第一章 風の唄「エルフィン・バラッド」その3

「姫様!レオナルド殿も丁度良かった!」

 カンパーナ王家に伝わる武具や絵画が並ぶ中、護衛兵士が顔を上げた。主治医は自らの上着の上にリカルドを寝かせ、他数名の宮廷魔術師と共に回復魔法クラルをかけ続けていた。よりにもよってリカルドは発作を起こしていた。

「我々の魔力も限界です。魔力供給薬があればよいのですが」

「ニンジャがここまで来ているんだ!」

 トマスの声に、リカルドの護衛は顔を青ざめた。

「あいつ一人とは言え、こちらの攻撃が全く当たらなかったんだ!」

「ジューゾーとやらをなんとかせねば」

 兵士たちが作戦会議をしている最中、イザベルは母から渡された鍵の扉の前まで進んでいた。リカルドに回復魔法クラルをかけようとしていたレオナルドがそれに気付いた。

「姫様、本当に使われるおつもりですか?危険な代物ですよ?」

「それでもどうにかしなきゃならないのでしょう!?」

 言いつつ彼女は鍵穴を回した。500年もの間封印されていた扉の先にあるものが果たして絶体絶命の状況を打開できるものなのか、「銀の杖」がどう使われていたのか一切知らなかった。それでもイザベルはその身に流れる魔女マリーンの血による直感からか、扉を押し開けた。

 そこにあったのは鎖で括りつけられた本の載った譜面台と、全体が銀で覆われて三本の脚で自立している奇妙な形状の杖だった。上部の上向きの黒いフックに灰色の筒が嵌っており、さらにその先端に灰色の輪が嵌っていて銀の網で覆われた球体が付いていた。

「これが、マリーンの“銀の杖”?」

 イザベルは傍らの譜面台にも目を向けた。そこに載っているのは恐らくマリーンの使った魔導書だろう。本の中心に錠前が付いていた。試しに例の鍵を差し込んでみると、易々と回せた。鎖を解いて見えたタイトルは古い書体だがかろうじて「エルフィン・バラッド」と読めた。本を開くとイザベルにも見覚えのある物が目に映った。

「楽譜?」

 知らない曲で、五線譜の下に文字が書きこまれていた。おそらくこれが呪文なのだろうと踏んだイザベルは、音階に合わせるように冒頭部分を唱えてみた。

「アベ アイレ レスピ ラ シオン」

 その瞬間、本のページは風もないのにめくり上がり、中の五線譜が「銀の杖」の球体部分に吸い込まれていった。筒と球体が緑色に発光したかと思うと、筒に緑の小さな玉が生じた。緑の発光が止んだと同時に本は霧散した。

 何が起こったか分からぬまま、イザベルは杖を確かめようと手を伸ばした。緑の玉の下に小さな突起があり、さらにその上下に「ON」「OFF」と書かれていて突起は「OFF」の方に傾いていた。その個所を確かめようとしたイザベルは、うっかり突起を「ON」の方へ押してしまった。その時である、「銀の杖」から音楽が流れたのは。笛と未知の弦楽器に、打楽器らしき音や金属のような音が聞こえてきた。同時にイザベルの脳裏に「エルフィン・バラッド」の歌詞が浮かんだ。



 突然心地よい風を感じた護衛の者たちは、「銀の杖」が封じられている部屋の方を向いた。未知の音楽はリカルドや護衛の者たちの耳にも入った。魔術師たちは限界だった魔力が沸いてくるのを感じ、リカルドの咳も落ち着いて来た。何事かと一同が思っていると、音楽に合わせてイザベル姫の歌が聞こえてきた。兵士たちに気力がみなぎってきた。今なら宝物庫の外にいる奴らと戦える、そんな気さえしてきた。



「いい加減そこをどいてもらおうか!」

 兵士たちが倒れる中、ニンジャ・ジューゾーと王妃セシリャが対峙していた。セシリャはジューゾーからの攻撃を防御するのがせいぜいで、切傷だらけで立っているのがやっとだった。

「聞けばその若さ、エルフのみにしか使われない秘薬によるものと聞く。それをお聞かせ願えるのなら命だけは助けてやろう!」

「子供たちが危険にさらされようというのに、命乞いする母がありますか!」

 強がるセシリャを前に、十蔵ジューゾー万条バンジョーは気分が高揚していた。冴えない人生を終えたと思いきやこんな異世界に「殿様」の四男として生まれ、「忍術」の才能にも恵まれた。それを兄弟に妬まれてあらぬ罪をでっちあげられ、国外追放された。どういうわけか言語の壁にぶち当たることはなく、流れ着いたこの国でデクスター将軍に拾われた。明らかにこの男は「悪役」だと直感していたものの、どの道十蔵は兄弟に報復する機会を得られるだろうと思っていた。だって「異世界転生」なら転生した本人が最後に勝つのは当然だから。自分が物語の主役だと信じて疑っていなかった。

「では死ねぃ!!」

 二対の小刀でセシリャに斬りかかろうとした刹那、彼女にヒラリとかわされた。「銀の杖」による音楽とイザベルの歌が二人の耳にも届き、セシリャは体が軽くなったのを感じた。笛の他にセシリャにとっては未知の楽器が鳴り響いていたが、十蔵にはそれがエレキギターとベース、ドラムによるものだと分かった。

「うおりゃああああああああああぁぁぁぁぁ!!」

 宝物庫の扉から槍を構えたトマスが飛び出し、十蔵はギリギリ回避した。そこへ他の兵士たちの切っ先が襲い掛かる。皆十蔵の動きが視認できるようになっていた。十蔵が繰り出す刃はことごとく避けられ、兵士たちからの攻撃を防御するのがやっとの状況となった。

 瀕死の兵士たちも身を起こしつつあった。

「あの扉!」

 王女が逃げた宝物庫につながる扉が開かれたままだったので、十蔵は兵士たちに構わずそこへ突っ込んだ。

「今です!」

宝物庫の中にはレオナルド始め宮廷魔術師たちも入ったままだった。十蔵は彼らの放った吹雪の魔法に吹き飛ばされ、壁に激突した。背中に痛みを感じつつ薄れゆく意識の中、十蔵は宝物庫の奥から魔術師たちが現れ、その後に続いてイザベルが出てくるのを見た。彼女は「銀色に光る棒状の物」を手に歌っていた。それが「前世で見覚えのある物体」だったので彼は驚愕しつつも、突っ込む気力がなかった。ただの「スタンド付きマイク」じゃないか!



 リカルドを母と護衛兵に任せた後、一行は敵を薙ぎ払いつつデクスターがいると思われる4階の会議室に向かっていた。イザベルの「エルフィン・バラッド」を聞いた者たちは素早い動きで敵を翻弄した。

「思ったのですが」

 巨大な蛇の群れを凍らせたのち、レオナルドは気付いたことがあったのでイザベルに声をかけた。彼女ものどが疲れてきたので息を整える。その間にも「銀の杖」から流れる音楽は味方に活気を与え続けている。

「先程から聞こえる音楽と姫様の歌、敵にも聞こえるはずですよね。だから向こうも強化されるはずなのにこちらの方が上回っている。これは一体」

「呪文が……歌詞が“風”がどうとか“早く”といった内容だけど“友”がどうの“敵”がどうのって言葉が入ってるからかしら?」

 「エルフィン・バラッド」の本はほんの少ししか読まなかったにも関わらず、今頭の中に入っている歌詞の内容をイザベルはなんとなく理解していた。

「あともう一つ気付いたのですが、魔法か否かに関わらず攻撃を食らった敵が吹き飛ばされてないですか?」

 レオナルドに言われて彼女は槍を振り回すトマスの方へ目をやった。武器と掠ったくらいで壁にめり込んだり廊下の反対側まで飛んでしまう程の威力である。攻撃しなくとも歌詞のある部分が発せられる度に敵の体が浮く。

 これほどまでに強い力を与える「銀の杖」。デクスター将軍もカンパーナ王家の先祖であるマリーンが使ったという伝説を知らなかったわけではあるまい。イザベルじゃなくても王家の誰かが「銀の杖」を開放することを見越していたのだろうかとレオナルドは訝しんだ。

「そんなことよりっ」

と言わんばかりにイザベルは勢いよく「エルフィン・バラッド」の風を起こす歌詞呪文を詠み上げ、こうもりたちを吹き飛ばした。こちらが優勢になってきたとはいえ、まだまだ敵は沸いてくる。

「早くお父様の元へ行かないと!」



「陛下、撤退いたしましょう!」

 5階建てのカンパーナ城の4階、フェルディナンド王と共に魔物たちと戦っていた近衛兵は叫んだ。王は鳥たちに各地の兵に救援を要請するよう言付けたものの、彼らが着くまで持ちこたえられそうにない。

「城の者たちを、民を見捨てる王があるか!」

 裏切った兵士を斬り倒しつつフェルディナンド王は怒鳴った。このままでは命はないと分かってはいても、引き下がれなかった。

「まだ降参しないのですか?」

 彼らの目の前に黒い渦が生じ、中心からデクスター将軍が現れた。

「貴様っ何のつもりだ!」

 フェルディナンド王はデクスター将軍に刃を向けた。会議室で魔物を召喚したと同時に、彼は姿を消していたのだった。

「かなり戦力を削いだと思ったのですが、まだしぶといですね」

「お前を嫌っている者がいるのは知ってはいたが、余はお前の忠義と実力を信じて将軍という地位を与えた……なのに、裏切るとは!クリスティナの事で余を憎むのは勝手だが、多くの者の血を流した罪、断じて許す訳にゆかぬ!!」

「ご安心下さい陛下。クリスティナ様の事ならもう気にしてはおりませんよ。替わりとなる方がいらっしゃるので、その方のお命だけは保証しましょう」

「まさか」

 フェルディナンド王は裏切りの首謀者の目的を悟った。

「イザベルに指一本触れてみろ!リカルドもセシリャも貴様の好きにはさせぬ!!」

 突進した彼の剣を、デクスター将軍の手に突如現れた大剣が受け止めた。

「カンパーナのエルフの血は途絶えさせません。私が新たな直系の祖となるだけですよ」

「黙れケダモノがぁっ!!」

 フェルディナンド王は剣を持つ手に力を込めるも、逆にデクスター将軍に体ごとはじき返されて床に仰向けになった。その拍子に、聞き慣れた娘の歌声と聞き慣れない音楽が彼の耳に入ってきた。フェルディナンド王は疲労困憊の己の肉体に、力が沸いてくるのを感じた。500年前の魔女マリーンの歌を彼ですら聞いたことはないが、これは間違いなく英雄アルトゥロを手助けした魔法の歌だと確信した。それは近付いてきて、エルフの聴覚を持たない近衛兵の耳にも「銀の杖」による音楽が流れ込んできた。

「間に合ったわ!」

 彼らの背後から歌姫イザベルの安堵の声が上がった。

「国王陛下を援護せよ!!」

 彼女を護衛していた兵士たちがオオォォォォォォォォォ!!という掛け声とともに駆けて来た。イザベルは再び「エルフィン・バラッド」を歌おうとした。しかし彼らの前進は天井を突き破ってきた魔物により、中断させられた。

それは廊下の幅を陣取る程大きく、黒味の強い灰色の毛並みを持った三つ首の犬――伝説の生物だと思われていた地獄の番犬ケルベロスだった。

「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

それらは一斉に吠えると、イザベルの持つ「銀の杖」から流れる音楽すら凌駕する程に周囲の人々の鼓膜に轟いた。鋭い聴覚のイザベルとフェルディナンド王には眩暈を起こす程大きすぎて、二人は膝を屈してしまった。吠え声は長く、「銀の杖」の音楽が皆に聞こえなくなり、このままではイザベルの歌による魔法が使えない。

「トルエノ!」

 レオナルドの雷がケルベロスの胴体に直撃した。吠え声の最中にイザベルの歌は通用しなくとも、歌を介さない魔法なら有効だった。ケルベロスは一瞬ひるんで悲鳴を上げたが、すぐさま雄たけびをあげつつイザベルたちの方へ突進してきた。

「どりゃあ!」

 兵士の一人が巨大な犬の右の頭の口内に、槍を突っ込んだ。槍は舌を貫通し、兵士は鋭い牙に臆さずさらにのどの奥深くへと腕ごとその身を差し込んだ。

「ギャアアアアアア!!」

「グルルガァァァァ!!」

 ケルベロスは前足で兵士を引っ剥がそうとしつつ、右頭部の口を狭めた。

「うおぉぉぉぉ!」

 さらに一人の兵士が左頭部の口内に槍を差し込んだ。ケルベロスは一層兵士を噛みしめながら前足を振り回し、彼らの体を引っ掻いた。

「てりゃあ!」

 トマスは真ん中の頭部へ槍を突き刺した。ケルベロスが暴れる為、狙っていたのど元には命中しなかったが、トマスの槍は額を貫いていた。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 ケルベロスは大きくよろめいて、左右の口から兵士を吐き出して横ざまに倒れた。レオナルドはすかさず彼らに駆け寄り、回復魔法のクラルをかけた。

「こ、これで……お父様!?」

 ケルバロスの断末魔が止んだと同時に「銀の杖」を支えにして立ち上がったイザベルは、信じがたい光景を目の当たりにした。

「うわああああああぁぁぁぁぁ!!」

 ケルベロスの死骸を挟んだ反対側の床から黒い茨が生えてきて、父フェルディナンド王の肉体に絡みついていた。近衛兵にも巻き付いて身動きをとれなくしていた。

「もう限界でしょう?いい加減吐いたら楽になりますよ」

「誰が、教えるか、貴様に……“金の鈴”の、手に入れ方などっ」

 フェルディナンド王の首の周りを、黒い茨が幾重にも巻き付いている。それを目の当たりにした一行は、ケルベロスは囮だったのだと悟った。

 デクスターの口から発せられた「金の鈴」は国王夫妻が婚礼の際、王族しか行けないイズンの森の奥に赴き、そこで一度だけ口にできる黄金のリンゴだ。王族の子孫繁栄の為にそのリンゴで30年間自らの時を止めるのである。トマスたちがケルベロスと戦っている間、デクスターはその樹が生えている場所への行き方を聞き出す為、国王を拷問していたのだ。

「この地獄の茨は“金の鈴”の在処を探れずとも、城の者たちの居場所を探ることはできるのですよ。ふむ、確かに天空紳ティエを祀る地下大聖堂なら魔物は入れません。しかし、地震が起きたとしたらどうでしょうね?」

「なっ」

 国王の目が見開かれた。

「何百人もの避難者は間違いなく生き埋めですねぇ、気の毒に。たった一人の男が、判断を誤ったために」

「何をバカな」

 近衛兵が抗議しようとした所で廊下の床が、天井が、カンパーナ城全体が大きく揺れた。

「やめろ、デクスター!!」

 フェルディナンド王は自らの左手を掲げた。薬指に金で縁取られたカンパーナ王家の紋章が刻まれた指輪が嵌められていた。

「陛下、なりません!」

「構わん!民の命がかかっているのだぞ!デクスター、この指輪があの森へ行く鍵だ!」

 細い茨がフェルディナンド王の左手薬指に伸ばされた時だった。城中の轟音の中、かすかに歌声が聞こえてきたのは。

「アベ アイレ レスピ ラ シオン」

 王家の指輪に触れそうになった茨は切り落とされ、国王と近衛兵を絡めとっている太い茨も風に切り刻まれていく。城全体を揺るがす音に妨害される歌声でも、張り上げれば拘束を緩めるには十分だった。イザベルが父と兵士たちを傷付けないように風の呪文を歌っていた。彼女の歌声はやがてデクスターの耳にも届き、彼の頬を切りつけた。

「チィッ!仕方がありません」

 城を揺らす音までイザベルの歌声に押され、静まってきた。地獄の茨が渦の中に戻っていく。解放された国王と兵士は床に投げ出された。

「今度こそおしまいだぜ!」

 トマスがケルベロスの死骸を飛び越えてデクスターの元へ駆け寄った。他の兵士たちも続く。囲まれて武器を突き付けられた彼はしばらく黙っていた。

「えぇそのようですね、ここは“我が主”の命令に従い、ここはいったん引きましょう。もう皆様に手は出しませんよ」

「待て、“我が主”とはまさか」

 フェルディナンド王の耳はデクスターの発した言葉を一言一句聞き洩らさなかった。背後に異様な気配まで感じ取ったものの、時すでに遅かった。

「お前以外はなぁ!!」

 デクスターが叫んだと同時に、事切れたと思われたケルベロスが突如起き上がり、フェルディナンド王に向かって一直線に向かって行った。彼を守ろうとした兵士たちは吹っ飛ばされ、フェルディナンド王の肉体は三つの首に咥えられてデクスターの元へ運ばれていった。

「ぐあぁぁぁぁっ!!」

「陛下!」

「しまった!」

 ケルベロスがデクスターの足元にひざまずくようにその身を伏せると、デクスターは国王の左手にはめられている指輪を抜き取った。そしてケルベロスが国王を床の上に吐き捨てると、デクスターと共に黒い渦の中へと消えて行った。

「王家の指輪が!」

「それよりも陛下の御身が!」

 レオナルドがフェルディナンド王の元に駆け寄り、回復魔法(クラル)をかけた。回復魔法とはあくまで負傷した者や病気にかかった者の失われた体力を取り戻す為の魔法であり、傷口を塞いで止血したり症状を和らげたりすることはできても欠損した部位を修復することはできない。国王は胸の中央と、左脇腹と、左膝を牙に貫かれて大穴が開いていた。

「これはひどい……肺か心臓を貫通しているかも知れません」

「ベル、ベルをこれへ」

 呼ばれるまでもなくイザベルは持っている「銀の杖」を「ON」にしたまま、父の元へ駆け寄っていた。「エルフィン・バラッド」の音楽をもってしても傷口が塞がれるスピードは緩慢だ。国王は傷口どころか口からも血を吐き出した。

「陛下、今はご安静に!」

「頼む、セシリャを……リカルドを、誰か」

 トマス他二名の兵士が未だに避難中の二人を探しに、階段を駆け下りて行った。途中一人の兵士が魔術師を連れて戻り、治療に当たらせた。



「陛下!フェルディナンド国王陛下!!」

 王妃セシリャとリカルド王子、彼の主治医は四階に辿り着いて驚愕した。フェルディナンド王の傷は廊下に飾られていたタペストリーで止血処置こそ施されているものの、ほとんど赤く染まっていて、彼の顔にも汗と苦悶の表情が浮かんでいた。

 リカルドの主治医は国王に駆け寄って悟った。

「皆様、誠に申し上げにくいのですが……“神(ティエ)の定めし時”が来たのかもしれませぬ」

 アウレリア大陸の人々の命は、一人一人天空神ティエが決めているとされている。かの神は「30年時を止める果実の樹」は与えたが、あくまで若さが保たれて老いるまでの時間が延びるのであって、死なずに済むわけではない。フェルディナンド王の命の灯は、今まさに消えようとしていた。

「お前たち……どうか、余の最後の言葉を聞いてくれ」

 フェルディナンド王の妃と子供たちは大きくうなずいて、彼の目をしっかと見据えた。その間も「エルフィン・バラッド」は流れ続け、レオナルドと家臣たちは王が話せる時間を少しでも伸ばせるように、回復魔法(クラル)を掛け続けている。

「そなたらも見たであろう?城内の魔物たちを。あれをデクスターが使役していたということは、奴は“魔王”と契約して力を得たのだ。“魔王信仰”が復活しつつあり、いずれ魔王自体も復活するやもしれぬ」

 魔王って伝説じゃなかったの!?とリカルドは訊きたかったが、今は父の言うことに耳を傾けなければならない。

「イザベル、お前は各地に封印されているマリーンの曲を“銀の杖”に集めるのだ。全8曲の残りがどこにあるのかは分からぬが、一つはルーリエにあるのは確かだ。まずルーリエに行き、アルベルト王子と合流せよ。魔王の信奉者はデクスターだけとは限らぬゆえ、彼奴らの妨害に遭うかもしれぬ」

 国王は妃の方を向いた。

「セシリャ、お前の指輪をベルに」

 王妃は震える指でカンパーナ王家に伝わるもう一つの指輪を外し、ためらいがちにイザベルに手渡した。

「それが“金の鈴”の樹に至る、もう一つの鍵だ。二つ無ければあの樹に近付くことはできぬ。またこの国がデクスターに襲撃されるかもしれぬゆえ、ベル、お前に預かっていてほしい。父でありながら、お前に過酷な任務を背負わせてしまうが」

「大丈夫です。私も英雄アルトゥロと魔女マリーンの末裔ですもの」

 王妃セシリャは不安げに娘を見た。王の右手に頭を撫でられている彼女は「銀の杖」を握りしめていた。王は反対側の息子に顔を向けた。

「幼いお前に父親らしいことをすることも、言葉を掛けることもせず、王位しか譲ってやれぬ余を恨んでくれて構わぬ。どうかカンパーナの民を導いてくれ」

 父を恨む恨まない以前に、王になるということが分からないリカルドはこれから先父がいないという事実に耐え切れず、一層泣きじゃくった。彼らとの別れの時が近づいていることを悟ったフェルディナンド王の目にも一筋の涙が流れた。もはや指一本動かすこともできない彼は、最愛の妻セシリャに目を向けた。

「お前には苦労を掛けて来たが、これからの苦難を肩代わりすらできぬことを、申し訳なく思っている。どうか、リカルドを、支え、この国を、た、の……む」

 それきりフェルディナンド王の口は動かなくなった。夫の事切れた瞬間を目の当たりにして、初めて王妃セシリャは白い手に顔をうずめた。

 こうしてカンパーナ国王フェルディナンドは、42歳の誕生日を迎えることなく崩御した。

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