3-2




*****



 アルバートの宣言通り、リタが外に出られたのは進水式当日だった。

 その日は朝早くから起こされ、アルバートが呼び寄せた専門のスタッフの手によって、はなやかに化けさせられた。

 ロレンツィ家から走らせてきた黒りの車は、人混みから少しはなれた位置でまる。

 青空を映す海もおだやかなもので、にぎやかなことが好きなカルディア島民はセレーノ港に大勢集まってきている。商売のチャンスとばかりに屋台や大道芸人たちが人々を活気づかせ、港の周囲は花やテープで飾り付けられていた。

 先に降りたアルバートが車内のリタに手を差し出した。その手をぎこちなく取り、アルバートにエスコートされる形で車から降りる。

 周囲の視線がいっせいにこちらに向けられるのを感じた。

(う、わ、すごく見られてる……!)

 かんぺきぞろえを着こなした美青年アルバートの登場に、着飾った婦人も、遠巻きにしていた市民たちもうっとりとしたためいきらしている。

 その横をおずおずと歩くリタのよそおいは、海風ではためかない、張りのあるしっかりとした生地のドレス。ラピスラズリをかしたようなぐんじょう色に、白いジャケットがコントラストを織りなしている。アクセサリーはドレスに良くえるパール。すべてアルバートが用意したものだ。足元はかかとの低いくつなので助かった。

 足元を見ないで、顔を上げて、顎を引いて。

 微笑みをかべようとしたところで、こうの目や、みするような視線とかち合ってしまう。リタの身なりや振るいは、そのままアルバートの評価に直結するのだということが良くわかった。

「見て、黄金瞳オーロだわ。わたし、はじめて見た……」

「あの子はだれなの?」

 視線やささやきを感じるたびにリタの身体は縮こまる。悪意はないのだとわかっていても、人に見られることは苦手で、そのたびに息をめてしまう。

 そんなリタを、アルバートは人々に見せつけるようにき寄せ、いとおしげに笑いかけてきた。

「顔を上げて。みんながきみを見てる」

 アルバートは堂々たるもので、若い女性たちに向かって手を振った。うつむきそうになるリタの耳元でアルバートが囁く。

「服を着たじゃがいもだとでも思えばいい」

(……じゃがいもって……)

 ずいぶんひどい言い草だ。アルバートを見てきょうせいを上げている女性たちは、まさかこんなふうに思われているなんて知らないだろう。

 文句のひとつも言いたかったが、今日は公式な場だからスケッチブックは無しだ、と言われてしまったのでリタは手ぶらだ。だまってアルバートの隣にいるしかない。


 波止場はとばの手前にはロープが張られ、その先は武骨なコンクリートをおおうように赤いカー ペットがかれていた。を並べたひん席がしつらえられており、いっぱんの見物客とはここで区切られる。

 船を乗せた船台は波止場にくっつくように設置されていて、間近で見る大型船は、せんを下にかたむける形で固定されていた。一番良く見えるのはこの貴賓席だが、離れた船着き場やにもものさんな見物客がいるのが見える。

「アルバート様、ご足労いただきありがとうございます」

 背の高いちょびひげしんあいよくむかえてくれた。

 彼がミレーナの父親・マルツィーニ氏だ。隣には赤いドレスで着飾ったミレーナが、アルバートのげんを窺うようにうわづかいで立っている。

「今日はお招きありがとう。ミレーナ、そのドレス、とてもよく似合っているよ」

「あ、ありがとうございます、アルバート様……。リタさんもとてもてきですね」

 ぎくしゃくした様子のミレーナに、父親のマルツィーニは大げさに笑ってみせた。

「申し訳ない。ついにアルバート様がお相手を決められたと聞いて、むすめはずいぶんがっかりしているのですよ。私も娘から聞いておどろきましたが……、いやはや、黄金瞳のお嬢さんを見つけてこられるなんて、カルディア島民としてほこらしい。ご婚約おめでとうございます」

「どうもありがとう。ミレーナ嬢でしたら、お相手ならきっと引く手あまたでしょう」

「はは。いや、どうでしょうね。見合いなどはすすめているのですが……」

 複雑な顔をしているミレーナの横で、マルツィーニが「ところで」と切り出す。

「もしよろしければ、セレモニーにご婚約者の方の手を貸していただけないでしょうか。ぜひとも黄金瞳のお嬢さんに、シャンパンのロープをお願いしたいのですが」

「シャンパンのロープはミレーナ嬢のお役目では?」

 アルバートがミレーナに視線を移す。

 ミレーナが何かを言う前に、マルツィーニが彼女のかたたたいた。

「うちの娘は何度もやってきていますからいいんですよ! せっかくですし、ご婚約者のおねていかがです?」

「そう? そうだね、難しくないし、リタにやってもらおうかな」

 リタにはなんのことだかわからないが、そのことをミレーナはあまり快く思っていないらしいことはわかる。

(いいのかな……)

 ミレーナが不機嫌なことに、アルバートもマルツィーニも気がついているはずだ。

 けれど、「黄金瞳の方が島民も喜ぶ」と二人は決めてしまい、ミレーナを置いて船へと案内された。

 きょだいな客船は何本もの太いロープや留め具で複雑に固定されており、これらを手順通りに外し、すべてのロープが切られると、海へ続く板をすべちる仕組みになっているそう だ。

 ぴんと張られた別のロープにはシャンパンのびんくくり付けられていて、切り離すと、振り子の要領で船体にぶつかるようになっている。海へのささげものとして、こうしてさかびんを割って送り出すのが船出を祝う習わしらしい。

 リタに任されたのはこのシャンパンのロープ。女性でも簡単に切れる細いロープだ。

(合図に合わせてロープを切るだけならできそう)

 たしかに、難しくない。

 大丈夫だとうなずけば、マルツィーニはほっとしたような顔を見せた。

「よかった。黄金瞳の方が船出を祝ってくれるなんて、式が盛り上がりそうです」

 では後ほど、と別れ、出番が来るまでアルバートと共に席にもどる。ミレーナの姿はどこかへ消えていた。

 

 貴賓席にはせんぱく会社の人間や、アルバート同様に出資者、関係者が並び、たくさんの人があいさつをするために声をかけてきた。

 挨拶はほとんど同じことのかえしだ。

 アルバートがリタを婚約者だとしょうかいし、相手は驚いてみせ、そしてリタのひとみめそやす。

 リタはひかえめに微笑んでいるだけで、隣のアルバートが二人のめを適当に話した。

 ネザリエでつかまっていたところをアルバートが助けて、こいに落ちた――アルバートのおもわく通り、黄金瞳のせいでなんだかドラマチックなストーリーのように受け取られる。金のやり取りやなまぐさじゅうげき戦のことなんておくびにも出さない。

 無事に助けてもらってよかったわねえ、と婦人に微笑みかけられてちょっぴり顔が引きつった。カルディア島にいる人たちにとっては、ロレンツィ家はめいを重んじる、尊敬し、すべき存在であり、反対にネザリエにいるギャング団はけんすべき存在だというにんしきのようだ。

 多くの人は祝いの言葉を述べてくれたものの、すべての人がリタを快く受け入れてくれるわけではなかった。

「ずいぶん急なことですな」

 挨拶が一段落したところで声をけてきたとしかさの男性は、値踏みするようにリタを見た。

 がらだが眼光のするどい紳士だ。

 アルバートは両手を広げ、親しい相手を迎えるように応じてみせる。

「恋とはとつぜん落ちるものなんだよ、ポルヴェ。あなたにも祝ってもらえると思っていたのだけど」

 のらりくらりとしたアルバートの受け答えにも男性は表情をくずさない。トップハットを取り、おくすることなくアルバートにたいする。

「いくら黄金瞳だからといっても、うしだてのないお嬢さんでは、アルバート様のお力になれないんじゃないかね」

「そんなことはありませんよ。リタはじゅうぶん僕の力になってくれています。屋敷に帰って、愛しい人が待っていてくれるというだけで支えになるものです」

 恋だとか、愛しいだとか……、そんなこと思ってないくせに。

 しれっとした顔で、思ってもいないことをよどみなく口にできるアルバートに、リタはいっそ感心してしまった。

「情熱的ですな。若き日のベルナルド様にそっくりだ。……あの方も、ある日突然リヴィア様をともなって戻られた」

「…………き父に似ていると言われる日が来るなんて、光栄です」

 アルバートはみを深くしたが、その目は笑っていないように見えた。

 ポルヴェと呼ばれた男性も、好意的な意味でアルバートの父親の名前を出したわけではないようだ。冷たい目でリタをいちべつした後、アルバートの方に視線を戻す。

「私は、リヴィア様との仲は反対でした。あの方はロレンツィ家の妻に相応ふさわしくなかった。あなたも、そのことでずいぶんとかいな思いをされたのですから、素性の知れぬ女性を迎え入れることにていこうがないわけではないのです」

 素性の知れぬ女性、と言われてどきりとする。それに、不愉快な思いって?

(この人は、わたしのことを良く思っていない……?)

 アルバートは男性の言葉を鼻で笑い飛ばした。

「ポルヴェ。いつからロレンツィ家はそんなにこうしょうな家になったんだ? 僕たちはマフィアだ。しいと思ったものは手に入れる。父もそうだったんだろう。……それに、リタは母とは違う」

 言葉を切ったアルバートはリタの手を取る。

 婚約指輪を嵌められた手に軽く口づけられてもリタは大人しくしていた。

「彼女はしんらいに足る人間だよ。かしこく、ていしゅくで、秘密を守れる子だ」

「……そうあってもらいたいものです」

 表面上はにこやかなのに、アルバートの声ははらんでいる。

 ポルヴェがリタのことを良く思っていないかもしれないからではなく、アルバートは両親の話に踏み込まれたくないようだった。

 リタもロレンツィ家にたいざいするようになって不思議に思っていた。

 父親は亡くなっていると聞いたが、アルバートの母親はどうしているのか。屋敷で見かけることはなかった。他の親族がどこにいるのかもよくわからない。

(……聞けば教えてくれるのかもしれないけれど……)

 なんとなく、アルバートからは「家族」のにおいがあまりしない。無条件に愛され、わいがられてきたような青年だとは思えないのだ。

 ポルヴェと対峙するアルバートの肩が、……どくに見えて。

 リタは知らないうちに前に歩み出ていた。

「何か?」

 げんな顔の老人を前に、すっと背筋をばし、一礼。

 ろうに厳しく仕込まれたしゅくじょの礼だ。ようでできるものではない。

 そして顔を上げ、堂々と微笑んでみせる。


――アルバートが選んだ相手はわたしだ。わたしに文句があるのか、と言わんばかりの、マフィアの妻らしいふてぶてしい笑みを。


 突然おもてに立とうとした少女にポルヴェは驚いていたし、リタも自分の行動に驚いた。

(ど、どうしてわたし、こんなことをしてるの)

 まるでアルバートをかばっているような行動だ。背中をあせがだらりと伝う。

(だって、アルバートが、一人で戦っているように見えたから)

 処世術にけたアルバートは、リタよりもずっと大人びて見えていたが――彼はまだ二十一歳だとマーサから聞いていた。その若さで背負う重責や孤独をかいたような気がして、周りに望まれる姿を演じるアルバートを助けたいなんて思ってしまった。アルバートが望むような姿を演じてやろう、と身体が勝手に動いてしまったのだ。

(余計なお世話だった? 何してるんだろうって思われてる?)

 自分のとった意味不明の行動に混乱して。

 固まるリタに、アルバートのいきが聞こえた。  

 くすくすと笑みを漏らして、リタの身体を軽く抱き寄せる。

「……ね、ポルヴェ。きみのいやから僕を守ろうとしてくれるなんて、いじらしいと思わないかい? ロレンツィ家にとって、最高の花嫁だよ」

 アルバートのこわやわらかいものに戻っている。

 ポルヴェに対するこうげき的な態度はなりをひそめ、婚約者をまんするような、甘い視線で見つめられたリタはどうようを顔に出さないようにするのに必死だった。

 ポルヴェからしたら、子どもみたいに幼いリタが、マフィアの妻らしく振る舞おうといっしょうけんめい背伸びしているようにしか見えないだろう。

ずかしい。馬鹿みたい。アルバートにしてみたら、お飾りの妻としか思われていないはずなのに、何、がんってるんだろう……)

 だがポルヴェはそんなリタの態度に満足そうだった。

「……そのようですな。素性の分からない相手などと、失礼なことを申し上げました。あなたのたんりょくは見所がありそうです。どうぞ、アルバート様を支えてくださいますよう」

 とげとげしさがうそのようにリタとアルバートに向かって頭を下げる。

「こちらこそ、相談もなく勝手に話を進めてしまって悪かったね。古くからロレンツィ家を気にかけて下さるあなたを、ないがしろにしたわけじゃない」

 びを口にしたアルバートに、ポルヴェは、これ以上の口出しはすいだと言わんばかりにぼうを頭にのせ、去っていった。

 リタの頭上で笑い声が漏れる。

 ポルヴェの去った方を見ながら、アルバートが肩をらして笑っていた。

「ふふ。あのじいさん、意外ときみみたいなけななタイプに弱いのかもね? 僕のために一生懸命頑張ってくれてうれしいよ、リタ」

(……あの人がいなくなったたん、このふてぶてしい態度……)

 さびしい人なのかも、と同情してしまった気持ちを返してほしい。

 自分の行動をこうかいしたリタの耳元で、アルバートは小さく「ありがとう」とつぶやいた。視線は合わせないアルバートの顔は――やっぱりどこか寂しそうで。

(ずるい、……そんな寂しそうな顔)

 本当は弱い部分もある人で、悪ぶっているのはしばなんじゃないかと思いたくなってしまう。

 家族とうまくいかない寂しさならリタにもわかる。

 ……それとも、弱気な態度はリタの同情をさそうため?


 どちらが本当のアルバートなのかわからず、疑う気持ちと信じたい気持ちの間でリタの心は揺れた。

 

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今宵、ロレンツィ家で甘美なる忠誠を 恋のはじまりは銃声から 深見アキ/ビーズログ文庫 @bslog

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