1 銃声響く逃亡劇

1-1

 おなかが空いたな、と思った。


 たいの上で泣いて助けを求める女性を見ながら、リタはしばられた両手で空っぽの腹をさすった。

 人買いにつかまってから――つまり、この二日ほど水しかあたえられていないのだから、お腹が空くのは道理だ。あと数分後にはリタも同じように舞台に立たされ、りにかけられるというのに、そんな感情しかいてこない。

(だって、ていこうしたってげられない)

 こうそくは両の手首にかけられたあさなわだけ。けれど、連れてこられてすぐに逃げようとした少年が捕まり、見せしめのようにひどく痛めつけられた。

 一方的でようしゃのない暴力は、れいたちの反逆の意志をついえさせるにはじゅうぶんだ。逃げようとしたら同じ目に合わされる。二人目の逃亡者は現れなかった。

 すすり泣きがひびくバックヤードとは反対に、舞台の上では調子はずれな声で笑いをとっている司会役が競りを進めていく。

 

――ここはやみいちのひとつ。人身売買のために開かれる非合法な奴隷市場。

 

 客席は、たがいの顔がぎりぎり見えない程度に明かりを落としてあった。

 地下につくられたフロアには丸テーブルが並べられ、しんぶった客たちは酒や煙草たばこを片手に座っている。かんが悪く、バックヤードにまで煙草のにおいがじゅうまんしていた。

 彼らの視線の先は舞台の上。一人ずつ舞台に上げられていく「商品」たちを、司会役が競りにかけていくところだ。

 男はいかに従順に働き、女は性的に役立つか。

 耳をふさぎたくなるような下品な説明に、客は大げさなほど笑い、野次を飛ばす。


 ……助けてとさけんだところで意味がないことをリタはさとっていた。

 だれも、助けてはくれない。

 泣いて同情をうてみたって、彼らは誰かを馬鹿にしたいだけ。あしをとって笑いものにしたいだけ。それに、リタは声を出すことができないのだ。助けを求めようがない。

 だからリタは、あらしのような時間が過ぎるのをただじっと待つ。


 出せない声をころして、縮こまって、息をひそめて。

 きっと、これから先も、こういう生き方はずっと――変わらない。


「さぁ、お次は本日の目玉。世にもめずらしいオッドアイのむすめです!」


 出ろ、と見張り役の男に背中をばされる。舞台上にまろび出ると、足をもつれさせて転んだ。どっと笑い声が起きる。悪意のある声にうつむけば、ぼろぼろの服やくつ、十六歳にしてはがらせた身体からだが視界に入った。

「ほら、立て」

 司会役は乱暴にリタを立たせると、スポットライトに照らされる舞台の中ほどに引きずっていき、顔をかくすようにばしていたまえがみをかき上げた。

 あらわになった二つの色。

 くりいろかみに隠されていたひとみに、客たちのえんりょな視線が突きさる。

「ごらんください! 右は黄金、左は緑! 今はもう失われた、黄金の瞳を持つ娘です!」

 おお、と低いどよめきが上がった。

黄金瞳オーロだ! はじめて見たぞ!」

「こいつは珍しい。本物か?」

「もちろん、本物の黄金瞳ですとも! しかもこの娘、口がきけないのでご主人さまに従順に仕えることができます!」

しゃべれねえ黄金瞳か! 聖職者相手に高く売れそうだなァ」

 客席が沸いたが、リタはそのさまを他人ひとごとのように見ていた。

(黄金瞳……。ここに来てから、ずっとそう言われてる。そんなに珍しいの? この、変な色が……)

 左右の瞳の色がちがう人間というのはごくまれに生まれるらしいが、リタの家族は全員緑色の瞳。故郷の村にもがねいろの瞳の人間などおらず、気味が悪いと言われ続けていた。

 異質な瞳は、周囲の人間をかいにさせるらしい。

 変だ。変な色。変な瞳。

 言われるたびに傷ついていた瞳に、見ず知らずの他人が金をけていく。

(わたしなんか、なんの価値もないのに)

 投げやりな気持ちでそう思う。

(……どんな相手に買われたって、ろくな人じゃない。せめて、ご飯くらいはきちんと食べさせてくれる人がいいな。するのはつらいもの……)

 客席のてんじょうまっていくえんをぼうっと見つめていたリタだが、「今日一番の競り合いだ!」と司会役が声を張り上げたのにはおどろいた。最終的には二者の争いになっているらしく、とんでもない額が自分につけられている。

 

 げられた値段が打ち止めになりかけた時、


「――二千万!」


 響きわたった大声は、最高金額の倍近い額だった。

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