3 反旗

3-1

(こんなに立派なしきで、れいな服で、温かいご飯が食べられるだけで……幸せなこと、なのよね?)


 小さくちぎったパンを口に運びながら、リタは何度も自分にそう言い聞かせた。

 一階にある食堂は、リネンのクロスがかけられた細長いテーブルが三列並んでいるだけの素っ気ない空間だ。奥の階段を降りたところに調理場があり、おのおのそこで食事をもらい、 特に決まりのない席で勝手に食べる。全員そろって食事をすることはめっにない、と初日にマーサが教えてくれた。生活リズムがバラバラだからなんだそうだ。

 リタは極力、はしの方、目立たない席を選んだ。周りをうかがうようにして口を動かす。

 ねむたそうな顔で朝食を食べてベッドに向かう者もいれば、エスプレッソ片手に新聞に目を通している者もいる。そうして食べ終えた食器は自分で下げて出ていく。

 ――リタは、ここでは空気のようなものだった。

 構成員たちはリタをじゃけんにはしないが、積極的に関わってくることもない。遠巻きにされている。わざわざ近づいてくる者はいない。

 進水式までは屋敷で大人しくしているようにとアルバートから言われ、出歩くこともできず、することもなく……結局、これまでと何も変わらない暮らしだ。生活の水準は上がったものの、ひっそりと暮らすような生き方はまるで変わっていない。

 リタと同年代の青年たちがいそがしそうに走り回っている様子を見ると、働きもせずにのんびりしているのが申し訳ないようなごこの悪さを感じてしまう。

(こんなので、いいのかな。ただ、屋敷に置いてもらっているだけで、なんにもしていないなんて……)

 チョコレート色の手すりを伝って二階に上がる。うつむきがちにろうを曲がったところで、リタの身体からだしょうげきと共にひっくり返った。

(ひゃあっ!)

 物音ひとつ立てずに歩いていたせいで、走ってきた構成員に思いきりぶつかってしまったようだ。リタも相手も勢いよくしりもちをつく。

「いってえな! 前見て歩けよな!」

 られてリタはびくつく。

 えりもとのボタンをいくつも開け、ジャラジャラとアクセサリーをのぞかせた構成員は、短気な若者といったふうぼうこわそうだ。

 しかし、ぶつかったのがリタだと気づいた構成員の方が青くなった。

「あっ、す、すみませんでしたっ。だいじょうですか?」

(……ごめんなさい、わたしがぼうっとしてたからだわ……!)

 差し出された手を借りて立ち上がろうとすると、ビリッと布がける音がした。

(ビリッ?)

 うすを何枚も重ねてふんわりさせたロングスカートのすそが裂けた。スカートをヒールでんづけたまま、急いで立ち上がろうとしたせいだ。

 上等な服×き慣れないヒール×どんくさいリタの相乗効果のせいで、構成員の顔は真っ青である。こしを折って頭を下げてきた。

「も、もももうしわけありません!」

(え、いや、悪いのはわたしで……)

 リタなんかにどうしてこんなに低姿勢をとってくるのだろう。不思議に思ったが、リタはこの屋敷ではアルバートのこんやく者として周知されているのだ。

(わたしがアルバートに告げ口をするって思っているのかも)

 そんなことしないが、構成員からしてみればリタのじょうなんか知らないのだからきょを置かれて当然だ。

「と、とりあえず、これっ!」

 スーツの上着をいだ構成員が、リタの足元をかくすようにわたしてくる。

(えっと、下の方だし、隠さなくても平気……それに、破れたのはわたしが踏んづけたせいだし)

 と、急いでスケッチブックに書こうとしたところで、運悪くアルバートが通りかかった。構成員の男性は顔をこわらせる。

「ひえっ、アルバート様っ……」

「……何してるの?」

 リタと構成員を見比べながら、感情のにじまない声でたずねてくる。

「申し訳ありません、俺がぶつかってしまって、おじょうさんの服が破れてしまいました! べんしょうします!」

 構成員の男性は勢いよく頭を下げた。

 アルバートは彼らからどう思われているんだろう。構成員のあわてぶりを見ると、独裁者か支配者並みに怖いのか、とでも思ってしまう。 

 自分が悪いのに、他の人に謝らせてしまっていることにリタは慌てた。 《待って、わたしが悪いの。この人は悪くない》

「いやっ、俺が悪いんです」

ちがうわ、前を見ていなかったのはわたしだし》

 押しもんどうにアルバートは首をった。

「……もういいよ。急いでいるんだろう、早く行きなよ。リタは僕が部屋まで送ろう」

「すっ、すみません……」

(あっ、待って、これ……)

 スーツの上着をリタに渡したまま、構成員はすっ飛んでいってしまう。見るとそでぐちのボタンが取れかかっていた。

「……僕から返しておくよ。貸して」

《あの、めいわくをかけてしまったから、わたしから返すわ。それに、ボタンがはずれかかっているし》

 って返そうと思ったのに、アルバートはい顔をしなかった。

「リタ。僕はきみに雑用をさせるために買ったわけじゃない。縫い物なんか自分でやらせればいい。きみがそんなことする必要はないだろう」

《じゃあ、わたしは何をすればいいの?》

「何もしなくていい。……と思ったけれど、きみは少し歩く練習をした方がいいね。足元ばかり見ないで。顔を上げて、あごを引いて。堂々とほほんで、僕のとなりを歩くんだ」

 今までの生き方と真逆の歩き方を指示される。

「それからこれを渡しておくよ」

 アルバートが上着のポケットから小箱を取り出した。

 ぱかんとふたを開けると、一つぶの宝石がついた指輪がクッションにさっている。

 とうめい度が高く、光を取り入れてにじいろかがやく小さな石はダイヤモンド。アルバートに連れ られて入ったほうしょく店でも、ガラスのショウケースに入って保管されていたしろものだ。左手を取られて、薬指に指輪をめられる。

 婚約指輪をおくられるしゅんかんというのは、こんなに味気ないものなのだろうか。指にぴったりはまったおおぎょうなダイヤを見てもなんのかんがいかない。

「これできみはどこからどう見ても僕の婚約者だ。……進水式では、堂々とした態度でたのむよ」

(進水式……。進水式が終わったら、わたしはどうなるんだろう? アルバートとけっこん ……するの……?)

 今みたいに軽々と指輪をあたえられたみたいに、いつの間にかウエディングドレスを着せられて、教会で愛でもちかわされるのか。自分の人生がこれからどうなっていくのか、まるで想像もつかない。

 アルバートは「不自由のない生活」を送らせてくれるとここに来たときに言ってくれたが、自由に暮らしてもいいとは一言も言っていない。リタを部屋まで送り届け、テーブルに指輪が入っていた小箱を置くと、「それじゃあ」とさっさと出て行こうとする。

(ま、待って!)

 だから、リタにしては勇気を出してアルバートを引きとめた。

 スーツの裾を引っ張ったリタに、アルバートは「何?」と小首をかしげてみせる。

《進水式が終わったら、わたし、外に出てもいいの?》

「外に出かけたいの? そうだなあ、とりあえず、先のことはこれから考えていこう」

《ダメってこと?》

「ダメじゃないよ。ただ、きみの身の安全を守るためには、屋敷にいてもらった方がいい時期もある」

 もっともらしい口調で話されるが、外に出てもいいとは決して言わない。

 結局、ボタンが取れかけていたスーツは、アルバートが持って行ってしまった。閉められたとびらの前でリタはくす。

(……閉じ込められてるみたい)

 部屋にかぎはないはずなのに、ここから出られないようなへいそく感を覚える。

(アルバートはわたしに外に出てほしくないんだ。……ふらふら出歩いて、問題を起こされたら困るから? それとも、おかざりの婚約者だって知られたくないから?)

 はなよめになるという話を受け入れたときより、今の方が何倍も不安だった。

(わたしは、このままでいいの……?)


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