さよなら

 入院中、何故か優香は一度も顔を見せる事が無かった。

 奏に事情を聞いても「最近優香と話してない。ていうか、優香の話はあまりしたくない」の一点張りで、事情を全く話してくれる気配が無い。


 ——やっぱり、二人の間に何かあったんだ。

 

 告白はどうなったのか?

 失敗した結果、こうなったのか?

 奏は優香の事好きじゃなかったのか?


 ——あの仲の良い三人組には戻れないの?

 

 分からない事だらけで、優香に直接事情を聞きたくて、学校へ行けない時間が苦痛だった。





 一か月後、今日はバレーの大会の日。

 特別に外出許可が下りたが、まだ刺された足に痺れが残り、右腕に痛々しく包帯を巻いて固定している。

 そんな、おぼつかない足取りを奏に支えて貰いながら、私はバレーの試合を見にきていた。

 正直、バレーを見るのは辛かったが、それでも先輩達の最後の試合を見に行かないわけにはいかなかったのだ。


 ——先生の言った通り、こんな状態でバレーなんて、できるはずなかったよね。


 結局試合は初戦で敗退。

 私の為に、お何度も見舞いしにきてくれた優しいバレー部のみんなは、悔しくて涙を流している。

 

 ——私がいたら結果は変わっていのだろううか。


 そんな私の姿を、横で奏は心配そうに眺め、試合に目を移していった。


 試合が終わってすぐ、部員達が私達の元へ駆け寄る。


「茜……ごめん、ダメだった……」

「な、何言ってるのさ。私もみんなと一緒に戦えなくて、ごめん」

 

 すると、先輩は一度目を瞑って、私に優しく語りかけてくれる。


「応援に来てくれてありがとね、茜。試合は負けちゃったけど、私達は全力だった。悔いは無いよ」


 そう言った先輩の瞳は赤く腫れている。

 きっと、ひとしきり悔し涙を流したのだろう。


「それに、茜の気持ちを考えれば、こんな事、へっちゃらだよ」

「先輩……」


 すると、鼻水をすすり、後輩の恵理奈が私に向かって、嗚咽混じりに言葉を投げかける。


「私……茜先輩と、もっとバレーしたかったです……っ! こんな形で終わっちゃうなんて、納得いかないですっ!」

「恵理奈……ごめん」


 恵理奈は、私が一番気にかけていた後輩だ。上達が早くて、一年の中では一番仲が良かった。


 ——私も、恵理奈と、みんなと、もっとバレーしたかったな。


 先輩は、恵理奈を諫めるように口を紡ぐ。


「恵理奈、それは茜が一番思ってる事だ。恵理奈には来年も再来年もある。私達の分まで頑張るんだよ」


 恵理奈は、右手で涙を拭って言い放った。


「私、やっぱり許せないです。茜先輩が、なんでこんな事に……」


 泣きじゃくる恵理奈の事を、ただ見ている事しかできなくて。

 私のバレーは、一足早く、望まない形で終わった。



 恵理奈の「許せない」という言葉。

 あの時、私はその言葉の本当の意味を分かってなかった。





 更に半月後。


 リハビリの末、右腕の包帯は取れないままだが退院を許された。

 久しぶりに奏と一緒に登校し、奏は私の分の鞄を持ってくれる。


「優香って、今何してる?」

「……さぁ、最近あいつのクラス行ってないし、学校来てるかも分からない」


 私は、奏を睨みつけて言い放った。


「一体なんなの!? 急に優香の事を他人みたいに扱うようになって! 私達、友達でしょ?」

「……俺は、優香の事。もう友達だとは思ってない」


 奏から発せられた言葉。私は、ただショックで唇を噛み締める。


「茜は、きっと優香のやった事を許すと思う。でも、俺はごめん、許せない」

「……もういい。今日、優香に詳しく話聞くから」


 奏から私の鞄を奪い、足早に歩いて奏を置いていく。

 

 ねぇ、優香、私達友達だよね?

 奏と仲直りしようよ。三人で楽しかったじゃん。


 お願い、私には、もう二人しかいないの。





 学校に着くやいなや、自分のクラスよりも先に優香のクラスへと向かう。


 ——あ、茜だ! 怪我大丈夫!?


 ——大変だったね? また学校に来れるようになって良かったよ。


 たくさんの人が、私へ優しい言葉をかけてくれる。

 それでも、その中に優香の姿は無かった。


 優香のクラスの扉を勢いよく開ける。

 クラスの視線が一気に私へ向く。


 ——茜だ。

 ——怪我治ったんだ。


 たくさんの人が私の噂をする。

 しかし、私は一切動じる事無く優香の机へと向かう。

 しかし、優香の姿が無い。


 代わりに、私の目に飛び込んで来たのは、机に無数に書かれている落書き。


 バレー部の敵。

 男大好きゆうかちゃん。

 茜の腕を壊した破壊魔。

 裏切り者。


「なに……これ」


 これは、優香が自分で書いたものでは決して無い。誰かが、確実に悪意を持って机に書いたもの。

 

 ——どうして、こんな事に?


 私は訳が分からず、呆然としていると、クラスの女の子が声をかけてくる。


「篠崎さん、茜が不審者に襲われてる時、藍峰君と二人で一緒にいたんでしょ? 藍峰君に嘘までついて」


 私は目を見開き、そのクラスの子の方へ顔を向ける。


 ——なんで、そんな事になってるの……?


「茜、大変だったね。友達に裏切られてさ。藍峰君も迷惑してたでしょ?」


 違う。


「そもそも、藍峰君につり合うのは茜だけだよね。あんなぽっと出の根暗な転校生に横取りされそうになって、悔しかったでしょ?」


 違う!!


 私は、搾り出すような声で、そのクラスメイトに言った。


「優香は、どこにいるの……?」

「篠崎さんの事? 今日来てたけど、この机見た瞬間どっかに出ていったけど」


 優香は、学校に来てる。

 次の瞬間、私は教室を飛び出した。


 探さなきゃ、優香を! 


 どうしてクラスの人達に広まったのか。

 どうして噂がねじ曲がったのか。

 どうして優香が攻撃されなきゃいけないのか。


 分からない事だらけで全て理解できない。だけど、これだけは分かる。

 本当は違うんだって、私がついた嘘が原因なんだって、優香は何も悪く無い。


「茜!」


 呼ばれて振り向くと、そこには奏がいた。


「お前、なんて顔してるんだよ……」


 私は奏に近寄り、肩を掴んで大きく揺らす。


「奏知ってたの!? 優香が、クラスの人達に誤解されて、いじめられてるって……!」

「い、いじめ……?」


 どうやら、奏は違うクラスだった事もあって、いじめについては知らなかったようだった。


「ねぇ! なんで、優香を守ってあげなかったの!? 私達、友達なんじゃないの!?」

「そ、それでも、あいつがした事は……!」


 ああ、なんで、奏も、誤解してるよ。

 優香は何も悪く無いんだよ。


「違うよ!! あの時、優香が嘘をついたんじゃない!」


 奏は、唾を飲んで私の事を見つめる。


「……どういう事?」

「私が、嘘をついたのっ……! 不審者は捕まったって、だから大丈夫だってっ……! 優香に嘘ついたのっ! 奏の事が好きな優香の力になりたくて……!」


 奏はその瞬間、唇を震わせる。


「そ、それじゃ、俺が、あの時、優香に言った事は、全部……」

「なんて言ったの……?」

「……」

「なんて言ったのっ!?」


 奏は、頭を両手で抑えて何も話さない。


「……優香っ!」


 私はそんな奏を置いて再び走り出した。


 自分が被害者だから、自分の事ばかり考えていた。

 しかし、ふと周りを見て事実を知れば、全ての始まりは、私だったんだと。


 ——全部、わたしのせいではないか。


 私は廊下を走って、色んな教室を見て回る。

 どこにもいない。学校で、優香がいそうな所は全て探した。

 メールで連絡もした。返信は未だ来ない。


「もう、帰っちゃったのかな……」


 その時、バスケ部の後輩の恵理奈が通りかかった。


「茜先輩! どうしたんですか? 息が荒いですけど」

「恵理奈! 優香の事を見なかった!?」

「し、篠崎先輩なら、ここの階段登って行きましたけど……」

「この階段を……?」


 ここは6階——最上階だ。これ以上は屋上だ。現在立ち入り禁止のはずだが、なぜ屋上なんかに。


「ま、まさか……」


 嫌な予感が頭を過った。

 私は夢中でその階段を駆け上がる。


「茜先輩!?」


 恵理奈の言葉も耳に届かず、私は屋上の扉を勢いよく開けた。


「優香っ!」


 大声で叫ぶ。

 優香は、屋上の柵を越えて、今にも飛び降りようとしていた。


「優香っ! ダメっ!」


 優香は一瞬驚いたような表情をした後、少し笑ってみせる。


「茜、退院したんだ。久しぶり」


  何を笑っているのか。久しぶりだなんて、なんでそんな呑気な言葉が出るのか。


「優香っ、お願い。危ないから、こっちへ来て……」


 そう言って近寄ろうとした時、優香の穏やかな表情は一変、物凄い形相で叫んだ。


「来ないでっ!!」


 私はその叫びで、ピタリと足を止める。

 泣きすがるように、私は必死に優香に呼びかける。


「ごめん、ごめんなさい。私のせいなの、全部。私が優香に嘘をついたから、こんな事に……」

「……嘘ついたのは、私の為だった」

「そうだけどっ! 私は、結果的に優香の告白を最悪な形で失敗させたっ! 奏に……好きな人に酷い事言われたんだよね……?」

「それは、私が誤解を解こうとしなかったから、当然だよ」

「どうしてっ……。そんな死のうとするまで追い詰められてるのに、なんで誤解を解こうとしなかったの….…?」


 私は地面に膝をつけて、必死に嘆願する。


「言っても誰も信じてもらえないって思ったんだよね!? ねじ曲がって広まった噂も、本当は違うんだって、私がみんなに言って回るっ! 奏との誤解もちゃんと解く! 私がなんとかするっ!」




「私が全部なんとかするからっ! もう一度、前みたいに……」




「そういうのもうやめてよ!!」

 

 優香は私の上から言葉を吐き出す。


「私は、ずっと茜が羨ましかった……妬ましかった」


 優香の言った言葉の意味が分からず、私は瞬きも忘れて、優香の事を見つめる。


「茜みたいに友達も多くない、味方も多くない、可愛くない……奏だって」


 優香は、柵をギリギリと握りしめて言い放った。


「私の持ってないもの、欲しかったもの、茜は全部持ってる」

「そ、そんな事ないよっ……!」

「バレー部の人達は、ずっとこう思ってた! 私は茜と奏の間に現れた邪魔者。平凡で、二人とは釣り合わないって」


 バレー部の、みんなが……?


「いや、バレー部の人達だけじゃない! わたしのクラスの人達も、茜のクラスの人達もっ! みんなっ!」


 そして、優香は瞳に涙を溜めて言った。


「そして、私も、そう思ってた……っ!」


 みんな、そんな事思ってたなんて、私、全然気づいていなくて……。


「茜、気づかなかったよね!? そうやって、他人の気持ちに鈍感だから、知らない内に、人の事を傷つける!」


 私は、何も言う事ができず、ただ、何か重たいモノに押し潰されそうで、後退りをする。


「もう、茜の手は借りない! 私に構わないで! 助けようとしないで!」


 ああ、ごめんなさい。


 ただ謝罪の言葉しか思い浮かばないのに、声に出して言う事もできない。


「もう、これ以上、私の事、惨めにしないで……」


 優香はその瞬間、屋上の外側に体を向ける。


「……ゆっうかっ!!」


 私は走り出した。

 必死に左手を伸ばした。







「さよなら」







 優香は、涙に濡れた瞳で、優しく微笑んだ。







 本当は、届いたはずの左手だった。


 だけど。


 その微笑みが。

 もう関わらないでという言葉が。

 もう助けないでという言葉が。


 私を一瞬躊躇わせ。


 その躊躇いが。


 曇り無い空に投げ出される優香の体を。


 止められなかった。

 

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