第22話 後楽園ホールに応援に行った
「ダウン! ワン! ツー!」
今日二度目のダウンだ。
デビュー戦を迎えた亮磨先輩は動きに精彩を欠き、元キックボクサーという肩書の対戦相手、
「どうしたんだあの野郎? わざわざ来てやったのに……あたしに散々噛ましていたカウンターが全然決まらねーじゃねーか?」
俺の左の席に座る麗衣は不機嫌そうに貧乏揺すりをしながら苛立った口調で言った。
「そうねぇ……下僕武とスパーリングしていた時は良い感じで仕上がっていたのに。一体どうしたのかしらねぇ?」
俺の右の座席で勝子も白々しく言っていた。
と言うか、お前が亮磨先輩の自信を根こそぎ刈り取ったせいじゃないのか?
カウント7の時点でかろうじて立ち上がり、レフェリーはファイティングポーズを取った亮磨先輩の目を見て、まだやれると判断したのか、試合を続行させた直後にラウンド終了のゴングが鳴った。
◇
今俺達が居るのは格闘技の聖地・後楽園ホール。
数多の闘いが繰り広げられ、数えきれないほどの血と汗を吸い続けてきたリングに亮磨先輩は立っていた。
収容座席1400とあまり広くないホールであるにも関わらず、まだ四回戦の試合という事もあり空席が目立ち、客はまばらだ。
そんな中、亮磨先輩からチケットを貰った俺達や元・
顔見知りも多く、麗と比較的友好的な特攻隊員だけかと思えば、この前喧嘩した棟田の仲間である親衛隊員連中まで居て少々気まずかったが、試合が始まればそんな空気は吹き飛んでしまった。
比較的安い南側の固定席とはいえ、チケット代幾らしたんだろうな?
亮磨先輩の性格からして、チケットを買わせたわけじゃなくて自分で購入したと思うけれど、ファイトマネー四万円ではとても足りないはずだ。
でも、そこまでして来て貰ったのに肝心な亮磨先輩がこの様では何のために呼んだのかと思われかねない。
「オイオイ、亮磨兄貴やばいな……次最終ラウンドだけど、初回と三回でダウン奪われているし、採点は不利だぜ」
俺の前の席で澪が頭を抱えて唸っていた。
ダウンを奪われなかった二回も亮磨先輩は劣勢だったので、恐らく三回までの採点は25-30で土田が上回っている。
最終ラウンドで亮磨先輩が優勢なら35-39。
ダウンを奪ったとしても35-38で土田の勝利になる。
つまり、亮磨先輩が勝つには土田をKOするしかないのだ。
「勝子どうするんだよ。お前のせいだぞ?」
「どうして私のせいになるのよ? 赤胴先輩が弱いんだから仕方ないじゃない?」
「どうだろうな……スパーで勝子に凹られた以外にも理由があるんじゃねーのか?」
麗衣の台詞は当てずっぽではなく、俺にも思い当たる節はあるが……。
俺はある人を探し、俺らと同じ様に亮磨先輩からチケットを貰った連中を見渡したが―
「うおおおっ! 亮磨さん! そんなキザ野郎! 気合でぶち殺しちゃってください!」
「土田あああっ! テメーこれから特攻隊長のメガトンパンチ喰らいやがれ!」
「ちょこちょこ足使って逃げるんじゃねーぞ!」
俺の座る指定席の一角は荒れ狂っていた。
客が少ない事もあり目立って仕方が無い。
パンフレットにヤジはユーモアを持って飛ばしましょうとか書いてあるのを読んでないのか?
元・
この品のない声援がどの程度亮磨先輩の力になるか、まだ選手ではない俺には分からないが、恐らく亮磨先輩が一番応援して欲しい人の声はその中に含まれていなかった。
まぁ、用事があるとかでチケットを亮磨先輩に返したらしいので居る訳ないけれど、亮磨先輩がこんな状況だとつい探してみたくもなるのが人情というものだ。
「あの薔薇野郎が強いのかな?」
入場の時にサングラスをかけて薔薇の花束を持って入場し、それを観客席のファンと思しき女性に投げていたので俺は薔薇野郎と土田選手の事を呼んでいた。
「アンタよりは強いのは確かだけれど、大差ないわね。赤銅先輩が勝てない相手じゃないわよ。まぁ、私とのスパーリングを活かしてくれれば確実に勝てるはずだけどね」
……あの何も出来ずに一方的に亮磨先輩が倒されたスパーリングの何を活かせと言うのだろうか?
当の亮磨先輩はコーナーに置かれた椅子に座り、トレーナーのアドバイスを聞きながらもキョロキョロと辺りを見回している。
「ダメだなありゃ……何が気になっているのか知らねーけど、集中出来てねーどころか、心ここにあらずって感じだな」
試合中もせわしなくスマホを弄っていた麗衣は小さく溜息をつくと、席を立った。
「どうしたの麗衣?」
「時間の無駄だったな。あたしは帰るぜ」
「そんな。勝負は蓋を開けるまで分からないじゃないか?」
「そもそも、あたしがアイツの試合を見届ける義理はねぇし、あたしをあんなに苦しめたアイツが他の誰かに負けるところ何て見たかねぇんだよ」
実際に拳を交えた麗衣なりに亮磨先輩をリスペクトしているからこその台詞だろうか。
「それに、アイツが本当に見て欲しいのはあたしじゃねぇだろ? じゃあな」
そう言い捨てると麗衣はひらひらと手を振りながら席を立った。
◇
ラストラウンドのゴングが鳴った。
リング上の両者は互いの拳を軽く合わせると、直後に土田はラッシュをかけてきた。
亮磨先輩は俺とのスパーリングで見せたサークリングも見せず、真っすぐ下がっている。
「あ~あ。あれじゃあ止められるのも時間の問題ねぇ」
元・
折角、彼らとは和解したのに波風を立てるような発言はして欲しくないのだが……。
まぁ連中からすれば俺達の言葉なんか気にしている暇がない状況だろう。
亮磨先輩は何とかクリンチをして土田の猛攻を凌いだが、クリンチされながらも脇腹をバンバンと叩かれている亮磨先輩の表情は弱気そのものだ。
「勝子、なんかアドバイスしてあげたら?」
「アドバイス? する事無いけど?」
「冷たくない?」
「だって、私が思っている事は既に実行しているから」
「?」
亮磨先輩はブレイク後、土田のボディにジャブを入れ、更に踏み込んでリバーブローを叩き込んでいるが、殆ど土田に効いた様子が無く、かえって返しの左フックを被弾してしまう。
カウンターパンチャーの亮磨先輩が本来の闘い方ではなく、何故かリスクを冒してまで強引にボディを攻めているように見えた。
「……餌を巻いているのか?」
「相手はキックボクサー上がりだからね。元ランカークラスでもない限りボディへのパンチを受けた経験は比較的少ないはずよ。キック時代の戦績がどんなものか知らないけど、ボクサーとして四回戦レベルなら、まだまだボディへの恐怖は拭えないんじゃないかしら?」
まぁ自分に置き換えて考えてみても嫌だよな。
「でも、亮磨先輩の方が背が高いからボディ当てづらそう。返しのパンチ被弾しまくっているし」
「別に効かせるのが目的じゃないから、極端な話、当てなくても良いのよ。でも、そろそろ時間切れかしらね?」
ホールの電光掲示板を見上げると残り時間は59秒を切っていた。
「あの人はローパワーだからね。カウンター狙いに徹すればポイントアウトも狙えたけれど、KO勝ちは無理だと思っていた。だから―」
勝子が何か言いかけた時だった。
「「「うわあああああっ!」」」
勝子の方に向けていた視線をリングに戻すと、赤胴先輩が膝を着いていた。
3度目のダウン。
もう止められても仕方が無い状況だ。
「「「特攻隊長! 立ってくれええええっ!!!」」」
「ワン・ツー……」
リングサイドのトレーナーも、もう駄目だと思っているのか、タオルを手にしている。
試合終了の瞬間は近いと誰もが思ったその時だった。
「赤銅君! 立つんだ!」
聞き覚えがある凛として誰よりもはっきりとした声がホールに響き渡る。
赤胴先輩はその声に反応し、声の主の方に顔を向けると目を見開いていた。
「赤銅君! 僕は以前『暴走族としての君より、ボクサーとしてリングに立つ君の姿が見たい』と言った! 君はその僕の願いを叶えてくれた。でも、もう一つだけ我儘を言わせてくれないか?」
三番入り口の前に立つ声の主は麗の事実上のリーダーであり、最年長者である織戸橘姫野……姫野先輩だった。
「僕は君の勝つ姿がみたい!」
すると姫野先輩の言葉が届いたのか?
亮磨先輩の瞳に炎が宿ったように見えた。
「エイト!」
カウント8で亮磨先輩はダウンした事が無かったかのように、すくっと立ち上がり、ファイティングポーズを取った。
瞳はハイになった状態の様にギラつき、闘志と活力にみなぎっている。
亮磨先輩の変貌を見てタオルを投げかけていたトレーナーがぽかんと口を開けて、フリーズしている。
明らかに亮磨先輩の雰囲気が変わった。
と、いうより場内の空気まで変わったように感じるのは気のせいだろうか?
レフェリーもつい先ほどまでKOされる寸前だった亮磨先輩の変わり様に一瞬驚いたような顔をしていたが、流石はプロ。
何時もの仕事とばかりに亮磨先輩の目を見てすぐに試合の続行を判断した。
「ファイト!」
生き返った亮磨先輩は猛然と突っ込み、またもや左ジャブで土田のボディを突く。
ダメージは無い様だが土田の意識が完全に下に向いた。
次の瞬間、土田のこめかみに亮磨先輩のハンマーの如きオーバーハンドライトが叩きつけられ、ホール中にグローブの重い音が響き渡る。
土田は吹き飛ばされるようにしてマットに激しく頭を叩きつけられた土田はピクリとも動かなかった。
レフェリーはマットで大の字に倒れる土田に顔を近づけると、両手を振り、試合終了のゴングが鳴り響いた。
一瞬の逆転劇。
まだ客席の3分の1にも満たない観客達は騒然となった。
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