第三十九話 ヘッドハント



「まともな飯食ったの、半年ぶりだ」

「それ、別れてすぐじゃありませんの?」

「仕方ないだろ。人目を避けて北の果てには来たものの、立ち往生しているうちに体を壊して……動けなくなっちまったんだから」


 ライナーが作った粥で腹を満たしたレパードは、いくらかは血色が良くなったが。

 彼は寝床に横たわりながら、多少恨みがましい目で一行を見た。


 まあそれも当然だろう。

 元はと言えば彼女たちからあっさり裏切られて、この境遇に陥ったのだから。


 恨まれる心当たりがあるリリーアは即座に目を逸らしたのだが。

 レパードの方もため息を吐いてから、ひらひらと手を振った。


「まあいいよ。お陰で嫁さんもできたし」

「……結婚したんですの?」

「結婚というか、子どもができるからな。つがいってやつだよ」


 そう言って笑う彼の傍らには、幸せそうに微笑んでいる青龍の姿がある。

 彼女は生まれてくるであろう我が子が宿る腹を擦り、愛おしそうな顔をしていた。


 が、なるべくそちらを見ないようにしてリリーアは続ける。


「にしても、もう少しマシな場所はありませんでしたの? こんな雪山で、よく冬が越せましたわね」

「いや、北以外に進むと別なドラゴンの縄張りに入っちまうとかで、北しかなかったんだよ」

「……それで私たちの領地に辿り着くとは、因果ですわねぇ」


 彼女たちが領地を得たのは、赤龍よりも青龍撃退の功績が大きい。

 同盟国の鼻を明かした功での下賜と言ってもいいくらいだ。


 その青龍が領内に住み着いていると知って、全員が何とも言えない気持ちになっていた。


 ――ライナー・バレットという男以外は。


 ライナーはこの状況を好機としか捉えていない。

 彼は料理を作っている段階で既に、状況の分析を完全に終わらせていた。

 ここから先はただの確認作業だ。


「師匠。子どもが生まれるなら、ここから動けませんよね?」

「そりゃあまあ。生まれるのはまだまだ先だけど、身重の妻を連れて旅は無理だな」


 レパードが頷いたところを見て、ライナーは即座に二の句を継いでいく。


「であれば、当面はここで暮らすことになる。それから子どもが生まれるなら、何かと入用ですよね?」

「入用?」


 不思議そうな顔をしたレパードに対し、ライナーは結婚後にかかりそうな費用をつらつらと挙げていく。


「人に近い形で生まれるなら服とまともな食事。それから安全で快適に過ごせる家。特に家が無ければ、師匠の二の舞になります」

「赤ん坊にこの環境は……確かに厳しいか」


 旅慣れた自分ですら体調を崩すような、過酷な環境だ。

 赤ん坊が生きていけない環境であることは、レパードも分かっていた。


「俺が渡した金貨で小屋くらいなら建つでしょうが、食料や家具を買うならいずれ底をつきます。それにベビー用品や教育費にも結構かかるので、師匠に必要なのは安定した仕事ですよ」

「そりゃそうだ」


 同世代の誰よりも早く家庭を持つことを目指し、具体的な結婚資金や老後の貯蓄までの計算を、九歳の時に終わらせていたライナーである。


 適当な洞窟に住み、獲物を狩って肉だけで生活できる青龍は別として。

 子どもとレパード自身、それにサラマンダーが衣食住満ち足りた生活をするには、旅芸人の稼ぎでは間違いなく足りない。


 物真似師の芸で稼げる金額は、根無し草が一人で生きるのもやっとの金額だ。


 そんな試算を頭の中で終わらせたライナーの瞳が、怪しく光ったのを。リリーアは見逃さなかった。


「傍観ですわ。私は何も見ておりませんの。私は優雅なスローライフを守りたい」

「……どうしたの? リリーア」


 いきなり目が据わった親友を心配しつつ不安げな表情をしたルーシェだが。

 納得顔のレパードに向けて、ライナーは笑いかけた。


「師匠。俺に雇われませんか? 報酬は弾みますよ」


 ノーウェルの時と同じ展開である。

 絶対にロクでもない提案だ――とは思いつつも、誰も動けなかった。


 今はレパードの利益になりそうな話をしているのだから、遮れば青龍の機嫌を損ねるだろう。

 いきなり殺される可能性は低いが、命の危機に晒される可能性は高い。


 それでも止めるべきか。傍観するべきか。


 ライナーは最速で話を進めようとしているのだから、進退の判断を付けようとした時には、もう手遅れになっていた。


「どうでしょう、俺の領内ならドラゴンが居ても気にしませんし。むしろ彼女にも、仕事を振ることができますが」

『む? 我にもか?』

「ええ、お子さんのために貯蓄をしておきませんか?」

『人間の貨幣か。いや、しかし子のためなら……』


 青龍は母性に目覚めたようで、「子どものため」というフレーズには大層惹かれたらしい。


 青龍までもが本格的に興味を持ってしまった。

 ここまできたらもう無理だ。と、リリーア以下全員が傍観の方に流れる。


「師匠にやってもらいたいことは沢山ありますし、双子でも困らないくらいの報酬はお約束しますよ」

「……ありがてぇ。俺は良い弟子を持った」

『待て、我の仕事とはなんだ?』

「難しいことは何も。内容は、例えば――」


 ライナーが雇用契約の話をどんどん具体化させていく傍らで、主にリリーアは悟りを開きつつある。


 何はともあれ、ライナーのヘッドハントは順調なようだった。


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