冬の便りと薄氷の朝~西野 宗介~

「ふぅん。まぁ……さぁ。良いんじゃん?れんげ草で会えるんだからさ」

宇佐美はそう言って僕に背を向けて歩き出した。

彼女の今までの口ぶりなら、きっと応援してくれると淡い期待を抱いていたから予想外の反応に少し困惑もしたが。まぁ、もう学生じゃないんだ。大人なんだから誰かに後押しされなきゃ行動に移せないわけでもない。


「じゃあね。私こっちだから」

二股に分かれた道で、宇佐美が手を振った。

さっきの反応の理由も気にはなったが、それよりも美鈴さんが休みにすると言ったときの表情の方が気になる。

考えるまでもなく足は来た道を戻っていた。


表通りを抜けて角を曲がる。

もうすぐ12時。買い物客が、路地裏商店街を行きかう中、れんげ草へと急いだ。

中の様子はここからでは見えないが、開いた窓の向こうで白いカーテンが二月のまだひんやりとした風にふわりふわりとはためいている。

入っても構わないだろうか。

迷惑だろうか。

ここまで来ておいて、今更不安に襲われる。

ポプラの木がさわさわと、その頭を揺らしていた。

――よし。

思い切って扉を開けた。


「あら、西野さん」

美鈴さんがキッチンに立って、サイフォンで珈琲を淹れていた。いつもの穏やかな笑顔だ。

「みーこちゃん、すぐ戻ってくると思います」

困ったように笑いながら砂糖とミルクピッチャーをお盆に乗せる。

「ちょうど今淹れた所なんですけど良かったら飲みますか?」

「え……いや、でも」

「珈琲を淹れるのを楽しんでいただけですから。どうぞ、遠慮なさらずに。私も自分の分、淹れますから」

美鈴さんが、深い色の珈琲を窓際のテーブルに置いて、もう一度珈琲豆を挽き始めた。


「ごめんなさいね、急にお休みにするだなんて言ってしまって。宇佐美さんは帰られました?」

「はい」

白い湯気が立ち昇る珈琲に、そっと口をつける。苦みの中にも、少し甘みもある。心を落ち着かせるように、ふぅと息を一つ吐いた。

アキが食堂を歩き回る音が、なんともゆるい雰囲気を醸し出す。

やがてサイフォンのビームヒーターの音が止まり、珈琲の抽出を始める。美鈴さんは、その様子を椅子に座ってぼんやりと眺めていた。


淹れた珈琲を持った美鈴さんが、僕の向かいに座った。

彼女の動き一つに、ふわりと甘く爽やかな香りがたつ。春の柔らかい陽射しを浴びた植物のような、川や水田を吹き抜ける爽やかな風のような。

「どうかしました?」

僕は今どんな顔をしていたのだろう。

美鈴さんの良い匂いを嗅いでいましたなんて、そんな気持ち悪い事、言えるわけがない。

「いっ、いえ別に……」

頬が熱くなるのを感じながら、俯いた。

「戻っていらしたのは、忘れ物か何かですか?」

――しまった。どうしましたって、そっちの意味か。

彼女を意識するあまり、いちいち見当違いな事をして、これではただの変な奴だ。

「あ、えっと……その」

――ここでウジウジしていては、戻って来た意味がない。美鈴さんは休みにしたいと言ったのに、戻って来た僕をこうして迎え入れてくれたのだ。何でもないですとは、今更言えない。

「さ、散歩に行きませんか?」

普通の人は、こういう時にどう誘うのだろう。

この辺りは遊園地やら水族館なんかも無いし、とんでもなく田舎だ。何より、美鈴さんが遊園地ではしゃぐ姿は想像できないし、僕はそんなデートという甘いものがしたいというよりも、ただゆっくり綺麗な景色を眺めて歩きたかった。ゆっくり話がしてみたいと思っていたのだ。

「散歩、ですか?」

思ってもみなかった、というように、美鈴さんがきょとんとしている。

「あ、いつでも。都合のいい日で――」

「西野さん」

言葉を遮るようにして、僕の目をまっすぐ見つめて困ったように微笑んだ。

「私は、ここを離れるわけにはいかないんです」

美鈴さんは、ゆっくりと珈琲カップに口をつける。

アキは店の隅でまどろみながら、くわぁと一つ大きなあくびをした。

「離れられない……と言った方が正しいですね。ごめんなさい」

「そ、それはどういう――」

「美鈴さぁん」

今にも泣きだしそうな表情のみーこちゃんが、帰って来た。

袖口で目を擦り、唇を真一文字に結んで俯いたまま鼻をすすっている。

「あら、おかえりなさい」

美鈴さんがみーこちゃんの前にしゃがみこむ。

僕の方をちらりと見た彼女は、美鈴さんにしか聞こえないくらいの小さな声で何かを話し、美鈴さんもそれに静かに頷いていた。

「あの……すみません。僕帰りますね。珈琲、ごちそうさまでした」

「西野さん――」

美鈴さんの声にも、僕は足を止めることなく店を飛び出した。


きっと僕には言えないような事なのだろう。

あの場にいるのは、きっと美鈴さんを困らせるのかもしれない。


あがる息を整える。

気付けば月夜神社の鳥居の前まで来ていた。

ガサッという音と共に、鬱蒼とした森の木々からカラスが飛び立つ。

――そう言えば、みーこちゃん。ここに時々絵を描きに来てるって言ってたな。よく知ってる場所だって言ってたけど……

神社まで続く石段は、あちこち苔むしている。

一段づつ、ゆっくりと上る。その一歩ごとに、緑と土の匂いが濃くなっている気がする。

昼間のこの時間でも、薄暗い森の中。時折ざぁっと大きく木々が揺れるのが、少し不気味にも感じてしまう。


足元に枯れ葉が積もった狛犬が二体。なんとなく、その葉っぱをそっと手で払う。

しんとした境内は、空気も嫌に冷たい。森の中だから気温が低いのもあるだろうが、本当に何も無い、空っぽの場所だというのがここに立っているだけでわかる。

古い木の立て札には、この神社にまつられている神様の話が書かれているが、あまり歴史には詳しくない自分にはピンとこない内容だ。


「おや、こんなところに。珍しいねぇ」

突然の人の声に驚いて振り返ると、狛犬の前でこちらを見ていたのは、一人の老女だ。

「私は、リハビリのために散歩でね。滅多にここには来ないんだけど、最近調子が良いから。階段でも上ってみちゃおうかってね」

そう言って、ふふっと頬に手を当てて笑っている。

「ここはもう、神様はいらっしゃらないよ。もう他所へ移ったからね」

「そう、なんですか」

女性はミツさんと言うらしい。

こちらが何を聞いたわけでもなく、彼女は本殿を見上げて教えてくれた。

「まぁ、でもここには神様だけじゃなくて、色んなものも住み着いていたから、そういうのはまだいるのかもしれないけどね」

「色んなもの?」

幽霊とか、妖怪とか。

宇佐美の話を聞いた後だからか、普段では考えもしない事が頭をよぎる。

「女の妖怪がいてね。私も子供の頃に見たことがある。大人になってからはそういうのはめっきり見えなくなってしまったがねぇ。おたくさんは、そういうのは信じる?」

僕は「はい」と強く頷いた。ちょっと前の自分なら、そんな非科学的な事と、聞き流していたかもしれない。

古いベンチに腰かけたミツさんは、僕にも「隣へどうぞ」と手招きした。

「人の姿をしてたの。当時の私はね、家事をする為に学校へは行かせて貰えなかったの。家で字の勉強でもしようものなら、そんな暇あるなら洗濯でもして来いってね。それで、一度だけ家を抜け出してここへ来たことがるの。その時に会ったのがその女の妖怪」

彼女は懐かしそうに目を細めた。

「とっても綺麗な人でね。字なんてわかっちゃいない筈なんだけど、私が書いてみせた字を『上手ね』って褒めてくれた。私の悩みなんかも黙って聞いてくれてね。私がやり方を教えて、けんけんぱなんかもして遊んでくれた。最初は正直おばけなんてと思って怖かったんだけど、すごく優しくて――」

すると「そういえば……」と何かを思い出したように、ふと顔を上げた。

「彼女が動くと、小さく鈴の音が聞こえたよ。聞いたら『私の音よ』って。私は鈴のおばけに会ったんだって思ってたんだけど、結局その日帰ったら酷く叱られて、それ以来ここへ来ることも無いまま大人になっちゃって。見えなくなっちゃったのよ。お礼も言えないまま、見えなくなるなんてね」

そう言ったとき、ミツさんのポケットから携帯が鳴った。

「あら、いけない。孫が心配してかけてきたみたい。ごめんなさいね、そろそろ帰らなきゃ」


足場の悪い階段だ。転んでは大変だからと申し出て一緒に降りると、ミツさんは何度も「ありがとうね」と礼を言った。

自宅まで送り届けると言ったのだが、ちょうどお孫さんが車で迎えに来たので、そこで別れる事となった。




あれから一週間が経った。仕事で暫く来れていなかったが、美鈴さんは普段と変わりないし、朝からいるらしい宇佐美は、特に話しかけてくるでもなく、ぼんやりと窓の向こうを眺めている。

僕は今、パセリと粉チーズのかかった、濃厚なナポリタンを食べながらそんな二人をちらちらと伺っているが、ただただ静かな時間が流れ、宇佐美が美鈴さんに渡していたチコさんという人のボサノバの歌が、穏やかに流れるいつもの午後だ。


「こんにちは」

やって来たのは、マキちゃんだ。

「あら、平日に珍しいですね。お休みですか?」

「うん。創立記念日でね。ほら、もう少しで引っ越しもあるし。来れるうちに来ておきたいなって」

マキちゃんは僕と宇佐美にも挨拶し、僕のナポリタンを見て「美味しそう」と同じものを注文していた。

水分を飛ばしながら炒められたナポリタンは、太目の麺にしっかりとケチャップが絡み、どこか懐かしい味がする。


暫くして運ばれてきたナポリタンを食べたマキちゃんは

「美味しい!あーぁ、ほんと。もうここに来られなくなるなんて」

と、あきらめ口調で独り言ちた。

「マキさんなら、きっと大丈夫です」

洗い物を終えた美鈴さんが、濡れた手を拭きながら言った。

「ここへ来た当初は、とても人見知りだったあなたが、今では宇佐美さんや西野さんにもしっかりとご挨拶できるんですもの。心配しなくても、きっと上手くやっていけますよ」

何だか、少し突き放したような言葉にも聞こえる。

美鈴さんらしくないような気もするその言葉に違和感を感じていると、カフェのドアが開く。みーこちゃんがアキと帰って来たのだ。

「あっ、マキさん!いらっしゃいませぇ」

アキの足を拭いて、手を洗ったみーこちゃんが、いつものピンクのエプロンを着ける。


それからの店内は、いたっていつも通りの光景だった。

ただ、宇佐美はいつになくぼんやりと窓の向こうに佇むポプラを眺めている。

食事を終えたマキちゃんは、みーこちゃんと一緒に絵を描き始めた。

宇佐美が席を立ち、美鈴さんに会計を済ませる。

「はい。こちら、今日のお土産のお菓子です。お持ち帰りください」

そう言って、美鈴さんは可愛らしい猫の型抜きクッキーの入った袋を宇佐美に手渡した。

「ねぇ」

宇佐美が、美鈴さんを真っ直ぐ見つめる。

「言わないの?言わずに……このまま成り行きに任せて。せめて、自分の口からちゃんと言いなさいよ。ちゃんと、ちゃんと……。残される方の気持ちにもなりなさいよ――」

渡されたクッキーを、カウンターに置いて宇佐美が店を出て行った。

後を追うように、慌てて僕も会計を済ませて店を出ようと玄関に向かった時、美鈴さんが腕を掴んだ。

「あの……宇佐美さんに渡しておいてください。こっちは西野さんの分です」

クッキーの袋を二つ渡された。僕はただ黙って頷き、宇佐美の後を追いかけた。


「宇佐美!待って!」

表通りの先を早足で歩く宇佐美の背中に呼びかけるが、止まる気配はない。

すれ違う男性が、僕を怪訝な顔で見ていた。

すると宇佐美が突然走り出す。

「何なんだよ!ったく!」

こんな時に、走りが遅い自分が憎い。

距離を離れされる宇佐美の背中を必死で目で追いながら、何とか月夜神社に続くあぜ道まで出ると、宇佐美が立ち止まった。


「宇佐美。さっきの……どういう事なんだ?」

息が切れる。子供の時から運動が苦手なのに、大人になってからなんて更に走り方すら忘れていた。

肩で息をしながらも、何とか呼吸を整える。

「残される方の気持ちって、何のことだよ」

「そういえばさぁ。散歩。散歩デート、誘ってみた?」

「え?」

――質問に質問で返すってなんだよ。

「あぁ。うん。でも、駄目だった」

背を向けたままの宇佐美に答える。デートに誘って断られたなんて、わざわざ他人に報告するのは、何だか少し惨めだ。

「あの場所から動けないって?」

僕の答えを予測していたように、ふっと笑いながら言った。

「やっぱりそうなんだ。じゃあ駄目じゃん。やっぱり」

そう言うと、宇佐美がくるりとこちらを振り返る。

「ねぇ、もう諦めなよ。大体さ、美鈴さんのどこがいいわけ?西野君、昔と変わったじゃん。あの人が居なくたって、私もいるでしょ。西野君をいじめるあいつらは居ないし、仕事だって上手くやってるんでしょ?一人じゃないじゃん」

「――ちがうよ」

違う。柔らかい陽の光を浴び、ポプラが起こすあたたかい風が髪を揺らす美鈴さんの横顔を思い出す。

「僕があの店に行ったばかりの頃は、まだ全然変われていなかった。美鈴さんの言葉が、彼女が僕を必要としてくれている人がいるって教えてくれたから。僕の今までの経験も、無駄じゃなかったって教えてくれたからなんだ」

宇佐美が「ふぅん」と再びこちらに背を向ける。

「何か知ってるのか?」

そんな俺の問いかけにも、宇佐美は黙り込む。

僕たちの脇を、自転車に乗った男性がちらりと横目でこちらを見ながら通り過ぎた。




宇佐美に美鈴さんは諦めろと言われたあの日から、三週間が過ぎた。

三月の下旬。

寒々しく灰色と薄茶色の世界だった季節も、今では梅が咲き、あっというまに白やピンクに染まる。メジロが楽し気に飛び、様々な鳥のさえずりを頻繁に耳にするようになった頃。

ついにマキちゃんとの別れの日となった今日だが、れんげ草はいつもと変わらない。

朝から来ているらしいマキちゃんはいつものようにみーこちゃんと絵を描いているし、美鈴さんもそんな二人の様子を微笑ましそうにキッチンから眺めている。

その手元では、僕の注文したオムライスをお皿に移して、ケチャップを塗っていた。

「はい、お待たせしました」

一緒に頼んだ珈琲が、あたたかな香りを立ち昇らせていた。

変わらないこのカフェだが、週末に来ると大抵顔を合わせていた宇佐美が、最近は姿を見ない。

美鈴さんに尋ねると、どうやら僕と入れ違いになる事が多いらしいが、一応来ているらしい。


れんげ草の穏やかに過ぎる時間も、みーこちゃんの元気な様子も、美鈴さんの穏やかな雰囲気も、アキのマイペースな具合も変わっていないが、唯一今までと違うのは、店の前が騒がしくなっているという事だ。

重機がやって来ては、体格の良い作業服を着た男達が空き家となった古い家を解体していた。

数日前から作業は始まっているらしく、一番築年数の古そうな建物は、すっかり跡形もなくなっていた。

「暫くは騒がしくなりそうですね」

洗い物をする美鈴さんに言って、オムライスを口に入れる。

ここに来るようになってから気が付いたが、僕はケチャップが好きらしい。前に食べたナポリタンに惚れ込み、今はオムライスに幸せを感じている。

「えぇ、そうですね」

美鈴さんは、そう微笑んだだけですぐに手元に視線を戻す。

後ろの席で、マキちゃんがみーこちゃんが描いた絵を褒めている。

アキは小さなボール相手に、あがあがと噛んだり転がしたり追いかけたりと、一人で何やら盛り上がっていた。


リン……


「あら、宇佐美さん。いらっしゃいませ」

ドアベルが鳴り、小説から目を話して玄関を振り向く。

「西野君、ちょっと来て」

つかつかと僕の席やって来たかと思うと、真剣な表情で玄関を指さした。

美鈴さんに頭を下げ、食事代をテーブルに置いてから、眉間にしわを寄せた宇佐美と一緒に店を出た。


「ちょ、何で急にこんなところに……」

 無言で突き進む宇佐美が僕を連れて来たのは、月夜神社へと続く階段の途中。

 上っている最中で急に前を歩いていた宇佐美が立ち止まったので、危うく階段から落ちそうになった。

 宇佐美が階段の脇を指さす。伸び放題の雑草の中へ足を踏み入れたかと思うと、「これ。こっち来て」と手招きした。

「――何だこれ。祠?」

 隣で宇佐美が頷いた。古い祠だ。蜘蛛の巣が張り、屋根部分には分厚い苔がびっしりとへばりついていた。


「暫く調べてたの。ここ、結構昔から神様の居ない空っぽの祠だったんだけど、ある時から妖怪が住み着いたの。それを知らない人たちが度重なる天災からここにお参りするようになって。でも何だかご利益があったとかで気付けば神様だなんて崇めるようになったみたい。まぁ、結局それはたまたまだったみたいだけどね。天災もおさまったら人々は寄り付きすらしなくなったんだって。それからこの神社自体の…まぁ、神様のお引越しみたいなのがあって。ここはもう廃墟同然」

 宇佐美は、その後の言葉をどう続けるべきか悩むように目を泳がせ、心を決めたように「ふぅ」と息を吐いた。


「でね。この祠に住み着いてた妖怪・・・神様の名前って言うのがね。美鈴さま。わかる?」

宇佐美の言葉に、思考が止まる。

「いや、でも偶然だろ?そんな小説みたいな話……」

「妖怪も幽霊も神様も居る。私は見えるの。だから私にとっては、何も驚くような話じゃない。それに――」

宇佐美が、まっすぐに目を見つめてきた。

「れんげ草の美鈴さんは、人間じゃないよ」

宇佐美は見える。彼女は嘘を吐くような人じゃないだろう。

それに、以前この神社で出会ったミツさんも、ここで女の妖怪に会ったと言っていた。

もしかしてそれが美鈴さんだという事だろうか。

それ以上頭が働かなかった。

というよりも、どう働かせて良いものかもわからない。

ただただ冷たく、枯れ葉が降り積もる石の階段を見つめていた。

「これ以上の事は、本人に聞いて。私の口から言うのはこれくらいにしとく。これ、私の連絡先。いつでも連絡ちょうだい」

宇佐美は階段を降りていく。

「西野君」

鳥居の下で振り返った宇佐美が、立ち尽くす僕を見上げていた。

「頑張ってよ。私も、頑張るからさ」

そう言って、階段を駆け下りて行った。


しんとした森の空気。

冷たい土の匂いが、つんと鼻につく。

眼下には、田植えを控えた水田が広がっている。


入道雲が力強い高校の夏のあの日。

宇佐美のマンションの前で言われた言葉が、今の宇佐美の言葉と重なった。


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