星村さんは、不幸な僕を笑う
エミヤ
不幸な少年
僕――
何をやらせても人並み。決して大きな失敗はしないけど、大したこともできないその他大勢だ。
そんなどこにでもいるようなモブの僕だが、一つだけ他とは大きく違うことがある。それは――とてつもなく不幸という点だ。
例を上げると、外を歩けば散歩中の犬に襲われ、そこら辺を歩いてる野良猫に顔を引っかかれるなんてことも珍しくない。本当に運が悪いと、鳥のフンが空から落ちてくることすらある。
雨の日には必ず車に泥を跳ねられ、着ている服を汚されることもある。おかげで僕は、雨の日は必ず替えの服を持ち歩くようになった。
他にも色々と不幸話には事欠かないが、あまりにも多すぎるので今回は割愛とする。
物心ついた頃から、僕は先程挙げたような不幸な目にばかり遭ってきた。幸いなことに人格が大きく歪むことはなかったが、少しばかり無気力の気がある性格になってしまったのは仕方のないことだろう。
これはとてつもなく不幸な少年の僕と、僕を楽しげに観察する
桜舞い散る季節。二年生に進級して移動した新しい教室で、僕は黙々と授業を受けていた。
先生の板書を解説を聞きながら、ノートに書き込んでいく。一年の時と全く同じことをしている。
進級したからといって、特に何か変わったということはない。精々、窓の外の景色が一年の時とは違うことぐらいだ。
「よし、じゃあこの問題は……西脇、前に来て解いてみなさい」
チョークを動かす手を止めた先生が少し思案するような仕草を見せた後、僕を名指しした。
「……はい」
短く返答したつつも、内心溜息を漏らす。
……まただ。また、名指しされてしまった。今日だけで、もう四回目だ。
ちなみに今受けてる授業は四限の数学。つまり、平均すると僕は一授業につき一回名指しされてるという計算だ。
これが日にちと一致する出席番号の人だからとかなら納得できるけど、今日は僕の出席番号の日じゃない。
だというのに、なぜか僕は四つの授業の担当の先生たち全員から指名された。もしかして先生たちで毎回僕を指名するよう、打ち合わせでもしてるのかと疑いたくなってしまうほどだ。
しかもこれは今日だけじゃない。僕は毎日一つの授業につき最低一回は先生に指名される。僕ってもしかして、先生たちに嫌われてるのかな? と疑いたくなるレベルだ。
こうして毎回指名されるから、ちゃんと答えられるようにと予習するクセまでできてしまった。
「はあ、不幸だ……」
ボソリとそんな泣き言を漏らしてしまう。
「どうした? 早く前に来て問題を解きなさい」
「あ、はい」
先生に急かされて、教壇に向かう。
そしてチョークを先生から受け取って、黒板に記された問題に取りかかる。予習していたから問題そのものは簡単に解けた。
先生からも「正解だ」と言われたので、僕はチョークを置いて席に戻った。
その後は特に何事もなく授業は進行する。流石に一度の授業で二回も指名はされることはなかった。
「――よし、今日の授業はここまでにしておく。最後に宿題としてプリントを配るから、次回までにやってくるように」
もう少しで授業が終了という頃になって発した先生の言葉に、クラスメイトたちは露骨に嫌そうな声を出した。当然ながら、僕も声には出さないけど宿題は面倒だと感じた。
けれど、先生はそんなのお構いなしでプリントを配り始めた。それぞれの列の一番前の席の生徒に渡していく。
僕の席は窓際の一番後ろなので、プリントが回ってくるの一番遅い。だから、僕の手元にプリントが来るのが遅いのは仕方のないことなんだけど……。
「プリントが回ってこない……」
周りの生徒たちはみんなプリントをもらっているのに、僕の分だけがない。もしかして前の席の方で止まってるのかと思って、一つ前の席のクラスメイトに訊ねてみる。すると、
「あ、悪い西脇。お前の分だけ、プリント足りないみたいだ。先生に言ってもらってくれ」
という答えが返ってきた。どうやら先生が渡す枚数を間違えみたいだ。
僕だけプリントを受け取れてない。些細なことではあるけど、立派な不幸だ。一つ一つは大したことなくても、こういうのも積み重なると結構辛いものがある。
まあ今回のは先生に言えばいいだけ。授業が終わる前に早く言ってしまおう。
「あの、先生――」
僕は教壇前にいる先生に届くような大きな声で、先生に呼びかけようとした。けれどその瞬間、まるで狙ったかのようなタイミングで授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「お、もう時間か。それじゃあ、今日の授業は終わりだ。宿題は次の授業までにやってこい」
チャイムのせいで僕の声は遮られ、先生は僕の声気付くことなく教室を去ってしまった。
「…………」
前言撤回だ。今のは結構な不幸だ。まさかプリントをもらおうと口を開いたら、チャイムの音に邪魔されて先生は僕の話を聞く前にいなくなってしまうとは……。
「ふふふ」
ガクリと肩を落としていると、隣の席からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
声のした方を振り向くと、そこには一人の女子生徒が席に着いていた。僕のことを見ながら、口元に手を当ててクスクスと笑っている。
腰に届くほどの長さの艶のある黒髪。透き通るような白い肌。そして大きな瞳。それが僕を前に笑っている女子生徒を構成する要素の全てだ。
そんな美少女と言ってもいい女子生徒が、僕の視線に気が付くと笑うのをやめて口を開く。
「相変わらず西脇君って運が悪いね。ずっと見てたけど、思わず笑っちゃったよ」
「…………」
彼女の名前は
彼女はクラス内カースト上位の人間で、僕とは月とスッポンぐらいの差があるのに、なぜ話しかけてくるのか。実は一年の時からの密かな疑問だったりする。
「星村さん。悪いけど僕、今から先生のところに行かなくちゃだから……」
「これなーんだ?」
星村さんは不意に見せびらかすように、一枚の紙を僕の眼前に持ってくる。その紙が先程先生が配っていた宿題のプリントだった。
「実はさっき配られた時、一枚余っちゃったんだよねえ。私は二枚持ってても仕方ないし……これ、どうしよっかなあ?」
星村さんはニヤニヤと、底意地の悪さが見え隠れする笑みを浮かべる。
星村さんに関して、まだ説明していないことがあった。それは性格の悪さだ。彼女はいつも不幸な目に遭う僕を見て、楽しげに笑う。
他人の不幸は蜜の味というやつなのだろうか? 笑われる側からすれば、たまったものではない。
「ねえ西脇君、このプリントほしい?」
「……ほしいって言ったらくれるの?」
「うーん、どうしよっかなあ? 西脇君が誠意を見せてくれたら、考えてあげてもいいけど」
うん、まあそんなことだとは思っていたよ。星村さんが素直にくれるとは、最初から思っていなかった。
どうせいつものように僕をからかうだけからかって、結局プリントは渡してくれないだろう。そう結論付けて、僕は席を立つ。
「じゃあいいよ。先生のところに行ってもらってくるから」
廊下に出ようと僕は歩き出す。けれど星村さんが僕の制服の袖を掴み、待ったをかけた。
「ふふふ、ごめんごめん。冗談だよ。余分に持ってても意味ないし、このプリントは西脇君にあげるよ」
そう言って、星村さんは僕にプリントを差し出す。先程まで意地悪をしてきたのに、いったいどういう風の吹き回しだろう。……何か裏でもあるのかな?
「どうしたの? プリント、いらないの?」
「も、もらうよ。ええと、その……ありがとう」
どうしていきなり渡す気になったんだろうとか、渡すなら意地悪しないで最初から渡してほしいとか、言いたいことは色々ある。
けど一応助かったわけなので、素直にお礼は言っておくことにした。
「ふふふ、どういたしまして」
僕の感謝の言葉に、星村さんは柔らかく微笑むのだった。
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