休日

「暇だ……」


 学校のない土曜日雲一つない晴天の下、僕はやることもなく近所の公園でボーっと空を見上げていた。


 こうして今僕は外にいるわけだけど、目的があって家を出たわけじゃない。今朝母さんがいきなり僕の部屋を掃除すると言い出して、半ば無理矢理追い出されたのだ。


 おかげで僕は行く宛もなく、一時間近く近所の子供たちがサッカーで遊んでいる公園の端のベンチで暇を持て余していた。


 チラリと公園に設置されている時計を見上げる。時計の針は、十時を少し過ぎた時間を指していた。母さんは午後になるまで帰ってくるなと言ってたから、まだかなり時間がある。


 せっかくの休日なのに家でダラダラすることもできず外に追い出されるなんて、本当に僕はついてない。


 元々僕はインドア派で、アウトドアは苦手だ。だから老人のように日向ぼっこをする以外にやることが思いつかない。このままだと、退屈で死んでしまいそうだ。


「あれ、西脇君?」


 不意に聞き慣れた声が耳に届く。まさかと思いながらも振り向くと、そこには僕のクラスメイトである星村さんが立っていた。


 ここは学校じゃないことと、制服を着てなかったせいで一瞬誰だか分からなかったけど、間違いなく星村さんだった。


 私服姿の星村さんを見るのは初めてのことだ。学校ではほぼ毎日顔を合わせているのに、着ているのが制服じゃないというだけで新鮮な感覚を覚えた。


「どうしてこんなところに……」


「それはこっちのセリフだよ。私は日課の犬の散歩で公園に寄ったの」


 見てみると、星村さんの足元には小さな犬がいた。その犬に装着された首輪から伸びた紐は、星村さんの手に収まっている。


 僕の視線が犬に集中しているのに気が付いたようで、星村さんは膝を折ると犬の紹介を始めた。


「可愛いでしょ? この子、ラルって言う名前なんだあ」


 星村さんが優しい手付きで犬のラルを撫でる。


 ラルの方も抵抗することなく星村さんの手を受け入れている。懐いてることが見ていてよく分かる光景だ。


「それで? 結局西脇君はこんな休日に公園で何をしてるの?」


「特に何かしてるわけじゃないよ。強いて言うなら……ボーっとしてるだけかな」


「何それ? もしかして西脇君、普段から休日はそんな過ごし方してるの? 変なの」


 何やら誤解を招いてしまったようだ。流石に僕も、休日の度にいつもこんなことをするほど暇じゃない。


「僕だって好きでボーっとしてるわけじゃないよ。母親に掃除の邪魔だからって家を追い出されて行く宛もないから、仕方なく家から近いこの公園で時間を潰してたんだ」


「へえ、西脇君って家この辺りなんだ。じゃあ私と一緒だね。私の家もこの公園の近くなんだ」


 犬の散歩コースにするくらいだから、星村さんの家が近くてもおかしくはない。


 今まで休日に会うことがなかったのは、僕が休日は家で静かに過ごしたいインドア派だったからだろう。


「けどまさか休日まで西脇君と会えるなんてね。何だかちょっと得した気分」


「得した気分って……僕は別に出会った人を幸運に導いたりはしないよ?」


 むしろ不幸を招く不吉なものの類だと思う。だって僕自身がかなりの不幸体質だから。


「あはは、そういう意味で言ったわけじゃないよ。ただ学校以外の場所で西脇君に会えたのが、私にとって嬉しいだけ」


「え……それってどういう――」


 意味なのか。そう続けようとしたけれど、結局言葉になることはなかった。


 なぜなら、何の前触れもなく公園の中央の方からボールが飛んできて僕の顔面に直撃してしまったからだ。


 直撃したボールが僕の脳を揺らし、ボールの勢いに抵抗できず背中から倒れてしまう。


 ほんの数日前も学校でボールを顔面に受けたばかりなのに、どうして一週間も経たずに同じような目に遭わなければいけないのか。


 そんな恨み言を胸中で漏らしながら、僕の意識は途切れた。






 ――何か後頭部に柔らかい感触がする。温かくて、クッションのように柔らかい、ずっと感じ続けていたい感触だ。これはいったい何だろう?


「う、ううん……」


 呻き声を上げながら、目を開く。


「あ、やっと起きた。西脇君、大丈夫?」


 まず最初に目に入ったのは、雲一つない青空――ではなく、僕の顔を覗き込んでくる星村さんの顔だった。


 不意に僕と星村さんの視線が絡む。星村さんの瞳に映る呆けた表情の僕の姿が、目に飛び込んできた。


 同時に、僕と星村さんの顔の距離がかなり近いことに気付く。ついで、


「…………!」


 あまりの距離の近さに、僕は慌てて飛び起きて距離を取った。


「な、何してるの、星村さん……!?」


「何って、西脇君の介抱をしてただけだよ」


「僕の介抱……?」


 普段と変わらない態度で答えた星村さんに、首を傾げる。


「そう、介抱。西脇君、公園で遊んでた子たちの蹴ったボールが顔に当たって気絶したんだよ。覚えてないの?」


「ボールを? ……あ」


 思い出した。話の途中でいきなりボールが飛んできて、僕の顔面にクリーンヒットしたんだった。


 思い出したら、顔がズキズキと痛くなってきた。幸いなことに鼻血は出てないけど、この前の体育の時以上に痛む。


 朝からこんな目に遭うなんて、今日も僕の不幸は通常運転みたいだ。さっさと家に帰りたい。


「ボールをぶつけた子たちが謝ってたよ。『お兄さん、ごめんなさい』って。だからあまり怒らないであげてね?」


「別に怒ってはないよ。それより、僕って何分くらい意識を失ってた?」


「大体三十分くらいかな? 気絶した時は驚いたけど、特にケガしてるわけじゃなかったから起きるのを待ってたんだ」


 三十分……結構長い時間気絶してたみたいだ。星村さんにも迷惑をかけちゃったみたいだし、謝っておこう。


「星村さんにも迷惑かけちゃったね。ごめん」


「別に謝らないでいいよ、私も放っておけなかったし。そんなことより西脇君、私の膝枕の感触はどうだった?」


「え……?」


 膝枕? 星村さんは何を言ってるんだろう? 僕は星村さんに膝枕された覚えなんてない。


 仮にその機会があったとしても、絶対に断る。だって女の子の膝枕なんて、死ぬほど恥ずかしいから。


「あれ、もしかして気付いてないの? 私、西脇君が起きるまでずっと膝枕してあげてたんだよ?」


 ……そういえば目を覚ました時、星村さんは僕を覗き込むような形で見ていた。あの時後頭部に感じたのはベンチ特有硬い感触ではなく、もっとこう、柔らかい何かだった。


 もしかして、あの時目を覚ます直前まで感じていた柔らかい感触は、星村さんの膝枕だった? いや、まさかそんなはずは……。


「私の膝枕に頭をグリグリ押し付けてたよね。そんなに私の膝枕は気持ち良かったの?」


「ぐふ……!」


 思わず、そんな珍妙な声が漏れてしまった。


 あ、あの感触の正体は星村さんの膝枕だったのか。……どうしよう、感触を思い出したら顔が熱くなってきた。穴があったら入りたい!


「な、何で膝枕なんかしたの? 僕、別に頼んでないんだけど」


「えー、酷い言い草だなあ。人が足が痺れるのを我慢して、三十分も膝枕してあげたのに。私、悲しくて泣いちゃうよ?」


「うぐ……」


 確かに今の言い方は酷かった。どんな形であれ星村さんは僕の介抱をしてくれたのだから、感謝こそすれど、文句を言うのは筋違いだ。


 けれどこんなニヤニヤとからかうような笑みを向けられると、こうなることが分かっていてわざと膝枕をしたのでは? と勘ぐりたくもなる。


「わざわざ膝枕するくらいなら、起こしてくれればいいのに……」


「あはは、ごめんね。でも西脇君、気持ち良さそうに寝てたから起こすなんて真似、私にはとてもじゃないけどできなかったよ」


 白々しい嘘を……。星村さんがそんな殊勝な心がけをするわけがない。ただ戸惑う僕を見て笑いたかっただけに決まってる。


「はあ……」


 まだ午前中だというのに、ドっと疲れた。どうして星村さんの相手をすると、ここまで疲れるんだろう?


「あれ? 西脇君、もう行っちゃうの?」


 黙々と立ち上がった僕に、星村さんは問いを投げる。


「うん」


 まだ十一時前だから家には戻れないけど、ここにいるよりはマシなはずだ。これ以上星村さんにイジられるのもごめんだし、早く公園を出よう。


「西脇君」


 星村さんが公園を出ようとする僕の名前を呼んだ。いったい何だろうと思いつつも、振り向く。


 星村さんは優しげに微笑んでから、閉じていた唇を開く。


「私、休日はいつもこの時間帯にラルの散歩をしてるの。だから、もし休日に私に会いたくなったら、今くらいの時間にこの公園で待っててくれれば会えるよ」


「そうなんだ。じゃあこれからは、この時間帯は公園には近寄らないようにするよ」


 休日まで星村さんに振り回されたら、僕の身体はもたない。今後休日は、この公園には近づかないようにしよう。


「えー、酷いなあ。私は学校以外の場所でも西脇君に会いたいと思ってるのに」


「……もしかして僕のこと、からかってる?」


 ついさっきも散々イジられたので、今の僕は少し疑心暗鬼になっている。だから、星村さんの言葉を素直に受け取ることができない。


 星村さんは不服そうに頬を膨らませる。不覚にも、リスのようでちょっと可愛いと思ってしまった。


「失礼な、からかってなんてないよ。私はただ、休日もこうして西脇君とお喋りがしたいだけ。……ダメかな?」


「……別にダメとは言ってないよ」


「そっか、なら良かった。じゃあ、私に会いたくなったらこの公園に来てね?」


 そう言って、星村さんは可愛らしく微笑んだ。


「…………」


 さっき休日のこの時間帯は公園に来ないと決めたばかりなのに、ちょっと心が揺らいだ自分を僕は恨めしく思うのだった。

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