第六十六話 心のままに(後編)
何代か前の国王が、城の中に結婚式場を造ったらしい。
少し手狭ではあるが、国内の有力者は十分に収容ができる広さだ。
ヴァージンロードの先には、王城前広場を見渡すためのバルコニーが付いている。
広場には国民を集めており、外からは歓声が聞こえてきた。
式の後はそのまま、お披露目をすることになっているらしい。
しかしこの結婚式は、王族と公爵家が挙げる結婚式にしては随分と質素だ。
賓客を招くわけでもない。
楽団が控えているわけでもない。
会場の飾りつけに使われている品は、安物ではないが一級品でもない。
急ごしらえで会場を整えたからか、細かいところにアラがあるようにも見える。
だが、それも当然だろう。
公爵家が存在しない以上、式の費用は全て王家持ちとなる。
どうせお飾りで、すぐにお蔵入りする予定の王妃にかける金など、少ない方がいい。経費を節約したいと考えるのが自然だ。
彼女が周囲にそんな印象を抱いている横で、護衛の騎士たちは揃って頭を下げる。
「では、我々はここで失礼致します」
「ええ、お任せください」
彼らはそそくさと去って行き、彼女の身柄は司祭に預けられた。
――今からここで夫を待つ。自分の全てを奪った仇と、結ばれる。
さっさと式を終わらせて王位に就きたいという王子の要望で、婚約式は省略。
その予算も全て、今日の式に回ることになったと聞いた。
それでも質素に感じるとは、元々の予算がどれほど少なかったのだろうか。
それとも相手を愛していないから、空しく感じるのだろうか。
意味もない自問をしながら、彼女は会場へと一歩を踏み出した。
国中の貴族を集めて、大規模な結婚披露宴を開くという話を聞いていたが。参列者を見渡しても、友人たちの姿はどこにも見つからない。
心から祝ってくれる人もおらず、ただ、政治の駒としてここに立っている。
『顔だけはいいから、お前のような気味が悪い女でも可愛がってやる。世継ぎは必要だからな』
王子からはそう言われたが、どうなるだろうか。
聞けば王子には、もう側室が数人ほど決まっているという。
自分は塔の奥に幽閉されて、式典の時だけ顔を見せる役になるそうだ。
結末は分からないが。生きているかも、死んでいるかも分からないような生活をすることになるだろう。
そう予想できるだけに、余計に未練が残った。
最後にもう一度。
一度だけでいいから、皆と冒険に行きたかったな。
そんな叶わぬ願いを思い浮かべてから、彼女は全てに諦めをつけた。
自分が大人しく王妃の席に座れば、それで全てが収まる。
友人たちも、きっと幸せに暮らせるだろう。
「……これで、いいの」
晴れの日には似合わない、空虚な気持ちで佇んでいれば。
不意に、司祭から手を引かれた。
「……」
「おや、少し震えているようですな。大丈夫、深呼吸をして」
柔和な笑みを浮かべる司祭の姿に、不思議と懐かしいものを覚える。
ひげを撫でる仕草が、何かと重なった。
「さあ、どうぞこちらへ。ゆっくりとお進みください」
少し気にはなったものの、手を引かれるままに深紅の絨毯の上を歩き。
一段高い、新郎と新婦が愛を誓い合うための壇上を登っていく。
先ほどまでは処刑台に上るのと変わらない気持ちでいたが。司祭は人を落ち着かせるのが上手いようで、彼女もいくらかは気が楽になった。
定位置に立ち。後はただ、黙って王子の到着を待つばかり。
そのはずだったのだが。
「君は、綺麗な目をしていたんだな。その花嫁衣装も、とてもよく似合っている」
式が始まる直前の静寂を切り裂いて。司祭が、新婦を口説き始めた。
王妃となる人間を、結婚式の会場で。
「お、おい、何かの余興か?」
「まさか、そんなはずは……」
何を言い始めるのかと、会場内の人間にもざわめきが起きた。
しかし、司祭は周りのことなどお構いなしで、新婦を口説き続けた。
「なあ、ララ。やっぱり結婚式は挙げよう。そんなにドレスが似合うなら、たまにはそういう恰好をしたらいい」
周囲の人間は驚いているが、一番驚いているのは言われた本人だ。
彼女は時が停まったような錯覚を覚えながらも、何とか声を絞り出した。
「……どうして」
「どうしてとはご挨拶だな。会場に乗り込んで花嫁を攫って行くのは、お約束だ」
言い終わった瞬間、彼は変装のために着ていた衣装を脱ぎ捨てる。
僧衣の下にはいつも通りに、冒険に出かける時の服を着こんできたようだ。
「……どうして?」
「婚約者が式場に現れたら、誘拐犯がどんな顔をするのか見てみたかったんだよ。
彼は、何でもないような顔で。
いつも通りの平坦な声色でそう言った。
そして少しの間を置いてから、気恥ずかしそうに頭を掻く。
「……ここに着いたら何を言おうか、ずっと考えていたんだけど。やっぱり俺には、気の利いたことは言えないみたいだ」
このまま駒として一生を終えるのだと思っていた。
あの日と同じように。
誰も、助けてはくれないのだと思っていた。
自分の人生は、絶望で幕を閉じるものだと思っていた。
しかし、彼は来た。
普段と全く変わらない様子でやって来た。
こんな時にまで、誰もが全く予想もできない形で現れる。
いつ以来だろうか。
全てを失ったあの日にも、涙は流さなかったはずだ。
頭の片隅でそんなことを思いながら。彼女の視界が濡れていく。
「ただ、素直な気持ちを言うなら。これからも皆で、一緒に居たいと思う」
「……だめ。私が、逃げたら」
それでも、逃げれば仲間に迷惑がかかる。
皆のことを考えるなら。今すぐに彼を追い返して、自分だけがここに残るべきだ。
そうすることが正しいと、分かっている。
「何も心配は要らない。後のことは全部、俺に任せておけばいい」
分かってはいたが。
「帰ろう。皆が待ってる」
そう言いながら微笑む男の顔を見て、そんな考えは全て吹き飛んでしまった。
彼はゆっくりと右手を差し出して、彼女に
その姿を見て。心の奥底から、久しく感じなかった熱いものが込み上げる。
どうしようもない衝動に突き動かされて、気づけば心のままに。
ララはライナーの胸に飛び込んでいた。
――あの日感じた気持ちに、どうやら嘘はなかったようだ。
この感情は、恋と呼んでいいものなのだろう。
頬を流れる温かさを感じながら。
彼女は自分の気持ちをただ静かに、何度も確かめていた。
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