第十六話 回り道
蒼い薔薇が王都に旅立ってから、一ヵ月が経った頃。B級を飛ばしてA級冒険者に昇格したライナーは、日常に戻っていた。
ちょいちょい復縁のためのジャブを入れてくる、元カノの策を
パーティへ戻ってもらおうと、接触の機会を窺うテッドを避けて。
周りから龍殺しの英雄だ何だと言われても、特に変わりはない。
彼の生活は、以前と何も変わらない。
ただし相変わらず、雇ってくれるパーティは見つかっていなかった。
掛け持ちで日雇い仕事を続けているところまで、完璧に蒼い薔薇の一行と出会う前の状態に戻っている。
しかし、何はともあれ彼はいつも通り、何気ない日常を最高速で突き進んでいた。
「……ん? 客か?」
「俺が出るよ」
今日も仕事が終わり、いつも通りにお隣で夕食を取ろうとしていた。そんな折に、家のドアを叩く音に気付いたので、ライナーは席を立って戸を開けに行った。
そして彼がドアノブに手をかけた瞬間。
ドアが開くと同時に、べしゃあ、という音でも立ちそうなくらい、力が抜けた様子のリリーアが床に倒れ込んできた。
「あんまりですわぁ……」
「何かあったか」
「みたいだね」
思い出し泣きを始めたリリーアを
と言ってもライナーはお茶を淹れていたので、宥めたのはご隠居だ。
さて、何はともあれ。
お茶を飲んでほっと一息ついたリリーアの口から、その後の顛末が語られた。
「私たち、ドラゴンを追い払いましたでしょう? ……まあ、正確にはライナーさんが、ですけど」
「そうだな。で?」
「そのドラゴンが同盟国の山に住み始めたとかで。そちらを何とかするまで、
同一個体かどうかは分からないが、タイミングはバッチリだ。
疑わしき者に責任を被せろの精神である。
通商破壊などをしてしまった日には、請求金額は莫大なものになるだろう。
それを負担するのは国も嫌がるはずだ。
そして同盟国との関係が悪化するくらいなら、リリーアたち五人を生贄に捧げて、怒りを収めてもらった方が随分とローコストでもある。
そもそも一度何とかした実績があるのだから、「もう一度何とかしてこい」という命令も至極、合理的な判断だ。そう思いライナーは頷く。
「そうか、まあ頑張ってくれ」
「えっ?」
「俺との契約は、もう終わっただろ?」
街を出る時に、ライナーと蒼い薔薇との間で結ばれた契約は解除されていた。
もう赤の他人である。
という、リリーアの予想よりも遥かにドライなリアクションが返ってきたため、彼女は驚いた。
テーブルの対面に座るライナーの方に身を乗り出して、何とか彼を引っ張り出そうとするのだが、その温度差は非常に激しい。
「い、一緒に冒険した仲間ではないですか!」
そう言いながら顔を引き
「過去にはそんなこともあったか。だが、俺は過去を振り返らない。俺は未来へ進むんだ」
その方が建設的で合理的だよ。
これが最速だ。
そう付け加えたライナーに対して。リリーアは大慌てで身振り手振りをしながら、最終的にパン! と手を叩いた。
「で、では再契約! もう一度契約しましょう。ね!?」
「大金を手に入れたから、もう働かなくてもいいんだけどなぁ」
そう言って、ライナーはリリーアから目を逸らして茶をしばく。
「はぁ……やれやれ」
二人のやり取りを横で見ていたご隠居は、呆れて物も言えないといった様子で席を離れて、
ライナーの冗談は分かりにくいんだよな。と。
「冗談を言うなら、もっと面白そうな顔をすればいいのに」
本人としてはリリーアをからかっているつもりでも、表情筋が全く動いていないため、「ものすごくドライな人」にしか見えないのだ。
十数年の付き合いがあるご隠居ならば変化も見抜けるが、リリーアからすれば話が変わる。
彼女は見捨てられるかどうかの瀬戸際にいると、本気で思っていた。
「な、なんでもしますから! 後生でございますわ! あんなもの、私たちだけでは絶対に無理ですの! ねぇ、お願いですから! ラーイーナーさーん!!」
「年頃の娘が
そのフレーズを使うのは、ベアトリーゼにはお見せできないような場面でだけだろう。
呆れながらライナーが言えば、ふふんと胸を張って、誇らしげにリリーアも言う。
「私、この間ドラゴンの巣で学びましたの。貞操よりも命が大事ですわ!」
「……前回交わした契約書に書いてある文章を、もう一度確認してから来い」
手を出すなと、わざわざ契約書にまで明記してきたのは誰だったか。
文面を思い出したのか、リリーアはぎこちない動きで弁解する。
「え、あ、いや。もちろんライナーさんは、そんな……その、いかがわしいことは、しないと信じていますのよ? そう、これは信頼ですわ!」
席を立ち、そう言いながら
赤龍にもう一度移動動してもらうなら、どの地域が一番影響が少なく、効率がいいだろうか、と。
しかしそんな内心を知らないリリーアは、もう必死だった。
「貞操は無理でもデートくらいならしてあげますから! ね? こんな美女とデートできるのだから、いいでしょう!?」
「自分で美女と言うのか……」
最短最速で最も効率のいい、最上の結果を得るためのシミュレートは既に始まっていたのだが――
「ふむ」
「来て、くださいますか?」
「どうしようかな」
「何なんですの、もぉぉおおお!!」
――面白いから、慌てるリリーアでもう少し遊ぼうか。
などと。常に最短距離を突っ走る彼にしては珍しく、今日は回り道を選んだ。
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