2 口説き文句か、脅し文句か

2-1


――リタちゃんの目、変なの! のろわれた目だ!


(……っ!)

 

 目覚めたリタは、とっに顔をかくそうと前髪まえがみに手をばし――そういえば、昨日アルバートによって切られたのだったと思い出した。

 何もつかめず、ちゅうはんに上がった手を力無く下ろす。

 子どものころの夢を見たのは久しぶりだ。やみいちで大勢の人の目にさらされたことは、少なからずリタの精神にダメージをあたえたらしい。

 いやあせぬぐって身体からだを起こすと、閉められたカーテンのすきから日差しがれている。

 となりのベッドは人がたような形跡けいせきがあり、しんはきちんとたたまれていた。マーサはもう起きているようだ。

(……これは、夢じゃないのよね)  

 闇市で買われたこと。走って、げて、マフィアたちといっしょにいること。

 まくらもとには、これを着なさいと言わんばかりに黒いワンピースが置いてある。仕付け糸を取ったばかりのような真新しいワンピースは、そでを通すとリタには少し大きかった。

「おはよう、リタ。よくねむれた?」

 客間に入ると、アルバートがさわやかながおむかえてくれた。

 オーダーメイドらしき細身のスーツをさらりと着こなし、かみせいはつ料を使って軽くセットしているという隙の無さ。対してエミリオの方は、ひげもじゃでぼさぼさ髪、昨日と同じ 黒いスーツだがネクタイは外し、ボタンをいくつも開けている。対照的な二人は、エスプレッソを片手にソファでくつろいでいた。

 こっちにおいで、と手招きされて、リタはソファのはしの方に浅くこしける。

 そんなリタとのきょめてアルバートが寄ってきた。のぞき込むように顔を寄せられ、 ソファから転がり落ちそうになる。

「うん。昨日より顔色がいいね。安心したよ」

(ち、近い……!)

 顔を見られるだけでも嫌なのに、すぐ隣に座られて、息をするのも苦しくなった。

 男性に近づかれるのはおろか、他人とのせっしょくすらろくにしてこなかったリタだ。胸がどきどきするのは美形に接近されたことによるときめきではなく、昨日髪を切られたときのようにまた何かされるんじゃないかというけいかい心からだ。

「リタ、ビスコッティは食べられそうかしら? 島につく前に軽くおなかに入れておいた方がいいわ」

 ゆいいつの救いはマーサだった。

 もし、アルバートとエミリオだけだったらリタは部屋から出てこられなかったかもしれない。彼らの母親的な存在のマーサのことを、リタは無意識にたよってしまっていた。

(でも、この人も、マフィアの仲間……なのよね……?)

 彼女も武器を隠し持っていたりするのだろうか。このやさしそうな女性がじゅうっているところを想像する。……人間不信になりそうだ。

 マーサがわたしてくれたカフェラテに口をつけながら、リタはこれから暮らすことになるロレンツィ家のことを考える。だいじょう、大人しくして、じっとしていれば殺されたりは しないはず。何度も自分にそう言い聞かせ、身を縮こませてやり過ごした。

 

*****


昼を過ぎた頃に、船は港に入った。


「ここがカルディア島の州都・セレーノだよ。いろんな文化が入ってくるから、レガリア 本土とはまた少しおもむきちがうだろう?」

(すごい……、なんて活気のある港なんだろう)

 大きな港だ。

 波止場はとばには貨物船が停泊ていはくしており、積み荷を降ろす乗組員たちの大声が聞こえてくる。近くでは何かを建設しているのか、ワイヤーがられた首の長い機械が見えた。

 少々殺風景な港から街の方へと視線を移すと、美しく整備された通りが目に入る。

 レガリア風の伝統的な白いしっくいの建物があるかと思えば、丸いドーム型の屋根に極彩色ごくさいしきの模様がほどこされた、どこか異国を感じさせる建物もある。

 アルバートの言う通り、色々な文化が入り混じった街だ。

 中心街の方に行くと、大きな劇場や広場もあるらしい。リタはほとんど外に出ることなく暮らしていたため、何もかも目新しくて、ついきょろきょろと視線を動かしてしまう。

(あれ……?)

 ふと気づくとマーサとエミリオがいない。アルバートと二人きりだ。

「二人には先に帰ってもらったんだ。きみとデートを楽しみたくてね」

(えっ !? )

「さ、リタの服を買わなくちゃ」

 アルバートは楽しそうにブティックにリタを引っ張り込む。ベルのかろやかな音が鳴った 先は、いかにもいちげんさんお断りといった高級店だ。

「あら! いらっしゃいませ、アルバート様!」

「やあ、ノーラ。とつぜんじゃして悪いね」

「いいえ。アルバート様でしたら、いつでもだいかんげいですわ。お連れ様がいらっしゃるなんてめずらしいですわね、……まあ!」

 女主人がおどろく。視線の先はリタのひとみだ。

 故郷の村では変だと言われ、人買いたちには珍しがられた黄金瞳オーロ

 ここでも何か言われるのではないかと身体をこわらせたリタに

「とってもてきだわ」とはずんだ声がかかった。

「色が違うなんて神秘的ね。それに、右の瞳はがねいろかしら。まるで、伝説の黄金瞳みたい」

(……え……?)

 好意的な言葉に驚いてしまう。

 アルバートは後ろに隠れていたリタを見せびらかすようにき寄せた。女主人や、店員たちの視線がリタに集まる。

「『みたい』じゃなくて、本物の黄金瞳だよ。ノーラ」

「ええっ、私、おとぎ話だと思ってましたわ!

 だって、本土のお友達は黄金瞳だなんて、だぁれも知りませんもの」

(……そうよね。わたしだって知らなかった。でも、アルバートの言う通り、この島の人 たちは『黄金瞳』に悪い印象を持っていないみたい……)

 店員たちも驚いた顔をしているが、「すごいわ」「はじめて見たわ!」とどことなくうれしそうですらあるのだ。そんな様子に、アルバートもまんざらでもなさそうな顔をする。

「彼女はこの島に来たばかりでね。似合う服を何着か見立ててくれるかい?」

「かしこまりました。そうですわねえ、おじょうさまですと……」

 がらなリタはねんれいよりも幼く見えるらしい。わいらしいフリルがたくさんついたワンピースを当てられたが、アルバートが首をった。

「僕の隣に並ぶのに相応ふさわしいものをたのむよ」

 その言葉に、店員たちは表情を改める。

 リタが、アルバートにとってどういう存在なのかを測りかねていたのだろう。ただの知人なのか、身内なのか、こいびとなのか。

 僕の隣に並ぶのに相応しい――すなわち、ロレンツィ家ボスの「特別な存在」に相応しいものを持ってこいと命じたアルバートに、店員たちはきびすかえす。

 のうこんに金糸がしゅうされたシックなスカート。

 えりもとや袖口に品よくレースをあしらったブラウス。

 デコルテをだいたんに開けたロングドレス。……持ってくるもののグレードがぐっと上がる。

(こんなの、絶対、似合わない……っ)

 リタは棒立ちのままふるえあがった。

 店員たちが持ってきた服を選別するのはアルバートだ。何着目かでうなずくと、試着室に放り込まれ、下着から着付けから何から何まで世話される。

 終わったと思ったらに座らされて、しょうを施される。髪にも手が伸ばされた。あちこちから伸びてくる手に、びくびくとじょうに反応してしまう。

「ああ、動かないでね。ちょっと、リボン取って!」

 ばやい手さばきでリボンを髪に編み込まれる。

はだがきれいだから、口紅もやわらかい色味の方がいいかしらね」

 化粧を施してくれている女性は、何本もの口紅とリタの顔を見比べた。店員がベビーピンクの口紅を手にしたところで、近くで見ていたアルバートが別の色を差し出す。

「こっちの方が似合うよ」

「アルバート様、お嬢様にはあわい色の方が可愛らしくていいと思いますわよ?」

「そう? ちょっとためさせて」

 女性と場所をわったアルバートが、リップブラシを手に、した口紅から色を取った。

 リタのあごに手をえられ、

(っ、あ、アルバートにられるの…… !? )

 どうようして逃げごしになったリタを見て、アルバートはみを深めた。

「ほら、じっとして。はみ出ちゃうよ」

 みょうに色っぽい声を出されてほおが熱くなる。

 椅子の上でこうちょくしたリタのくちびるに、アルバートがブラシをすべらせた。

 りんかくふちられ、ていねいに色をつけられ、仕上げに指の腹を使って色味をませる。

 息がかかりそうなほど間近にあるアルバートの顔に、リタの心臓がバクバクした。周りにいる店員たちも手を止め、アルバートのつやめいた一挙一動に見入っている。

「ああ、やっぱり思った通り、かわいいよ。……ね、似合うだろう?」

 同意を求めたアルバートが振り返ると、うっとりとこちらを見ていた店員たちが、じゅばくから解き放たれたかのようにいっせいに頷いた。

「ええ、あの、素敵ですわ。アルバート様ったら、情熱的ですわね」

「本当。目のやり場に困ってしまいます。でも、確かにお嬢様にお似合いですわ」

「そうだろう?」

 得意げに笑ったアルバートがリタを立ち上がらせる。

「ほら! どうだい、リタ?」

 手を引かれ、全身が映る姿見の前に連れて行かれた。

 幼く見られがちなリタがかざったところで、服に着られているだけになっているんじゃないかと思ったのだが――

(え……? これが、わたし?)

 どきんと心臓がねた。

 まず目に飛び込んでくるのは、唇にのせられたはなやかな色味のピンクだ。青白かった顔の血色をよく見せ、良くも悪くも瞳が目立ちがちなリタの印象が変わって見える。

 身体をおおうのは、ひざが見え隠れする、軽やかなアイボリーのドレス。ベルト代わりにベルベットのリボンをこしに結んで、パニエでふんわりスカートをふくらませているので、せたリタの身体も女性らしいシルエットになっている。

 艶のないくりいろの髪にはドレスと同じアイボリーのリボンが編み込まれ、大人っぽく見えるようにアップにまとめられていた。 

 みすぼらしい少女の姿はどこにもない。

 ここに来るまでに見かけた、おしゃれで、いきいきとした、楽しそうに街を歩く女の子たちとなんら変わりのない姿のように見える。

「気に入った?」

 ぼうっと鏡に見入ってしまって、ずかしくなった。

(わたしがみっともない格好をしていたら恥ずかしいから……だから、こうして服を買ってくれるんだわ)

 そう思うものの、生まれてはじめての華やかな格好に心がってしまう。

 かかとの高いくつにおっかなびっくり足を入れる。よろめくリタをエスコートするようにアルバートにかたを抱かれた。

「化粧品も買い取れるかな。他の服と一緒にしきに届けてくれ」

「わかりましたわ。またごひいきにしてくださいませね」

 笑顔の店員に見送られ、リタはどきどきする胸を押さえながら歩き出した。


――のもつか。 

 次はほうしょく店、輸入雑貨店、別のブティック、靴屋、などあちこちの店にリタを連れ込み、アルバートは景気よく買い物をした。

(も、もういい。もういいです!)

 アルバートと出かける用事があるときに必要だから、という理由で服や靴を買い与えられるならまだ分かる。だが、クリスタル製のウサギの置物はリタの生活に必要ないし、レ ースのハンカチは何十枚も持つものではない。

 自分なんかのためにお金を使う必要ない、と初めは過剰に飛び上がったが、様子を見ているとアルバートなりの理由があるのではないかと気がついた。

 アルバートは島民たちにリタの顔見せをすることができる。

 だん利用しないような店との新しいつながりも作れる。

 そしてリタに、島民との関係は良好であるということを印象付けることもできる。

 デートと言いつつもしっかりとその辺りまで計算し尽くしているように見えた。

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