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マフィア。

 

それが犯罪組織をさす言葉だということはリタでも知っている。

 

 暴力や密輸など、悪いことをしてお金を手にしている人たち。犯罪者。レガリア本土の新聞でも目にしていたし、世界のあちこちにも存在していたはずだ。

 アルバートはその危険な犯罪組織のボスだと名乗った。


(お腹、空いていたはずなんだけどな……)

 目の前に並べられた夕食の皿を見ながら、リタはにくじゅうをたっぷり吸ったポテトや付け合わせのニンジンを時間をかけてしゃくする。こんなに良い食事なんて初めてだ。多分、全部食べたら胃もたれを起こしてしまうだろう。

 ナイフとフォークでちまちまと食事を口に運ぶリタに、

「おいっ、全然食ってねえじゃねえか!」

(ひっ!)

 ハイペースで肉を平らげていくエミリオがすごんだ。

 食べないのならよこせ、とか、俺たちの出した食事が食えねえのか!  

𠮟しかられるのかと思ったリタは、ちゃんと食べていますとアピールするためにいっしょうけんめいに口を動かす。

 エミリオはにっかり笑った。

「しっかり食えよ! 腹減ってるんだろ!」

(こ、怖い……)

 一応、心配……というかはげましてくれているつもりらしいが、あつ感が強いので委縮してしまう。

 リタを気にかけてくれるのはエミリオだけではない。

 アルバートの指示で、リタの身なりはマーサによってれいに整えられていた。

 身体を洗われ、アルバートが適当に切った前髪をそろえ、ついでに枝毛だらけだった髪は肩の辺りで切られ、清潔なワンピースを与えられ――そしてこの食事だ。

 マフィアだと名乗った彼らは、とても人道的にリタをあつかってくれている。

(いったい、何が目的なんだろう)

 花嫁、と言われて、められたと自惚うぬぼれるほど馬鹿じゃない。

 アルバートの容姿と財力ならいくらでも女性は寄ってきそうなものだし、彼は相手に困っていなさそうだ。わざわざリタのようなひんそうな少女とけっこんしたいなんて、何かとくしゅせいへきでもあるのだろうか。

 あれこれ聞きたい気持ちはあったが、紙とペンがないとたずねることもできない。

 ちらりと向かいに座るアルバートをうかがうと、彼はとてもゆうに微笑みを返した。

(……怪我、大丈夫なのかな……)

 リタとマーサがバスルームにいる間に、アルバートはえを済ませていた。平然と食事をしているが、痛くないのだろうか。

 視線を感じたらしいアルバートはワイングラスをかたむける。

「そんなに見つめられると穴が開きそうだよ」

 くすっとせんじょう的に笑われて、リタは皿に視線を落とした。

「ははっ。あと数センチずれてたら、肩に穴開いてただろ」

 エミリオがじょうだんを言う。笑えない冗談だ。

「僕はごろの行いがいいからね。かんいっぱつだったな」

「馬鹿なことおっしゃらないでください。手当てはちゃんとしたんですか」

「したよ。あーあ、あの服、仕立てたばっかりだったのに、たった一回着ただけで台無しにしてしまったな」

 服の心配をするアルバートの感覚がリタにはわからない。冗談を言うエミリオの感覚も。

 これが彼らにとっての日常なのだろうか。マーサだけは真っ当に怪我の心配をしていて、彼女の常識的な感覚に救われる。

「んなもん、また仕立てりゃいいじゃねえか。毎日スーツをとっかえひっかえ、よくやるぜ」

「きみみたいに、クローゼットの端 はし から端まで全部同じスーツだったら、組み合わせには困らないだろうけど、それじゃあつまらないよ。……ねえ、リタ? きみも女の子だから、おしゃれには興味があるだろう?」

 そんなふうにリタに話を振りつつも、はじめから答えは期待していないのだろう。あいまいに頷けば話題は別のものへとれる。

 島に新しくできたというリストランテの話や、有名人のゴシップ記事。

 他愛たわいのない話がさらさらと流れていく。おかげで、リタは質問に身構えることなく食事に集中することができた。……かんぺきなテーブルマナーで器用に食事をとるリタの手元を、アルバートがじっと見ていることには気がつかずに。

 ワゴンを引いたきゅうがテーブルを片付けて退出したあと、アルバートは再びリタに手帳を貸してくれた。

 きょがあるテーブル席ではなく、場所をソファに移し、くだけた態度でグラスの準備をしている。不安そうなリタをリラックスさせるためか、アルバートが飲み物のせんを開けた。

「どうぞ。島の名産のリモンチェッロだよ」

 カクテルグラスに注がれて手渡される。

 正直、お腹がいっぱいで飲み物もえんりょしたいくらいだったが、爽やかなレモンの香りはリタの心を落ち着かせた。一口飲んでみるとさっぱりしていて、食後の口直しとして最適だ。

(おいしい……)

「口に合ったなら良かった」

 肩の力が抜けたリタを見て、アルバートが微笑む。

「――ところできみは、黄金瞳についてどのくらい知っているの?」

 さらりと問われ、リタは首を振った。

《何も知りません》

 うそではなく、本当に何も知らなかった。黄金瞳という言葉自体、あの闇市ではじめて耳にしたのだ。

《この瞳は珍しいから高値で売れるって、闇市にいた人たちが。そんなに珍しいんですか?》

「うん、すごく珍しい。僕も実際に見るのははじめてだ。黄金瞳っていうのはね、カルディア島の先住民族が持っていたと言われている瞳なんだ」

 カルディア島は、今はレガリア共和国に属しているものの、何度も他国のしんりゃくを受けてきた歴史を持つ島だ。アルバートが言うには、そこに住まう先住民族たちは、美しい黄金色の瞳を持っていたらしい。

 黄金は、富や権力をしょうちょうする色。

 時の権力者たちは美しい黄金の瞳を好み、彼らを捕らえてちょうあいしたのだという。

「黄金瞳を手に入れた者はしゃになるなんて言い伝えもできたらしいね。成功のあかし、手に入らないものはない。そんな象徴として世界各地に連れて行かれたそうだ。……まあ、幸運の象徴として祭り上げられたっていうのは表向きの話で、単に珍しい瞳だから、権力者が自分のはく付けのために奴隷にしたって方がしっくりくるかな」

 捕らえて寵愛? 奴隷?

 闇市でそんな対象として高値がつけられていたと知り、ぞっとした。

《今でも、そんなことが?》

「いいや。その黄金瞳はれっせい遺伝なんだそうだ。黄金瞳同士の掛け合わせでしか生まれない。そのことに気づいた時にはもうおくれで、黄金瞳は絶えたと言われているんだ」

 そんな話、初めて聞いた。

 両親はおろか、故郷の村人や、町の医者も知らなかったと思う。

「きみが知らなくてもおかしくはない。カルディア島民に伝わる民話というか、おとぎ話みたいなものだから」

 ものに気をつけろ、という教訓もめられているらしく、カルディア島では誰もが知っている話らしい。そして、そんな「おとぎ話」が一部のこうや裏社会の人間に伝わり、珍しい容姿の人間が高額で売り買いされる要因になっているのだという。

(……待って。それじゃあ、わたしはそのカルディア島の先住民族の血を引いているってこと?)

 しかし、リタはそくに心の中でつぶやいた。

(何かの間違いだわ)

 アルバートの説明だと、黄金瞳は遺伝性。

 リタの両親、あるいは親族にカルディア島の先住民族の血が入っていないといけないことになる。リタの両親の目の色は緑色だ。

 こんな瞳のせいで母がていを疑われることもあったが、村にも、きんりんの町にも、黄金色の瞳の人間なんて見たことがないと言われていた。もちろん、祖先がカルディア島民であったかどうか、知るよしもない。

 アルバートは、リタが黄金瞳で間違いないという前提で話を続けた。

「ロレンツィ家はね、元々は、島を守る自警組織として立ち上げたのが成り立ちなんだ。侵略者と戦うために武器を手に取った、古くからカルディア島を守っている組織だ。ロレンツィ家をぐ僕と、黄金瞳のきみが結ばれたら、とってもてきなことだと思わない?」

(……もし本当にわたしが先住民族の血を引いていたら、そうかもしれないけど……)

 アルバートがしいのが先住民族のまつえいなら、それを確かめるすべはない。

 とつぜんへんだとか、まったく関係のない可能性だってある。というか、そうに違いないとしか思えなかった。

《ごめんなさい。わたしは本当に何も知りません。この瞳があなたたちの言う黄金瞳なのかどうかさえ、わたしにはわからないし、喋れないし。あなたの奥さんなんて務まりそうにありません》

「きみは黄金瞳だよ」

 アルバートは断言した。

「喋れないことも僕はまったく気にしない。どう? 僕のこと、好きになれない?」

《どうして、わたしに……いえ、黄金瞳にこだわるんですか?》

「えーと……、ひとれしたから? うん、そう、一目惚れ。僕はその美しい瞳に一目惚れしたんだよ」

 そんな馬鹿な。

 一目惚れと連呼して無理矢理なっとくさせようとしているようにしか思えない。あまりに白々しいセリフに、ときめくどころか、思いきり顔を引きつらせてしまった。

 リタの表情を見たアルバートは肩をすくめる。

「そんな顔されると傷つくな。こういうロマンチックな展開の方が喜ぶかと思ったんだけど……まあいいか。だったら、もっと合理的な話をしよう」

 リタが「一目惚れ」にときめくような夢見がちな少女だったら、そのまま押し通すつもりだったのだろうか。どう考えてもアルバートはリタに対してれんあい感情なんてないと思っていたが、やっぱり別のおもわくがあるらしい。

「僕はロレンツィ家のあとりなんだけど、おせっかいなじいさん連中がさっさと結婚しろとうるさいんだ。僕の父は早くにくなっているし、きょうだいもいない。……持ち込まれるえんだんいやがさしてきていてね。そんな中、黄金瞳が――つまりきみが売りに出されるって情報を摑んだ」

「黄金瞳なら誰も反対しねえ。島民なら誰もが歓迎するし、自分のまごむすめを差し出したくて仕方なかった古参のジジイ共もだまるだろうな」

 エミリオがにやりと意地の悪そうなみを浮かべて補足する。

「そういうこと。だからきみが本物の黄金瞳じゃなくても、島民たちがそう思ってくれたらそれでいいんだ。別に血統書を見せて回らないといけないわけじゃないしね。僕はきみの衣食住を保証する。きみは僕の花嫁として振るう。……ね、利害がいっした、悪くない話だろう?」

 先ほどとは違う、あけすけな物言い。

 手の内を見せた方がすんなり頷くと判断されたのだ。実際、いきなり好きだとか一目惚れだとか言われても信じられないが、はっきり利害関係だと言い切られた方がましだった。

《あなたと結婚して、マフィアの仲間になるんですか?》

「いいや。妻だからといって危険なことに巻き込むつもりはないよ。しばらくはこんやく者として僕たちのしきで暮らしてもらうことになるけれど、島民たちへの顔見せを済ませれば、どこか静かな所で暮らせるように手配しよう」

 時々顔を見に行くよ、とアルバートは微笑む。

 愛のない結婚だ。とてもわかりやすい。

 とりあえず妻の席に誰かを座らせておきたいだけで、ひょっとしたら、アルバートにはこいびとがいるのかもしれない。あるいは、まだ独身のまま遊びたいだけなのかも。

「それにね、きみのためでもある」

(?)

「闇市できみを買おうとしていた人間は大勢いただろう? ああいう連中に買われて、見世物のようにされたり、ぎゃくたいされたりして暮らしたいかい? ロレンツィ家の下に入れば、きみの命はちゃんと守るよ」

(……そうしたら、怯えて暮らさなくても済む? 捕まる心配や、食事の心配もしなくてよくなる……?)

「大人しくしていてくれれば、不自由のない暮らしができる」

 言いくるめるような言葉だったが、リタに反論する気持ちは起こらなかった。

 お金で買ったリタのことを暴力で従わせることもできるだろうが、アルバートはそうしなかった。リタの意志を、一応は尊重してくれている。

 どのみち嫌だと言ったところで、リタには行くところも、返す金の当てもない。せんたくなんて無いも同然だった。

《わかりました、あなたの言うとおりにします》

「受け入れてくれてうれしいよ」

 断られるとはじんも思っていなかったであろう笑顔でアルバートが頷いた。

「ああ、それから、筆談をするのに敬語は必要ない。僕のこともアルバートと呼び捨てで構わないよ。いちいちけいしょうをつけて書くのはめんどうだろう」

 そのほうがやり取りもスムーズだ。リタは頷いてアルバートに手帳を返した。

「明日にはカルディア島につく。今夜はゆっくり休むといい。……マーサ」

「はい。さ、リタ。寝室に行きましょう」

 マーサに続いて立ち上がる。

 なんだか足元がふらつくし、頭がぼうっとした。

 つかれているせいで具合が悪くなったのかと思ったが、自分のいきわずかにアルコールの匂いが混じっている。

(……リモンチェッロってジュースじゃなくてお酒だったんだ。……もしかしたら、食事の時に飲んだ飲み物もお酒……? なんだかすごくねむい……)

 うながされるままベッドに入るリタに、マーサがブランケットをかけてくれた。

「疲れたでしょう? 安心して、ゆっくりてちょうだいね」

(安心して……。安心して、いいのかな)

 扉の向こうには、銃やナイフを持った人がいる。

 初対面の相手の前で眠るなんて危険なのかもしれないと思ったけれど、張り詰めていた心は、食事と酒によって完全にほぐされてしまっていた。

(このまま大人しくしていれば、わたしは静かに暮らせるんだ)

 それでいいじゃないか、と疲れ切ったリタの心が自分をさとす。

(たとえ相手がマフィアでも、もう、なんだっていいや……)

 考えることをほうして、リタは意識を手放す。清潔でやわらかいシーツの海はあっという間にリタを眠りの世界に連れていった。



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