第八十一話 立身出世
「こちらに有利な条件で、条約を結び直しました」
「……ああ、ご苦労」
アーヴィンが書類を片手に執務室へ戻ってきたのだが、どうやら交渉はまとまったらしい。
顔を知らなかったとはいえ。全権委任大使が侯爵家当主の尻を触って、胸を揉み。
使節の代表がボコボコにされたことに抗議した、モルゴン王国の使節団だったが。
まさか相手国の重鎮にセクハラを仕掛けていたとは思わず。事情が説明されるなり平謝りの体勢に入っていた。
「丸く収めることは……できなかったか」
「そういうことにも参りません。国と国との話し合いですから」
口の滑りを滑らかにするため。
そして、なるべくいい雰囲気に持ち込むため。酒を飲ませたのはライナーだ。
せめて酒が入っていなければ、もう少し理性的な対応ができたかもしれない。
原因を作ったのが国王本人なのだから、むしろライナーが謝罪をしようとしたが。
結局は、前後不覚になるまで飲んだのは自己責任ということで処理された。
公国側の文官たちは落ち度を徹底的に追求し。その急先鋒となったアーヴィンは、賠償の代わりに有利な通商条件での条約を結び直してきた。
国全体で見れば利益になっている。
しかし個人的には、登場人物の全員が損をしていた。
「奥様方は、まだお怒りですか?」
「……ああ。昨日は家に入れてもらえなかった」
時期はもうじき冬だ。
夜も冷え込むようになってきたので、野宿は流石に辛かったらしい。
アーヴィンなりノーウェルなりの家に泊まることもできたが、罰になっていないと知られたら追加制裁が待っているだろう。
だから昨晩のライナーは、王宮の中庭にあるベンチで一夜を明かして罰を受けた。
「風邪でも引けば、優しく看病してもらえたんだろうが」
「顔色はいつも通りに見えますね」
「……ああ、ただ冷えただけだったな」
いずれにせよ、国王が野宿をするなど異常事態なのだが。
妻たちの怒りは、恐らく当分は解けない。
このままではマズいと判断したライナーは、強引にでも手を進めようとしていた。
「アーヴィン。これを受け取ってくれ」
「拝見致します。……これは?」
「任命状だ。君を伯爵相当位にする」
そこに書いてある名目は、初の外交交渉で公国に有利な条約を締結した功。
また、忠勤の功績と能力の高さを讃えての叙勲となっているのだが。
「この人事を通すと、不都合があるかと存じますが」
「問題無い。職権を伯爵
ライナーが選んだのは、アーヴィンの身分を男爵に据え置き。権限だけを伯爵と同じレベルに引き上げるという姑息な手だった。
要するに、セリアと釣り合うだけの
大きな功績を挙げた直後でもあるので、これならギリギリセーフと己で決めた。
セリアの家に婿入りすれば、どうせ男爵の地位も伯爵相当位も消滅する。
一時的でも名目上でも何でも、とにかく結婚まで持っていければいい。
そんな、本当にこの場を凌ぐことしか考えていない策である。
「それでもです。謹んで辞退させていただきたく――」
この昇進が何を意味するものかは分かっているが、急に出世すれば要らない波紋を生むだろう。
そう考えたアーヴィンは断ろうとしたのだが。ライナーは既に、彼の反応など予測済みだった。
「なんだ、セリアのことが嫌いなのか?」
「い、いえ。そうは申しておりませんが。ルーシェ様の件もございますし」
「その件は午前中に話がついた。彼女を宰相にする」
ライナーは日が昇るとまず、ルーシェのところへ謝りに行った。
彼女は夜通しでヤケ酒をしていたらしい。
少し充血して、据わった眼をしていたのだが。
――彼女は、仕事に生きるとのことだ。
こうなったら立身出世で
「ほら、恋愛ばかりが人生じゃないから」
「……ヤケを起こしたように聞こえるのですが」
「……否定はできないな」
宰相に就いてもおかしくない身分の者を見た時、候補は意外と少ない。
セリアには絶対に無理だし、レパードはもっと無理。
フィリッポ伯爵は
確かに消去法で行けばルーシェが残るだろう。
そこそこ優秀で、適正が無いわけでもなかった。
「しかし、今はまだ不安定な時期です。ルーシェ様に国政を回せるでしょうか?」
「……本人がやる気なんだ。君が補佐してやってくれ」
「承知致しました」
それでも流石に宰相は荷が重いと思ったのだが、本人がやる気に満ち溢れているところでもあるし。
何より、今のライナーがルーシェからの提案を断れるはずもない。
しかし、やけっぱちで未来を決めさせた感が否めないので。ライナーとしても今後をどうしようか、非常に迷う人事になってしまった。
明らかに苦渋の決断なのだが。
ライナーの顔色から色々と察したアーヴィンは、いつも通りの口調で話を続けた。
「奥様方にも、セリア様の求婚を受け入れるとお話しておきます。反応はご報告致しますので」
「……すまない、アーヴィン。代わりのポストはどこかに用意するから」
アーヴィンが宰相になればバランスも崩れただろうが。ルーシェがその地位に座るのなら、むしろ全員の立場に釣り合いが取れる。
彼にポストを用意すると約束した手前、どこかの大臣には据えてやりたいなと。
そう思いながら遠い目をしているライナーへ、アーヴィンも粛々と告げる。
「……いずれも有難いお話です。ここまで来れば、私も覚悟を決めましょう」
セリアが女らしいかと言われたら首を傾げざるを得ないが。アーヴィンとしても、彼女に対して特に不満はない。
さっぱりとした性格をしているので。元平民のアーヴィンからすれば下手な貴族と結婚するよりもずっと、一緒に居て楽だろうとは思っている。
それに、将来性も稼ぎも、両者高水準だ。
中心メンバー同士なので、内の結束も固まる。
アーヴィンもセリアも、そろそろ結婚を考える歳でもある。
何より国王が用意した縁談で、女王以下、王族全員が成就を望んでいる。
こうして見れば断る理由も無いので、彼も家庭を持つことに決めたのだが。
「……念のために。ルーシェ様のお相手として、西国の名門貴族との縁談を打診しておきます」
「……頼む」
本当にルーシェが仕事一筋で生きれば、侯爵家が一代限りで断絶だ。
そんな伝説を残さないために、彼らは今後も頭を悩ませることになる。
ともあれ。そういった事情でライナーのスケジュールには、結婚式の参列予定が一件と。任命式の予定が一件追加された。
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