ホットコーラ
いつも通りの学校の昼休み。教室を出た僕は食堂近くの自販機の前で、何を買うか悩んでいた。
今の季節は春。日を追うごとに少しずつ気温も上がっていく季節ではあるけど、今日はまだ冬の名残りがあり肌寒い。
だから僕は温かいものが飲みたいと思って、当初はホットココア目的で自販機に来たわけだけど、そこで僕は凄い発見をしてしまった。
何と自販機に期間限定の新フレーバーのジュースが並んでいたのだ。
期間限定の新フレーバー。いったいどんな味なのか、当然ながら気になる。できることなら飲んでみたい。
けれど今の僕の気分はココアだ。ココアで少し冷えた身体を温めたい。
両方飲むという手段もあるけど、二本飲むのは流石にキツいからできれば遠慮したい。
しかし新フレーバーは期間限定。今このタイミングを逃せば、次はないかもしれない。
となると、答えは一つしかない。……ココアは諦めよう。ココアはいつだって飲めるからね。今日はちょっと冒険することにしよう。
手が新フレーバージュースの方へ伸びそうになる。けれどそのタイミングで、はたと気付いてしまった。
常日頃不幸な僕に、新フレーバーのジュースを偶然見つけるなんて幸運、訪れるものだろうか。答えは否。
それによくよく考えてみれば、こういった時の僕の引きは最悪だ。どうせこの新フレーバーも味は外れに決まっている。それも相当の。
僕だって学習ぐらいする。以前好奇心から手を出してしまったシュールストレミング味を思い出すんだ!
あんな飲んだ後あまりのマズさに吹き出してのたうち回るなんて醜態、僕はもうごめんだ。
「……よし」
何とか思い留まる。まだ新フレーバーに後ろ髪引かれる思いはあるが、ここは我慢だ。
これから起こるはずだった不幸を回避できたので、勝ち誇った気分でお金を入れてホットココアを購入する。今日はいい気分だ。これなら、ホットココアもいつもより美味しく味わえそうだ。
――けれど、この時の僕は気付いていなかった。新フレーバーの方は、ただの囮でしかなかったということに。
「あつつ……」
火傷するほどではないが、それなりに熱い缶を制服の袖越しに掴む。そして、不幸という大きな壁を乗り越えたことで手にした戦利品を確認する。しかし、
「……コーラ?」
僕の手に収まっていたのは、ココアではなくコーラの缶だった。甘くて温かい飲み物のココアではなく、冷たくて強い炭酸が特徴のコーラの缶を僕は握っていた。
「…………」
自販機を確認してみる。……うん、やっぱり僕は間違えていない。コーラとココアのボタンの位置はかなり離れているから、間違えようもない。
いやそもそも、自販機でホットコーラを販売してるなんて聞いたこともない。
「……もしかして業者の人が間違えた?」
可能性として考えられるのはそれぐらいだ。もう一度ココアを購入してみれば真相は明らかになるだろうけど、僕はホットコーラなんて二本もいらない。
「……これ、どうしよう」
問題はこのホカホカのコーラだ。まさか飲まずに捨てるわけにもいかない。けどホットコーラなんて未知の飲み物、飲むのはちょっと怖い。
「にーしーわーきー君」
間延びした声で名前を呼ばれる。誰が呼んだのかは、すぐに分かった。
「星村さん……」
「自販機の前で難しい顔して、どうしたの?」
「……別に何でもないよ」
「えー、嘘だあ。絶対何かあったでしょ? 隠さないで教えてよ。ねえねえねえ」
グイグイと詰め寄ってくる星村さん。僕は元々押しに弱い人間だ。だからちょっと強引に来られただけで、簡単に口を割ってしまう。
「ぷくくく……ホ、ホットコーラって!」
そして僕の話を聞いた結果、星村さんは爆笑した。正直、メチャクチャ腹が立つ。
「それで、西脇君そのホットコーラは飲まないの?」
「一応飲むけど……」
「じゃあ早く飲んでみてよ」
なぜか星村さんが僕を急かす。
「ふふふ、西脇君がどんなリアクションをするのか楽しみだなあ」
星村さんの顔に、邪な笑みが浮かぶ。僕がこのホットコーラで苦しむ様を楽しみにしているんだろう。
「……別に星村さんが期待してるようなことにはならないと思うよ」
「それはどうかなあ?」
星村さんはニヤニヤと笑顔を絶やすことなく、僕を見つめる。
いつまでもこうしているわけにはいかないので、僕もさっさとこのホットコーラを飲むことにする。
まずはプルタブを開け、恐る恐る中の匂いを確認する。……うん、ちょっと強めの甘い匂いがするだけだ。恐れるほどのものじゃない。
「どう?」
「匂いは……まあ普通かな?」
少なくとも飲めないほどのものじゃない。あくまで匂いだけなら、の話ではあるけど。
僕は缶を恐る恐る口元に近づけ、そのまま一気にグイっと呷る。
「う……ッ」
思わず呻き声が上がる。それほどまでに温かいコーラというのは――マズかった。
分かっていたことではあったけど、酷い味だ。まさかコーラが温かいだけでここまでの味になるとは。コーラはたくさん砂糖を使ってると聞くけど、この甘ったるさなら納得だ。
温かいせいで爽快感のある炭酸は抜けて、ただただ甘いだけの飲み物。口の中が砂糖漬けになったようで、とても気分が悪い。
「西脇君、いい表情してるねえ。スマホがあったら写真が撮りたくなっちゃうよ」
星村さんの顔に浮かぶのは、ニマニマとした底意地の悪い笑み。何とも楽しそうな様子だ。
あれかな、他人の不幸は蜜の味というやつかな? 星村さんって本当に性格が悪いなあ。
「ねえ、どんな味だったの、そのコーラ?」
「ええと、温かくなったせいで炭酸が抜けててドロドロした甘さで口の中が甘ったるくなって……」
「……西脇君って説明下手だね」
「うぐ……」
自分でも分かっていたことだけに、指摘されるとぐうの音も出ない。
星村さんはやれやれと呆れたような素振りを見せた後、視線を手元の湯気を放つコーラに向ける。
「……ねえ西脇君、気になるから一口味見させて」
「え……」
僕が返事をする前に星村さんは僕のコーラを握っている手を取り、コーラの缶を傾けて中身を口に運んだ。
缶の口の部分に、星村さんの桜色の唇が触れていたのはほんの数秒の間。すぐさま星村さんの口は缶から離れる。
「うわ……何これ、甘ったるッ」
星村さんは露骨に顔を顰めた。人のものを勝手に飲んでおきながらその態度はどうかと思うけど、お世辞にも美味しいと言えないのは事実だから仕方ない。
って、いや今はそんなことよりも星村さんが僕口を付けたことの方が重要だ。これは所謂……間接キスというやつじゃないだろうか?
……どうしよう、意識した途端ドキドキしてきた。例え相手が常日頃不幸な僕を見て爆笑する星村さんであっても、一応は女の子だ。間接キスなんてされたら、ドキドキしてしまう。
流石に女の子が飲んだ後に再び口を付けられるほど、僕のハートは強くない。……となるとこれはもう、星村さんに押し付けるしかない。
「……あの星村さん、このコーラ――」
「じゃあ、私はもう行くね。また教室でね、西脇君」
僕がコーラを押し付ける前に、星村さんはさっとその場を離れてしまった。
後に残ったのは、コーラ片手に立ち尽くす僕だけだった。
……このコーラ、どうしよう。飲むのは躊躇われるけど、かといって捨てるのはもったいないし……。
この後僕は散々悩んだ末に苦肉の策として、コーラの缶を頭上から傾けて口を付けずに飲むという方法を取ることにした。
当然ながら不幸な僕はコーラが気管に入り盛大に吹き出したわけだけど、それはまた別のお話だ。
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