第百四話 一芸を極めた先の景色



 大精霊は現世のことに、易々と介入できないと言う。

 しかし無理を押し通す方法ならばある。


 恐らく大丈夫だろうと思いつつ、彼は周囲を見回してから言う。


「ここはライナーから貰った、俺の領地だ。……広いだろ? ここでなら耕作でも牧畜でも、何でもできる」

『お、おう。でも、お供えものを貰ったくらいじゃあ動けないぞ?』


 ライナーとの間には元々の契約があったから、ついでに動けていただけだ。


 そう困惑する大精霊だが、三要素の一つとなる領域・・の確保を達成していると確認したレパードは、構わずに続ける。


「俺に絶対の忠誠を誓う、部下だっている。――おいお前ら! 死ぬまで俺について来られるか!」


 アンデッドに応戦している部下に声をかければ、至る所から元気な声が返ってくる。誰もが死ぬまでレパードについて行くと、一切の迷いなく答えている。


 恒久こうきゅう的にこの地へ住まう、人民・・もここにいる。

 だから、残るは一つ。


「だったら謀反むほんだ」

『え?』


 最後の要素を埋めるため、レパードは高らかに宣言した。


「俺は今、この瞬間から……公国からの独立を宣言する!」

『はぁ!?』


 二つの要素を確認した彼の口から出てきたのは、唐突な離反宣言だ。


 彼の意図が分からない大精霊は、こんなタイミングで謀反を起こしている場合かと驚いた。

 だが、レパードの狙いは成り上がりであるとか、そんなところには無い。


 統治権。主権・・があること。

 それだけが重要となる。


「領域、人民、権力がここにある。アーヴィンから聞いたんだが、この要素があれば国と言えるよな?」


 その三つが揃った時、一般的には国として認められる。

 だから、可能になる。


「今ここに、新たな国を興した! 俺が国王・・だ!」

『――あっ』


 ここに至って、大精霊も気づく。世界を救う勇者や、建国の王・・・・にならば力を貸してもいいのだと。

 そのレベルの相手を助けて、世界を発展させるのが精霊の本懐だ。


「どうだ! これで力を貸してくれるか!」

『貸すったって、敵を薙ぎ払ったりはできないぞ』


 そんなことはレパードも求めてはいない。彼が望むのは、ただの風だ。


「俺の望みはただ一つ。俺の声を、アンデッドたちに届けてほしい」

『声を?』

「ああ。一対一で、目の前で語りかけているかのような……。それでいて、全員に行き渡るくらいの声を運んでくれ」


 それくらいなら許容範囲内だ。

 宣誓の内容を拡散したり、祝福の声を下々に届けたりするのはむしろ本来の役目に近いのだから。


 とは言え風の大精霊も、いくつかの神話や伝承に登場した伝説の存在である。

 それを拡声器扱いかよと、思わなくもなかったのだが。


『目的はさっぱり分からないけど……高いぞ?』

「生憎と、今は何も持ってない。ツケとけ」

『へいへい、滅びる前には返してくれよな』


 彼は何かしらの覚悟を決めたように見える。それなら、力を貸すのも一興。憎まれ口を叩いた大精霊は、サービスとばかりにレパードの身体を宙に浮かせた。


 空中からアンデッドたちを見渡したレパードは。考えを繋ぎ合わせて、理論に起こしていく。


「ライナーがやったこと」


 同族にんげんを相手にテイムなんてできるわけがない。これは動物や魔物にしか効かないスキルだ。

 ――話を聞いた直後はそう思ったが、やってみたらできた。


 今までの歴史上で誰も試さなかった。

 それか、試した記録が消されただけだろう。


「ミーシャがやったこと」


 テイムとは。心を通わせて仲良くなり、家族のような存在になるスキルだ。

 しかしミーシャは、完全に支配下に置く目的でテイムしていた。


 レパードとライナーの技は、相手に共感して心を開かせる技だが。

 そのステップを飛ばしても、この技は通じる。


「テイムは、催眠術や支配の技じゃない」


 そう思っていた。実際に、彼らの使い方を見るまではできなかった。

 だが、今はできる。

 

 彼らの技が肥やしになったのか、己のテイム――信愛の情を湧かせる技――は、目覚ましい成長を遂げた実感もある。


「師匠の俺が、いつまでも同じところにいるってのも芸がねぇ」


 アンデッドへのテイムが不可能?

 誰も試していないか、成功したことがないだけじゃないのか?


「だったら。やってやれないことは……ないよな?」


 そう自問しながら、レパードは眼前に群がるアンデッドたちに語り掛ける。

 まずはいつも通りに、相手へ共感するところからだ。


「ああ分かるよ。辛かっただろ。苦しかっただろ?」


 心が通う感覚は無いが、レパードは彼らの境遇から感情を想像する。


 レパード自身が心を開くように、いつもとは真逆の方向にテイムを発動すると、胸中には悲壮な心が広がった。


「悲しいよな。お前たちの中には家族や、子孫を手に掛けた奴だっているだろう」


 声は確かに届いているようだが、反応は薄い。

 彼らには思考力がないし、心も無いのだから当たり前だ。


 しかしテイムというスキルが、心ある者にしか通用しないなどと誰が決めたのか。


「武器を持った奴らに追いかけ回されて。追い立てられて。行く宛てもなく彷徨さまよってきたんだろ?」


 アンデッドを相手に成功した前例がない。

 ただそれだけのことだろう。


 弟子たちが新たな境地を開拓したなら、自分にもやれるはずだ。

 そう信じて、彼は言葉を重ねる。


「――本当に、お前らは生きている奴らを恨んでいるのか? ああ、中には酷い死に方をして、恨みを遺した奴もいるだろう。でも本当は、寂しかったんじゃないのか?」


 その言葉に、いくらかのスケルトンが動きを止めた。


 反応からわずかな手ごたえを感じたレパードは、更に感情を載せて語り掛ける。


「そうだよ。安らかに眠っていたのに、起こされてみればバケモノ扱いだ。この中・・・に知り合いや、友人や、家族がいる奴らはどれくらいいるんだ?」


 今度は、先ほどよりも多くのアンデッドたちが立ち止まり、顔を見合わせた。


 統制も取れずに歩き続けてきたので、当然、親しい者とも離れ離れになっている。

 誰も味方と呼べるものはいない。

 ただ一緒に歩いて、一緒に人間を襲っていただけだ。


 彼らは大きな群れの中にいるからこそ、孤独が際立つようにすら感じていた。

 ――そんな気持ちが、レパードに伝わってくる。


「もう十分だろ。これ以上、彷徨う必要なんてない」


 この場に集まった無数の亡者。

 更に先にいる、王都を襲わんとしている亡者たち。


 その大半から寂しさと孤独の感情が発せられ、その全てがレパードの元に集まってくる。

 その想いを受け取ったレパードは、おもむろに砦に振り返った。


「砦の門を開け」

「え、ええっ?」

「レパード様、それは……」

「いいから、開け!」


 戸惑う囚人がゆっくりと門を開けば、そこには防壁に取りついたまま動きを止めたアンデッドたちの姿があった。

 その姿に恐怖して、後ずさりをしようとした男は――ふと気づく。


「な、泣いてる?」

「バカ言うな! ア、アンデッドが泣くわけ……あるか、よ」


 身体は崩壊して、骨だけになっている者がほとんどだ。

 当然身体に水分など残ってはいないし、涙腺も存在しない。


 だと言うのに。

 彼らには、アンデッドたちが涙しているように見えた。


「安心していい。もう、安心していいんだ。俺は全員を、受け入れる」

『……え?』


 コイツは何を言っているんだろう。気でも触れたか?

 と、困惑しながら声を届けていた大精霊なのだが。


「俺の国に来い! 種族で差別なんかしないし、生きてるか死んでるかも関係ない! 俺は全員受け入れるぞ!」


 聞いている側は言葉を半分も理解できていないし、感動する心も無い。

 しかしレパードが本気なことは伝わっていた。


 心を失った相手の心を想像して、その感情に共感する。

 その感情を極限まで高めて送り返す。


 感情を、心よりも深く身体と精神に根付いているもの。魂へとぶつける。

 魂の奥底から創造された想いをまた受け取って、更に送り返す。


 この繰り返しが合わせ鏡のように重なり、感情が無限に膨れ上がっていった。


「これが……そうか」


 数万人が一人の悲しみを分かち合い、一人の喜びを数万人が共有する。


 受け入れて貰えた喜びと、未来への希望。

 暖かな感情の波が怒涛のように膨れ上がっていった。


 これはもう、テイムというスキルで起こせる事象を遥かに超えている。


 そう、レパードは遂に辿り着いた。

 一つのスキルを極限まで高めた先へ。一芸を極めた先に見える景色まで。


「感じる、感じるぞ。お前たちの気持ちが――想いが。理解でもなく、心でもなく。魂に伝わってくる!」


 彼は心も身体も飛ばして、その身に刻まれた魂に想いを伝えた。


 視覚化するほどの感情の濁流がエネルギー化し、意思と心の疎通を飛び越えて、精神が繋がっていく。


 終いにはレパードも涙を流しながら、痛切に訴えかける。

 ――俺の元に来いと。


「ここがお前たちの還る場所だ。俺と共に来い! 俺はお前たちを受け入れるぞ!」


 謎の揺らぎと波動に包まれたレパードが、眼下に広がる亡者の群れに手を広げると――彼らは一斉に跪き始めた。


 敬愛、親愛、友愛、博愛、愛。

 それらは信仰の域にまで達し、成仏というか。砂状に崩れ去る者まで出ている。


 五体投地よろしく身を投げ出す者や、生前は信仰深かったのか、ゆっくりと十字を切る者。

 両手で祈るように喝采を挙げる者など、姿は様々なのだ。


 今まさに、歴史上初の快挙となる、数万体のアンデッドに対する同時テイムが成功しようとしていた。


『いやいや。うっそだろ、おい……』


 しかしこの場でただ一人、風の大精霊だけはドン引きしている。


 なんだこの状況は、と。


 この世界にあまねく存在する知識どころか、異世界から流れてきた知識、経験まで動員してもなお、遠く理解が全く及ばない。


 否、目の前の光景を理解することを、頭と心が拒否していた。


「な、なんて器のデカさだ……」

「流石はレパード様っ!」

「レパード様ぁあああ! 素敵ぃ! 抱いてっ!」


 振り返って砦の方を見れば、手下は喝采を送っているし、感極まって涙している者がほとんどだ。

 ミーシャなど何故かうっとりとした表情で、目がハートマークになっている。


『え、な、なにこれ。なにがおきてるの?』


 数千年を生きた中で、力を貸してもらうために建国した輩はもちろん初めてだ。

 その後に取った行動も意味不明だ。


 己が理解できる範疇はんちゅうを超えた現実に、風の大精霊の思考が停止しようとしていた。


「はぁ……はぁ……っ。ありがとうな」

『い、いや、それはいいんだけど』

「後で、ちゃんと、礼はするから」


 その言葉が発された時。

 何故か言い知れぬ悪寒が、大精霊の精神を駆け巡った。


『い、いらない!』

「……なんで?」

『いや、オレ、仕事しただけだし?』


 拒否をするが、もう遅い。

 拡声はまだ続いているので、砦の人間にもアンデッドたちにもこの声は届いている。


 既にレパードの部下も、成仏せずに残ったアンデッドたちも。大精霊にお礼・・をする気満々だった。


「あれが大精霊様か」

「そうだな、恩人だ。礼はたっぷりしねぇと」

『ひぃぃいいいい!? お前ら全員――』


 催眠術でも受けているんじゃないか。

 そう言おうとして、まさしくそうだと思い直す。


 今やレパードもハイ・・になってしまっているので、正気でいるのはもう、大精霊だけだった。


『オ、オレ、急ぐからこれでッ!』


 一瞬で音速を突き破り、大精霊は狂気の建国式から逃走した。


 その背後ではつい先ほど国王に就任したレパードが、現人神あらひとがみと見紛わんばかりに崇拝されている。


 光を纏いながらゆっくりと地上に降りる彼を見つめる者たちは、人種も種族もバラバラだ。

 彼らの共通点はレパードを崇めていることだけである。


『み、みんなどうかしちまったんだ。やっぱり世界はこのまま滅ぶんじゃ――!?』


 神話に登場する大精霊すらビビらせた男レパード。

 彼は気づいていなかった。


 というのも、ライナーを人外の道に向かわせた最初の一歩が自分の教えなのだ。

 弟子よりも、その技に習熟している自分は――


 ――ライナーよりも、人外サイドへ近い位置にいた。


 平野を埋め尽くすほどの数。見渡す限りのアンデッドを跪かせている今の彼は、遠目に見れば魔王か不死者の王ノーライフ・キングである。





 とにもかくにも。


 こうしてセリアの領地である北東部から、王都を中心とした中央エリアのアンデッドは、その大半がレパードの指揮下に入った。


 王都の危機は回避されたし、これにより守備隊の数を更に減らし、当初予定していた倍以上の兵を北西へ送り込めるようにもなった。


 しかし人口・・の数百倍の魔物を従えた、信仰もとい新興国家。

 それが王都の真横に爆誕したのだから、公国上層部に衝撃が走ったのは当然だ。


 そしてこの大事件だが、朝ベアトリーゼが起きてから、朝食を取る前の十数分で完結したというのだ。


 各地の情報を集めて作戦を検討する立場にあった彼女は、情勢の前提が根本からひっくり返ったと知り、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。


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