第20話 プロボクサーとボクシングのスパーリング(1)

 亮磨先輩とのスパーリングはヘッドギア、ファールカップを着用の上、16オンスのグローブを付けて行われることになった。


 時間は3分2ラウンド。


 アマチュアキックボクシングのルールでしかスパーリングをしたことがない俺にとって、これは長い時間だ。


 ジムにある練習用の小さなリングと比べると随分リングが広く感じるし、床屋を改造した麗衣の家でやるスパーリングよりも広い。


「試合のリングと同じ広さだから経験しておくのも良いと思うよ」


 セコンドをやってくれる勝子がそう言った。


「亮磨先輩とスパーリングするのは久しぶりだけど。大丈夫かな?」


「そうね。スパーリングは勝敗を競うものじゃないけれど、敢えて言うならアンタの勝ち目は1パーセントも無いわね」


「そりゃそうだろうな」


 相手はプロボクサーでこっちはアマチュアの試合にすら出たことのないキックボクサーだ。


 ボクシングで敵うはずがない。


「だけど、アンタも半年間でずっと強くなった事はこの私が一番知っているから。アンタの成長を見せつけてやりなさい」


「ああ。サンキュー勝子」


 そして、スパーリング開始のゴングが鳴った。


 中央で亮磨先輩と軽くグローブを合わせ、軽く頭を下げると、亮磨先輩も頷いた。


 互いにバックステップして距離を取ると、亮磨先輩は軽やかにステップを踏み出す。


 五ケ月ほど前、亮磨先輩とスパーリングをした時は仮想・岡本忠男でサウスポースタイルでやって貰った。


 だが今回は本来のスタイルであるオーソドックススタイルなので、過去のスパーリングとは別人と思わなければならない。


 亮磨先輩はバンタム級としては長身の身長は170センチ程ある。


 ジムのスパーリングでこのぐらいのリーチの差は何時もの事であるが、ボクシングの場合、もっと距離が近くなるのか?


 ええい。ままよ。


 考えすぎても仕方がない。先手必勝。


 俺はステップインしてジャブを放つ。


 亮磨先輩はバックステップして間を切る、つまり間合いを開けてジャブを躱した。


 これは計算通りでジャブを連打して下がる亮磨先輩に命中させようとしたが、次の瞬間、俺の顔は跳ね上がっていた。


 亮磨先輩は後ろ足のみ引いて上体を躱していたようだ。


 そして、俺がジャブの腕を引くと同時に反動で上体を戻しながら返しの強いジャブ、ほぼ左ストレートと言っていいパンチを放っていたのだ。


「くっ!」


 更に亮磨先輩は右ストレートを打とうとしているのか?


 右肩が動き、パンチが振り下ろされる。


 俺は咄嗟に左でカウンターを取ろうとするが、真っすぐ放たれた亮磨先輩のパンチが途中から軌道が変化し、俺の左拳を払い落しながら踏み込み、前に移動させ始めた後ろ足を外側に移動させると同時に、左フックを放つ。


 スイッチかよ!


 俺は右手で反射的にガードを上げ、何とか左フックを防いだ。


 返しのパンチを打とうとしたが、亮磨先輩はパンチを打った後も同じ場所にとどまらず、俺の右側に回り反撃を封じた。


 流石だ。


 先日スパーリングした足振如きとは比較にならない動きだ。


 ファーストコンタクトだけで亮磨先輩の技量の高さに感動すら覚えたが、まだまだこれからだ。


 今度は亮磨先輩から仕掛けてきた。


 亮磨先輩は左の拳を引かず、前に出したまま右のストレートを放ってきた。


 奇妙な動きに反応が遅れかけたが、咄嗟に左のグローブで押さえる様にしてストッピングで右ストレートを止めるが、威力があまりにも弱かった。


 すると亮磨先輩は右足で踏み込む勢いを利用しながら、左のショートストレートを俺の顔にねじ込んだ。


「なっ!」


 カウンターを当てる前に亮磨先輩は攻撃の射程外に逃れている。


 右はフェイントでスイッチしてから左ストレートなんて、こんなトリッキーなスタイルはキックのスパーリングでは経験したことがない。


 考えてみれば、以前亮磨先輩はサウスポースタイルでスパーリングをしてくれたぐらいだから、このぐらいの芸当はお手の物って事か。


「集中! 相手をよく見て!」


 勝子はリングサイドで叫んでいた。


 感心している場合じゃない。勝子の言う通り集中しないと。


 


 亮磨先輩は重心を落とし、低く体勢を構えた。


 ボディストレートを打つつもりだろうか?


 一応ボディは鍛えているが、まだまだボディ攻撃に慣れていない俺にとって怖い攻撃の一つだ。


 亮磨先輩が軽く肩を動かすと、フェイントだと分かっていてもつい反応してしまう。


 俺の前手が亮磨先輩の前手を押し込むようにして俺の左手を封じながら、亮磨先輩は低い姿勢のまま鋭く踏み込んで来た。


 ボディストレートが来る!


 左手は抑えられているので咄嗟に右手のガードを下げるが、下から上に突き上げる様にして右ストレートが顔面目掛けて伸びてきた。


「返しのパンチ! 遅い!」


 勝子はそう指示をしたが、俺の反応が遅すぎた。


 右ストレートで顔を弾かれた俺は、パンチの打ち終わりに体がぶつかるほど接近した亮磨先輩にフックで返しを入れようとしたが、その前にクリンチをされて攻撃を封じられた。


「ブレイク! ブレイク!」


 レフェリーに体を引き離された後、俺はジャブで入り、何とか亮磨先輩に当てようとするが、ことごとく俺が入る前にジャブで弾き返され、一方的な展開のまま長い1ラウンドが終了した。



 ◇



「くっそー! 全然当たらないよ!」


 インターバルの間、俺は嘆くと勝子が亮磨先輩について分析していた。


「ジャブ打つときの癖が完全に読まれているわね。麗衣ちゃんと喧嘩した時もそうだったけれど、パワーは無くてもカウンターが相当上手いよね」


「どうすれば良いかな?」


「そもそも長身の相手にジャブの刺し合いじゃ分が悪いってことは知っているでしょ? 勇気をもって懐に飛び込んで、ボディから切り崩していくことも考えて」


 ボディを打つのは相手のパンチを喰らいやすい距離だから勇気が居る。


「あと、決めのパンチを打ち終わったら狙われやすいから、打った後は必ずウィービングやダッキングで頭を動かして。後は……」


「後は何だい?」


 俺が尋ねている途中で、第2ラウンドのゴングが鳴った。


「アンタの培ってきた技術でも通用するものが一つや二つはあるはず。自分を信じなさい!」


 勝子は早口でそう言って俺を送り出した。

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