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 港に着くと、ベンチに座っていたふくよかな女性が駆け寄ってきた。

 

 ひとつにくくったちゃぱつに緑の瞳という、この国ではありふれたふうぼうの中年女性だ。旅たくをして大きめのかばんを持っているので、完全に港の空気にけ込んでいる。

港に着くと、ベンチに座っていたふくよかな女性が駆け寄ってきた。

 女性は心配そうに赤く染まったアルバートの左肩に視線を走らせた。

「アルバート様……、お怪我を?」

「たいしたことないよ。……マーサ、血を隠せるような上着はあったかな。それから、彼女にも何か羽織るものを」

「ジャケットを持ってきていますわ。さ、おじょうさんはこちらを」

 母親のような年代の女性にやさしく声をかけられ、リタのけいかい心が少しだけゆるむ。きれいな花柄のショールでよごれた服を隠し、ぼさぼさの髪をさっと整えられた。

 ジャケットを着たアルバートは、あらごととはえんそうな、上流階級の貴公子然としたたたずまいでリタの肩を抱く。荷物を持った使用人風のマーサが後をついて歩けば、追われているような人間には見えなくなった。

「エミリオぼっちゃんは?」

「適当に足止めしてもらってる。出港には間に合うように来るだろう」

 マーサがポケットから一枚、アルバートが二枚。取り出した三枚のチケットを見せると、特に見とがめられることもなく乗船できた。

 案内された客室には、クローゼットやソファ、テーブルが備えつけられており、さらに奥にドアが三つもある。しんしつや洗面室つきらしい。かなり上等な客室だ。

 ここはもう安全なのだろうか。

 きんちょうろうで息も絶え絶えなリタは、じゅうたんの上にへたりこみそうだったが、 「……ふ、」

 リタの肩を抱いているアルバートの身体が震える。

 青い顔をしているリタの背中をぽんとたたくと、彼は大口を開けて笑い出した。

「ふふ、あはははは! すごいね、なんだか駆け落ちでもしているみたいでゾクゾクしちゃったよ!」

(わ、笑ってる……っ?)

 銃を持った人間に追いかけ回されたのに、アルバートはけろりとしている。殺されるんじゃないかと、リタは生きたここがしなかったというのに……。

「笑い事じゃありませんよ。予定よりもおそかったので心配しました」

「いやー。だって奴ら、舞台に上がってもなかなか僕に気が付かないからさあ。まったんの教育がなってないね。ごろつきばっかり寄せ集めているからなんだろうけど」

 ひとしきり笑ったアルバートが乱れた前髪をかきあげ、リタの方に視線を移す。まともに目が合ってしまったリタは、あわてて下を向いた。 

 助けに来た、と言っていた。

 あのときはとても誠実そうで、救いの手が差し伸べられたかのように思えたのに、「なかなかスリルがあっておもしろかったね」と笑う様はなんだか怖い。

「アルバート様。怪我は大丈夫なんですか?」

「うん。傷自体は縫うほど深くないと思う。手当ては自分でできるから、マーサはこの子の世話を。えーと……、まだ名前も聞いてないね」

 懐を探ったアルバートは、手帳と万年筆を取り出す。

 字は書ける?

 と問われ、余白のページに《リタ》と名前を記した。

「リタ、か。よろしくね、リタ」

 

顔を上げると、目の前にはナイフがあった。


(っ!) 

 刀身が光る。リタは反射的に目をつぶった。

 前髪を引っ張られたかと思うと、ぶつりとものが当たる音がする。解放された感覚に、おそるおそる目を開けると、顔を隠すように伸ばしていた前髪が切り取られていた。

「顔は隠さない方がいい。きみの瞳はりょく的だよ」

 良好になった視界いっぱいに、アルバートの甘くとろけるような笑顔。

 勝手にリタの髪を切ってしまったというのに悪びれるそぶりは全くない。リタは呆然としてしまった。

(この人は、いったい、何)

 間違っても良家の子息なんかじゃない。 

 優しく微笑んだ顔で武器を出せるのがこの男の本質で、リタは――そんな相手に買われたのだ。人をおびえさせ、従わせることに慣れている、支配する側の人間に。

 アルバートはナイフをしまったが、いつでもリタに切っ先を向けられると言われているような気がしてならない。

 そこへ、先ほど別れた髭男が駆け込んできた。

「おーやべ、出港ギリギリ。間に合わねーかと思ったぜ」

 髭男は大股でリタの横を通り過ぎ、どかっと勢いよくソファに座った。長身の体軀はソファに収まらず、投げ出すようにローテーブルに足をのせる。

「おぎょう悪いですよ、エミリオ坊ちゃん」

「坊ちゃんはやめろって。いつも言ってんだろーが」

 マーサのたしなめに、男が嫌そうに顔をしかめる。

 彼が通ったあとに残るかすかなしょうえんの匂い。ねんれいしょうで体格も良く、いかにも荒事に慣れていそうな男に、リタは無意識のうちに身を固くしてしまう。

 茶褐色の髪の奥、どうもうけもののような青い瞳がリタをらえた。ものを見定めるような力強さは、どう見てもかたの人間には見えない。

 顔をこわらせたままのリタの肩に、アルバートが手を置いた。

「……改めて、僕の名前はアルバート・ロレンツィ。それから、エミリオとマーサだ。僕たちはカルディア島から来たんだ」

(カルディア島……って、南にある島、よね)

 リタはぎこちなく頷く。

 よくわかっていないと思われたのか、アルバートが手帳にレガリア共和国の地図を簡単に描いてくれた。

 ブーツのような形をしたレガリア共和国は、国土のほとんどが海に面している。その、つま先部分にくっつくように位置しているのが、彼らの言うカルディア島だ。

「きみがさっきまでいたのはここ。レガリア本土の南西側、ネザリエ地区を取り仕切っている、ゼノン一味というギャング団の闇市だ。奴らはあちこちで人さらいをして金にえているってうわさでね。……あんなところに連れて行かれて怖かっただろう?」

(怖かった。けど……)

 この人たちも危険な人間なのではないだろうか。

 もう安心していいよ、と言われても、どうしていいかわからずに再びうつむく。すると、 下を向いてばかりのリタの顎にアルバートの手がかけられた。

 視線を合わせるように、ぐいっと上向かせられる。

「ようこそ、リタ。ロレンツィファミリーへ。ボスとして・・・・・きみをかんげいするよ。僕たちはカルディア島を守るマフィアで――」

 

 底知れぬダークグリーンの瞳が細められ、彼は歓迎の言葉を口にする。


「きみは、僕のはなよめになってもらうために買ったんだから」

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