第32話 トーナメント初戦

 試合当日。


 バンタム級リミットの54キロピッタリで無事計量を通過し、服を着た後、見覚えのある蛇の様な視線が俺に絡みついてきた。


 ある程度予測していたが、俺はうんざりする気分でそちらを振り返った。


「よう雑魚サンドバッグ。思った通りこの大会に参加しやがったな」


 気色悪い視線の主は予想通り棟田であった。


「ああ。よく見ればその雑魚サンドバッグに二回もボコボコにされた棟田君だっけ? 御免御免。あまりにも弱すぎたから、もう顔も名前も忘れていたよ」


 俺の口撃も麗衣程じゃないけど昔コイツから苛められていた頃に比べれば信じられないような事を言えるようになった。


「……テメー今すぐこの場でぶん殴ってやっても良いんだぞ?」


 棟田が俺の襟首を掴むと、その手首を横から麗衣は掴んだ。


「早まってるんじゃねーよ棟田! テメーも武も勝ち上がれば決勝で当たる。それとも決勝に勝ちあがる自信がねーのか?」


 麗衣に手を掴まれた棟田は麗衣を睨みつけた後、手を振り払った。


「ハッ! か弱い武ちゃんは相変わらず女に守って貰って羨ましい限りだなぁ。良いぜ。決勝の前に負けたらボコるから覚悟しておけよ。まぁテメーが勝ち抜ける訳ねーけどな」


「俺は棟田が負けてもそんな見苦しい八つ当たりみたいな真似しないから安心して良いよ。まぁ、期待しないで決勝で待っているよ」


「ケッ! 口ばっかり随分と達者になったなぁ。リングの上で恥掻かせてやるから覚悟しろよ!」


 棟田はそんな事を言いながら吐き捨てる様にして去って行った。


「あんな野郎の事気にすんな武。アイツのレベルじゃどうせ初戦敗退だろ?」


「いや、案外決勝まで来ると良いと思ってるんだ」


「どうしてだよ?」


「楽に一勝稼げるからね。Cクラスなんかさっさと卒業したいからね」


「ははははっ! そりゃそうかも知んねーな」


「そうね。でも、試合の後も絡んでくるようだったら私にも考えがあるからね」


 勝子の目が剣呑に光る。コイツどうせ碌でもない事を考えているだろうな。


「心配してくれるのは嬉しいけど、棟田の事は俺の問題だから俺が何とかするから」


「そう……武がそう言うなら放っておくけど、もしアンタが怪我でもさせられたら私がアイツにから」


 ぞわっと気温が下がったような寒気を感じた。


 でも、勝子が麗衣じゃなくて俺の事でそんな事を言うのが不思議だった。



 ◇



 試合当日はどれだけベストな状態で試合に臨めるかを考えて調整しなければならない。


 まずは勝子のアドバイスで関節の可動域を広げる運動を行った。


 一度筋肉を緩めてから大臀筋を刺激する事で、筋肉を目覚めさせることにつながるのだ。


 その後、俺の試合開始予定時間の大体1時間半くらい前からアップを始めた。


 軽めのアップから行い、徐々に体を温めながら、試合の経過を確認しながら会場入りする直前に激しめのアップを行う。


「ハッ! ハッ!」


 俺は声を出しながら勝子が持つキックミットに今まで練習したコンビネーションを打ち込む。


 打ち込み練習で声を出すことで緊張感を和らげる効果もあるのだ。


「小碓選手。会場入りの時間です。準備してください」


 大会の係員さんにそう告げられた。


「大体予定通りの時間ね。準備が終わったら行くわよ」


 勝子はキックミットを降ろした。


 16オンスのグローブとヘッドギアを使用している為、あまりKOが無いのでほぼ予定通りの時間に試合の時間がやって来た。


 一度心拍数を上げたので、汗を拭き、軽く水分補給をしてから会場へ向かった。



 ◇



「只今よりバンタム級Cクラストーナメント2回戦を行います。青コーナーActive-Network街田ジム所属、日高見勇!」


「「頑張れよ日高見!」」


 選手の紹介を受け日高見選手の応援に駆け付けているジムメイトと思しき連中から声が上がった。


「赤コーナーActive-Network八皇子ジム所属、小碓武!」


「「「「武先輩頑張って!」」」」


 俺の紹介が終わると麗の中学生組から声援が上がった。


 やっぱり黄色い声援の方がやる気は出るよな?


 等と余計な事を考える余裕があったのはアップ時の声出しで緊張感をほぐしたからなのだろうか。


 今回は麗衣も試合に出るのでセコンドは勝子がやってくれる事になったが、これ程頼もしいセコンドは居ない。


「試合時間は短いから相手を見るより、間合いに入ったら積極的に攻めて。あと、打たれたら必ず返しを入れるのを忘れないで」


 勝子は口早にアドバイスを送って来た。


 トーナメントの為、2ラウンドではなく1ラウンドの試合で行われるが、ワンマッチの様に1ラウンド1分ではなく1ラウンド1分30秒で行われる。


 勝子の言う通り、相手をじっくりと見ているとあっという間に時間が無くなってしまう可能性がある。


「ああ。分かったよ!」


 そして、試合開始のゴングが鳴った。


 日高見選手はコーナーポストから離れるとサウスポースタイルに構えた。


 通常サウスポースタイルだとやりずらいのだが、俺は麗衣とのスパーリングや女子会では吾妻君がサウスポースタイルなので特に苦手意識は無かった。


 まずはサウスポーとやる時の鉄則で、日高見選手の足の外を取る事にする。


 左のローキックを軽く放つと、日高見選手はカットの為に膝を上げた。


 俺は素早く足を落とすと相手の足の外側に踏み込み、あっさりと外を取った。


 左のローキックは外を取る為のフェイントだった。


 間髪入れずワンでジャブを打ち、日高見選手の重心が内側に残った状態でツーの右ストレートを放つ。


 日高見選手はガードを上げてワンツーを何とか防いだが、ガードが上がり空いた腹に俺は右のミドルキックをクリーンヒットさせた。


「良いよ! キックも使えるようになっているよ!」


 サウスポースタイル相手には右ストレートや右ミドルを軸に攻撃を組み立てるのが基本だ。


 その事を当然知っているであろう日高見選手は今喰らった右ミドルを警戒している。


 俺は再び同じフォームでミドルを打つモーションをすると日高見選手のガードが下がった。


「今よ!」


 俺は勝子の声で弾かれる様にして、大きくステップして日高見選手の外側に踏み込むとともにジャブを放つ。


 伝統派空手の刻み突きのスピードは約0.3秒。


 瞬き並みの速さらしいが、脳が理解してから反応できる速さではない。


 試合に向けて、その刻み突きと同じスピードでジャブを打つ鍛錬を積んできたのだ。


 坂道で道行く人々に好奇の視線に晒されながらも取得した高速ジャブが日高見選手の顔を跳ね上げた。


 そして、ツーの右ストレートを顎にヒットした瞬間、頭・足を落として体重をかける様にして打ち下ろすと、日高見選手は尻餅を着いた。


「ダウン! ワン・ツー・スリー!」


 10カウントのプロの試合と違い、俺の出場しているアマチュアキックボクシングのルールではカウント3以内に立ち上がらないとKO負けになる。


 レフェリーは両手を振って試合終了を宣言した。


 試合時間は28秒。


 デビュー戦に続き、またしても秒殺KO勝利だった。

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