宵闇に咲く六花

「ギャアア! ニンゲン……ドモ……」


 断末魔と、恨みの籠った台詞を吐き捨てると、ゴブリンは体中から淡い光の塊をゆっくりと放出し、徐々に消えていく。


「はぁ…はぁ…」


 辛くも四体相手に一人で勝利したラウルは、顔に汗をびっしょりとかいていた。


「すごい……」


 目を見開いて、思わず感嘆の声を漏らす。

 私の回復があったとはいえ、私を守りつつ四体の敵に勝利してしまうラウルは、戦闘に関してはかなりのセンスの持ち主なのかもしれない。

 そして、敵が全ていなくなった後、私の視界に陽気に文字が表示された。


『レベルアップ!』


 レベルアップ……か。


 私は、結局あの少量の回復を行う事だけで精一杯だった。なのに、レベルアップなんて。


「おめ」

「……おめ?」

「レベルアップおめでとうって意味だよ」


 そう言って、ラウルは大剣を納刀し、担ぎなおす。


「でも、私、ほとんど何もできてなくて」


 落ち込み、煌びやかに浮かび上がるレベルアップの文字を眺める。


「あのな。パーティ戦闘は基本的に役割ロールを重んじて行動するのがセオリーだ」

役割ロール?」


 ラウルは疲れからか、一度木陰に腰を下ろして話し始めた。


「……役割ってのがあるんだよ。敵の攻撃を引き付けて戦う盾役タンク 攻撃に徹する攻撃役アタッカーと色々あるが、その中で味方の回復に専念する回復役ヒーラーってのがある」

 

 私は、ラウルの言いたいことが良く分からず首を傾げる。その様子を見たラウルはため息を吐いて言った。


「だから、お前は今回、回復役ヒーラー役割ロールをこなしたって事だよ! 実際、剣士装備のお前のしょぼい回復でも、無かったらやられてた」

「ラウル……」

「だから、初戦闘が終わってそんな顔すんじゃねぇよ。気分悪い」


 私は、自分の事ばかり考えてた。

 ラウルの気持ちを考えれば、そりゃ、教えるからには楽しくゲームやってほしいに決まってる。それなのに、このゲームで一番の醍醐味である戦闘が終わって、辛い顔してたら、悲しいに決まっているじゃないか。


 ——ほんとに、優しいな。


「うん」


 私は、ラウルに向かって優しく微笑んで見せた。


「ふん」


 そう言って、照れくさそうにメニューを開いて操作を始めるラウル。


「そういえば、レベルアップしたら何かやることないんですか?」

「……そうだな。まずはメニューを開け」


 私も、木陰に腰を落として、メニューを開く。

 爽風が汗を気持ちよく冷やしてくれる。


 ——ありがとう、ラウル。







 どうやら、レベルアップしたらBFP《バトルフィジカルポイント》っていうのが、レベル1毎に30手に入るらしい。

 それらを十個のステータスに好きに割り振れる。


 【魔力】 MPの増加

 【攻撃】 与える物理ダメージの増加

 【防御】 受ける物理ダメージの減少

 【滅力】 破滅魔法の効果上昇

 【信仰】 女神魔法の効果上昇

 【精神】 受ける魔法ダメージの減少

 【筋力】 筋力の上昇 

 【敏捷】 運動能力の上昇

 【精度】 属性の追加効果の発生確率上昇

 

 と、ステータス毎に色々説明が乗っているが、イマイチ理解できない所ばかりだった。

説明が説明になっていないというか、そもそも私が知らなことが多すぎるのか。


「とりあえず攻撃にでも振っておけばいいじゃねぇか! 間違えは無いから!」


 という感じに、理解できず質問を繰り返す私に、ラウルが半ば投げやりにアドバイスをくれた。

 しかし、破滅魔法と女神魔法の違いについては教えてくれた。

 破滅魔法は攻撃、妨害系の魔法が多く。女神魔法は回復、補助系の魔法が多いとか。ちなみに、私が先ほど使った魔法は女神魔法のヒールライトという初級中の初級の回復魔法らしい。


 このゲームは珍しくHPを回復するアイテムが存在せず、回復手段は非戦闘中の自然治癒と、女神魔法による回復のみの為、剣士でも初級の女神魔法の術句くらいは覚えているとかなんとか。

 ちなみに、戦闘中で手に入ったアイテムは所持品で確認できる。


「頭パンクしそう。術句とか覚えられる気がしないです」

「ゲームシステムやらなんやらで覚える事いっぱいのお前が、膨大な数の術句まで覚える余裕はねぇだろうな。つまり、お前は近接物理アタッカーか遠隔物理アタッカーに選択肢が絞られてしまうわけだが」


 相変わらずのため息を吐いた後、ラウルは私の腰に差してある剣を一瞥して話し始める。


「剣が振れない剣士とか笑えない冗談だな。お前、剣にトラウマでもあるのか?」


 当然の質問だろう。剣を抜いただけであれだけ取り乱せば、誰だってそう思うはずだ。

 

「……そうですね。ちょっと怖い想いをした事があるというか」

「ったく、なんで武器に剣を選択したんだか」

「ごめんなさい……」


 正直、武器を買い替える持ち合わせはもう無い。しばらくは、さっきみたいなしょぼい回復でのサポートしかできないわけだ。

 私は、自分の情けなさに腹が立ち。拳をぎゅっと握る。


「不安要素はあるが、さっきみたいなヘマして多勢に囲まれなきゃ大丈夫だ。そろそろ次行くぞ」

「はい」


 私達は再び立ち上がり、森を歩き始めた。





 それからというもの、安定した戦闘が続いた。

 安定と言っても、ラウルはゴブリン二体程度じゃほぼダメージを受ける事無く倒し切ってしまう。結局、何もできないまま戦闘が終わる事が多かった。

 戦闘が終わり、悲しそうにメニューを操作する私の事を見るたびに、ラウルはその眉間にしわを深く刻む。


 きっと、私の気持ちを心配してくれてるんだ。ラウルは何も悪くない。悪いのは何もできない自分の弱さだ。

 これが終わったら、杖だけでも買って女神魔法主体に戦えるようにしよう……。そうすればきっと、もう少しは役立てるようになるはず。


 そう心に決めて、戦闘中の無力感と罪悪感を誤魔化していくのだった。


 気が付けば、辺りが茜色に染まり、周りも薄暗くなってきた。

 ふとメニューで時間を確認すると、夢想世界で17:55と表示されており、活力も残り21、行動力も34と少なくなってきている。


「もうすぐ日が暮れますね。そろそろ街に戻りますか?」


 私はそう提案すると、ラウルはメニューを操作しながら答えた。


「もうこんな時間か。待ってろ、すぐに街に戻れるアイテムがある」


 そう言って、ラウルはメニューを下へ下へとスクロールする。


「ん?」


 更に下へ下へとスクロールする。


「…………」

「どうしました?」


 ラウルにしては珍しく、青ざめた表情でメニューを動かす。

 私は、首を傾げてラウルの顔を覗き込んで言った。


「だから、どうかしたんですか?」

「切らしちまってた……ゲートの魔石」

「ゲートの魔石?」

「ゲートっていう女神魔法が込められたアイテムの事だ! それを使えば、すぐ街に戻れるんだが、くそっ……うっかりしてた……」


 なんだアイテムを忘れただけか。


 忘れ物をした程度でそこまで深刻な表情をしなくてもいいと思うのだが。ラウルはかなり焦ってる様子だ。なんだか様子がおかしい。


「私は全然歩きでも大丈夫ですが?」

「そう言う事じゃねぇんだ!」


 

 ラウルはメニューで急いで時間を確認した後、突然走り出す。


「説明してる余裕はねぇ!日が暮れる前——十八時を過ぎる前に街に帰るぞ!」

「えぇ!? 私達、結構森の奥まで来たんですよ!? 後四分も無いのに間に合う訳ないじゃないですか!」


 そう言って、私も慌ててラウルの後を追う。


「ああ、だろうな。だが、間に合わなきゃ恐らく……」


 何かを言いかけて、ラウルは黙る。


「なに!? 間に合わなきゃなんなんですか!?」


 鎧の音をガシャガシャ立てながら走るラウルと並走する私は、大声で質問する。

 

「……恐らく、死ぬ」

「は?」


 夜になると、何かが起こる。

 それが一体なんなのかは分からないが、死ぬだなんて。


「とりあえず、今は何も考えないで走れ!」

「わ……分かりました」


 そう言って、今にも消えてしまいそうな太陽の光に向かって、私達は森の中を疾駆する。





「はぁ……はぁ……やっぱり、間に合わねぇか」

「まだ街まで遠いですよ!」


 まだ私達が通ってきた道の半分にも至っていない。太陽が地平線に沈み、辺り一面が夜の闇に覆われ始めた。


 何が起こるの……?


「いいか! 走る速度を緩めるな!」


 辺りは完全に闇の中。森という事もあって、更に視界が悪い。

 その時、前方に見える地面が、モコモコと盛り上がり始める。しかも、一つでは無い。いくつも地面から何かが出てくるかのように、突起ができる。


「何あれ……」


 そして、その土の中から勢いよく土をまき散らしながら出てくる——白くて細長い何か。それはどうやら手のようで、土の中から、まるで生まれてくるかのように這い出て、その全容を露にする。

 それがなんなのか、ゲームをやらない私でも知っていた。


 ——骸骨……!


 白骨した人骨。カタカタと顎を鳴らし、まるで不気味に笑っているかのようだった。


「アンデッド……! 夜は、こいつらの世界だ……!」

「か、勘弁して……」


 私の顔は一気に青ざめる。ただでさえ。昼間のゴブリンでさえ恐ろしい見た目をしていたのに、現実世界での人間の恐怖の体現であるお化けまでが、夢想世界では存在し、襲ってくるなんて。


「ていうか、何て数……」


 しかも、一体どころではない。土から這い出てきたのは、ざっと見て十体以上。それらが、私達の方へ一斉に首をカクンと向けて、走り出してきた。


「ひぃいい!!」


 ——速い……! 追い付かれる……!


 私は胸を押し付けるような恐怖と焦燥感に支配される。


「スケルトン一体は、ゴブリンよりも知能は低く、戦闘力でも劣る! だが、厄介なのはその数と、いくら倒しても出てくる出現頻度だ! まともにやっても勝ち目なんてない!」

「なんで魔石とかいうやつ忘れちゃったんですか!?」

「うるせぇよ! 悪かったな!」


 街まではまだ距離がある。加えて、この骸骨の足の速さは私達よりも速い。


 逃げきれない!


 その時、ラウルは突然立ち止まり、まるで巨大な白い塊かの如く突進してくる骸骨達に向き直り、大剣を勢いよく抜刀する。


「ラウル!?」

「止まんな! 走れ! こうなっちまったのは、元はと言えば俺のせいだ! 少しでも多く食い止めてやる!」


 ラウルは戦闘において抜群のセンスの持ち主だろう。今までも、色々な死線を潜り抜けてきたに違いない。

 だが、今回ばかりは……。


「この世界で死んだって、通常の睡眠に戻って、朝に目覚めるだけだ」

「……そうなんですか?」

「ああ、だが、その日のログインはもうできないわけだから、時間のロスはいてぇけどな」


 この世界の死というのは、一時的に夢想世界を強制的に離脱させられるという事だったのだ。

 実際には死なない。そんな事は頭でなんとなくわかり切っていた……だけど、ラウルにはたくさんの恩がある。


 ——そんな人を見捨てて行ってしまうなんて……。


 しかし、ここで私が加勢に入って何かできるのか?

 剣も振れない役立たずが一人増えたって、結果が変わるわけじゃない。

 迷って目を泳がせ立ち止まる私に、ラウルは叫ぶ。


「行け!!」


 白い骸骨の群れは、もうすぐそこまで迫ってきている。 


 ——私は……私は……!






「ごめんなさい……」





 私は、ラウルに背を向けて走り出した。

 無力だ。何もできず、ただ逃げるだけの。



 ——臆病者。



 だって仕方ないじゃないか。実際に骸骨が動いて、群れを成してこちらに襲い掛かってくる恐怖なんて、計り知れたものじゃない。


 元はと言えば、ラウルが魔石を忘れたから。


 それに、私ができる事なんて、何も無い。


 いいんだよ。これで。



 私は、正しい。



「全く、呆れたわ」


 聞き覚えのある声。まるで、ピアノでも鳴らすような澄んだ声色。

 その声は、私の後ろから聞こえて、思わず振り返る。


「まだそうやって逃げ続けるのね」


 黒髪のショートボブを揺らした、見覚えのある人。青を基調にした美しいローブに身を包んだ姿はまるで別人だった。

 彼女は、骸骨の群れに向かってゆっくりと歩き始め、大剣を構えるラウルの前へ出る。


「誰だお前! どいてろ!」

「どくのはあなたよ」


 ラウルの腹を、その身の丈ほどある大きな杖でこづくと、「うおっ!」っと声をあげて、こちら側へ吹き飛ばされる。


「ラウル……!」

「くそっ……なんだあいつは! いきなり出てきやがって! お前の知り合いか!?」


 しかめっ面で私に問いかけるラウル。


「はい、多分」


 容姿は全く同じ、だが、纏う雰囲気は似てるようで全く違う彼女の姿に、同一人物なのか、疑ってしまう。

 骸骨の群れが目前に迫っている中、彼女は杖を勢いよく地面に突き立てる。

 すーっと大きく息を吐き、周りの空気が白い煙のようになって彼女の体に纏わりつく。


 ——これって、冷気……?


 すると、カチコチと音を立てながら彼女の足元は形成された氷塊で凍り付き、その体は真っ白な霜だらけになっていく。

 髪の黒色も失われ、透き通るような白色に変化し、瞳が青白く光る。

 その姿を見たラウルは、何かを思い出すかのように呟いた。


「あれは、まさか…」


 彼女は、はぁ……と白い息を吐き、ひしめく骸骨の群れを静かな眼差しで見据える。

 まるでその姿は、氷結を司る神のようだった。

 ラウルは、驚きで目を見開いて呟いた。


「IS《イメージスキル》……! プレイヤーの強い想いから発現する、固有の力……!」


 ——想いから、発現する……。


 ラウルは眉間にしわを寄せて、その光景を見つめる。

 彼女は、目前に迫る骸骨達の前で、静かに、ゆっくりと術句を唱え始める。


「破滅の力よ」


 光が足元に紋章を形成する。


「万物を凍てつかせる冷気となりて」


 溢れ出る冷気のエネルギーは冷たい風となって、彼女を中心に吹きすさぶ。


「我が前の敵を滅ぼせ」


 瞳の青色の光が一際強く輝いた次の瞬間。


「なっ……!」


 ラウルと私は言葉を失った。

 突如として訪れる静寂。


 なに……これ。


 一瞬だったのだ。

 高さ十メートルはあろう巨大な氷塊に、骸骨達を一体と残らず閉じ込めた。

 しゅーっと、白い湯気を立てて彼女が纏った氷は溶けていき、髪も元の黒さを取り戻した。

 ふぅっと息を吐き、私に向かって語り掛ける。


「私の名前はリッカ。こっち側のあなたの名前は?」


 その硬い頬を少し緩ませる——見慣れた立花 玲華の姿がそこにはあった。

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