第9話 幻聴ではない?

 澪を押し倒し、ナイフを持った棟田の凶刃を反らしたまでは良かった。


 だが、俺の無防備な背を棟田に晒され防ぐこともままならない姿勢だ。


 振り向くと、棟田は恐らく一歩踏み込めば俺を刺せる間合いに居る。


 下手に躱せば、俺に押し倒された澪が刺される可能性がある。


 逆恨みとはいえ、棟田に恨まれたのは俺が原因だし、真っ先に駆けつけてくれた澪に万が一でも怪我をさせる訳にはいかない。


 俺は刺されることを覚悟し、澪を守るように彼女の背に腕を回した。


「ダメ! 小碓クン! 逃げて!」


 俺の意図を察したのか?


 澪は俺を引き離そうとしたが、長身の澪とはいえ、捕まえた時の腕力では俺の方が上だった様で、容易く引き離されなかった。


 奴からすれば見下すべき相手である俺が女子を抱きしめているという行為は棟田を激怒させるのに充分だった。


「女が腐ったようなオカマ野郎と男女の癖に見せつけてんじゃねーぞボケ! そんなに死にたきゃ二人とも仲良く殺してやんよ!」


 既に疲労の色が濃い上に、目の前の敵への対処で精一杯の香織、静江、吾妻君は俺達を助けに入る事が出来ないし、こちらに気付いてすらいない。


 終わったか。


 だが、俺が盾にさえなれば、後は澪が棟田を倒してくれるだろう。


 一度麗衣と心中未遂をした俺は自分でも不思議なほど死に対する恐怖が薄かった。


 残念であるとしたら、また勝子が本気で怒るんだろうなという事と、麗衣に告白出来なかった事だけど。


 そんな事を考えている時だった。


「テメーらっ! どけーーーーっ! 邪魔だあっ!」


 けたたましいバイク音とともに麗衣の声が聴こえてきた。


 ん? 麗衣に逢いたいあまりに幻聴まで聴こえてきたのか?


 麗衣は今日風邪で学校を休み、家で寝込んでいるはずだが?


 しかし、幻聴ではないのか? 棟田は声の方向を向くと、蒼褪めた顔で横っ飛びをした。


 棟田が飛びのいた場所は、数秒後にバンディット250Vが通り抜けた。


「テメーっ! 殺す気か!」


 棟田は自分が俺らにやろうとしていた事も都合よく忘れ、一〇メートルほど先に止めたバンディットに乗るオフロードヘルメットを被る人物に怒鳴りつけた。


「あ? そんな物騒なモン持っているくせに何言っているんだ?」


 幻聴ではなかった。


 オフロードヘルメットを脱ぐと、その正体はやはり金髪褐色の美少女、美夜受麗衣だった。


「久しぶりじゃねぇか。あたしに一撃で失神させられた挙句、武にもボコられて、逃げるようにして中退した雑魚の棟田君よおっ。ひきこもり生活に飽きたからって、いきなり刃物ヤッパ振り回してニュースにでも出るつもりか? そんな事をしてまで自己アピールしなくても誰もお前の恥ずかしい生き様なんて忘れやしねぇよ!」


 この口の悪さは幻聴ではなく、麗衣本人の罵声に間違えない。


 自分が麗衣から罵声を浴びるのは心地好いが、他人が言われていると可哀そうに思う。


 ん? 何か俺変な考えしてたか?


「テメー……美夜受。テメーもぶっ殺す対象の一人何だよ! 丁度都合が良いぜ……」


「あ? テメー前に威勢よく、あたしの事犯すとか言っていたくせに無様にワンパンでKOされた事も覚えてねーの? それにテメーのソチンぐらいしか操れねーような腕でナマクラ握ったぐらいでどうやってあたしを殺すのか? 是非ともご指導ご鞭撻の程お願いしますってヤツだ。童貞DV君♪」


「……テメー死んだぞ!」


 棟田はターゲットを麗衣に変え、ナイフを持った手を振りかぶった。


「危ない! 麗衣!」


 だが、俺の心配は杞憂であった。


 麗衣はスッとサウスポースタイルに構えると、ガードしながら右足を素早く膝から引き揚げ、足を引いて体に引き付けた後、半身を後ろの反らしながら膝下を伸ばして、胴ががら空きの棟田を前蹴ティープりで突き放した。


「テメェ!」


 棟田を蹴り飛ばした麗衣は足をふらつかせていた。

 強がってはいるが、やはり風邪の影響で本調子ではないのだろう。


 だが、今度は複数のバイク音が林の中に鳴り響かせながら近寄ってきた。


「こっ……今度はなんだ?」


 棟田が動揺していると、二台のバイクが棟田を挟むようにして車体を止めた。


 ビッグスクーターのヤマハNMAX155に乗る人物はマットグレーのオープンフェイスヘルメットを脱ぐと、二つおさげの小動物的な可愛らしい美少女が素顔を晒す。


 その一見愛らしい顔を見て元・鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの連中と思しき連中から思わず「ひいっ!」という声が上がった。


 彼らにとっては悪夢の出来事であっただろう。


 彼女は鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの親衛隊長・赤銅鍾磨あかがねしょうまを一方的にぶちのめし、魔王サタンズ・鉄槌ハンマーの異名を持つ周佐勝子だった。


 フルコンタクト空手を使い、彼らを率いた赤銅鍾磨は実力が全てである彼らにとって力の象徴であったのだろう。


 だが、女子の平均身長にも満たないような小柄な少女が見せたのは自分らの畏怖の対象である鍾磨を上回る、悪魔の如き圧倒的な暴力であった。


 その勝子が現れたというだけで彼らの戦意を削ぐには充分だったのだろう。


「聞いてねぇぞ!」

「周佐が来ないって話だから計画に乗ったんだ!」

「終わった……俺達全員殺されるうっ!」

「冗談じゃねぇ! 俺は抜けるぜ!」


 そう言いながら、我も我もと旧・鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの親衛隊連中は逃げ出して行った。


 その様子を見て只事ではないと思ったのか?


鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの奴らどうして逃げるんだ」


 ある奴が尋ねると。


「馬鹿! あのちっこいのはやべーんだよ! 動画見てねーのか?」


「マジか? ……まさか、アイツが噂の魔王サタンズ・鉄槌ハンマーかよ!」


「ああ。鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの連中の様子からして間違いねぇ……」


「漫画みたいに親衛隊長吹き飛ばされていたよな……」


「勝負ついて顔面潰れた鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの親衛隊長の襟首掴みながら振り回してたよな……」


「あんな化け物相手にするなんて御免だぜ!」


 恐怖はクラスターの様に伝染し、鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードとは無関係の後から棟田の仲間になった連中まで次々と逃げ出して行った。


「おっ! オイ! マテ! テメーら逃げるな! 待てよ! 逃げたら殺すぞ!」


 棟田は逃げてゆく仲間達を必死に引き留めようとするが、まだ経験が浅い格闘技の使い手に敗れ、力に従った程度の連中だ。


 アイツらの立場からすれば、より巨大な暴力の化身みたいな扱いをされている勝子を相手にしてまで棟田に従う義理はないだろう。


 棟田の脅しなど聞きもせず、蜘蛛の子を散らしたように逃げて行った。


「クソっ! だが、美夜受と小碓だけでも道連れにしてやんよ!」


 ナイフを振りかぶり、麗衣を切りつけようと再び棟田が襲い掛かるが―


 棟田を挟んで立った、喧嘩の場には不似合いなスーパーカブから降りた黒髪の長い少女が上段受けで棟田の腕を打つと、素早く上体を反らし、首と肩で相手の手首を挟んだ。


 挟まれた棟田の腕が伸びると、すかさず右の後足は棟田の右足付近に腰を低く位置し、右手は棟田の右脇下に、親指が上に向く方向で宛がう。


 左の前足は棟田の左足付近に踏み込み、左足と右足はハの字になり、棟田の両足と平行に入り、おんぶするような腰の姿勢になる。


 右手は棟田の脇下に密着し、右腕を抱きかかえこんで両膝頭を伸ばし投げ飛ばした。


 一本背負い。


 棟田の背が激しく地面に叩きつけられる。


 そして少女は素早く棟田の上で四股立ちになった。


「セイっ!」


 間髪入れず棟田の顔面を少女は裂帛の気合を込めて下突きで突いた。


 白目をむいた棟田は気を失ったのか?

 力なく手に握られたナイフを落とした。


「よりによって、麗衣さんに刃物を向けるなんて万死に値するね……久しぶりに天網時代のヤキを入れてみたい気分になったよ♪」


 天網時代のヤキってあれか……文字通りヤキ入れていたんだよな。


 一見お嬢様のように見える和風美少女、十戸武恵は顔に似ない恐ろしいことを平然と言っていた。


「珍しく十戸武と同じ意見だよ♪ ねぇ麗衣ちゃん。この身の程知らずの馬鹿にヤキ入れて良い?」


「そうだな……、武はどうしたいか?」


「別に。コイツが二度と手を出してこなきゃどうでも良いけどね」


「でも、コイツ相当な粘着っぽいぜ。族の残党集めてまで復讐しようだなんて尋常じゃねぇ執念だ」


「俺としては狙われたら何度でもコイツをぶちのめすまでだけどな」


「棟田一人ならどうってことねーけど、鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの残党連中やら新しい仲間やら集めて、また襲ってくるかもしれねーぞ? まぁ所詮棟田程度に従っていた寄せ集めの烏合の衆だから、これで解散すると思うけどな……」


「私の顔見た途端、一目散に逃げて行った根性なしどもだからね……それにしても失礼だと思わない?」


 いやいや。

 

 鍾磨とのタイマンを直で見ていたらそりゃ逃げたくなるよな。


 この点に関しては鮮血塗之赤道ブラッディ・レッド・ロードの連中と同感だ。


「でもさぁ、また別の人集めて復讐に来る可能性はあるよね。やっぱりヤキ入れておかない?」


「私もそうした方が良いと思う」


 美少女の顔を被った悪魔二人は平然とヤキを入れることを主張した。


 不良のけじめのつけ方というのが未だに慣れないし好きではないのだが、これはヤキを入れないと収まりつかないのかと悩んでいたその時だった。


 パトカーのサイレンが鳴り響き、その音はこちらに接近していることを告げていた。


「ヤベっ! 警察おまわりがもう来やがった! 全員ずらかるぞ!」


 麗衣が促すと、姫野先輩が引退同然の今、サブリーダー的な地位にいる勝子は指示を出した。


「了解! 皆! 少し間を開けて麗衣ちゃんの家に集合ね」


 俺達はサイレンの逆方向に抜け出すと手際よく散会した。

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