第五十六話 空から魔王が攻めてきた



「り、領主様。この速さでは荷駄にだが付いて来られません。少し行軍速度を落としましょう」

「補給なんていらないだろ。相手は領主になったばかりの雑魚だぞ?」


 丸々と太った男が、馬上から付き人の副官に向けて言うのだが。

 この副官としても、強行軍に次ぐ強行軍で疲れ切った兵をどこかで休ませたいと思っていた。


 普通ならば宣戦布告の前に会談を設けたり、王宮の許可を取ったり、戦うにしても事前に戦場予定地を話し合ったりするものなのだが。


 各種の許可を取らずに、馬上の男――ジョン・フィリッポ二世――が勝手に宣戦布告をして。先代当主に知られる前にやってしまえと、すぐに集められた兵だけを速攻で動かしていた。


 国はおろか、身内にすら無断での出撃である。


 彼としても早いところで勝負を決めたいと思っていたようで、連日の強行軍が行われていた。


「明後日には敵の領地に入ります。いつ敵が現れてもおかしくはないのですから、兵を休ませましょう。閣下と違い、兵は貧弱なのです」

「ちっ、軟弱ものどもが……いいだろう。今日はここでキャンプを張れ」


 領地を出てからはほぼ休憩なしで、ひたすらに歩き続けてきたのだ。フィリッポ軍は戦う前から疲れがピークに達しようとしていた。


 装備を持って行軍している人間と、荷物を持たずに馬で移動している人間の疲れ方が同じなわけもないのだが。


 兵を一段低い位置に置き、見下させることで自尊心を満足させ。副官は何とか休憩をもぎとることに成功した。




 彼らの領地からリリーアの領地までは、軍を率いてだと二週間ほどかかる。

 しかし彼らの軍は、使者を送った直後にはもう進軍を開始していた。


 ライナーたちの元に報せが届いた段階で、既にリリーアの領地から五日ほどの位置にまで迫っていたのである。


 一応宣戦布告の使者は送っているが、ほぼ奇襲戦争だ。


 しかも通行先の領主に進軍の許可も取っていないため、人目に付かない地域を選び、道なき道を爆走しながら進撃していた。



 相手は治めてから一年も経たない領地なので、兵を集めることもできないだろう。

 集められて百か、いいところで二百か。


 それならすぐに攻め落とせるはずだと、フィリッポはタカを括っていたのだ。


 何はともあれ、無事に到着さえできれば数の暴力で押し切れる。

 やり方や動機は別として、戦いの方針としてはそこまで間違いでもなかった。


「くくく、没落貴族如きがこのフィリッポ二世をそでにした報い。存分に受けてもらうぞ」

「……はぁ」


 副官の男は、領主が個人的な感情で戦争を始めてしまったことも知っているのだが。勝てばどうとでもなる。


 リリーアを捕らえて、非があったことを認める手紙でも書かせればいい。

 当事者の間で話が付いたなら、国もそこまでうるさくは言うまい。と考えていた。


 負ければ奇襲のペナルティも含めて莫大な賠償金を支払うことになるし、宣戦布告を撤回すれば面子は丸つぶれだ。


 そもそも領主であるフィリッポ二世がやる気満々なので、撤退などできるはずがない。

 何はともあれ、彼らは進むしかないのだ。






     ◇






 そんな会話があった次の日である。早速、彼らの軍に異変が起きた。


「何? 脱走兵だと?」

「はい、五十名ほどが脱走したようです」

「そんな奴らは放っておけ。帰ったら探し出して処刑だ」


 彼らが連れている兵士は二千人ほどだ。


 脱走兵はできるだけ出したくないのだが、その程度なら大したことはないだろうと、再び進軍が開始された。


 しかし、翌日は百名。

 そのまた翌日は二百名。


 日を追うごとに倍々で兵士が居なくなった。

 普通なら不安に思うところだろうが、フィリッポが抱いた感情は怒りだ。


「脱走兵は見つけ次第殺して、帰還したら家族まで処刑しろ!!」


 そんな命令が発されたのが、今朝のことだった。

 明日はいよいよリリーアの領地に入るのだが、士気は低いし、領主の人望もないしでどうしたものか。


 そんな暗い気持ちで進軍を続けて、今日も夜がやってくる。

 これ以上脱走兵を出すのはマズいと、副官が自ら陣地の見回りをしていたのだが。


「あ、あれ? おかしいな。今日は酒なんて、飲んで――」


 不意に、彼の視界がぐにゃりと曲がり。

 すぐに立っていられなくなった。


 フラフラと数歩歩いてからすぐに意識を失った彼は、見張りに立っていた兵士たちと共に、どさりと倒れて。


 周囲の草むらに潜んでいた男たちが、その様子を確認するとすぐに飛び出してきた。


「睡眠薬と麻痺薬を混ぜた薬だ。半日は起きないからさっさと運んでしまえ」

「ヘイ!」


 そう言って副官や周囲の見張りを運んで行くのは、フィリッポ二世軍の人間だ。

 いや、フィリッポ二世軍の人間というべきだろう。


 彼らの目には怪しい火が灯り、ライナーのために万全の働きをしている。


 誘拐してはテイムして、誘拐してはテイムして。

 その繰り返しだ。


 ライナーは宣戦布告を受け取った次の日から、毎晩夜襲を仕掛けていた。


 実は脱走兵などおらず、毎晩ライナーに誘拐されていたのだが。

 彼はゾンビが仲間を増やすかの如く、フィリッポ子爵軍を吸収し続けている。


 これは青龍の背に乗せて人員を輸送し、朝日が昇る前にとんずら・・・・する作戦だ。


 ライナーとレパードの二人体勢で昼夜を問わずテイムを続けているので、昨日までに捕まえた兵士たちの全員が、既に寝返った後である。


「こんな面倒なことをせずとも、我のブレスで一撃なものを」

「今回は殺したらマズいんだ。今日は昨日の倍、四百人が目標だからな」

「分かっておるわ、元の姿に戻るぞ。早くしろ」


 青龍が催促すれば、ライナーはドラゴンと化した彼女に向けて精霊の技を放つ。


「風の舞三式、《風霜高潔ふうそうこうけつ》」


 風の精霊が持つ技は、難易度によって型が分けられていた。


 第一段階で風を作る。

 第二段階で風を流す。

 第三段階で風をまとう。


 下級精霊は第一か、できても第二段階しか使えないことを考えれば。第三段階まで使えるライナーは既に精霊の仲間入りをしていた。


 今回使った技は、空気の流れを操作して光を屈折させ、光学迷彩の効果を与えるという――物理法則から考えれば無理がありそうな技だ。


 しかし、できるものはできる。

 精霊の技に物理法則など通じない。


 青龍の身体が徐々に半透明になっていき、背中に乗せられた捕虜ごと存在感が希薄になっていった。


『便利なものだな』

「やはり精霊に弟子入りをして正解だったな――さて、残りもさっさと済ませよう」


 ライナーの周りにいる兵士たちは皆、リュックサックを背負っているのだが。中身は全て毒の粉だ。


 連れてきた者たちがリュックを開いて退避したのを確認してから、ライナーは風の圧力で空に浮かび上がる。

 彼は風で毒の粉を巻き上げながら。空中から、敵陣へ狙いを定めた。


「風の舞二式、《風声鶴唳ふうせいかくれい》」


 ライナーが念じれば。風に乗った粉が紫色で毒々しい、八つの足をかたどる。

 それはまるで、タコの足が伸びるように。

 毒の粉を含んだ風の塊が、キャンプの天幕へピンポイントで絡みついていく。


 色や形はアレだが、中身は睡眠薬としびれ薬だ。


 密閉されているわけでもないただのテントなので、五分後には襲撃を食らった兵士の全員が眠りこけていることだろう。



「ははははは、今日は西側の兵を全て貰おうか」



 表情がフラットのまま、楽しそうな声を上げつつ。

 ライナーは夜空に浮かぶ月をバックに、自身の両手を広げた。




 この日何とか意識を保っていた、兵士の一人が後に言うには。


 月を背後に、空から魔王が攻めてきた。

 毒々しい触手を伸ばし、自分たちがいる天幕を一瞬で呑み込んで――。

 とのことだ。


 そこまで報告して、彼は気絶した。


 この報告を受けた先代フィリッポ子爵がどうするのかは、少しだけ先の話になる。


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