2-4



かた田舎いなかの小さな村。リタの生まれ故郷は人の出入りの少ない寒村だった。

 

――リタちゃんの目、へんなの!

 

――のろわれた目だ!

 

おれのかあちゃんが言ってたぞ!

 

 両の目の色が違う人間はこの世に少なからず存在する。それでも、小さな村で、人と見た目が違うリタはの目で見られることが多かった。

 特に子どもたちからは「こわい」「きもちわるい」「へんなの」と言葉を投げつけられ、すぐに仲間外れにされた。悪口を言われたり、指をさされて笑われるのが怖くて、そのうちに家に閉じこもりがちになった。

 外は意地悪な人ばかりだ。家から出なくてもいいんだよ。

 父と母は優しかったが、その優しさはものさわるかのようなものだった。

 優しい言葉は両親のためでもあったのだろう。リタをまわりの目から隠すように、無理をして外に出なくてもいいと何度も言われた。

 

――珍しい子どもは高く売れる。

 

――お金持ちに買われたほうがその子も幸せに違いない。

 

 おせっかいな村人がリタを売ってしまえばどうかと持ちかけているのを聞いてしまったこともある。黄金瞳なんて言葉は田舎では知られていなかったが、オッドアイというだけでも価値がつくのだろう。きょうだいのいたリタの家ではあとりの心配もなく、引きこもりの娘がいなくなれば、そのぶん暮らしも楽になる。

 

母は泣いていた。

 

父は黙っていた。

 

 貧しい家で家計にゆうがないこともわかっていたリタは、自分が売られてしまうだろうということを察した。だから。


 家から逃げ出した。


子どもの足で歩ける距離は限られている。通りをけ、木々がしげる山道へと足を進めた。すぐに父や母が探しに来てくれるのではないかと信じていたのだ。

 わたしはいらない子じゃないと言って欲しかった。

 心配して迎えに来て、抱きしめて欲しくて。わざとらしく持ち物を落とし、何度も何度も足を止めて振り返って。気がつけば、どこをどう歩いてきたのか山道で迷子になった。

 

……だれも、迎えには来てくれない。

 

 夜になって、怖くて泣いた。

 いつの間にか泣きながら眠ってしまって、自分をらす雨で目が覚めた。再びふらふらとさ迷い、空腹とろうちからきてばったりとたおれてしまう。

(きっと、このまましぬんだ)

 そう思って地面に突っしていると、「きたない子だね」と冷たくしわがれた声が掛かった。

「あんた、どこの子だい」

 年代もののショールを巻いたろうに首根っこを摑まれ、無理矢理立たせられる。深いしわが刻まれたいかめしい顔は、絵本の中の意地悪なじょのようだと思った。

「どこから来たんだって聞いてるんだよ」

 摑まれたままがくがくとさぶられる。ずいぶんと乱暴な老婆だ。

 引きこもっていたリタにとって、こんなふうに𠮟しかりつけるような口調で問いただされたことなどない。本能的に、なおに言わねば怒られると感じてリタは口を開いた。

「……っ、ぁ……」

 しかし、口から出たのは、かわいたいきだけ。

(声が、出ない)

 喉が張りついてしまったように動かない。

 ひゅうっと鳴る喉を押さえて、リタはぼうぜんとした。

「なんだい、口がきけないのかい?」

 相変わらず厳しい口調の老婆に、リタは頷く。

 老婆は深い溜息をつくと、ついてきなと背を向けた。ついていくべきか迷ったが、「早くおし!」とピシャリとられ、思わず飛び上がってしまう。

 近くに古びた家があり、そこが彼女の家らしかった。山のしゃめんと一体化しているような 建物にはつた蔓延はびこっていて、まさしく魔女の家といった風貌ふうぼうだ。

 あとに続いて中に入ると、外から見るよりもせまく感じた。あちこちに本がぎっしりと詰め込まれ、びたアクセサリーやれっしたドレスが目に入る。

 リタは湯を張ったバスタブに放り込まれると、老婆の手でザブザブと洗われた。せんたくでもされているようだ。やめて、と言いたかったが相変わらず声は出ない。汗もどろも涙も、荒っぽく洗い流される。

 タオルでごしごしとこすられ、適当なシュミーズを着せられると、老婆はパンとスープを準備してくれた。空腹だったリタは素直に食事に手を伸ばす。

 乱暴でそっけないが、悪い人ではないらしい。

 彼女は「帰る場所はあるのか」と聞き、リタはなやんだ末に首を振った。

(帰っても、わたしの居場所はない)

 わたしは、わたしのために逃げたのだ。

「優しい父と母」をこわさないために。「いらない子ども」だと思われないために。

 老婆は特に何も聞いてはこなかった。そうかい、と短くつぶやき、スープのおかわりをよそってくれた。


 その日から、少女と老婆のみょうな同居生活が始まった。


 老婆の家はかなり変わった作りをしていた。

 外から見るよりも中は狭い。物が多いせいかと思ったが、クローゼットの奥に隠し部屋があるせいだった。その隠し部屋がリタのどことしてあてがわれた。

 はじめはどうしてこんなところに押し込められるのか不思議だったが、その疑問はすぐに解決することになった。

「よォ、ババア。まだ生きてたんだな」

 役人だと言われなければわからない、チンピラくずれのような男たちが税金の取り立てにやってくるのだ。きんりんの町は税の取り立てにずいぶんと厳しいらしく、建物の広さや家族の人数に応じて高額なはらいを命じられる。場合によっては女や子どもは人買いに連れていかれることもあるそうだ。

 役人が来た気配を感じ取ると、リタは隠し部屋で息をひそめてやり過ごす。

 彼らは冷やかしでやってくるような時もあり、勝手に家の中に入っては金になりそうな物はないか物色するのだ。役人たちからすれば、色のせた古いドレスや、さびだらけの品を大切にとっている老婆は、過去のえいに必死にしがみつくあわれな老人にしか見えないのだろう。

「今月の金なら払っただろう! とっとと帰んな!」

「落ちぶれたババアが生意気だな。こんなボロ家、ぶっ壊してやってもいいんだぞ!」

「そうしたら、あんたたちは金のちょうしゅう先がひとつなくなる。あたしゃ、いつされたって構わないけど、しぼり取る相手がいないと困るんじゃないのかい!」

 厳しい口調で老婆がなじると、男たちはつばきながら出ていく。

 がたん。ばたん。どたん。当てつけのように物を落としたり、荒っぽく扉を閉める音が聞こえなくなると、リタはどきどきする心臓をおさえて息を吐く。

(見つかったら、わたしは、売られてしまうの?)

 そんな未来を想像して怖くなる。

 隠し部屋には、他にも多くのものが隠されていた。

 取っ手の欠けたティーポットの中にはせいな模様がられたカメオが。変色した古い箱の中にはなめらかな絹のハンカチが。分厚い本のページをくり抜いて作られたスペースにはルビーの指輪がしまってある。

 この家に大量にあるそうしょく品や小物は、一見するとどれもガラクタにしか見えないが、 価値のあるものはそれとわからないように隠しているのだ。それらを少しずつ質に入れることで金を手にしている。

 老婆はどこか遠いところのお金持ちのお嬢様で、若い時に家がぼつらくし、食べる物にも困り、命からがら逃げのびるはめになったのだという。

 かつては華やかでりんとしたれいじょうだったに違いない。

 長い年月の中で失われてしまった美と栄華を振り返りはしても、決して過去をおとしめたり、 悲しみにいしれたりしない人だった。


「あんた、読み書きはできるのかい?」

 

 ある日、そう問われて首を振った。

 子ども用の簡単な絵本くらいしか読んだことはない。

 老婆は、くせのある字でリタに文字を教え、本を読むようにと言った。

 読み書きができるようになると、老婆の名前がオリガということを知った。聖人と同じ名前なのね、と聖書のページを指すと「そんな大層な人間じゃない」と嫌そうな顔をされた。


「違う、魚のナイフはその隣だよ!」

 ある日はテーブルマナーの訓練を受けた。

 部屋の奥から銀食器を引っ張り出したオリガは、テーブルで厳しく指導した。

 安い食材をそれなりの料理に見立て、ナイフとフォークをまともにあつかえなかったリタは、 美しい所作を叩き込まれることになった。


「もっとずっと北に行くと大きな国があるんだ。ここから西や南には島国がある」

 ある日は地図の読み方を教えられた。

 リタのいるところは小さな小さな町で、世界はもっとずっと広かった。  広い世界には、目の色が違う子だって、肌の色が違う人間だっているんだ。

 ろくに外には出られなかったが、退たいくつしているひまはないくらい学ぶことは多かった。


《どうして、わたしに色々なことを教えてくれるの?》

 そうたずねると「あんたが一人で生きていくのに困らないために決まってるだろう!」と言われた。あたしゃ、あんたが大人になるまで生きてないだろうよ、と。

「リタ、あんたのあきらめた顔を見てると、昔の自分を見ているようで腹が立つ。生きることをあきらめるんじゃない! 居場所ができたらしがみついてでも守れるような女になりな!」

 厳しい言葉は、過去の自分に伝えたい言葉だったのだろうか。

 

 そうして、春の花が散るのと同じ頃、オリガは死んだ。

 けんにぎゅっと皺を寄せた怖い顔のまま、眠るようにして息を引き取った。

 オリガの亡骸なきがらを庭にめ、ほんの少しの荷物と、彼女から与えられた知識を握りしめて、リタは外の世界へ飛び出したのだ。

 ここにいたらいずれは役人に見つかり、売られてしまうかもしれない。

 その前に、自分の居場所を見つけないといけない。そう思って。

 ……しかし、結局リタは人買いにつかまってしまった。荷馬車に放り込まれ、治安の悪いネザリエまで雑に運ばれ、――そして今、カルディア島にいる。




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