第八十八話 包囲網
撤退を決めてからの動きは早かった。
元々敵に戦列などあったものではないし、崩れかけていたところだ。
敵の追撃は鈍いものだったので、公国軍は着々と撤退を完了させつつあった。
「そろそろ敵が態勢を立て直す頃だ。気合を入れろ!」
「はい!」
「了解です、師匠!」
マーシュとパーシヴァルを中心に、五百名ほどの部下が気炎を上げる。
そのまま前進して、戦闘が開始されるかと思いきや――伝令と思しき、血だらけの女が飛び込んできた。
全身をズタズタに引き裂かれて、遠目にも無残な姿をしていたのだが。
「待って! お願い、待って……!」
「あれは、セルマさん?」
乗っていた馬から身を投げ出すようにして現れたのは、マーシュも知っている人物だった。
B級冒険者パーティ白い猟犬で副リーダーを務めている、魔法使いのセルマだ。
彼女は従軍をしておらず、公国に残り冒険者として活動をしていたはずなのだが。マーシュが見たことがないくらいに、悲痛な表情をしている。
ただ事では無さそうだと、ノーウェルが開戦のタイミングを遅らせた瞬間。
「B級冒険者パーティ、白い猟犬。以下、山脈の探索に向かった冒険者たちは全滅しました。行方不明者……っ、多数!」
彼女は最悪の報告を始めた。
「全滅だと? おい、一体何があった」
「合同で、アンデッドへの偵察と、異変の調査依頼を受注しました。北の山脈付近を探索、中に。敵の別動隊、約十万と遭遇」
勢力を増やし続けていたはずのアンデッドが激減していたのは、離散したからではなく、一塊になって攻め込もうとしていたからだ。
各地に発生した個体は別として。
三路に別れて行軍など、並みの統率力ではできない。間違い無く戦略級の指揮をする上位個体がいる。
それを確信すると同時に。身軽な冒険者が、愚鈍な亡者から逃げ切れないとは思えないという考えに至ったノーウェルに向けて。
血を吐くような声でセルマは続けた。
「元、A級冒険者のアンデッドと、思しき個体が。……いえ、B級以下でも。見覚えがある、戦い方をする者が……何体か」
「ええい、そういうことか!」
現時点で、少なくとも五十万の敵が公国に向かっている。
それだけの数の死者が復活したのだから。生前にパーティを組んでいた者たちが徒党を組んで、遊撃を仕掛けてくるのも有り得ることだった。
――しかしこの状況は、普通ではあり得ない。
普段であれば大発生と言っても、数は千や二千がいいところだ。
大抵は未練を残して死んだ者か、この世に強い恨みを持つものしか蘇らないので。この数とその質は、誰からも予想できないものだった。
アンデッドが増える毎に瘴気のようなものが溜まり、それに釣られて雪だるま式に数が増えていく。それが今の状態だ。
精霊たちからすれば、その状態を指して「地脈が崩れた」と言うのだが。仮に名称が分かったところで、打つ手は無かっただろう。
「そして……ゴホッ! ゴホッ! ド、」
セルマは咳き込みながら、最後まで報告を続けようとした。
しかし、体力が尽きる方が早かったようだ。
「落ち着け。そして、どうした」
「ド……ラ、」
セルマが倒れる直前に、マーシュの方を見た。
彼になら伝わってくれるか。
ここまでの言葉で届いてくれるか。
薄れゆく意識の中で祈った願いは、きちんと理解されたようだ。
「まさか……いや、そうだよな。普通に考えりゃ、山脈側よりも先に警戒する方向がいくらでもあるもんな。……皆は、
マーシュは身体を震わせてから。
故郷の街で長年放置されていた、ある塩漬け依頼のことを思い出した。
塩漬け依頼の一つはアンデッドの大量発生だ。
そちらが問題になったのであれば、もう一件の方にも変化が無ければおかしい。
そう考えたライナーも、援軍を派遣した直後に手を打っていた。
公国にいる冒険者の中で、手が空いている者には索敵と異変の調査の依頼を出していたのだ。
結果として敵の別動隊は見つかった。
そして恐れていた事態が現実になったようだ。
「ドラゴンゾンビ、か」
それは、最強の存在の成れの果て。
近寄るものを、ただ破壊し続けるだけの化け物だ。
「マーシュ。それってまさか」
「そうだよ。討伐依頼はかなり前から出てただろ。誰も倒していないんだから、そりゃあ居るよな……」
北上を続けるドラゴンゾンビの討伐依頼が為されなかったのだから。当然、いつかは北に連なる山脈に行き当たる。
アンデッド同士で連携をしてくるのか、単独で行動しているのか。
それは分からないが、進軍経路のすぐ近くで目撃されたらしい。
「南から十万、西からも三十万。北西から十万と、それを指揮する上位個体。そして北の山脈にはドラゴンゾンビ。トドメにアンデッド化したベテラン冒険者、か」
国の西側半分を、敵に包囲されたことになる。
しかも敵はそこに居るだけではない。
今も死者が目を覚まして、数を増やし続けている。
少し視野を広げれば、西国と王国。
ともすれば帝国と共和国も襲われているかもしれない。
「本格的に囲まれたようだな。……まあ、打開策は後で考えるとして。パーシヴァルはそこの嬢ちゃんを背負って行け、気絶しただけで息はある」
「了解です、師匠!」
何はともあれ、まずは撤退戦だ。
ここで兵を減らせば、脅威に対して打つ手が無くなるのだ。
ここは絶対に失敗できなかった。
「やることは変わらん。本陣の部隊は、この場で敵を食い止める! 撤退する友軍を、何があろうと無傷で逃がすぞ!」
全員が動揺しているからか、いつものような威勢のいい声は返ってこなかった。
――絶望的と言える包囲網に、誰もが世界の滅びを予感するようになっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます