第21話 プロボクサーとボクシングのスパーリング(2)

 第2ラウンド開始のゴングと共に俺はガードを固めて突っ込んでいった。


 俺はいきなり左のボディストレートを打ちに行く。


 亮磨先輩はスッと俺のボディストレートを抜くと左のカウンターを放ってきた。


 亮磨先輩のカウンターに合わせ、前足を外に移動させながら踏み込み、前足を亮磨先輩の外側に着地させてカウンターを抜き、右のボディストレートを打ち込んだ。


 よし!


 始めて俺のパンチが亮磨先輩に命中した。


 更に軸足を後ろに引き、斜めの位置から左のリバーブローを叩き込む。


「いいよ! 打ち終わり気を付けて!」


 勝子から指示が飛ぶ。


 そのままの位置ではパンチを打ちずらいのか、バックステップしながら亮磨先輩が左フックを放ってきたので、俺はウィービングで躱した。


 正面に立ち、亮磨先輩と正面から向き合う。


「やるじゃねーか」


 亮磨先輩は短い言葉で俺を称えた。


 我ながらパンチを当てられただけでも大したものであると思うけれど、こんな事で満足していたらそれ以上の成長はない。


 俺は後ろ足に体重をかけるアップライトスタイルに構えた。


 亮磨先輩はゆっくりとしたジャブでフェイントをかけ牽制をかけてくる。


 俺は前拳を前に残したまま、上体を沈み込ませ、亮磨先輩がジャブを引き戻した瞬間に合わせ、低い姿勢のまま体重が掛かった左足をバネにし、下から上に向かって左のジャブ、というよりも左のストレートと言っていいパンチを放つと亮磨先輩にヒットした。


「いいよ!」


 勝子の歓声が飛ぶ。


 2ラウンドは俺の優勢だ。


 このまま俺が押し切れるか?


 俺は半歩踏み込めばパンチが届く間合いから先に左ジャブを放った。


 この距離では先に攻撃を仕掛けた方が有利なはずだ。


 だが、次の瞬間、顎へ受けた強い衝撃と共に俺の足はガクンと落ち、尻餅を着いていた。


「アレ?」


 亮磨先輩のパンチが見えず、何が起こったのか分からなかった。


「ストップ! ストップ!」


 初めてのボクシングのスパーリングという事もあるからなのか?


 そこまでダメージが深いわけではないが、レフェリーは1度のダウンでスパーリングを止めた。



 ◇



「最後のはカウンターね。アンタをわざと攻めさせて狙っていたっぽいわね」


 勝子の説明によると、俺が攻撃した瞬間、亮磨先輩は前足を横に開いて、パリングと同時に体を躱し、俺の攻撃をいなすと、体を横に開いてスウィングを放ったらしい。


「攻撃を躱す為に横に踏み込んでいると真っすぐを打っても抜けるからね、開き気味にスウィングを打ったの。アンタがキックを始める以前に私が教えたカウンターと同じね」


「ううっ……2ラウンド目は優勢かと思っていたのも結局亮磨先輩の掌の上で踊らされていたって事か」


「そんな事ねーぜ。3発当てられたのは想定外だったぜ。そもそも俺の方が有利で当たり前だからな」


 ヘッドギアを脱いだ亮磨先輩はそう励ましてくれた。


「ただ、こんな内容で参考になりましたか?」


「勿論だ。大体お前ぐらいの身長の奴の距離感は掴めたし、最後のカウンターも使えそうって事が分かったからな。自信にもなったぜ」


 それならば良かったけれど。

 俺は自分を無理矢理納得させようとしたが、意外な事に勝子が口を挟んできた。


「いいえ。赤銅先輩。今度の対戦相手は元キックボクサーって聞いたけれど、それからプロボクサーになったのだから経験も実力も武よりずっと上のはずよ?」


 そんな事を言いながら勝子はヘッドギアを被っていた。


「まっ……まさか……お前もスパーするつもりか?」


 見る見るうちに亮磨先輩の顔が青くなっていた。


「私の必殺を先輩に伝授してあげる。まぁ意識が残っていればの話だけれど」



 ◇



 勝子と亮磨先輩のスパーリングは一方的だった。


 俺を圧倒した亮磨先輩だが、全日本アンダージュニア優勝の勝子と四回戦のデビュー前の亮磨先輩ではやはり格が違った。


 亮磨先輩のパンチをダッキング、スウェー、ウィービングを駆使してひょいひょいと躱しながら懐に飛び込むと、いきなり左ボディ、左リバーブロー、左フックのトリプルを放ち、その場に居た誰もが度肝を抜かれた。


 元WBA世界ミニマム級王者・新井田豊氏が得意としたトリプルだが、リスキーなパンチである為か、最近は殆ど使う選手が居ない高等技術である。


 その後も勝子が圧倒し、16オンスのグローブだろうがヘッドギアを着けていようが関係なく勝子の代名詞ともいえるオーバーハンドライトで亮磨先輩はリング上で大の字になり、1ラウンド持たずにスパーリングは中止になった。


「俺……デビュー戦大丈夫かな……」


 気絶から覚めた亮磨先輩はジムの端っこで小さくなって座っていた。


「勝子! 自信無くさせちゃってどうすんの!」


「手加減出来ない程度には強かったからね。それに赤銅先輩が麗衣ちゃんの綺麗な顔を殴って怪我をさせた事は忘れてないからね」


「いや……それは昔の話だし、傷痕も殆ど残っていないし、麗衣も気にしていないだろ?」


「それはそうだけど……あと、……予想はしていたけれどアンタも目の前でKOされて、一寸ムカついてね……」


 勝子が小声でそんな事を言っていた。


「スパーリングだし俺の事は別にいいだろ? 格闘技やっていてそんな風に思っていたらキリがないよ。そんな事が分からない勝子じゃないだろ?」


 やられて腹が立つ気持ちは勿論あるが、それは相手ではなく自分自身に向けなければ足振のようになる。


 そう俺は自分に言い聞かせていた。


 自分の事よりも親しい人が倒されると腹が立つという気持ちは分からなくもないが、勝子の場合は極端すぎる。


「まっ……まぁ、アンタがそう思っているなら良いけど……」


 何かを言おうとしている勝子に対してトレーナーが話しかけてきた。


「凄いな君! 会長から聞いていたけれど、まさかここまで凄い何てね! 是非ともウチに来ないかい!」


 スパーリングを見ていたのか、他のトレーナーや練習生達がわらわらと勝子の周りに集まり、口々に褒め称え始めた。


「昔、あの嶋津さんをスパーでKOしたって本当なの?」

「ウチのホープの赤銅をあんなに簡単に倒すなんて、すげぇよ!」

「全日本アンダージュニア優勝って凄いなぁ。今でも五輪狙えそうじゃん?」

「そう言えば昔テレビで観た事あるよ。空手も凄いんだってね」

「こんなに小さくて可愛いのに強い何てびっくりしたよ!」


 誰も彼もが勝子に注目し、称賛されているのとは対照的に今にも消えいらんばかりに存在が希薄になっている亮磨先輩の事は忘れ去られていた。


 仕方ないから俺は亮磨先輩に声をかけた。


「亮磨先輩。勝子とのスパーは事故に遭ったものだと思えば良いっすよ。試合は俺も応援に行きますから。頑張ってくださいよ」


「……男に応援されてもやる気は出ないさ」


 この野郎……俺だってアンタにやられて落ち込んでいるけど、慰めてやっているのにそんな言い方あるか。


 いや、待てよ。男じゃなきゃいいんだな。


「姫野先輩に来て貰ったらどうですか? 亮磨先輩から話づらいなら俺から話しますよ?」


 この人奥手っぽいからな。


 橋渡しぐらいしてあげても良いだろう。


「……俺を見くびるな。アイツには一番最初に俺からチケットを贈ったさ」


 あら。男前。


 少し亮磨先輩の事を見直した。


「じゃあ、こんなところで落ち込んでないで姫野先輩にカッコいい所見せる為にも頑張らないと駄目じゃ無いスカ」


「……アイツは試合の日は別の用事があるとか言って『もし君に誰か大切な人が居たら、その人に渡して欲しい』って言われて丁重に押し返されちまったよ……はははっ……はぁ~」


 亮磨先輩は深く溜息をつくと、力なく項垂れてしまった。


 ……アカン。更に落ち込ませてしまった。

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