来た道をそのまま引き返したのだが。星の自転に置いて行かれたのか、全く知らない大陸に降り立ってしまったらしい。


 五日ほど回復期間に宛てて、何とか空へ上がれたはいいものの。

 世界地図など見たこともない彼は、迷子になっていたのだ。


「やっと帰って来られた……のはいいが」


 一度星を見渡せるくらいの高さまで上がり。

 故郷と思しき大陸の西側から進み。

 一週間ほどかけて帰って来た彼は――首を傾げていた。


「どういうことだ?」


 途中で西の戦場に寄れば、既に公国軍は撤退していた。

 公国周辺のアンデッドも、ライガーの死により沈静化しているようだ。


 一時的にとは言え平和を取り戻したのに、近くの街を歩く人は少ない。

 道中では、何故か最近病人の数が、急に増えてきたという噂も流れていた。


 しかし疫病の備えに病床を増やしたから、多少なら問題無いはずだ。そう結論付けはしたが、ライナーの胸中には不安が残っている。


「疫病は回避したはずだが。気温が上がらないせいだろうか……」


 不衛生なアンデッドが暴れたあとなので、多少の病気が流行るのは仕方がない。


 しかも悪天候の影響か、四月も後半だというのに未だに雪は降っているし。

 そうでなくとも公国の北側は、山脈から吹き降ろす風が強い地域でもある。


 だから寒さのせいということで一応は納得して、すぐに王都へやって来たのだが。

 ――王都まで戻ってきても、何故かメインストリートを歩く人は少ない。


 王都を出発した時ですらもう少し人はいたし、アンデッド関係の問題が収束しつつあるというなら、道行く人の表情が暗いのも気になる。



「うーん。残るは異常気象だけのはずなんだが……」


 アンデッドの脅威はひとまず去ったが、依然として雲が晴れない。

 そんなものは最高速で吹き飛ばしてしまえばいいのだが、それはそれとして。


 日照時間の少なさで冬季うつ・・が流行っているのだろうか? と首を傾げたライナーが自宅までの道を飛べば。


「どうした? 顔色が悪いぞ」


 王宮の入口に居た兵士とテッドは、幽霊でも見るような表情で固まっていた。


「ライナー!? 生きてたのか!」

「こ、国王陛下! 生きていらしたのですか!?」

「それはこの通り――あっ」


 戦闘中に敵の総大将と一騎打ちになり、灼熱の炎をバラ撒きながら天空高く昇っていき。その後は姿が見えなくなっていたのだ。


 大陸を一日で横断できる男が一週間も帰って来なければ、国王死亡説が流れても不思議ではない。


「街を行く人の顔が暗かったのは、もしかしてそのせいか……」


 世界最大の脅威を取り除いて凱旋。

 というのは、ライナーの主観での話だ。


 こんなご時世に国王が討ち死に。しかも後継ぎがいないという話が出回れば、公国は滅亡の危機にあったと言えるだろう。長期間国を空けてしまったことで、何となく家出小僧のような気分になったライナーだが。


「とにかく無事でよかった。ライナーにまで何かあれば、どうしようかと」

「はぁ、リリーアたちは怒って――」


 と、そこまで言って。

 話が早いこと宇宙一を自負する男は気づいた。

 ライナーまで、という言い回しなら。彼以外の誰かに何かがあったのだと。


「待て。何があった?」

「……あの。詳細なご報告は、アーヴィン様から申し上げると言伝を受けております」


 そう言い淀む兵士を前に、更にライナーの不安は募る。


「俺が出向く。彼はどこにいるんだ?」

「……許可が出るか分からないからね。僕が連れてくるから、ライナーはここで待っていてくれ。いいか、絶対に動かないでくれよ!」


 兵士との間に割り込んだテッドは、そう言うなり駆け出して行った。


 言い知れない不安に駆られながら。

 取り残されたライナーは落ち着かない様子で、彼らの帰りを待った。






    ◇






 正しい情報に基づかない推測は誤った結果を導く。

 それがライナーの人生哲学だ。

 だから分からないことがあれば調べるし、その道のプロがいればすぐに聞く。


 ――しかし今回の件は、分かる人間などどこにもいなかったのだ。


「まだ、終わってなかったのか」


 北西へ向けて遠征に出た主力軍の中で、致死性の疫病に発症した者が出た。

 しかも病気は急速に広まっている。

 それがアーヴィンからの報告だった。


 調査の結果、原因はノーウェルが討伐したドラゴンゾンビだと判明している。


 冒険者ギルドに残っていた文献によれば、彼らの体内で生まれた毒や病原菌は年月を重ねる毎に蟲毒こどく――共食いで進化を続ける。


 しかしドラゴンは素材の宝庫で、普通は死体が放置されるなどあり得ない。

 ドラゴンゾンビは発生自体が極めて稀な魔物として有名だ。


 毒の原因を探るために、おとぎ話の世界と呼ばれるほど古い資料を読み漁り。昨日の朝にようやく原因が分かったところだった。


「師匠のせいじゃない。師匠がいなければ、今ごろ全員死んでいたかもしれない」


 山脈に辿り着いたドラゴンゾンビの体内から漏れ出た毒素が、山から吹き降ろす風に乗って広範囲に拡散されたらしい。


 ノーウェルが早期に倒したので、被害は遠征していた公国軍と、近場の一部地域に収められた。

 しかし、もしも討伐があと数日遅れていれば、公国全域が死の大地に変わり果てていたかもしれない。

 その報告を聞いたライナーは、独り言で毒づいていた。


「くそっ! 予測できるか、そんなもの!」


 空から降り立ったライナーは、王都の東区画にある病院へ押し入る。

 ここは重病人を集めている区画であり、周りの建物は残らず閉鎖されていた。


 医者の制止を押し切って病院の最奥を目指すライナーだが、中の様子は惨憺さんたんたるものだ。

 辺りには吐血している患者や、皮膚がただれている患者がベッドを埋め尽くしている。


 惨状を目の当たりにする毎に、不安は募る。


 足早に廊下を進み。

 彼はとうとう、王族や一部の貴族が入院するための個室に辿り着いた。




 三十万を超える敵を、一夜のうちに殲滅し。

 魔王と呼べる存在を討ち。


 仲間を守り、民を守り、国を守り通した男は。

 目の前の光景に。ただ、立ち尽くす。


「リリーア」

「それ以上、来てはいけませんわ」


 薄いカーテンの向こうからは弱々しくも、はっきりとした拒絶の言葉が返ってくる。


 戦場に病気の原因があると事前に知っていれば、未来を変えられたかもしれない。

 風の流れを操作して、人がいない北側に毒素や瘴気を押し込める時間もあっただろう。


 だが、全ては遅過ぎた。


 シトリー、ジャネット、エドガー、セルマ、カルロ、アーサー。

 そして、リリーア。


 彼の知り合いや、身内だけでも。これだけの人数が余命宣告を受けていた。

 ノーウェルも数日前に死亡が確認されて、葬儀が行われたという。


「この病は、感染うつりやすいそうです。近づいてはいけませんわ」

「……気にすることはない。俺は、風邪を引いたこともないんだ」


 カーテン越しのシルエットだけでも分かるほど、リリーアの線が細くなっている。

 声は震えているし、咳も湿っぽく。内臓がやられたことも分かる。


 ――何もできることはないが、せめて傍に居たい。


 そう思ったライナーが近づこうとすれば。

 リリーアは彼を、もう一度制止した。


「いけません。万が一、国王が倒れたとなれば。この国はおしまいですもの」

「気にしなくていい。俺が大事なのは、君たちだけなんだ。国のことなんて、二の次で――」

「だめです!」


 その声に、彼の足が止まる。

 ライナーはゆっくりと近づこうとしたのだが。近づかせまいとして、リリーアは叫んだ。


「私だって、冒険者ですもの。これくらいの病気なんて、すぐに治しますから、ね? こうしてお見舞いに来てくださっただけで、十分ですわ」

「……分かった、今日は帰る。治った頃に、迎えに来るよ」


 一転して優しい声色で話したリリーアに背を向けて、ライナーは部屋を出た。


 扉を閉めた後、歩哨を務めるマーシュの横に立ち。

 そのまま力なく壁に寄りかかると、深い溜息を吐いた。


「……医者の、見立ては?」

「助からないだろう、って。……ほら、これが診療記録だ」


 ライナーはここに来るまで、治療が間に合わずに倒れた人間を何人も見てきた。

 これは異常に致死性の高い疫病だ。


 王族であるリリーアには金に糸目をつけずに最高の薬を使い、出来得る限りで最高の医療体制を敷いて治療に当たっているようとしても。


 その最高の・・・医療技術自体が、病気を完治させるレベルにまでは至っていない。


 そもそも。誰よりも強かったノーウェルですら抗えなかった毒だ。

 ただの人であるリリーアに打ち勝てるわけがない。


「ライナー……」

「皆も、来ていたのか」


 項垂れたライナーが顔を上げれば、そこには蒼い薔薇の四人が沈痛な面持ちで立っていた。

 ベアトリーゼが一歩進み出て、ライナーの頭を撫でれば。ララも正面に回って、彼を抱きしめる。


「ライナーは頑張ったよ。こうして皆が無事なのも、ライナーのおかげだよ」

「うん……頑張った」


 確かに、国は救われただろう。

 多くの人が助かったのは事実だ。


 だが。彼が一番助けたかった人は、助からない。

 リリーアは間もなく、その命を終える。


 仲間たちの様子からも現実を突き付けられたライナーは。

 それでもいつも通りに、冷静な声色で言う。


「まだだ、何か。何か……手はあるはずだ」

「ライナー」

「今までだって、何とかなったんだ。今回だって、俺が……!」


 ベアトリーゼの手を取り、ララを抱きしめ返して。

 ライナーは何としてでもリリーアを救うと宣言しようとした。


 しかし、その前に軽い音を立てて、ライナーの両肩に手が置かれる。


「見ただろ。……見れば分かるだろ。もう、助からないって」

「……リリーアの症状なら、もう亡くなっていてもおかしくはないの。でも、最後に、ラ、ライナーに、会いたいって……」


 気づけば、全員が俯いて涙を流していた。


 それはそうだ。蒼い薔薇の面々はライナーよりも付き合いが長く、特にルーシェなどはもう十年近くも一緒にいる。

 ライナーにとっては最愛の人だが、それは彼女たちにも同じことが言えるだろう。


「大丈夫だ、俺に任せておけ。きっと何とかしてみせる」

「ダメだよ。ライナーまで死んじゃったら……多分、私、立ち直れない」

「……私も」 


 病院に滞在するだけで、感染のリスクがある。

 本来ならば彼女たちも、ここに居てはいけない人間だ。


 ライナーが無謀なことをしないように、引き留めにきたのだろう。

 それはライナー自身も分かっていたし。


 何より。

 続くセリアの言葉に、彼は愕然とした。


「大丈夫だと思ってるなら。なんで、泣いてんだよ」


 そう言われたライナーが顔に手をやれば、指先が湿る。

 濡れた指先を呆然と見つめていたライナーは、小さく、息を漏らした。


「……あれ?」


 ――その時、ライナーも自覚する。


 彼女を助ける術が無いと、自分自身でも思っている。という事実を。


 この世界は科学技術も発展していないし、病気の治療は民間療法の域を出ない。

 感染症が広まることを先に知って、医療体制を整えようとしたところで。

 できたことはベッドを増やすことと、簡易なマスクを作る体制くらいだ。


 死病を治す手立てなど、ない。


「私たちにできるのは、祈ることだけよ」

「……帰ろうぜ。ライナーが病気になったって聞いたら、リリーアが悲しむ」

「………それは……」


 この世界にはまだ銃はおろか、火薬や印刷技術すら存在しないのだ。

 文明の発展が遅れていることなど、精霊の大図書館に潜ればすぐに分かった。


 現状の医療技術で対応できないのは、火を見るよりも明らか――


 ――と。そこまで考えた時、ライナーは気づく。



「あった……」

「ライナー?」

「そうだ、精霊の大図書館だ」


 そこは異界の知識が無限に集積された場所だ。

 病気さえ特定できれば、治療法はいくらでも見つかることだろう。

 そう思い至ったライナーの目に、希望の火が灯る。


「カルテは持っていく。必要なら社まで取りに来てくれ!」

「お、おい、ライナー!」


 思い立ったら、即座に行動するのがライナーだ。

 彼は仲間たちの止める声も聞かず。

 振り返らずに、大図書館を目指して駆け出した。


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