崩れゆく日常と友情

「茜、本当遅いな」

「そ、そうだね」


 あれから30分くらい経っただろうか? 未だに勇気が出ずに、ベンチに二人で座っている。

 奏は暇を持て余して携帯ゲームを遊び始める始末。


 はぁ、なんだか。今日はもうダメかも。


 先程の一件で、すっかり勇気がリセットされてしまった。茜には悪いが、今日は諦めると連絡しよう。

 そうして端末を手に持った瞬間。


「ん? この音って」


 遠くからサイレンが聞こえてくる。


「パトカーの音だな。やっぱり、さっきの変な男がやらかしたのかもな」


 不審者を連行しに来たのだろうか? しかし、パトカーの後ろからもう一台車両が来る。


「救急車?」


 パトカーと救急車から出てきた警官と隊員は、駆け足でショッピングモールに入って行った。


「怪我人でも出たのか? 結構大事だな」


 奏はキョトンとした表情で、その光景を眺めている。


 茜は不審者は捕まったって言っていた。しかし、なんで今になって救急車やパトカーが出てくるのか。

 言いようの無い不安感を覚えた私は、自分の端末で茜に通話をかけようと操作する。


「あ」


 突然震えだす私の端末。ちょうど良いタイミングで茜から通話がかかってきた。

 私の端末に通話がかかってきた事に気づいた奏は、不機嫌そうに口をすぼませる。


「茜からか? なんだよ、さっきから俺の連絡無視して優香にばっかり連絡しやがって」

「あ、あはは、ちょっと失礼……」


 でも良かった。茜は無事なんだ。


 私は端末を耳にあてがう。


「はい、茜? 今どこにいる……」

「この携帯の持ち主のお友達ですか?」


 聞き覚えのない男性の声。茜では無い事は確かだ。


「……あの、どちら様ですか?」

「警察です」

「警察……?」


 警察という私の呟きを聞いて、奏の表情が一気に曇り始める。


「お友達が事件に巻き込まれて……」


 え?


「ど、どういう事ですか?」

「お友達が刃物を持った男に刺されたんです。意識不明で……今どこにいらっしゃいますか?」

「ちょっ、ちょっとまってください……」


 私は、状況が飲み込めず。一度端末から耳を離す。


 そんな、おかしい。

 茜は、不審者なら捕まったって……。


「優香、茜がどうかしたのか?」

「茜が、男に刺されたって……」


 その瞬間、奏の表情が焦燥に染まる。


「ちょっ、ちょっと代わってくれ!」


 奏は半ば強引に私から端末を取る。


「はいもしもし、電話替わりました。その電話の持ち主の友人です。……はい。え? ……いや、それで、場所はどこに……!?」


 奏は、眉間に深くしわを刻みつけて、警察の人と電話でやり取りをする。


 不審者はもう捕まったはず。

 また逃げ出して、茜を襲った……?

 

「まさか……」


 その時、私の脳裏にある可能性が過った。




 茜、嘘ついたの? 私の為に……。




「優香、これ返す」


 奏は電話が終わったのか、私に端末を返す。


「なぁ優香。お前、俺に、茜はこれからショッピングモールに向かうって言ってたよな」



 あ……。



「なんで、茜はショッピングモールの中にいたんだ?」


 私は、返答に困ってしどろもどろする。

 それは、私が奏の事が好きで、それに協力してくれた茜が……。


 そんな事今話すの?

 この状況で、告白しなきゃならないの?


「優香、嘘ついてたのか……?」

「……っ!? ちがっ……!」


 奏は、悲しみと心配で、顔を歪ませる。


「いや、今はもういい。俺、茜のいるカフェに行ってくる……」


 そう言って、奏は走り出して行った。


「ま、まって! 私も行く!」


 しかし、奏はちっとも私の事を待ってくれる様子は無かった。

 茜の事で、頭がいっぱいなんだ。


 どうしてこうなった?

 こんなはずじゃなかったのに。

 私は、唇を強く噛み締めて、溢れそうになる涙を必死に堪えた。





 あれ、私なにしてたんだっけ。


 確か、カフェで紅茶を飲んでて、それで……?


「痛っ……」


 体のあちこちに鋭く激しい痛みが走り、私は顔を歪ませる。


「あ、気がついたみたいです!」

「大丈夫ですか!? 私の声が聞こえますか?」


 2、3人くらいの隊服を来た男性に囲まれて、私は仰向けになっていた。

 隊員の一人が、端末で連絡を取る。


「意識が回復しました。脳震盪(のうしんとう)で一時的に意識を失っていた模様。頭部に目立った外傷はありませんが、体の数カ所に刺し傷、特に腕の損傷が激しいです」


 ——腕……?


 私はおもむろに腕の方へ視線を落とすと、大量の包帯が真っ赤に染まっている。

 痛みがじわじわと体を襲い、身動きが取れなかった。


「私、一体どうしたんですか?」

「君は、刃物を持った男に襲われたんだ。大丈夫、もう男は捕まったから、後は私達に任せて」



 ——刃物?



 頭が冴え渡って行くのを感じると共に、当時の記憶が蘇ってくる。

 そうだ、あの時、突然カフェに刃物を持った男が入ってきて、私と目が合って、それで、腕を……。


 腕って……?


 真っ赤に染まっている私の右腕。

 私の、利き腕……。


 その瞬間、私は痛みを忘れて、左手で隊員の腕を掴む。


「あのっ……! 私の右腕、どうなったんですか!?」

「お、落ち着いて下さい! 今、病院まで搬送します!」

「治りますか!? その、来月までにっ!」

「まずは病院で詳しく見てみない事には、私達にも分かりかねます……!」


 この右腕が無くちゃ、私、スパイクが、トスが、サーブが、セーブが……。


 ——バレーが、できない!


「茜!!」


 取り乱しそうになる私に、聞き覚えのある声が届く。


「奏……」


 奏は、痛々しい私の惨状を目の当たりにして、言葉を失う。


「……だ、誰が、こんな酷いことを……」


 私は力無い声で、奏に語りかける。


「ねぇ、奏、私の右腕、大丈夫だよね……?」


 奏はその瞬間、大きく目を見開く。


「来月、三年生最後の大会があるの。それまでに、治るよね……?」


 今にも泣き出しそうな悲しげな瞳で、奏は私の手を、両手でぎゅっと握る。


「大丈夫さ……! お前なら、必ず……!」

「そっ……か」


 奏のその言葉を聞くと、私の意識は遠のいていった。






 医師は言った。



 日常生活に支障は無いでしょう。

 ですが、バレー選手としては、今後厳しいです。

 一か月後の試合も、諦めた方が良いかと。





 私は、病室のベッドの上で体の至る所に包帯を巻いた体で、夕陽を眺めていた。


「茜、俺、もう帰るな?」

「うん、今日は色々ありがとう」

「気にすんな。じゃあな」


 丁度一人になりたかった。

 奏は、それを察して、自ら病室を出ていってくれたのだろう。


 私は携帯の端末を操作して、自分の送ったメールの文面を見る。


『怪しい男性なら、さっき目の前で警察の人達に連れて行かれてたよ! だから大丈夫! 奏には、私が外から向かってるって伝えておいて! 頑張ってよ!』


 こんな嘘つかずに、素直に二人の所に戻っていれば、こんな事には。


 ——そういえば、優香は? 告白は? 一体どうなったのか。


「……こんな状況で、告白できてる訳ないよね」


 やっぱり、優香の言う通り、戻ってれば良かったよ。

 そういえば、優香の姿も、連絡も一切無い。


 ——ごめんね、また今度機会を作るからさ。








「すっかり日が暮れちゃったな」


 あの後の茜の容態を知る為に、茜の搬送された病院を調べて、やっとの思いで到着した。

 奏は一緒に救急車に乗って行ってしまって、すっかり私は置いてけぼりにされてしまった。


「茜、大丈夫かな……」


 私は、心配で表情を曇らせる。

 病院へと、足を踏み入れようとすると、向こう側から、見慣れた男の人が歩いてくるのが見える。


 ——奏だ。


 私は、奏に声をかけようと駆け寄ろうとすると、どこか冷たい声色の奏の声が返ってきた。


「よく平気な顔してここに来れたな」

「え?」


 私は、予想外の奏の態度に困惑して立ち止まる。


「よくも嘘ついてくれたな」

「嘘って……あれは」


 あれは、私がついた嘘じゃない。茜が、私の為に……。

 私が奏の事が好きだから、茜は気を遣ってくれて……。

 言わなきゃいけないの? 今ここで? この状況で? 私は奏の事が好きだって、まるでついでのように告白しなきゃいけないの?

 そんなのやだよ。こんなはずじゃなかったのに。

 でも、言わなきゃ、私が嘘つきになっちゃう。


 ——奏に、嫌われちゃう。


「わ、私は——」

「あの時っ!!」


 聞いたことの無い奏の声に、私は体をビクつかせる。

 奏の顔は悲痛に歪み、目からはポタポタと涙が流れている。


「俺達が一緒ならっ……腕が、あんな事にならなかったかもしれないのに……っ!」


 両手で顔を包み隠し、膝から崩れるようにしてその場にしゃがみ込む。


「バレー始めてからの茜は、すっげぇ輝いてて、毎日楽しそうだった……」


 私は、瞬きすら忘れて、奏を見つめる。


「なんで、あいつがバレーやめなきゃいけないんだよ……っ!」


 その時、私は全てを理解した。


 奏は、誰の為に泣いている? 誰の為に苦しんでる?

 思えば、あの時の奏は、茜の事で頭がいっぱいで私の事なんて忘れていた。

 眼中に無かった。

 私が怪我したら、同じように悲しんでくれるのだろうか? 苦しんでくれるのだろうか?

 元々、学年一のイケメンの奏と、人気者の茜の間に、平凡で根暗な転校生が入る余地なんて無かったんだ。


 お似合いの二人だもん。

 

 奏は、茜が好きなんだ。



 奏は、ゆっくりと立ち上がって、私に向かって問いかける。


「なぁ、なんで……なんで、あの時、俺に嘘ついたんだ?」


 最初から間違えていたんだ。


 茜と出会った事も。


「茜があんな事にならなきゃいけない理由って、一体、なんだったんだ?」


 奏と出会った事も。


 奏の事を好きになった事も。


「答えろよ!!」


 茜に恋の相談をした事も。


 茜の助けを借りてしまった事も。


 ——ああ、もう、うんざりしたよ。


 ここで、私が、事情を全て話せば、奏は分かってくれるかもしれない。

 でも、茜が私の事を気遣ってくれましたって言うの?


 惨めじゃない? 私の好きな人は、茜の事が好きなのに。恋敵の助けを借りて、自分の身を守ろうとするの?


 ——もう、茜の助けなんて、いらない。







「奏が好きだから」



「……は?」



「私は、奏の事が好きだから。一緒にいる時間が欲しくて、嘘ついたの」


 奏は一瞬目を見開いて、そして、徐々に瞳を細め、眉間にシワを刻んだ。


「お前は、自分の気持ちの為に、友達を傷つけた最低なやつだよ」


 そして、奏は私とすれ違いざまにこう言った。


「もう二度と、俺と茜に近寄るな」


 私は、拳をぎゅっと結び。涙が出そうになるのを必死に堪えた。

 漏れ出した一筋の涙が、頬を伝って流れる。


 これでいいんだ。


 

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