2-2

(うう、……つかれた……)

 

 ひとり、ベンチに座ったリタはあいわらいで強張った顔をほぐす。

 アルバートは「ちょっと待ってて」と広場にリタを置いてどこかへ行ってしまったのだ。解放された途端に疲れがどっとやってくる。

 いしだたみいた広場の中心には大きなふんすいがあった。その周りで子どもたちが楽しそう な声を上げてはしゃいでいる。子どもたちはリタのことを気に留めていないようだったが、点在しているベンチに座る人々がリタを見ているような気がして――リタの自意識過剰なのかもしれないけど――落ち着かなくて、足が痛いふりをして下を向いた。

(わたし、これからここでやっていけるのかな……)

 たくさん歩いたせいで、踵が少し赤くなっている。

 ふう、とためいきをつくと、

「――ちょっと、あなたっ!」

 いきなりとげとげしい声をかけられて驚いた。

 顔を上げると、柔らかそうなハニーブロンドの少女がこちらに向かって歩いてくるところだった。リタと同じくらいの年頃としごろのように見えるが、華奢きゃしゃな踵の高い靴を完璧かんぺききこなしている。

「あなたねぇ、あらっ……? えっ、黄金瞳…… !? 」   

 リタの瞳の色に、毒気をかれたようにいっしゅんたじろぐ。が、すぐに気を取り直したかのようにまゆを吊り上げた。

「あなた、アルバート様とどういうご関係?」

 鼻息あらく詰め寄られてまどった。

「私、見てたのよ。あなたがアルバート様に肩を抱かれてお店から出てきたところ。ずいぶん親しいみたいね」

(……ええと)

 この子は、アルバートの恋人? 長いまつに縁取られた大きな瞳で、みするようにリタを見ている。

 リタがいつまでもだまっているのでげんそうだった。アルバートに手帳を借りておくべきだったな、とリタは困ってしまう。

(どうしよう。アルバート、早く帰ってこないかな)

 アルバートの姿を探して辺りを見渡すが、彼女からしてみたらリタが無視をしているようにしか思えないらしい。一言も発しない態度に、むっとしたように顔をしかめた。

「ちょっと、馬鹿にしているの? 黙ってないでなんとか言いなさいよ」  詰め寄った少女がリタの肩を摑む。どうしよう、おこっているし、でもどうしていいかわからないし……。

 下を向くリタの耳に、コツ、コツ、と踵を鳴らす音が聞こえた。

 みがき抜かれたストレートチップの革靴かわぐつが石畳をむ音。

「――お待たせ、リタ」

 顔を上げると、何食わぬ顔でアルバートがこちらにもどってくるところだった。怒った顔の少女とリタをわざとらしく見比べ、きょとんと首をかしげてみせる。

「やあ、ミレーナ。こんなところでどうしたの?」

 ミレーナと呼ばれた少女はあわててリタの肩から手をはなした。

「いえ、なんでも……。通りかかって、……声を、けていただけですわ」

「そうなんだ。今日は買い物かな?」

「え、ええ……。進水式がもうすぐですから、仕立てたドレスに合うアクセサリーを探しに来ていたんです」

「じゃあ、式典でかわいい姿を見られるのを楽しみにしておこうかな」

 笑みを浮かべたアルバートに、ミレーナもほっとしたようにほほみを返した。

「リタ、彼女はミレーナ・マルツィーニ嬢。さっき僕たちが乗ってきた船もマルツィーニ家の会社の客船なんだ。彼女のちちうえとは先代からこんにさせてもらっている。……ミレーナ、リタはこの島に来たばかりで、声を出すことができないんだ」

「まあ……!   そうだったんですか」  

 リタが話せないと分かり、ミレーナはなっとくしたようだった。

「ごめんなさい。気がつかなくて。しゃべれないなんて、……可哀想かわいそうね」

(可哀想?)

 同情するようなミレーナの言葉は、ちくりとリタの心をした。

 これまでリタはほとんど人と関わらずに過ごしてきた。会話ができなくて困る場面があまりなかったといっていい。だから、この島へやってきて、同年代の女の子たちが楽しそうにしているのを見ているだけで、おくれのようなものを感じてしまう。

 ミレーナの言葉は、そんなリタのれっとう感をげきした。

 そしてまたうつむいてしまう。黙ってやり過ごすことばかり考えてしまう。


「――『可哀想』なんかじゃないよ」


 アルバートの指がリタの髪にかかった。

 下を向いたせいでほつれた髪を耳にかけられて、ハッと顔を上げる。いつくしむような視線がそこにあった。

「リタの瞳は、言葉なんかよりもずっとたくさんの感情を映すね。見ていると、言いたいことがちゃんと伝わってくる。僕は別に不便を感じないけどな」

 そんなことを言われたのははじめてで――まるで自分の存在を認められたような気になってしまった。そういえばアルバートは、リタが喋れないと分かっても嫌な態度をとることはないし、この瞳も真っ向から見つめてくる。

 可哀想なんかじゃない。その言葉がリタの胸にひびく。

 ミレーナは自分が失言したと気づき、慌ててつくろった。

「あ……、そ、そうですわね。可哀想は失礼でしたわ」

「うん。失礼だよ、ミレーナ。きみの価値観で人を測るものじゃない」

 ピシャリとしたこわに、ミレーナも、リタも固まってしまった。さっきまで愛想よく笑っていた顔は冷え切っている。

「ア、アルバート様……?」

「彼女は僕のこんやく者だ。リタへのじょくは僕への侮辱と同じだ。……言葉に気をつけるんだね」

「こ、婚約? あ、あの、アルバート様っ」

 混乱するミレーナを無視し、アルバートはリタの肩をさっと抱いた。

「迎えを呼んであるんだ。帰ろう、リタ」

 広場を出ると、すぐに黒塗りの車が近づいてきた。

 乗るようにうながされ、後部座席にアルバートと並んで座る。リタの膝に真新しい万年筆とスケッチブックがのせられた。

「これを買いに行ってたんだ。あった方がいいだろう?」

 おだやかに微笑むアルバート。先ほどのミレーナに対する態度との落差に心が冷える。

 ありがとうございます、とリタはぎこちなく最初のページにつづった。

 こうやってはいりょしてくれるのはありがたいことだし、さっきもかばってくれた。

 いいところだってあるのかもしれないけれど、《あんな言い方しなくても良かったので は》と小さな文字で、非難めいたことを書いてしまう。こつに冷たい態度をとられたミレーナは泣きそうな顔をしていた。

「どうして? あの子はきみを馬鹿にした。許すべきじゃないよ」

《わたしは、気にしてない》

「そう?」

《あの子は、あなたのことが好きなんでしょ? 冷たくされて、すごく傷ついてた》

「僕は別にあの子のことが好きじゃない。単に付き合いのある会社のむすめだから適当に相手をしてあげているだけ。傷つこうが、僕をきらいになろうが、知ったことじゃないよ」

 はじめは愛想よくミレーナに接していたくせに、手のひらを返したように冷たくはなす。それはまるであめむちを使いこなすかのように。

《冷たくするなら、最初から優しくしなければいいのに》

 わずかなちんもく

 リタ、と声を掛けられてハッとする。

 アルバートはあのひんやりとした瞳でリタを見ていた。

 ペンを持つ手を上からにぎられる。優しく、重ねられて。

「――きみの人生は僕が買った。僕のすることに、口をはさまないで?」

 黙って言うことを聞いていろと。

 そう、言われている。

(何をかんちがいしてたんだろう)

 リタの意志を認めて尊重してくれているわけじゃない。

 リタに優しくしているのは、言うことを聞かせるため。優しくして、いい気分にさせて、逆らわないようにするためだ。

「今週末、マルツィーニ家が経営している会社の進水式――新しい船のセレモニーに招かれているんだ。そこできみを僕の婚約者だとしょうかいする。この辺りの名士が集まる、いい機会だからね。ミレーナも来るし、たくさんの人に挨拶あいさつもする。だから、そうやってうつむいてちゃだめだよ」

 

僕がきみに何を望んでいるかわかるよね?

 

問われて、リタは真新しいアイボリーのドレスに視線を落とした。

(……いいところもあるかも、って思ったのに)

 優しさにほだされそうだったからこそ、裏切られたような気持ちになってしまう。

 そんなリタを横目で見ながら、アルバートは皮肉気な笑みを浮かべた。

「……マフィアが、優しい人間だとでも思った?」

 リタは返事を書かなかった。

 手を握られているせいで字が書けない。そういうことにして、唇を引き結ぶ。



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