第八十話 大惨事



 友好使節団歓迎の宴が始まってから、一時間ほどが経った。


 各地で採れた旬の素材を活かした絶品料理に、美味い酒も揃っている。

 両国の人間は上機嫌に酒を酌み交わし。

 途中では国王自らが余興を見せることで、宴会は大盛り上がりしていた。


「楽しんでいるかな?」

「これは陛下。盛大な持て成しに感謝致します」


 宴はつつがなく進んでいたのだが。

 頃合いと見たライナーは、くだんの青年が役人との話を終えたタイミングで動いた。


 手には酒瓶を持ち。

 それを青年が持つ盃に近づけて、にこやかに笑う。


「堅苦しいことは無しにしよう。さあ、もっと飲んでくれ」

「へ、陛下が自ら酌を!? あ、有難く!」


 いくら身分が高くても、国王から酒を注がれるなど一生に一度あるかないかだ。

 絶対に粗相ができないので、青年も緊張した様子で盃を差し出した。


 ライナーは盃の限界までなみなみと酒を注いで、青年を煽る。


「さあ、ぐいっと」

「頂戴致します」


 青年はライナーの指示通り、ぐいっと酒を飲みほす。


 そしてその様子を見たライナーは、空になった盃にお代わりを注ぐ。


「いい飲みっぷりだ。俺は酒が強い人間が大好きなんだ」

「は、はは。左様でございますか」


 西のモルゴン王国からすれば、同盟国の王であるライナーは最重要人物の一人だ。

 他国の王に気に入られれば今後の仕事にもプラスだろうし。

 逆に、ここで根性を見せなければチャンスを逃す。


 そう考えて、青年は酒を飲んだ。

 ライナーは酒を注いだ。

 青年はまた飲んだ。


 ――数分の間、この繰り返しが続く。


「おお、イケる口か」


 などと感心する一方で、ライナーは焦る。

 飲ませているのは国内でも有数の強い酒だが、彼の顔色は全く変わらない。


 宴が始まってからこれまでに、付き合いで大分飲んだはずなのに。

 追加でこれだけ飲ませても酔わないのかと、ライナーは誤算に驚いていたのだが。


「へ、陛下からの酒、残すわけにはいきませんからぁ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 微妙に呂律が回らないことを確認してから、ライナーは酒を注ぐのをやめた。

 顔に出ないだけで、しっかりと酔っていたらしい。


 むしろ飲ませ過ぎたかとも思ったが。

 何にせよこの辺りが潮時だと判断し、ライナーは切り出す。


「貴官の名は何と言うのかな?」

「アイラグと申します」

「そうか。アイラグくん。君には国にいい人・・・はいないのか?」


 酒を飲ませたのは、全てプライベートな話題に斬りこんでいくための下準備だ。


 彼も、機密に関わりそうな話であれば理性を保ったかもしれないが。

 どうやら話は恋愛関係のようだ。


 深い話をしても問題が無く。

 かつ、親密になりやすい話題だったので、彼は喜んで恋愛事情を話す。


「いえいえ。お恥ずかしい話、まだ独身でして」

「……ほう、許嫁はいないのか? 良家の出身だと思うが」

「私も侯爵家の男ですが、三男です。家のことは兄に任せて、好きにしていいと言われていたのすよ」


 つまり、現時点で特定のお相手はいないらしい。


 しかも家格は同等。

 年代も同じ。

 そもそもデートに誘った時点で、ルーシェに好意を持っている。


「なるほどな」


 これはいける。

 そう確信したライナーは、事情を話して味方に付けたアーヴィンに目配せをする。

 これで合図は完了だ。


「では、どんな女性がタイプなのかな?」

「そうですね。しっかりしている女性がいいです」

「よし」


 完全にもらった。これで妻たちからの制裁は回避だ。


 彼がこの縁談を飲むのなら。締結した条約に何か一つくらい、ご祝儀として優遇条件でも付けてやろうか。


 などと考えていれば。

 赤いドレスを着て、相当めかし込んだ姿のルーシェが姿を現した。


 いつもとは違う華やかな服装だし、胸元も大胆に開けて冒険したようだ。

 ナチュラル風のメイクもバッチリ決まっていて、勝負をかけにきたことが分かる。


 彼女は元々のルックスがいいこともあり、登場してすぐに人目を引いていた。


「あ、あれぇ? キミは……」

「昨日ぶりですね」


 にっこりと微笑むルーシェは、それは美しいのだが――青年はまだ、彼女の正体を知らなかった。


 しっかり教育されていても、奔放な三男坊。

 酒が入っている。

 接待されることに慣れている。

 歓待の場に現れた美女。


 この場に集まった全ての要素が悪い方向に作用した結果、何が起きたかと言えば。


「ああ、なんだ。商人かと思ったら、芸者だったのか」

「へ?」

「はっはっは、もっと近くに来るといい」


 そう言いながら、彼はルーシェの肩を抱いて。

 尻を撫で回した。


「あ、え? ちょっ!?」

「流石、陛下は分かっていらっしゃる! 歓待の席に華は必要ですよね!」

「お、おう……?」


 ライナーの思惑とは、全く別な方向に話が流れている。


 どうするべきか迷った一瞬で、彼はルーシェの胸を触った。

 というか揉んだ。


「ひぎゃあ!?」

「お? なんだ、生娘きむすめだったのか? ナンパにホイホイついてきたから、遊び慣れてるのかと思ったよ」

「止めて、ください!」


 悪びれもせずにオッサンくさいことを言う青年だが。 


 ルーシェが彼の胸を突き飛ばしても、彼は依然として上機嫌なままだった。


「そうか、君はムードを大事にしたいタイプなんだな。……よし分かった。ではあとでテラスの方に行くとしよう」

「……そこで、何をするおつもりですか?」

「やだなぁ。何をするかなんて、決まってるじゃないか。皆まで言うのは野暮だよ」


 彼もまさか道端でナンパした女性が、侯爵家の当主だとは思わなかったのだろう。


 接待としてそういう・・・・女性を用意された経験もあるので。ルーシェのことも、一夜限りの女として宛てがわれたのだと、彼は思っていた。


 状況を見れば、そう考えても無理はない。



 しかし。いくらデリカシーの無いライナーでも、これは分かった。


 ルーシェの頭から、血管のキレる音が聞こえた気さえした。



「……ライナーさん。私に花鳥風月をかけてください」

「その、だな、ルーシェ。これは不幸な行き違いで」

「……かけろよ」

「……はい」


 国王であるライナーすら、思わず敬語を使ってしまうほどの怒気だ。


 これから何が起きるかを予想しつつも、ライナーには彼女を強化する以外の道はなかった。


「かぜのまい、さんしき、かちょうふうげつ」

「……出力、弱くない? 全力で来いよ」

「……《花鳥風月》」


 蒼い薔薇で最もキレさせてはいけない人間は、ララではなかった。

 最も注意を払うべきだったのは。今、己の前で仁王立ちしている悪鬼羅刹あっきらせつだ。


 そんなことを今さら知ったが、もう遅い。

 どうやらラブロマンスはご破算らしい。


「ははは、何を話しこんで――」

「死に晒せッ!!」


 ルーシェの、渾身のグーパンチが炸裂した。


 もちろん素早さを強化したのだから、一発では終わらない。


「オラオラオラオラオラオラオラァ!!」

「へぶっ、あがっ、おごっ! な、何ぶっ! 何をばっ!?」

「外交官なら、相手国の、重鎮の名前くらい! 把握してから来なさいッ!」


 ライナーが騎士団長に見舞ったものと、同レベルのラッシュが降り注いだ。

 むしろパワーだけを見ればルーシェの方が上なくらいだ。


 宴会に現れた美女が、登場から二分で使節をボコボコにし始めたのだ。

 もう、場内騒然である。


「このナンパ男! 私が一番嫌いなタイプですよ、ええ!!」


 最後にアッパーカットでフィニッシュを決めたルーシェは。

 酒瓶を巻き込んで倒れ伏した男に吐き捨てる。


「さよなら、初恋」


 彼がノックアウトされた直後。

 宴会場は、しんと静まり返った。


 誰もが動きを止める中で。何とか事態を収拾しようと、ライナーはルーシェに声をかけようとしたのだが。


「あの、ルーシェ」

「帰ります」


 ルーシェはすたすたと帰って行き、後には呆然とするライナーが残された。


 そして。そんな彼の肩がぽんぽんと、軽いタッチで二回叩かれる。


「ギルティ」

「……お、おお」


 声をかけてきたのは。

 無表情ながら、背後に般若の幻影でも見えそうな状態のララだった。


「お仕置きですわね」

「けじめ案件よね」

「ライナー、お前って奴は、お前って奴は……!」


 バックにリリーアとベアトリーゼ。

 ついでに、連鎖で縁談がご破算になったセリアもいる。


 これから制裁が待っているのだろうなと。

 話が早いライナーでなくとも、すぐに分かる表情をしている。もちろん全員が。



 この日。多分ライナーにとっては、人生で一番必死に言い訳を探した日になった。






― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 【悲報】ライナー、やらかす


 次回、後始末。

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