第11話 とある天才が開発した粥
「武。一寸来て、麗衣ちゃんが呼んでいるよ」
階段の上から手招きして勝子は俺を呼んだ。
「麗衣が呼んでいるって……どうしたの? 着替えは終わったの?」
「当たり前でしょ。私があんた達と話している間に着替えちゃっていたわよ」
勝子は不機嫌そうに答えた。
ナイス判断だ。恵。
「何よ。あんた、もしかして麗衣ちゃんの着替えを想像していたの? 不潔ね」
そういう勝子の方はどうなんだよ?
と、言いかけて俺は命が欲しいので口を閉ざした。
そこへ、恵が慌てた様子で階段を降りてきた。
「どうしたの恵?」
「あ、武君来ていたんだ。私、一旦出かけるから麗衣ちゃんをよろしく」
そう言うと恵は俺の横を通り抜けた。
「まっ……待ちなさいよ! 私も行くんだから! 武! アンタ一人だけ来いって麗衣ちゃんの命令だから」
「ええっ! オレ達はまだ待機っすか? お二人が出かけるなら狭くないでしょ?」
澪が当然の不満の声を上げた。
「とっ……とにかく。麗衣ちゃんは武だけ来いって言っていたから。後であなた達もちゃんと逢わせてあげるから! ……って十戸武! 待ちなさい!」
俺を押しのけるようにして勝子も慌てて恵の後を追った。
あの二人が何をしに行くつもりなのか気になるが、俺だけ呼ぶってどういう事なのかな?
「まさか、麗衣サン。お二人が居ない間に小碓クンとHな事でもするつもりじゃ……」
「いやいや。風邪ひいているから流石にそれは無いから」
とにかく、俺は麗衣の待つ部屋に行った。
◇
毎週の女子会で麗衣の家には何回も来ていたが、麗衣の部屋に入るのは初めてだった。
生れて初めての女子の部屋に入ったのに全くドキドキしない理由を深く考えるまでもなかった。
一階と同じようにグローブやヘッドギア、プロテクター、それに鉄アレイやダンベルが整然と並べられており、そこは俺の想像する女の子の部屋と程遠い様子であったからだ。
まぁ麗衣だったら縫いぐるみよりもグローブの方が似合いそうだよな。
「よう武。どーせ女の部屋に入るの初めてだろうけどがっかりしただろ?」
布団に包まりながらベッドに体を横たえ、顔を俺に向けた麗衣がからかうように言った。
元気よく振舞おうとしているのだろうけど、マスクから覗く顔や耳は何時もより赤い。
「がっかりというか……まぁ、予想通りだよね。縫いぐるみの一つでも置いてあった方がギャップ萌えするんだろうけど」
「ギャップ萌え? 何だそれ?」
そりゃ知らんだろうな。
「まぁ例えると普段悪い事ばっかりしていそうな暴走族が野良猫に餌をやったりすると、もしかして良い人って思うだろ?」
「何でだよ? 野良猫を可愛がろうがハンバーガーの挽肉にしようが珍走は珍走だろ? それに一つや二つぐらい良いところがあるからって、奴らの罪が消える訳じゃねーだろうが?」
子供の頃にまことしやかに噂された某ファーストフード店に関する都市伝説を思い出した。
そもそも猫の肉なんか使ったら金が余計かかりそうだし、バレた時のリスクも高いのにわざわざそんな事をするはずもないのだが。
それはとにかく、例えが悪かったか。
「それよりか麗衣。さっきは助けてくれてありがとう」
「あたしは大したことしてねーよ。礼なら勝子と恵に言え」
「あっ。そうだね。二人にも、中学生チームにも後でお礼言わなきゃ。でも何で俺と棟田が喧嘩すること知っていたの?」
「姫野からメールが来てな……赤銅からお前が棟田から狙われているって連絡を受けたらしくてな。それで急いであたしに伝えてくれたんだ。どうせ喧嘩するなら六森だし、案の定位置確認アプリを見たら、お前たちが集まっていたから急いで駆けつけた訳よ」
受験が終わったばかりなのに姫野先輩は今、日本拳法の大会で東京に居ないらしい。
赤胴先輩としては多分麗衣か勝子あたりに直接伝えたかったのだろうけど、連絡先を知っているとは思えない。
だから、同盟の件以降、仲が良くなった姫野先輩を通して麗衣達に伝えたかったのだろう。
「ったく赤銅の野郎……東京に居ない姫野に伝えてどうすんだよな……げほっごほっ!」
「麗衣! 大丈夫?」
「ああ。あたしは平気だ……。わりぃな心配させちまって」
「いや、俺の方こそ心配をかけて御免。俺個人の問題なのに麗の皆まで巻き込んで……」
俺が麗衣に頭を下げると、頭上から麗衣は気遣うように言った。
「ばーか。何言ってやがるんだよ! 棟田の件は元を辿れば、アイツをぶっ飛ばしちまったあたしが原因だしな」
俺が顔を上げると、麗衣は上気して熱で少し潤んだ瞳をしていた。
「それに
そうだとしても、どこまで本気だったのだろうか?
勝子を見ただけで逃げ出したぐらいだから、その気になっていたのは棟田ぐらいでは?
「それにお前には何時も助けてもらっているしな……あたしばっかり助けて貰ってお前に何も返してやれてねぇし。せめてこんな時ぐらい返させてくれよ」
「麗衣。そんな事ないよ。苛められて自殺まで考えていた俺を苛めていた奴に負けないぐらい強くしてくれて、こんなにも沢山の仲間が出来たのも麗衣のおかげだよ」
「お前が強くなれたのは全部お前の努力の結果だよ。あたしは大した事しちゃいねーよ」
「いやいや。屋上から一緒に飛び降りて大した事してない何て言えるのは麗衣ぐらいだよ」
「はははっ……でも、あの時お前と
「麗衣……」
お見舞いに来て麗衣を励ますつもりが、逆にこちらの方が励まされてしまった。
「麗衣ありがとう……ところで、俺だけを呼んだ理由って何?」
まぁ風邪をひいているのならHなお誘いはないだろうけれど、寝間着を脱がして、下着を脱がして体を拭くぐらいなら……って何さっきの澪みたいな想像してんねん。
麗衣はしげしげと俺の顔を見つめながら言った。
「どこも怪我はしてねーよな? 特に腹殴られたりしてねーか?」
昔サンドバッグ呼ばわりされ、よく腹パンを喰らっていた事を気にしての発言だろうか?
「大丈夫。棟田の攻撃は一発も当てられてないから」
「それは良かった……で、一つ頼まれてくんねーか?」
「麗衣の言う事なら何でも聞くよ」
「じゃあ……これを一緒に食ってくれないか?」
そういうと麗衣が机に置いてある土鍋を持ってきた。
俺はその鍋を覗き込む。
麗衣がその蓋を開けると赤い湯気が立ち昇り―
「つうっ!!! 何だこの刺激物!」
まるで唐辛子エキスを混ぜた目薬で目を注されたような痛みに狂乱した。
「目がっ! 目がああああっ!」
堪らず俺は両手で目を覆い、カーペットの上でのた打ち回った。
肘で瞼をカットされたら世界がこんな感じに見えるのだろうか?
視界が赤く染まり、暴走族と喧嘩した時にも陥った事のないパニック状態になった。
「おっ……落ち着け武! 気をしっかり保つんだ!」
麗衣は自分のおでこに乗せられていた濡れたタオルを俺の瞼に被せた。
すると、少しだけ目の痛みが引いたような気がする。
「良いか、真上から鍋を覗き込んだらやべーからな。ハンカチを口に当てて、身をなるべく低くして湯気に当たらない様にするんだ」
「火事の時の逃げ方かよ……そう言うことは先に行ってくれ……って何この毒?」
俺と麗衣は身を屈め、ハンカチで口を塞ぎながら目を合わせた。
「まっ……まぁ、恵が作ってくれた粥なんだけどな……」
「粥?」
俺は屈みながら瞼にかけられたタオルを取り、遠目で鍋の中を覗いた。
もくもくと赤黒い瘴気……じゃなくて湯気が立ち込め、その中心には着色料塗れのソーダフロートの様な不自然に青い粒上のぐちゃぐちゃな物体が、まるで悪い魔法使いのお婆さんがかき混ぜている壺の中身の様にポコポコと泡を立てながらドロドロと渦巻いていた。
「ねぇ麗衣。これのどこが粥なの?」
アイツ、お嬢様みたいな面でどこぞのテロリストみたいな毒物開発してるんじゃねーよ!
「……恵の言葉を信じるならそうなんだけど……」
「いやいやいや。何使ったら米が青くなるのか知らんけど、青い米からどうして赤黒い湯気が立つわけ? 物理的にこんな事可能なの? どこの天才の仕業よ?」
「だから恵……」
「はっきりとこんなの食えないって恵に言おうよ!」
「ダメだ! アイツだって良かれと思って心の奥底から善意で作ってくれたんだ! アイツは一ミリたりともこれが粥という食い物だと信じて疑ってねぇ……げほごほ!」
「どうして変なところ意固地なんだよ! てか、何時も恵に甘すぎないか?」
「アイツはクラスで唯一の女友達なんだ……それに敵対していたのに麗の仲間にまでなってくれた。そんなアイツの善意を踏みにじるなんてあたしにはできねー。それに食い物を粗末に出来ねぇ……ゲホゴホ!」
最早この物体は食い物とは言えないと思うが……。
こう話している間にも視界が赤黒くなり、喉が辛くなってきた。
堪らず麗衣は窓を開けた。
赤黒い湯気は全開の窓から抜けてゆき、少しは視界が晴れて来た。
「ご近所さんから火事と間違えられえなきゃいいけど……」
「とっ……とにかくだ。恵には昨日ジャージに着替えて学校に忘れたあたしの制服を取りに行ってもらった。今なら二人で食ってもバレない」
「だから何で食う前提で、しかも俺なんだよ!」
「わりぃな……こんな事頼めるのはお前しかいないんだ」
うわー。頼りにされていて嬉しいな。感動しちゃうよ俺(棒)
「勝子は逃げやがったの?」
せめてアイツを道連れにしなきゃ気が済まんが、麗衣の命の危機の時にアイツが居なくてどうする!
「いや。アイツは恵にあたしの制服取りに行ってくれって頼んだの聞いたら何故か自分が行くって言いだして、あたしとしては恵がこの場から離れてくれれば良かったんだけど、勝子がどうしてもって言って珍しくあたしの言うこと聞いてくれなくて……結局二人で取りに行ってな……」
成程。麗衣の制服目当てね。
麗衣の制服でスリスリしたりくんかくんかしたりする良い機会とかどうせ思っているんだろ。
勝子と恵で制服奪い合いになって、麗衣に返ってきた制服ボロボロとかいうオチじゃなきゃいいけど。
「とにかくだ……お前を漢と見込んでの頼みだ。頼むよ!」
麗衣は深くふかくふか~く俺に頭を下げた。
俺は麗衣との出会いと、麗衣から言われた台詞を思い出した。
「……分かったよ。良いぜ。一緒に死んでやるよ」
我ら生れた時は違えど。死ぬ時は一緒だ。
桃園の誓いの時、彼の英雄たちは同じような心境であったに違いない。
翌日。
俺も麗衣も学校を休んだ。
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