第三話 三か月後



 事件から三ヵ月後。

 そこには元気に足場の上を飛び回る、鳶職人ライナーの姿が――


「って、何でだよ!」

「ぼ、僕に聞かれても」


 ライナーを追放したマーシュは、工事現場を覗きながら地団駄を踏んでいた。


 今にも突撃していきそうな彼を引き留めるテッドは、困ったように眉を八の字に曲げている。


「素早さしか取り柄の無い斥候なんて、雇ってくれるところがあるのかよ!」

「無いから大工をやっているんじゃないの?」


 事実、ライナーのことを誘おうとするパーティは現れなかった。


 しかしそれは、酒場でのいざこざが尾を引いている面が大きかったので、実際にはマーシュからの嫌がらせが成功した形になるだろうか。


 だが、彼が言いたいのはそういうことではない。


「違うだろ! どこにも雇ってもらえなかったら、普通は頭を下げて戻って来るものだろうが!」

「うーん。それはそう、かな?」

「そうだよ! 「俺が間違っていた。許してほしい」ってアイツがび入れて、俺らが「仕方ねぇなぁ」って、どや顔で受け入れる場面が来るはずだろ!?」


 さて、テッドは状況を冷静に見ていたのだが、この状況に対するテッドとマーシュの考えは最初から食い違っていた。


「来るかなぁ、そんな場面……」


 実際にパーティを去った時の様子を見ても、「契約完了、はい次」くらいの温度感であり、ライナーの性格を知っているテッドからすれば、彼が頭を下げるなどとは毛頭思えなかった。


 そんなことはマーシュも分かっているはずなのだが、もう意地になっていた。


「まあいい。どうせ俺たちのところ以外に、アテがあるはずがないんだからな」

「それはそうだと思うけど」


 二人は、ライナーが冒険者を続けたがっているのは知っている。


 復帰の可能性があるとすれば、自分たちのところだけだと強気なマーシュと、何か予想外のことが起きそうで不安そうなテッド。


 対照的な二人はいまいち噛み合っていない会話をしていたのだが、ふと、マーシュが意地の悪い顔をした。


「それより聞いたか? アイツ稼ぎが悪くなったからって、彼女に振られたらしいぞ」

「ああ、聞いた聞いた。お互い結婚願望があるとかで、来年には式を挙げるって言っていたのにね」


 成人したらすぐに入籍する予定だったという話は、パーティメンバーだった二人も聞いていた。

 そのことを思い出したのか、マーシュは一転してご機嫌になる。


「はっ、ご愁傷様だぜ! アイツに彼女が居て、俺たちが独り身なのがおかしかったんだ」

「それは完全に私怨だと思うけど……あっ、ライナーが来るよ」


 昼休みの休憩に入ったようで、大工たちが続々と昼食を取りに出てきた。

 最速で休憩に入った男――最も早く飛び出してきたのは、やはりライナーだ。


「ん、んん。よぉライナー。久しぶりじゃ――」

「行っちゃったね」


 咳払いをして話しかけようとしたマーシュの横を颯爽と走り抜け、ライナーは街へ駆けていった。


 後には、誰も居ない方向に向けてふんぞり返っているマーシュと、やっぱりこうなったかという表情を浮かべるテッドの二人が残された。


「野郎! 舐めやがって! ふざけやがって! 目に物見せてくれるぞこん畜生!」

「や、止めなよマーシュ! 皆見てるよ!」


 顔を真っ赤にして地団駄を踏む速度を上げたマーシュは、もう姿が見えなくなったライナーの背中に向けて罵詈雑言を投げかけている。


 が、それを聞く相手はもう遥か先だ。


 誰も居ない空間に悪口を言い続ける少年の姿を目撃した通行人も大工たちも、皆が驚いた表情でマーシュを見ていた。


 実のところライナーが抜けた後少し困ったことになっていたので、二人は復縁の話をしに来たのだが、肝心のマーシュがこれだと難しいだろうなぁ。と、テッドは肩を落とした。






     ◇






「いらっしゃいま――」

「A定食ライス大盛、スープはオニオンで」


 ライナーには、行きつけの店に通い続けるという美学がある。


 毎回同じ店を使えば、注文がスムーズというのが一つ。

 そして通ううちに、どのメニューが一番早く出てくるかが分かるようになるからだ。


 この店、「木の皿亭」はライナーの行きつけの店の一つだった。

 それなりのボリュームで、そこそこの味で、昼時でも素早く注文した品が出てくる優良店だ。


「マスター、いつものー」

「はいよー」


 ここで彼が注文するのは、いつもAセットだ。

 他の料理に比べて、出てくるのは平均で九十秒ほど早い。


 ライナーがそんな考えで注文をしていると知っている顔馴染みの少女が、呆れたような顔で注文を持ってくるのも、いつもの光景となっていた。


「毎度毎度、同じものばかり食べてて飽きない?」

「飽きない。それよりも早さと安定感が大事だ」


 そもそも木の皿停は近隣の店に比べて、食事が出てくるのが三分は早い。

 そこも加味すると、どうだ。

 他の店で食事を頼むより、この店でA定食を頼んだ方が、五分は早く食事を始められる。


 などと、不毛なレースに興じているライナーであった。


「はー、やだやだ。食事に安定感を求める十代なんて」

「この店に通う一番の理由なんだが……」

「……はーい、A定食お待ちー」


 さて、そんなA定食は白米、焼き魚、野菜炒め、サラダ、汁物の五品が付いてくる。

 しかし何故か今日は一品多く、デザートのプリンまで盆に載っていた。


「プリンは頼んでいない。あと、何だ? その哀れな人を見る目は」

「失恋記念……じゃないか。傷心中のライナーに、マスターからのサービスだよ」

「まあ、サービスと言うなら有難く」


 確かにここの店主は恋バナ好きだったなと思いながら、彼は厨房の方を見た。


 彼がいつも座るカウンター席からは厨房の様子が見えないが、恐らく料理をしながら聞き耳を立てていることだろう。


「うんうん。で、何で振られたの?」

「俺が振られた前提なのはやめないか?」

「違うの?」

「いや、振られたけど」


 「早さと速さが第一」をモットーに生きているライナーではあるが、雑談くらいはする。

 無駄を削って浮かせた時間を、他に使おうという意思はあった。


 さて、ウェイトレスの少女は手をワキワキとさせながら、ライナーに先を促す。


「脱線は無駄な時間だよー。ライナーが大嫌いな、無駄で空虚な時間だよー」

「俺の扱いも心得たものだな。……まあ早い話が、稼ぎが少なくなったからか」

「……世知辛いねぇ」


 ライナーはC級冒険者として活動をしていた。

 これは冒険者全体で見るなら中の上ほどの位置だ。


 C級にもなると無難な依頼も難しい依頼も安定して入ってくるので、稼ぎとしては一般の務め人よりもかなり良い。

 具体的に言えば、冒険者の仕事が無くなってから、ライナーの収入は以前の半分になっていた。


「C級か、最低でもD級くらいの稼ぎがなければ結婚は考えられない。早めに別れて次を探したいんだってさ」

「……あの、私まだ夢を見ていたい年頃だから、現実を見せつけるのはやめない?」


 元々冒険者とはそういうものだが、最底辺のG級やF級は稼ぎが全く安定しない。

 E級を越えた辺りからは安定してくるが、それでも多少の波がある。


 ライナーの元彼女であるミーシャは現実的な性格をしていたので、結婚するならばD級以上の地位で、安定した高給取りになってほしいという願望があった。


「現実を知るのは早い方がいいさ」


 このウェイトレスは名前をリィナと言うが、歳はライナーの三つ下で十二歳だ。

 栗毛の髪をツインテールにした、あどけない少女と言った風体をしている。


 しかし店の給仕をしている以上、ある程度社会を知っているはずだ。

 この程度でどうということもないだろう。

 そう思いつつ、ライナーは続ける。


「リィナも男を選ぶなら、甲斐性だってポイントになる」

「甲斐性なしで振られた人のセリフじゃないんだよなぁ……」


 リィナがげんなりとした様子で言うが、ライナーは淡々と返した。


「どの道、職を転々とする予定の俺だと、今は結婚できないな」

「働く前から辞める予定で次を探すってどうなの? というか、次の仕事は何をするつもり?」


 職人の給料とて決して悪くはないが、これはあくまで腰掛こしかけの――臨時の仕事だ。


 ライナーにはこれを本職にするつもりがないどころか、掛け持ちしている仕事の一つでしかないし。何なら次の現場で辞めようとさえ思っていたところだった。


 何故なら、既に目的は達成目前だからだ。


「《高所作業》とか《バランス感覚》とか、不安定な場所で速く動くためのスキルは取れた。それに工作や作業も速くなってきたからな。次の時代は軽業師かるわざしだ」

「……見世物屋なんて、この街にあったっけ?」

「待っていればそのうち巡業に来るよ。それまでは自主練」


 努力の方向はどうであれ、ライナーは天才肌だ。

 彼がこの三ヵ月で覚えたスキルの数は十五個になる。


 普通はスキルを一つ覚えるのに三ヵ月から、長くて半年というところだが、超人的な集中力で技術を吸収し、圧倒的な速度で成長をしていた。


 少なくとも素早さに関連する部分だけは。


 そうこうしているうちに。掛け持ちしている五つの職業全てで、基本的なスキルを習得し終わっていた。


 そして余談ではあるが、三丁目に住んでいる大工の親方は、ライナーの将来に結構な期待をしていた。

 性格には難があるものの、作業は正確で、何より速い。


 息子は跡を継がないというので、ライナーに継がせてもいいか。

 などと思い始めていたが、しかし。


「退職願を出すなら早い方がいいな。よし、次の現場と言わず午後の作業が終わったらその場で書こう」

「それは早いんじゃないよ。急って言うんだよ」


 後に、有言実行の少年が本当に退職願を提出してしまい、くだんの親方は仰天することになる。


 とまあそんなこんなで。


 少年は冒険者を休業中でも、脇目も振らない超特急で人生を歩んでいたのだった。


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