漫画
唐突ではあるけれど、僕には一つだけ趣味がある。それは漫画だ。
といっても、別にいくつもの種類を集めているわけじゃない。話題の漫画を何種類か集めてる程度だ。僕ぐらいの年なら、さして珍しい趣味というわけでもない。
ただ唯一問題があるとすれば、それは毎回僕のほしい漫画だけ、なぜかピンポイントで売り切れになるということだ。僕の不運は無駄に働き者なのだ。
何日も前から楽しみにしていた漫画が発売当日になって買えないというのは、結構悲しいものがある。
とはいえ、僕もバカじゃない。ちゃんと学習くらいする。今回は対策だってしておいた。それは……予約だ。
発売日の一週間ぐらい前から、取り置きしてもらえるよう書店の店員さんに予約をしておいたのだ。
予約しておけば、売り切れても僕の分がなくなる心配はない。これ以上ないくらい、完璧な作戦だ。これでもう二度と、発売日にほしい漫画が買えないという悲しみを味わわずに済む。
そんなわけで今日は朝から柄にもなく、ちょっとソワソワしていた。発売日に漫画が買えるなんて初めてのことだから、楽しみで仕方ない。
隣の席で星村さんが不気味そうな目で僕のことを見ていたけれど、それはどうでもいいことだ。
そんなこんなで迎えた放課後。僕は帰り支度を手早く済ませると、急ぎ足で学校を出た。目的地は、学校から徒歩十分ほどの場所にある駅前の書店。
早く買って読みたいという衝動に駆られ、駆け足で書店へと向かう。書店に着くと、そのままレジまで行く。そして、
「申し訳ございません、お客様!」
予約していた本を受け取ろうとレジの店員さんに予約の件を話したら、いきなり謝罪されてしまった。
深々と頭を下げて、申し訳なさがはっきりと伝わってくる見事な謝罪だ。とはいえ、僕には店員に謝罪されるような心当たりはない。
とりあえず店員の人には頭を上げさせて、話を聞いてみることにした。そして数分ほど店員の話を聞くことで、大体の事情は把握できた。
なんでも、店員さんが僕の予約分の漫画を間違えて販売してしまったらしい。当然ながら、通常の販売分は売り切れだ。
どうやら僕の不幸は本の予約程度ではものともしない、かなりの働き者みたいだ。たまには有給を取ってくれないだろうか。
正直予約までしたのに買えなかったのは残念だったけど、心のどこかでこうなることは何となく予想していた。
僕の不幸は、生半可なことじゃ覆せないものだ。予約なんて小賢しいマネが通用するはずがないことくらい、十六年以上の付き合いだから分かっていた。
「はあ……」
今日は楽しみにしていた漫画の発売日だったから、一日のモチベーションを保てていた。その漫画が買えなかったせいで、ドっと疲れが襲ってきた。
漫画が買えなかった以上、この書店にもう用はない。僕は重たい足取りで本屋を出ようとする。
「あれ、西脇君?」
「……星村さん」
しかし何の偶然か、レジに背を向けて歩き出そうとしたところで、星村さんとばったり出くわした。
「偶然だねえ。どうしたの、こんなところで? もしかして西脇君も、何か本を買いに来たの?」
「まあ、一応は……」
結局買えはしなかったけど……。
「もってことは、星村さんも本を買いに来たの?」
「うん。私の好きな漫画が今日発売日なんだ。なぜか毎回売り切れになってるから、今回は予約しておいたの」
「へえ、そうなんだ。というか、星村さんって漫画読むんだ」
「うん、そうだよ。変かな?」
「別にそんなことはないと思うけど……」
変だとまでは言わないけど、ちょっとだけ意外に感じた。まあ僕の勝手なイメージだけど。
このまま帰ろうと思っていたけど、星村さんがどんな漫画を買うのか少しだけ気になってしまった。
なので、星村さんがレジで予約したという本を購入ところを星村さんの右斜め後ろから、こっそり観察することにした。
星村さんが買ったのは、何と驚くことに僕が買う予定だった漫画だった。
「星村さん、その漫画読んでるんだ」
「うん、友達に勧められてね。面白いよね、この漫画」
会計を終えてレジを離れた星村さんは、そう答えた。
「もしかして、西脇君も読んでるの?」
「うん、まあ一応」
「へえ、そうなんだ。じゃあ西脇君も今日発売の最新刊を買ったんだね」
「あ、いや僕はその……」
星村さんの言葉に思わず口ごもる。
そんな僕の反応を見て何を思ったのか、星村さんは得意げな笑みを作った。
「あれ、もしかして買えなかったの? ダメだよ、西脇君。この漫画人気だから、予約でもしないと売り切れて買えないんだよ」
「うん、それは僕も知ってる。だから予約はしておいたんだ」
「え、ならどうして買えなかったの? 何かあったの?」
不思議そうに首を傾ける星村さん。まさか予約しておいて買えなかったなど、想像すらしてないだろう。
「ねえねえ、何があったの? 教えてよ、ねえねえ」
「何でそんなに興味津々なの?」
去年からの付き合いではあるけど、相変わらず彼女の考えてることはよく分からない。
僕としては、別に教えるのはいい。隠すほどの話でもないから。……ただなぜだろう。星村さんの声音が心なしか弾んでるように聞こえる。
まるで何か面白い話を期待してるように見えるのは、僕の気のせいだろうか?
「実は――」
キラキラと瞳を輝かせている星村さんに、僕は予約していた漫画が買えなかったことを話した。
話し終えると星村さんはあろうことか、大声を上げて笑い出した。ここはまだ店内で、他にも人がいるというのにお構いなしだ。
「わ、笑わないでよ、星村さん……」
「む、無理だよ。だって、予約までしたのに買えないなんて……ふふふ」
堪えきれないとばかりにお腹に両手を当てて、笑っている。目元には涙まで浮かんでいる始末だ。
しばらく笑った後、ようやく落ち着いたところで星村さんは口を開く。
「あーあ、笑った笑った。こんなに笑ったの、久し振りだよ。ありがとうね、西脇君」
「……別に星村さんを笑わせるために言ったわけじゃないんだけど」
こんなことなら言うんじゃなかったと、少し遅めの後悔をする。
「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ、西脇君。お詫びにこの漫画読ませてあげるからさ」
「え、いいの?」
まさかの星村さんの提案に、思わず食い気味で反応してしまう。
「うん、面白い話を聞かせてくれたからそのお礼にね」
これが棚ぼたというものか。今日は不幸な一日だと思っていたけど、そう悪い日とも言い切れないかもしれない。……まあ経緯については、ちょっと不満があるけど。
「場所はそうだなあ……駅前の広場なんてどうかな? あそこならベンチがあるから、座って読めるし」
「僕はそれでいいよ」
特に反論はないので、星村さんの提案に頷く。
今後の予定が決まったので、僕たちは早速書店を出て駅前広場に向かう。そして空いてるベンチを見つけ、二人で並んで座ったわけだけど……。
「ほ、星村さん……」
「んー? 何、西脇君?」
返事をしつつも、星村さんの視線は僕ではなく漫画に固定されている。今の彼女の意識の大半は、読んでいる漫画に向けられていた。
「ちょ、ちょっと近くない……?」
「えー、そうかなあ?」
星村さんは、可愛らしく小首を傾げる。
「でもこれくらいしないと、二人で一緒に読めないよ」
現在、僕と星村さんは二人で一冊の本を読んでいた。僕がページを捲る係をして、それを隣の星村さんが覗き込むような形で読んでいる。
おかげで今の僕と星村さんの距離は、肩がくっついてしまうほど近い。下手すると、互いの吐息がかかりそうな距離だ。
僕はてっきり星村さんが読んだ後に読ませてもらえると思っていたから、この距離の近さは想定外だ。
星村さんみたいな可愛い女子と、こんなに距離が近いのはマズい。思春期男子の心臓には悪いことこの上ない。
心臓がバクバクと脈を打つ。時折僕の頬を撫でる星村さんの柔らかい髪の感触がくすぐったくて、そしてそれ以上に星村さんは妙に甘くていい香りがして、頭がクラクラする。
自分が今どんな顔をしているのか、鏡を見るまでもなく容易に想像がついた。……星村さんは漫画に集中してるから、気付いてないよね?
「西脇君、どうしたの? 早く次のページ捲ってよ」
「あ……う、うん」
急かされて、慌てて星村さんの言う通りページを捲る。
本当は今すぐやめて距離を取りたいけど、これは星村さんは僕のことを思ってしてくれたこと。今更無下にするのは申し訳ない。
それに今の僕の状態を星村さんに知られたら、絶対にからかわれる。まず間違いないと断言できる。
普段からからかわれているのに、更に付け込まれるようなネタを作るのはごめんだ。
だから、ここは耐えるしかない。この天国のような地獄のような時間を。
――結論から言うと、僕は漫画のページを捲るだけの機械になってしまった。当然ながら漫画の方には全く集中できず、内容は全然覚えていない。
ちなみに、星村さんの方は顔色一つ変えることなく淡々と漫画を読んでいた。……解せぬ。
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