第一章 風の唄「エルフィン・バラッド」その2
「姫様ぁーーーーーー!!」
オーブレー公爵邸から帰還した国王夫妻とイザベルを乗せた馬車がカンパーナ城の門を過ぎた所で、空色の髪に浅黒い肌の少年兵が突進してきた。護衛騎士たちが止める間もなかった。
「何者だ!」
「トマス?」
呼ばれた本人は驚いた両親をよそに馬車の窓から身を乗り出した。
「姫様、申し訳ありません!この者が無礼を」
門番が駆けつけてきて彼の後頭部を引っ掴み、二度三度下げた。
「お気になさらないで下さい」
「ベル、この者を知っているの?」
「いつも私の歌の練習を聴きに来て下さるんですよ」
トマスはイザベルと同じ年で、去年入ってきたばかりの兵であった。故郷の漁村を飛び出してカンパーナ王国兵団に加わったものの、イザベルの歌に惹かれて持ち場を離れるという失態をたびたび犯していた。彼以外にも任務を忘れて歌姫やアイドル達の特訓を聴きに来る若い兵士はいた。練習中でも彼女たちについて語り合う兵士たちの声はイザベルの耳にも入ってくるので、トマスはすっかり彼女に顔を覚えられていた。
「あのっ先輩からお聞きしたのですけどっ」
頭を掴まれているにもかかわらずトマスは馬車の窓に近寄った。
「ルーリエ王国の王子とお見合いしたって、本当ですかぁ!?」
両親からは「会食」だとイザベルは聞かされていた。
「いいえ、公爵のお屋敷で食事と散策をご一緒したぐらいですよ」
いわゆるデートという奴じゃないかと、トマスに衝撃が走った。
「あーーーーーーーーーーーっ!!やっぱりーーーーーーーーーーーー!!」
身もだえるトマスを前に、イザベルは困惑した。至近距離の絶叫はエルフの鼓膜には大きすぎて、眩暈を起こす程だった。
「もし、もしですよ?もし姫様がご結婚なさるおつもりなら、この俺トマス・オンラードはっ、自害いたします!!」
「えぇっ!?」
「この馬鹿モンがぁ!!」
騒ぎを聞きつけた兵士長が目の前で彼を殴り飛ばすのを止められなかった程に、イザベルは驚愕した。
「王家の馬車に無断で近付いた上に、わが娘の婚姻に口出しするとは!」
馬車から降りた父王フェルディナンドは剣の柄に手を伸ばした。
「安心しろ。貴様自身がせずとも、今すぐ余が直々に」
「待ってお父様!」
我に返ったイザベルは慌てて馬車から飛び降り、父の前に立ちふさがった。
「この者はお前を脅迫したのだぞ!」
「きっと私がこの国を出て行ってしまうと早合点してしまったのですわ!」
彼女はトマスを起き上がらせ、背中をさすった。
「そうなのでしょう?私がいなくなるのがお嫌で、口走ってしまっただけなのですよね?」
愛しの姫様に間近で問いかけられ、血の流れ出る鼻を押さえつつトマスは激しく頷いた。
「もう軽々しく死ぬなんて言わないで下さい。いいですね?」
トマスは彼女に向かってひれ伏すと、「ありがとうございます」と繰り返しながら鼻血と涙でぐちゃぐちゃの頭を何度も下げた。
「陛下、一人の兵士でも惜しいのです。この者は兵士として半人前どころではありませんが、ここはどうかお許し頂けないでしょうか?」
兵士長にまで哀願され、フェルディナンド王は抜きかけた剣を収めた。「今日はなんて悪い冗談を聞かされる日なのかしら」という母の呟きをよそに、イザベルはトマスの発した「結婚」という言葉が気がかりだった。
夕食の後、イザベルは母に話があると言って彼女の部屋に入れてもらった。
「ベル、悩みがあるの?お昼と違って今晩はおいしくなかった?」
会食の時と打って変わってイザベルは食事が進まなかった。
「お母様あの、今日の会食なんですけど……私の結婚に関係があるの、本当ですか?」
イザベルは黙って母を見据えた。トマスが問い詰めた通り「お見合い」だったというのなら、国際情勢に詳しくない自分が他国の人間との会食に参加させられて弟リカルドが不在だったのも合点がいく。
「アルベルト様との結婚を、お父様と画策してらしたのですか?」
王妃セシリャはしばらく黙っていたが、意を決して娘の肩に手を置いた。
「ベル、ここに座って」
母に手を引かれてイザベルはベッドに腰かけた。その隣に母も座る。
「私がどうして結婚したかまだ教えてなかったわね。私が婚約したのは12の時だったの」
イザベルがいかにレオナルドの授業から逃げようか考えていた年頃に、母セシリャは人生の岐路に立たされていたのだ。
「私には姉がいて本当はそっちが陛下に嫁ぐはずだったの。でもお姉様は病気がちだったから、代わりに私が16歳になった暁に王妃になることになった」
父は母より10歳も年上だというのは、イザベルは知っていた。
「嫌ではなかった?」
「歌うことより体を動かすことの方が好きだったから、本当は騎士になりたかったのよ。でも実家と王家の婚姻はあらかじめ決められていて、王妃に選ばれてからはそれらしい人間になろうと努力することにしたわ」
王妃セシリャが淡々と語るのを、イザベルは大人しく聞いていた。
「政治の為の結婚なんて珍しくないのだから私も仕方ないと思ったし、歌も大して上手くなかったから歌姫に選ばれたこともない自分が婚約者になれていいのか不安だった。けど」
イザベルは固唾を飲んだ。
「貴女にも備わっている“鳥のシジュークと話せる”能力はカンパーナ王家の先祖であるエルフから受け継いだものなのよ。あの方と婚約してからしばらくして、手紙を足に結ばれたシジュークがやって来るようになったの」
不意に王妃セシリャは書き物机に目を向けた。
「貴女も知っているだろうけどシジュークってとても賢くて、こちらが鳴き声を理解できなくても私の指示は分かるの。趣味は何か、好きな食べ物は何か、歌の練習ははかどっているか、狩猟で珍しい獣を見つけたけど可哀想なので逃がしたとか……そういった事をシジュークを通じた文通で語り合うようになったの。年齢の壁なんて感じなくなっていたわ。あの心遣いがあればこそ、あの方と釣り合えるようになろうと決意できたの」
母は再び娘に目を向けた。
「アルベルト王子は貴女から見てどう?」
「どうって、うーん」
初めて対面した時の息が止まる程の恐怖にも似た感覚、毒を含んだ冗談を言われた時の気分、庭園で打ち解けられた喜びをどう言葉に表そうか、イザベルは考えあぐねた。彼は決して悪い人ではないと感じたが、家庭を築くことまでは考えが及ばなかった。
「貴女が緊張すると思ってお見合いの事を伏せておいたけれど、今日はとても疲れたでしょう?確かに陛下はお考えあってあなたと王子を引き合わせたのだけれど、結婚というものは人生において大事なことなのだから、どうか貴女自身で決めてほしいの。私はフェルディナンド以外の男が王太子だったらきっと、王妃になんてならなかったわ」
王妃セシリャは白いカーテン越しに夜空を見上げた。
「すっかり夜が更けてしまったわね。兵士たちに送ってもらわないと」
兵士、と口にしてから王妃は帰城時に駆け寄ってきたトマスとか言う少年の事を思い出した。
「ただ身の程をわきまえない者を選ぶのは許しませんからね」
ルーリエとの会食から一週間経った頃だった。歌姫とアイドルたちはカンパーナ城内の北東地下にあるティエ大聖堂にて朝のミサが済んだ後、エルフの聴覚を持つ神官たちの監督の下、
「おいベン、さっさと変われよ!」
「シーッ!静かにしろって、カサンドラ嬢の声が聞こえねぇだろ!」
オルガンに合わせた歌姫たちの歌声に、わずかに開いた大扉に隠れた観客たちのもめる声が入り混じった。
「お前ら持ち場に戻れ!!」
連れ戻しに来た兵士長の怒声に、大聖堂内は静まり返った。
「全くこれでは練習になりませんわ!」
イザベルの隣でエレガンテ文部大臣の令嬢カサンドラが呟いた。
「私からも申し上げて参ります。兵士長も何度も注意しているのですが」
説教台から指揮をしていた大神官は立ち上がり、他の神官たちを連れて大扉に向かって行った。
「ベル、先週ルーリエの方たちと会食したんでしょ?王子様が来られたって聞いたけど、どうだった?かっこよかった?」
背後からクララが椅子から身を乗り出した。司祭たちがいない隙に、礼拝席のあちこちで令嬢たちの砕けた口調のお喋りが繰り広げられた。
「ええ、凛々しくてとても気さくな方よ。お父様のご生誕記念式典にもお越しになるって」
カサンドラ以外のイザベルを取り巻く令嬢たちは歓声を上げた。
「もう皆さんはしたないですわよ。リータなんてそんな体形じゃ嫁に出せないなんてお父様からお叱りを受けたなんて言ってたじゃない」
「あんな気の小さい痩せっぽちと一緒になるより、素敵な殿方に一目でもご覧頂けるのならいくらでもコルセット締めるわ!」
リータことマルガリータはふくよかな頬を赤く染めた。
「そう言えば会場はオーブレー公爵のお屋敷だったのだけど、ご子息はお見えにならなかったわ」
「グスターボなら私とカスティーニャ庭園に参りましたの。珍しい蘭が見頃で、近くの新しいカフェにまでお誘い頂いたの」
オーブレー公爵の息子グスターボとカサンドラは親同士の決めた婚約関係にあった。イザベルの「仲がよさそうでいいわね」とリータの「そこのメニューってどんなのあった?」が重なった。
「でもベルもカサンドラも気を付けてね!ただでさえ兵士さんの中に覗き見するくらい懸想してる人いるんだから」
「あら、ろくに職務も全うできないような者になびくことなんてなくってよ」
「それでも
とクララは声を潜めた。
「歴代歌姫の中に、敵国からお忍びで来られた王子様と互いに一目惚れして駆け落ちした方がいるらしいの!婚約者がいたにも関わらずよ!」
「まあなんてこと!王女?代理?」
カサンドラは信じられないという表情をしてみせた。
「王女殿下だったらしいわ。もう二十年くらい前の話だけど」
「羨ましい~!決めたわ、私も攫って頂けるように今日からダイエットする!」
そう宣言したリータの席は通路側なので、大神官の咳払いが聞こえた。
「皆さん何やら楽しそうで」
イザベルとアイドルたちが練習している最中、カンパーナ城の会議室に国王と大臣及び将軍が集まっていた。
「さて、これまで何度も話し合ってきた我が娘イザベルの婚姻だが」
いくつかの議題を終えた後、フェルディナンド王は切り出した。
「前回も伝えたようにルーリエ王国第一王子アルベルトとの婚約を取り付けたい。異議はないか?」
例の会食でルーリエ側の外交官とも語り合ったように、内紛の火種を抱えている周辺諸国のみならず極東の島国・アラバーキの脅威に備えようとフェルディナンド王は考えていた。その為に元歌姫である従妹の嫁ぎ先でもある隣国ルーリエとの結びつきを強化しようと目論んでいた。
「先方はいかがです?」
アシュトン財務大臣は挙手した。
「先週の会食にて姫様とアルベルト王子殿下は初めてご対面されたのですが、なかなか手ごたえがありましたよ。そもそもあちらからご所望されたのでね」
宰相はルーリエ王家の紋章で封蝋されていた書簡をテーブルの上に広げた。
「アルベルト王子殿下は姫様と再びお会いしたいとのことです。色よい反応を頂けましたよ。陛下のご生誕記念式典にもお越しになられるそうです」
「しかし王女殿下はよろしいのですかな?」
「イザベル本人が王子を式典に招いたのだ。あの場で余は確かにこの耳で聞いたぞ」
オーブレー公爵邸の庭園を二人が散策する所を、国王夫妻とルーリエの外交官は見守っていたのだ。
「なんと、そうでしたか」
「ところでアシュトン大臣、先程からの貴方の態度ですが」
宰相は彼に鋭い目を向けた。
「ルーリエの第一王子との婚姻に何やら不服がおありではないのですか?まるで他にも候補を挙げたいとでも言いたげですね」
アシュトン財務大臣の生え際に冷や汗が流れた。同じく自らの血縁者をイザベル姫と結婚させたいと考えていた数名の議員は内心焦った。
「まあまあ宰相殿、今は財務大臣を糾弾している場合ではないでしょう」
アシュトン財務大臣は軍部を下に見ていたが、この時ばかりは話に割り込んできたデクスター将軍に感謝した。
「それより私としてもアルベルト王子とのご結婚に異議を申し立てたいのですが」
今度は国王が眉をひそめた。
「母君は今は亡き元歌姫クリスティナ殿下と存じておりますが、皆さまお忘れではないですかな?あやうくルーリエと国交断絶になりかけた、我が国の醜聞を」
「それは我がカンパーナ王家に対する侮辱か?」
国王は椅子の手すりを握りしめた。
「私という素性のしれない者が将軍であることに不満を抱いておられる方々もいらっしゃるのは存じております。ならなおの事アルベルト王子が本当にルーリエ国王のご子息か分からないというのに、姫様と婚姻を結ばれる訳にはいかないでしょう」
「いくら長年の恩がある貴様でも、無礼であるぞ!」
フェルディナンド王は立ち上がった。
「そ、そうですよ。いくら何でも言い過ぎですぞ!」
先程恩義ができた財務大臣もデクスター将軍をたしなめた。
「陛下もお忘れになったとは言わせませんよ。私がクリスティナ様を探し出さねばルーリエとも刃を交えることとなり、“ステファニーの悪夢”の時より大勢の血が流れていたのかもしれないことを」
フェルディナンド王は釈明できなかった。そして連れ戻された従妹クリスティナが「私からあの方を奪った男と同じ国にいるより、ルーリエに参った方がマシです!」と言い放った時の涙を思い出した。駆け落ちする以前のクリスティナの嫁ぎ先候補の中に、軍部の推薦でデクスター将軍の名があったことも。
「将軍もう過ぎたことはよいではありませんか!」
法務大臣が作り笑いでこの場を収めようと立ち上がった。
「そうです、今はこれからの事を考えましょう!ルーリエ国王にはもう一人ご子息がいらっしゃったはずです」
名案を思いついたとでも言いたげな面持ちで国防大臣が声を張り上げた。
「ならそちらの方を招聘して」「なら私どもが」「でもアルベルト殿に申し訳が」
自らの手柄を立てようと、議員たちが議論を交わし始めた。
「もう結構です」
そう発したのは国王でも彼に最も忠実な宰相でもなく、デクスター将軍だった。
「あなた方には失望しましたよ。国王陛下も含めて」
突如訪れた静寂の中、フェルディナンド国王はデクスター将軍に向けて顔を上げた。
「ですがご安心ください。これからこの国の統治は私が務めさせて頂きますゆえ」
「何を勝手な!」
宰相が叫んだと同時にデクスター将軍は指を鳴らし、会議室全体が大きく揺れた。フェルディナンド王の大きく見開かれた目と、デクスター将軍の憎悪に燃えた目がかち合った。次の瞬間、一同が囲んでいた大卓の中央に黒い靄が生じた。
「何か騒がしくありませんか?」
練習再開しようという時にイザベルは周りの友人たちに尋ねた。クララとリータは首を傾げたが、カサンドラをはじめ王族と血縁関係にある数名――エルフの聴覚を持つ令嬢には上階の騒音が聞こえていた。それは神官たちも同じで、少し様子を見てきますと言って神官の一人が締め切った大扉を開いた。そこへ青い小鳥シジュークが飛び込んできて、イザベルの元へまっすぐやってきた。「チョピン、今練習中よ」と言うイザベルに応じず彼は慌ただしくさえずった。それを聞いた彼女は顔色をサッと変えた。
「みんなここにいて!兵が来るまで絶対上に行かないで!」
そう叫ぶとイザベルはカサンドラの制止も聞かず、通路に飛び出して地上に向かう階段を登っている神官の脇を抜けた。兵士よりも早く地下大聖堂に来たチョピンの――父からの伝言を無視した。
「デクスター将軍が謀反、城内の者と大聖堂に避難せよ」
「姫様お待ちください!」
兵士長から警護の命令を受け、練習の覗きから引きはがされたベンたち兵士が大聖堂に通じる階段に戻って来ていた。
「通しなさい!私の命令が聞けないのですか!」
「国王陛下のご命令です!」
イザベルが兵士たちと押し問答している間に、チョピンは城内を飛び回った。やがて裏口の警護の応援に向かっていたトマスを見つけ、彼の頬を突っついた。
「いって!」
チョピンはトマスの髪を引っ張っていき、イザベルの方へ誘導した。
命令違反だと分かっていてもトマスはイザベルの腕を引き、同僚を槍で押しのけ駆け出した。
「ありがとうトマス」
「礼には及びません。えーとそれでどっちへ」
イザベルは両親と弟の安否を確認したかったが、居場所を確認しなければならない。しかも避難場所を求めて駆けまわる大臣やメイドたち、武器を持った兵士たちの間を進まなければならない。幸いにも逃げまどう人々は二人には目もくれなかった。イザベルは聴覚を研ぎ澄まし、比較的敵の少ない南へトマスと共に慎重に進んでいく。
兵士たちの中にはかつての同僚と戦う者だけでなく、パニック状態の人々を地下大聖堂へと誘導する者もいた。城内には武器がぶつかり合う音、魔法による爆発で壁が崩れる音、人々の雄たけびや悲鳴などが繰り広げられていた。
「王女殿下はどこだ!」
「裏切り者を通すな!」
「王子と姫を捕えよ!」
「陛下のご家族をお守りせよ!」
先日まで仲間同士だった者たちの言い争う声がはっきりと聞こえた。雷が落ちる音が廊下中に響いた。廊下の角から覗くと、デクスター将軍配属騎士であることを示す腕章を付けた騎士が倒れていて、レオナルドがその前に立っていた。四人の兵士たちに囲まれていたが、どうやら彼らはレオナルドの護衛らしかった。
「げっレオナルド!」
彼をイザベル姫の結婚と津波の次に恐れているトマスは叫んでしまった。イザベルに恋する彼にとって障害の一つだ。レオナルドは彼らの方を振り向いたが、そこへイザベルが駆け寄った。
「リカルドは、父様と母様はどうなっているの!?」
レオナルドはイザベルに問い詰められた。いつもなら叱り飛ばす所だが、この状況では言っても聞かないだろうと分かりきっていたので溜息をついた。
「リカルド様は北西の地下宝物庫で避難しております。国王陛下も恐らく交戦中、王妃陛下も恐らく宝物庫に向かっているかと」
イザベルたちの前と後ろに二人ずつ兵士たちが集まってきた。
「姫様、これから起こることはご覧にならない方がいいかもしれません」
地下宝物庫に向かう方角は、喧騒がより一層大きくなっていた。待ち伏せしていて襲いかかってきた兵士を護衛兵士が斬り倒した。しばらく進んで十字に分かれた通路に差し掛かると、右の方で見たことがない柄の蛇に巻き付かれた兵士が噛みつかれ、反対の方では水色の半透明の物体に兵士が飲み込まれていた。前方から来た敵兵が振り下ろした剣を護衛兵士が槍で受け止め、体勢が崩れた所へトマスが彼の脇腹を貫く。背後の蝙蝠が火の玉を吐き出すが、レオナルドの張った透明なバリアにぶつかって破裂した。蝙蝠がまた吐き出そうとした所でレオナルドの雷が落ちた。
「あの生き物は何?」
「突如会議室から沸いて来た魔物とのことです!おそらくデクスターが何らかの手段で使役しているかと!」
「こちらです!」
地下宝物庫に通じる扉の前で、かつて騎士を志願していた王妃セシリャと護衛兵士たちが小柄な黒ずくめの装束を着た者と応戦していた。母のレイピアや兵士の槍とぶつかり合っているのは相手が両手にしている二対の小刀で、たった一人であるにもかかわらず彼は複数人からの攻撃をやすやすとかわし続けていた。飛び上がった黒装束に向かって一人の兵士が槍で突いたと思いきや、その兵士の咽喉は血しぶきを上げた。それにセシリャが気を取られている内に、黒装束は彼女の背後に回ってのど元に刃を突き付けた。
「大人しく我々に付いてきてもらおう、イザベル姫」
「母様から離れなさい!」
護衛を押しのけイザベルは黒装束の前に出た。彼は頭部まで黒い頭巾に覆われていて表情は目元しか見えなかったが、その目を大きく開いて母と娘を交互に見た。彼からすれば王妃セシリャは十代後半から二十代前半にしか見えない。
「あやつが姫でござったか……ってことはこやつ若作りババアでござったか!?」
「無礼な!!」
セシリャに肘で内臓を突かれるすんでの所で黒装束はかわし、イザベルの真上の天井に張り付いた。
「あなた何者!?」
黒装束に近付かれないよう、兵士たちはイザベルを取り囲んだ。
「拙者はアラバーキより参りし忍者、ジューゾウ・バンジョー!デクスター将軍の命により、リカルド王子のお命とイザベル姫の身柄をもらい受けに参った!」
「ニンジャですって!?」
ルーリエとの会食で耳にした言葉だった。その身のこなしは風のごとく俊敏、「忍術」というアラバーキ王国にしかないとされる魔法を使うという。そのニンジャに向かって兵士たちは一斉に槍を突き付けた。それをかわしたジューゾーは兵士の一人の背中を斬りつけた。円陣が崩れた所へイザベルに手を伸ばすも、彼女は咄嗟に母に引っ張り出された。兵士たちに囲まれたジューゾーは飛びすさり、その隙にイザベルは母によって宝物庫に連れ込まれた。中にも敵がいるかもしれないのでレオナルドと数名の兵士も後に続き、最後尾のトマスが内側から鍵を掛けた。
「リカルドは主治医らと共にこの奥に避難しているわ。貴女もこの先へ」
「まだ皆が戦っています!」
扉の向こうで兵士たちの叫び声が聞こえる。ジューゾーの声は明らかに負傷ではなく掛け声によるものだった。
「ですが、敵は姫様を狙っているのですよ!」
「剣もお持ちではないのでしょう?皆の犠牲を無駄にするには」
「宝物庫にだって武器があるはずです!実戦経験なんてありませんが、何もせずに逃げ隠れるなんてできません!」
娘が兵士たちに説得されている間に王妃セシリャは懐から鍵を取り出し、イザベルに手渡した。頭部には音符の形をした穴が開いていた。
「どこの鍵なのです?」
「宝物庫の一番奥、魔女マリーンが使った“銀の杖”と魔導書を封印している扉の鍵よ。本当はあれが敵の手に渡らないようにしたかったのだけど」
レオナルドは顔を曇らせた。
「ですが王妃陛下、あれと姫様がもし」
「本当はベルを巻き込みたくはなかったけどあれは歌姫の素質ある者にしか使えないのです!敵は私が引き付けます!」
セシリャ王妃は配下に目配せし、二名の兵士と共に扉を開けて飛び出した。それと同時に中にいる方の兵士は扉に鍵をかけた。
「ありがとう、ご無事で!」
母を見届けたイザベルは残りの者を連れて地下宝物庫の階段を駆け降りて行った。
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