第十六話 回り道



 蒼い薔薇が王都に旅立ってから、一ヵ月が経った頃。B級を飛ばしてA級冒険者に昇格したライナーは、日常に戻っていた。


 ちょいちょい復縁のためのジャブを入れてくる、元カノの策をかわし。

 パーティへ戻ってもらおうと、接触の機会を窺うテッドを避けて。


 周りから龍殺しの英雄だ何だと言われても、特に変わりはない。

 彼の生活は、以前と何も変わらない。


 ただし相変わらず、雇ってくれるパーティは見つかっていなかった。


 掛け持ちで日雇い仕事を続けているところまで、完璧に蒼い薔薇の一行と出会う前の状態に戻っている。


 しかし、何はともあれ彼はいつも通り、何気ない日常を最高速で突き進んでいた。


「……ん? 客か?」

「俺が出るよ」


 今日も仕事が終わり、いつも通りにお隣で夕食を取ろうとしていた。そんな折に、家のドアを叩く音に気付いたので、ライナーは席を立って戸を開けに行った。


 そして彼がドアノブに手をかけた瞬間。


 ドアが開くと同時に、べしゃあ、という音でも立ちそうなくらい、力が抜けた様子のリリーアが床に倒れ込んできた。


「あんまりですわぁ……」

「何かあったか」

「みたいだね」


 思い出し泣きを始めたリリーアをなだめること、五分と少し。

 と言ってもライナーはお茶を淹れていたので、宥めたのはご隠居だ。


 さて、何はともあれ。

 お茶を飲んでほっと一息ついたリリーアの口から、その後の顛末が語られた。


「私たち、ドラゴンを追い払いましたでしょう? ……まあ、正確にはライナーさんが、ですけど」

「そうだな。で?」

「そのドラゴンが同盟国の山に住み始めたとかで。そちらを何とかするまで、叙爵じょしゃくは延期……どころか、被害が出たら賠償するようにと、通達が」


 同一個体かどうかは分からないが、タイミングはバッチリだ。

 疑わしき者に責任を被せろの精神である。


 通商破壊などをしてしまった日には、請求金額は莫大なものになるだろう。

 それを負担するのは国も嫌がるはずだ。


 そして同盟国との関係が悪化するくらいなら、リリーアたち五人を生贄に捧げて、怒りを収めてもらった方が随分とローコストでもある。


 そもそも一度何とかした実績があるのだから、「もう一度何とかしてこい」という命令も至極、合理的な判断だ。そう思いライナーは頷く。


「そうか、まあ頑張ってくれ」

「えっ?」

「俺との契約は、もう終わっただろ?」


 街を出る時に、ライナーと蒼い薔薇との間で結ばれた契約は解除されていた。

 もう赤の他人である。


 という、リリーアの予想よりも遥かにドライなリアクションが返ってきたため、彼女は驚いた。


 テーブルの対面に座るライナーの方に身を乗り出して、何とか彼を引っ張り出そうとするのだが、その温度差は非常に激しい。


「い、一緒に冒険した仲間ではないですか!」


 そう言いながら顔を引きらせるリリーアに対し、ライナーはすっとぼけた顔をしていた。


「過去にはそんなこともあったか。だが、俺は過去を振り返らない。俺は未来へ進むんだ」


 その方が建設的で合理的だよ。

 これが最速だ。


 そう付け加えたライナーに対して。リリーアは大慌てで身振り手振りをしながら、最終的にパン! と手を叩いた。


「で、では再契約! もう一度契約しましょう。ね!?」

「大金を手に入れたから、もう働かなくてもいいんだけどなぁ」


 そう言って、ライナーはリリーアから目を逸らして茶をしばく。


「はぁ……やれやれ」


 二人のやり取りを横で見ていたご隠居は、呆れて物も言えないといった様子で席を離れて、湯呑ゆのみにお茶のお代わりを注ぎながら思う。


 ライナーの冗談は分かりにくいんだよな。と。


「冗談を言うなら、もっと面白そうな顔をすればいいのに」


 本人としてはリリーアをからかっているつもりでも、表情筋が全く動いていないため、「ものすごくドライな人」にしか見えないのだ。


 十数年の付き合いがあるご隠居ならば変化も見抜けるが、リリーアからすれば話が変わる。

 彼女は見捨てられるかどうかの瀬戸際にいると、本気で思っていた。


「な、なんでもしますから! 後生でございますわ! あんなもの、私たちだけでは絶対に無理ですの! ねぇ、お願いですから! ラーイーナーさーん!!」

「年頃の娘が何でもします・・・・・とか、迂闊な発言にもほどがあるぞ」


 そのフレーズを使うのは、ベアトリーゼにはお見せできないような場面でだけだろう。

 呆れながらライナーが言えば、ふふんと胸を張って、誇らしげにリリーアも言う。


「私、この間ドラゴンの巣で学びましたの。貞操よりも命が大事ですわ!」

「……前回交わした契約書に書いてある文章を、もう一度確認してから来い」


 手を出すなと、わざわざ契約書にまで明記してきたのは誰だったか。

 文面を思い出したのか、リリーアはぎこちない動きで弁解する。


「え、あ、いや。もちろんライナーさんは、そんな……その、いかがわしいことは、しないと信じていますのよ? そう、これは信頼ですわ!」


 席を立ち、そう言いながらすがりついてくるポンコツお嬢様を引き剥がしながらも、ライナーは考える。


 赤龍にもう一度移動動してもらうなら、どの地域が一番影響が少なく、効率がいいだろうか、と。

 しかしそんな内心を知らないリリーアは、もう必死だった。


「貞操は無理でもデートくらいならしてあげますから! ね? こんな美女とデートできるのだから、いいでしょう!?」

「自分で美女と言うのか……」


 最短最速で最も効率のいい、最上の結果を得るためのシミュレートは既に始まっていたのだが――


「ふむ」

「来て、くださいますか?」

「どうしようかな」

「何なんですの、もぉぉおおお!!」


 ――面白いから、慌てるリリーアでもう少し遊ぼうか。


 などと。常に最短距離を突っ走る彼にしては珍しく、今日は回り道を選んだ。


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