赤甲冑の青年
森はただひたすらに静かだった。今、正にこの世界で、一つの命が失われそうになっているのにも関わらず、風のざわめきの鱗片すらも聞こえない。私は、冷酷なほどの静寂の中で、ただひたすらに自分の命の灯が消える刻を待っていた。
ギャリン!
重い金属的な衝撃音が冷めきった静寂の空間を穿つ。
「ギャア!」
咄嗟に顔を上げると、取り巻きの一体が悲痛な叫び声をあげ、砂利の上に転がっている。その胸には、青色に光る傷跡大きく刻み付けられている。私には何が起こったか刹那の内に理解できなかった。
そして、私を囲んでいた化け物の集団。その包囲網を外側から崩したのは、静寂を破った森に尚も響き渡る気合いの雄叫びと、銀色に輝く武骨な刀身だった。
「くぅるぅあああ!!」
包囲網を突破し、私の墓場になるはずだった地に割り込んできたのは、赤褐色の金属の鎧に身を包み、武骨で巨大な大剣を肩に担いだ青年の姿だった。
乱れてしまった茶色がかった短髪を片手で搔き上げた後、大剣を低い姿勢で背負い、短く息を吐き、私の方を睨みつけてこう言い放った。
「そいつは、俺の獲物だ……!」
そう言い放つと、大剣を肩で担ぎ、低い姿勢をとる。
そして、青年は両の腕で大剣を握り直し、右足を一歩踏み出す。
ギャリッ!
その踏み込みは、地面を深くえぐったかと思うと、砂利を激しく巻き上げ、とても同じ背丈のくらいある大剣を背負ったままとは思えない速さで、私の目の前の化け物に向かって突進する。
間一髪の所でその接近に気づいた化け物は、錆び付いた剣の刀身を前方に突き出して防御の姿勢を取る。
「おおお!!」
青年から発せられる気合と、その勢いのままに、巨大な剣を化け物の剣に叩きつける。
激しい轟音、火花、光、風。その衝撃で、静寂を保っていた木々が騒めき、私の髪は揺れる。
そのとてつもない衝撃を受けた緑の巨躯が空中に浮きあがり、後方の川に吹き飛ばされ、どぼんとその重みを感じさせる飛沫を上げる。
一連の光景を、私は口を開けたままぽかんと傍観していた。駆け寄ってきた茶髪の青年が私の姿を素早く一瞥すると、怪訝そうに眉を歪ませる。
「初心者……?」
その青年の声を聴いた瞬間に、私の心を縛り付けていた恐怖という鎖が緩んでいく。
すると、その静観を破った周りを囲む化け物の一体が、小さな剣を振り上げて男性に襲い掛かる。
青年は舌打ちをし、その大剣で化け物の剣を弾くと、がら空きになった胴体に、その長い足で勢いよく蹴りを入れる。「グエッア!」と、悲痛の叫びを上げて化け物は砂利の上に転がる。
「そんな装備で、なんでこんな所いんだ!?」
「え!?」
青年のその言葉の意味が分からなかったが、震える手足に鞭を撃ち、私は何とかその場に立ち上がろうとする。しかし、ふと化け物に突き刺された傷を思い出し、思わず胸を押さえる。
しかし、やはり痛みは感じない。おそるおそる手をのけて傷口を確認すると、胸の傷は淡い青色で光り、その傷口から僅かに細かいガラス片のような光を放出している。痛みを感じない身体、光る傷口。やはり、この身体は夢の世界を生きるための、仮初の体に過ぎないという事だ。
一連の私の様子を見ていた青年は、私の顔を覗き込む。
「胸を刺されて……」
その胸の光る傷口を青年に見せると、あふれ出るガラス片のような光を目で追いかけるなり、その表情を強張らせる。
「お前、その傷……致死判定の傷じゃねぇか」
「致死……って」
「ほっとけば、HPが減って死ぬ傷だ」
「死ぬって……!?」
青年の言葉でHPというバーを意識すると、半分以下に減り、黄色く変化したバーがほんの少しずつ減少していってる事に気づく。このHPというバーが意味するものは、私の生命力だという事に今初めて気づく。
「ここから街は遠くないだろ! 行けよ!」
青年は乱暴にそう言い放つと、前方に顔を向ける。先ほど川底に落ちた化け物が立ち上がり、黄色い眼を充血させ、怒りに燃えている。
「ニンゲン、ユルサナイ……!」
その言葉に呼応するように、取り巻き達は一斉にこちらに襲い掛かってくる。
「さっさと行けって!!」
そんな事言われても、街なんてどの方角にあるかも分からない。
「あの、街はどっちに……!?」
「お前、マジで何も知らないのかよ!」
そんな私達のやり取りを無視して、小さい化け物の一体が青年に向かって斬りかかる。
「邪魔だぁぁぁ!」
大剣を横に大きく薙ぎ払うと、取り巻きは地面に強く叩きつけられる。その取り巻きの首を鷲掴みにして、目の前の集団に投げつける。
——何この人……同じ人とは思えない。
どちらが化け物か分からないその乱暴な戦いぶりに、私は唖然とする。
「ちくしょ……せっかくエリアボスに遭遇できたってのに……」
青年は、悔恨の意を噛み殺すように私を睨みつけて言い放った。
「おい女ぁ!!」
「はいぃ!!」
その怒号で、私は思わず体をビクつかせる。
そして、青年は私に手を伸ばしてこう言った。
「ついてこい!」
その言葉を聞いた瞬間、ぐわっと視界が開けていく。
この人が助けてくれる……!
私は潤んだ瞳をぎゅっと瞑り、もう一度自分の瞳に生気を宿す。そうだ、まだ助かったわけじゃない。まずはこの包囲を突破しなくてはいけない。
そして、私は手を伸ばす。
「はい……!」
青年は迷いなく、その鎧小手に包んだ手で私の手を取り、包囲網の穴に向かって飛び出す。私は半ば引っ張られるかのように必死で足を動かす。
「ニンゲン、ニガスナ!」
化け物達はその声に呼応し、武器を私達めがけて投げつける。
「投擲……!?」
青年は私の体をぐいっと引っ張り、投げられたナイフから庇うようにして放り出す。そのまま大剣を抜こうと、柄に手をかけるが間に合わず、ナイフが青年の肩に突き刺さる。
「ぐっ……!」
すぐさま青年はナイフを肩から引き抜くと、傷口から青色の光が漏れた。
「ゴブリン共のくせに、面倒な事しやがって……!」
「だ、大丈夫ですか!?」
私の心配を他所に、また乱暴に私の手を取り走り出す。
「武器を失ってんだ。もうあいつらは追っては来ねぇよ」
「本当に?」
青年の言葉通り、遠くなっていく私達の背中をただ見つめているだけだった。
私はほっと胸を撫でおろす。
「まだ安心すんなよ。その傷を早く街で治さねぇと、お前は助からねぇ」
「そ、そうだった」
「後どれくらい残ってんだ?」
「3割くらい……」
「ふん、この分なら間に合うだろ」
青年はぶっきらぼうにそう言い放つと、大きくため息を吐いて言った。
「なんで、俺はこんな事してんだか……」
◇
森を抜けると、すぐ目の前に街があった。
「うわぁ……」
まるでタイムスリップでもしたかのような、中世ヨーロッパを彷彿とさせる石造りの街並み。
待ち行く人々は、みんな私と同じ全国のゲームプレイヤー。
離れている人を、こんなに近くに感じる事ができる技術に、何度も感動を覚えている私を他所に、早々に街の病院へと押し込まれた。
病院と言っても、診療所とも呼ぶにも小さい建物に医療器具の鱗片も見当たらない簡素な内装。
「その中に入れ」
青年が指をさしたのは、人ひとりが入れるくらいのカプセルのような機械。
得体が知れなさ過ぎて、私は不安を覚えて尻込みする。
「え、この中に?」
「いいから入れ! 時間ないって言ってんだろ!」
「わっぷ!」
青年は半ば、私を無理矢理カプセルの中に押し込めると、乱暴に扉を閉める。
「あの、痛くならないですか?」
「いいから黙ってろよ!」
青年は「全く、なんで俺がこんなやつの世話なんか……」などと、ぶつぶつ言いながら機械を操作する。
すると、カプセル内が淡く緑色に光り、私の体が暖かくなる。まるで、暖かい布団にでも包まれているように。
そして、視界の端のHPバーがみるみるうちに回復していく。
「なんか、近未来的な感じ……」
そして、プシュッと音を立ててカプセルが開く。目線を落とすと、胸の傷が跡形も無く消えていた。
私は、自分の体にどこも異常が無いか確認しながらゆっくりとカプセルから出た。
「もう、大丈夫なんですか?」
「ああ」
青年は相変わらずぶっきらぼうに答えると、私に背を向けて歩き出した。
「俺は忙しいんだ。それじゃあな」
「ま、まってください!」
「なんだよ! これ以上なんかしてやる義理はねぇぞ!」
私は、まだ青年に言えてない事がある。
「ありがとう……ございました。助けてくれて」
そう言うと、青年は少しの間の後、また私に背を向けた。
「俺が勝手にやっただけだ」
そう言って、また歩き出す。
「あ、あと!」
「なんだよ!」
青年は怒鳴りながらまたこちらに振り向く。
「ここ……どこですか?」
「は?」
青年はマヌケ面で口をポカーンと開けている。というよりも絶句しているのだろう。私が何も知らなさ過ぎて。
「お前、チュートリアルは?」
「チュートリアル?」
「ゲーム始めたらこの街の教会の広場から始まっただろ! その時に表示されたテキストをちゃんと読んだか!?」
「きょ、教会……? 広場……? テキストとか、分からないですよ」
「お前、ゲームで記憶喪失にでもなったのか?」
私は少し考える。
ゲームを始めた時は、森の中で目覚めて……それっきりだった。
「ほ、本当に何も知らなくて」
あまりに理不尽に怒鳴り続けられるものだから、少しいじけて人差し指同士をくっつける。
青年は訝し気に私の事を見つめた後、何かを思い出したかのように瞳孔を開く。
「まさか、お前……
「な、なんですかそれ」
そんな言葉に心当たりが無く、私は首を傾げる。
「ゲームを始めた時に、位置座標がずれて本来とは別の場所にログインしてしまうバグだよ」
バグは、ゲームの不具合の事のはずだ。玲華が言っていた気がする。
もしかして、私は運悪くそのバグの被害に……。
「私、ゲームを始めてたら森の中で、何も分からなくて、彷徨い続けてたら、あの緑の化け物達に……」
「新規の位置座標がずれると、チュートリアルが強制全スキップされるって事かよ……」
青年の言うチュートリアルとは、恐らくこのゲームのやり方を教えてくれる取り扱い説明書みたいなものだろう。
本来表示されるチュートリアルがバグの影響で表示されなくなった——という事だろうか。
「チュートリアルは、新規にとっては命綱みたいなもんだぞ。特に、このゲームなんか知らないだけ被るディスアドはでかい」
「でぃす……あど?」
「お前、これからどうするんだよ」
「ど、どうしたらいいですか……」
そんな情けない私の返答に、大きくため息を吐く青年。
仕方ないではないか、チュートリアルというものが表示されなかったのだから。
「来いよ」
「え?」
青年は背を向けたまま、ぶっきらぼうに言い放った。
「案内してやるから、来いって言ってんだよ!」
「で、でも忙しいんじゃ……」
「うるせぇ!」
なぜか怒鳴られて、私は青年の後をついていく。
「俺は、ラウル」
「え?」
「名前だよ! お前は!?」
そうか、まだ名乗ってなかったんだった。
こっちでは、設定したニックネームというもので名乗らなければいけない。
「私は、トワ……です」
なんとなく気恥ずかしくなって、声が小さくなる。しかし、青年は聞こえているのか聞こえていないのか、なんの反応を示さず私の前を歩く。
「ねぇ、ラウル……さん」
「さんはいらねぇ!」
「えっと、ラウル?」
「なんだよ!」
「良い人なんですか?」
この後、ラウルに出会って一番に怒鳴られたのは言うまでもない。
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