2-3

 華やかな中心街を抜け、十分ほどでロレンツィ家の屋敷に着いた。

 しきは背の高いへいでぐるりと囲われ、門をくぐっても車を走らせないとげんかんにはつかない。手入れの行き届いた庭を抜けると、三階建てのはくごうていがリタを迎えた。

(ここがロレンツィ家……)

 想像していたよりもずっと大きい。

 何も知らずに連れてこられたら、ゆいしょある貴族の屋敷としか思わないだろう。

 車は玄関に横づけされ、運転手がリタの側に回り込んでとびらを開けてくれた。

「おかえりなさい。あらまあ、リタ! すっかり見違えたわ!」  

中から出てきたマーサが嬉しそうな顔をしてくれた。くったくのない笑顔に、車の中でり詰めていた神経がゆるむ。

「リタのお部屋の準備も終わってますわ」

「ありがとう。屋敷の案内はマーサに任せてもいいかな」

「ええ、お任せくださいな」

 アルバートはこのまま出かけるらしい。

 リタを降ろすと、車は再び街の方へ出ていった。

「さ、リタ。ついてきてちょうだい」

 胸をたたいたマーサに続いて屋敷に足を踏み入れる。

 き抜けの玄関ホールにはシャンデリアがぶら下がり、高価そうな絵画や調度品があちこちに置いてあった。

(うわあ……!)

 マフィアの屋敷だということが頭から吹き飛び、思わずらしい調度品に見入ってしまう。

 ここがサロン、ここが応接室、と次々に案内される部屋は、派手さはないもののクラシックな内装が落ち着きと上品さを感じさせる。きっと、何代にも渡って使われてきた屋敷なのだろう。年代物のせんさいな細工が施されたランプを見ながらそう思う。

 屋敷自体はマフィアらしくない。

 と言っても何が「マフィアらしい」のか分からないが、少なくとも武器を手にした男たちがたむろしていたり、かべじゅうだんがめり込んでいたりというふんはなさそうだ。

 リタに与えられた部屋は、二階の角部屋だった。

 ベッドに、作りつけのクローゼット、ドレッサー、テーブルセットなど、必要なものはすべてそろっている。どれもぬくもりのある白木の家具で統一されていて、淡いミントグリーンの壁紙が目に優しい。

「女の子の部屋なのに、ちょっと地味かしらね? あとで花柄のカーテンでも持ってこさせるわ」

(ううん、そんな、とんでもない) 

 リタは慌てて首を振った。

 こんなに立派な部屋を与えてもらえるだけでありがたい。それに……。

(閉じ込められたりするわけじゃないのね)

 車の中でのアルバートの口ぶりから、部屋から出してもらえないのではないかというねんもあった。しかし、窓にてつごうもはまっていないし、部屋にかぎもついていない。

 同じ階にある書庫も自由に使っていいと言われていた。

「一階の食堂やサロンは使ってもらって構わないけど、奥の応接室や大広間は仕事の人間も出入りするから、勝手に立ち入らないように気をつけてね」

 リタは頷く。妻だとか婚約者だとか言われても、リタは彼らの仲間ではないのだから、踏み込んではいけない領域なのだろう。

「それから、お医者さんを呼んであるの。あなたののどてもらいましょう」

《お医者さん?》

「ええ。念のため、診てもらったほうが安心するでしょう? 呼んでおくようにってアルバート様がおっしゃったのよ」

 ロレンツィ家に医師はじょうちゅうしておらず、や病気の時はセレーノの街から呼んでくるのだそうだ。 マーサと共に一階に降り、しんりょう室として使っているという部屋に案内された。

「先生、お待たせしました」

 中にいた医師は、出されたお茶を飲んでいるところだった。くつろいだ態度から一転、リタをひと目見るなり、椅子から勢いよく立ち上がる。

「お、おおおおっ !? 」

(な、何っ)

 リタに詰め寄り、肩をがしりと摑む。

 驚くリタの瞳を、医師は食い入るように見つめた。

「黄金瞳! ほ、本物の? あの、歴史上の!」

「ええ、本物ですわ。落ち着いてください、先生」

「落ち着けません! だって黄金瞳ですよ!」

「先生」

 穏やかに言うマーサだが、リタに危害が加えられようものならすぐにげいげきできるように エプロンのポケットの中で銃を握りしめている。 そんなことなど知らない医師は、リタの顔とマーサを見比べた。

「え? いったい、どうしてここに !? 」

「ネザリエにいたところをアルバート様が助けた・・・んですよ。いずれ、アルバート様とごけっこんされる予定ですわ」

 アルバートと結婚、と聞いたところで医師はリタから手を離した。

 ひょろりとした身体に丸眼鏡、白衣ではなく、コットンシャツにカーゴパンツという軽装の医師はステファノと名乗った。四十代くらいで助手は連れていない。

「ネザリエ? あんな治安の悪いところに住んでたのかい?」  

 リタは首を振る。

 だが、スケッチブックを出す前にステファノは質問を続けた。

「どこに住んでいたの? あなたのご両親も黄金瞳? ……違う? じゃあ、おじいさんやおばあさん? しんせきは? 他にはいなかったの?」  

 ばやに質問される。

 戸惑っているとステファノの目からどっとなみだあふれた。

(えっ?)

 こんわく顔のリタを前にして、かんきわまったかのようにおいおいと泣き出してしまう。

「素晴らしい! 生きているうちに黄金瞳に会えるなんて……。私はね、黄金瞳の研究をずっとしていたんだ! この世界のどこかに生き残っていやしないかと淡い期待をいだいていたのだが、まさか、こんなめぐり合わせがあるなんて!」

 涙を拭ったハンカチで、ステファノは自身の眼鏡もごしごしいた。そうして覗き込むようにじいいいいっと見られ、リタは身体をのけぞらせてしまう。

「なんて美しい……。まるではくを切り取ったみたいな黄金色! こうさいの部分は少し青みがかっているんだね。ふうぅむ、左右で光の感じ方は違うのかな? 見え方は? この瞳 はもう遺伝しないのだろうか」

 一人で喋り続けるステファノを、マーサが手を叩いて現実に戻した。

「ステファノ先生、リタが困ってますわ」

 はっと我に返ったステファノが頭をく。

「ああっ、これは失礼しました」

しんさつの方をお願いしますわね」

 ……アルバートと街を歩いていた時も興味深そうにリタの瞳を見ていく人はたくさんいたが、こんなにねっきょう的な人ははじめてだ。

 ステファノの目はキラキラ……というよりも、むしろギラギラとしていて、み嫌われるのとはまた違ったごこの悪さを感じてしまう。

 かんじんの喉はというと、目立った異常もなく、病気や怪我もなさそうだと診断された。

「話せないのは、おそらくは心因性のものでしょう。ストレスや、心理的にショックなことがあった時に話せなくなってしまうことがあるんです。医学的にはしつせいしょうというんですが……、何か心当たりはありますか?」

 カルテにペンを走らせながらステファノが問う。

 リタの場合は話せなくなってもう六年だ。

 唇を引き結んだリタに、ステファノは重ねて問うことはしなかった。

「……まあ、気長に行きましょう。心と身体をよく休めて、元気を出すのが一番の薬ですよ」

 リタの痩せた手足を見て、同情するような顔をされる。

「そうね。リタはこの島に来たばかりだもの。まずはここでの暮らしに慣れてもらわなく っちゃね」

「ええ。それに、喉に問題があるわけではありませんから……。訓練を重ねていけば、きっとまた話せるようになりますよ」

「まあ! 話せるようになるかもしれないんですね! 良かったわね、リタ」

(また、話せるようになる……?)

 マーサがリタの代わりに何度も頷いてくれたが、リタは……、リタは話せないことがつうになってきてしまっていたので、今さら嬉しいとかがんろうという気持ちはいてこなかった。

「定期的に様子を見させてもらいましょう」

 ステファノの言葉にあいまいな頷きを返す。

 医師の顔の時は理性的だったが、カルテを閉じたステファノはもじもじとリタを見つめてきた。

「……それで、あの、もし良ければ、黄金瞳について調べさせてもらったりとかって……」

 話を聞きたい・調べたい・観察したい、という研究者特有の瞳は、ぐすぎてこわい。リタは顔を引きつらせて視線をらした。

「診察のついででいいんです。そうだなあ……、三日に一度くらいのペースで……」

「あら、そんなにひんぱんに診察が必要なんですか?   アルバート様に報告しなくては」

「あっ、いえ、そ、そういうわけでは」

 診察にかこつけて黄金瞳を見たいらしいステファノは、やましい気持ちをてきされたかのように慌てて手を振る。

 頻繁なおうしん案は、結局、マーサによってきゃっされた。アルバートの許可が下りないと 言われれば、ステファノも引き下がるしかないのだろう。

「ステファノ先生。あきらめてくださいな」

 がっくり肩を落とすステファノには申し訳なかったが、リタにとってこの瞳は、あまりいい思い出はない。故郷や家族のことをあれこれ聞かれるのも嫌だと思っていたので、マーサが断ってくれてほっとしてしまった。 (そう考えると、アルバートやマーサは、わたしに故郷のことを何も聞いてこないのね)

 単純に興味がないのかもしれないし、ネザリエで売られるくらいなのだから察しているのか。あるいはすでに調べてあるからなのかもしれない。

(……家に帰りたくないのか、って言われないことに安心する)

 帰る場所がないことを思い出すのはつらいから。

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