第二十話 師匠
「師匠。配膳をお願いします」
「分かった」
「あ、師匠。お塩取ってー」
「はい、どうぞ」
ライナー物真似事件のゴタゴタで、多少の足止めを食らった一行だが、翌日には乗り合い馬車の旅を再開させて、今はドラゴンの目撃情報があったという山脈の途中まで進んでいた。
山の先には村も街も無いので、馬車が出ていないどころか道も無い。
だから途中からは、いつも通りの冒険をすることになった。
「……はぁ」
順調な道中ではあるが、師匠と呼ばれた青年はベアトリーゼに塩が入ったビンを手渡してから、深い溜息を吐いた。
「どしたの? 師匠」
「気分が優れませんか?」
「いやね、そういうわけじゃないんだけど」
青年はそう言って昼食の配膳を続けて、七人と一匹。
サラマンダーの分の食事まで、石と岩で組んだ即席のテーブル上に揃ったのだが。
「師匠。サラマンダーって人間と同じ食事でいいのか?」
「ああ、こいつは雑食だから」
そんな会話を挟みながらも、彼は微妙な表情をしている。
「人と共存する魔物は見たことがありますが、ここまで懐くのは珍しいですわね。流石にライナーさんが師と仰ぐだけのことはありますわ、師匠」
「……うーん」
青年が旅に加わってから三日になるが、呼び方は完全に「師匠」で固定されていた。
名乗るタイミングを逃したと気づいたのが昨日の朝で、どこかでは名乗らなければと思ったのだが、今朝になって名乗ってみても、呼び方が一向に「師匠」から変わらないのだ。
「俺にはレパードっていう名前があるんだけどなぁ」
「師匠の方で馴染んじまったからな。ま、よろしく頼むよ、レパード師匠」
弟子にしたのはライナーだけだ。できれば名前だけで呼んでほしい彼ではあるが、しかし貴族風のお嬢様が混じる御一行に対して、強く出ることもできない。
彼は未だに、この一行の素性が把握できていないのだ。
というか深く突っ込むと藪蛇になりかねないので、敢えて知ろうともしていない。
どうしても貴族的な考え方や行動がチラついて、非常に気になっているところではあるが、ただの旅芸人と、ただの冒険者として過ごすと決めたのだ。
こんなことを考えるのは今さらかと思いつつ、彼はこの話題を気にしないことに決めた。
「はいはい、と。それじゃあ少しは師匠らしくしますかね」
「午後は何を?」
「テイムの練習だ。俺の相棒を貸してやるから、試しにやってみな」
「……!」
その言葉に反応したのは、ライナーではなくララだった。
がっしりとライナーの肩を掴み、フェイスガード越しに熱い視線を送っている。
「あー、あのなララさん。相棒を気に入ってくれたのは嬉しいんだが、別にライナーがテイムしても、譲る気はないぞ?」
「……」
「そんな「何で?」って言いたげな顔されてもなぁ。そもそもの話、一度懐いた生物をテイムで奪い取るなんて、簡単にはできないし」
今にも掴みかかってきそうな気迫を感じたので、レパードは慎重に言葉を選ぶ。
そして彼は、ララを諭すように言う。
「テイムってのは催眠術や奴隷化の魔法じゃないんだ。少なくとも俺は、心を通わせて仲良くなるための技って風に捉えてる」
「一日や二日をかけて心を許したとして、飼い主を捨てるほどの愛着は湧かないと?」
ルーシェがそう聞けば、彼は胸を張り得意げに頷いた。
「まあそういうこった。根無し草の俺にとっちゃ、家族みたいなものだからな。築いてきた関係性が違うってワケよ」
「……」
サラマンダーをペットにできないと知り落胆した様子のララは、数秒経って諦めがついたのか。いつもの如く兜のマスク部分だけを外して食事を始めた。
一方で手早く昼食を掻き込んだレパードは、立ち上がって伸びをした後。
同じく昼食を終えたライナーの肩を叩いて言う。
「大切なのは、相手の気持ちを理解することだな。お前はその辺が苦手そうだから、ゆっくりやっていけばいい」
「いえ、最短でやり遂げて見せます」
「リズムを合わせることだって大事なんだぜ?」
などと言って、男性陣は修行の準備を始めたのだが、いそいそと席を立つ彼らの横で、リリーアは固まっていた。
「こ、これも才能ですか」
「師匠も変わってるけど、そんなに驚くこと?」
「いえ、そちらではなく」
男性陣から目を離し、黙々と食事を続けるララの方を見て言うには。
「ララの感情を読み取って、普通に会話していましたわ」
「ああ、今のは分かりやすかったけど、アタシらでも結構読み違えるもんな」
「マスクを外す前でしたしね。……ララ、拗ねないでください」
ララは依然として変わらずに、手に持った匙を、皿と顔の間で往復させているだけなのだが、蒼い薔薇の面々から見れば、今の彼女は拗ねているらしい。
その機微は、ライナーには全く察せないところだった。
「そうなのか」
「それくらい読み取れなきゃ、あの技は使いこなせないぜ?」
「そういうものですか?」
今いちピンとこないライナーに対し、レパードは鷹揚に頷いてから言う。
「おう。例えば「ララの物真似をしろ」って言われたらどうす――いや、冗談だよ。怒らないで」
「……」
「怒っているのか」
ライナーからすれば違いが分からないのだが、他の面々には、ララのご機嫌が分かるらしい。
しかしその見立てが正しいのか、ライナーは念のために確認を入れた。
「……怒って、ない」
「ふむ。怒ってはいないらしいが」
「かーっ、お前はララのことって言うよりも、女心が分かっていないな」
師匠から弟子への、そんなダメ出しを挟みつつ修行に入ろうとしたが、それ以前の問題だった。
ライナーは真面目な顔で首を捻っている。
「怒ってはいるが、怒ってはいない? 禅問答の類か?」
「おいおい……」
まるで機微を理解していないライナーには、細かいことを気にしないセリアすら呆れている。
が。それでも彼は、他者の感情をどう推し量ればいいか悩んでいた。
彼は効率最優先なので、自分の
だから他人に対しても、感情に対する配慮は薄くなっている自覚があった。
「ララの気持ちか」
「……」
「……くっ」
試しに目を合わせようとしてみたが、鎧越しなのでまったく見えない。
ただでさえ感情が欠落している男が、フルフェイスマスクの人間のご機嫌を察するというのは、無理があることだった。
「……」
「ダメだ、分からない」
唯一見えている顔の下半分から推測を試みたが、ライナーには今ララがどんな心持ちなのか判断はできなかった。
「この技を使うには、何かを悟る必要があるか」
「ライナーさん、その辺にしておかないと本当に怒られますわよ」
「怒ったララは怖いぞー」
「……!」
リリーアとセリアにまで茶化されて、怒りかけたのは何となく分かった。
身体ごと反応していたので、変化が分かりやすかったからだ。
「なるほど。この感覚がテイムに必要なのか」
察する能力を鋭敏にすれば、能力の開発が捗るだろう。
などと、ライナーは冷静にララの心理を分析していた。
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