第6話 白川郷
翌朝、外は雨。傘を差し、高山駅近くのレンタカーの店まで歩いた。予約しておいたレンタカーを借り、綾瀬の運転で白川郷へ向かった。小さい車を借りたので、ひどく狭い所に入れられた感が否めない。そして、綾瀬と二人きりである事を強調する。綾瀬は、俺の事をどう思っているのだろうか。気になったまま、結局は何も聞かずに今に至る。
今朝、目を覚ますと綾瀬はいなかった。部屋には俺一人で寝ていた。
「あれ、風呂にでも行ったのかな。」
ボーっとした頭で独り言ち、起き上がった時、思い出した。あのポエムの事を。隣にいるこの人・・・どう考えても俺の事なのだが。
その時、スーッとふすまが開いた。
「あ、おはようございます。」
綾瀬が静かに言った。見ると、綾瀬は既にきちんとネクタイを締めていた。なんだ、浴衣で現れるのかと思ったのに。なぜか不満を覚えた俺。だが、朝早く起きてきちんと身支度をしている姿は、いかにも綾瀬らしいと言える。はだけた浴衣姿でぼーっと布団に座っている俺とは対照的。自分で笑えた。
雨足が強くなってきた。フロントガラスに雨が打ち付ける。車は東海北陸自動車道、つまり高速道路に入った。ちらっと綾瀬を見る。まだ若いから、もしかしたら運転に慣れていないかもしれないなあと思った。こんな雨の中、まったく来たこともない道で、しかも高速道路だ。不安なんじゃないか、と。
「綾瀬、大丈夫か?」
つい、そう聞いた。今更ダメですとは言わないだろうと思ったが。
「はい、あ、多分。」
前を向いたまま答えた綾瀬は、そう言ってから少し微笑んだ。
しばらく走っていて、ふと気が付くと出口だった。
「あっ。」
と、言ったのは綾瀬だった。俺も、雨のせいか手前の表示などに全く気が付かなかったが、本来はここで降りなければならなかったのだ。白川郷に行くには。
「すみません!降り損ねました!どうしましょう?」
「慌てるな。次の出口は・・・五箇山か。うーん、あそこにも合掌造りの集落があるが・・・いや、やっぱり白川郷だ。とにかく五箇山の出口で一度降りて、それから戻ろう。」
「はい!」
綾瀬はちょっと泣きそうな顔をして、運転している。可哀そうに。だが、そう思ったらちょっとおかしくなった。
「くくくく。あははは。」
「え、どうしたんですか?」
「いや、なんかおかしいなと思ってな。あはははは。これも小説のネタに使えるかもな。あはははは。」
「はあ。」
五箇山の出口で一度降り、Uターンできるところでまた戻って高速道に乗り、無事白川郷の出口で降りた。
駐車場に車を停め、「であい橋」という橋を渡って川を越えると、そこは世界文化遺産に登録された集落だった。観光客がいて、静かな村がまるでお祭りの日のような雰囲気になっていた。雨が止んで、薄日も差し始めた。
「ふーん、こういう感じなのか。」
俺はそう言いつつ、あちこちにスマホを向けて写真を撮った。五平餅が売っているのが見え、小走りに行って2本買って来た。
「ほれ。」
俺が1本を綾瀬に渡すと、
「あ、ありがとうございます。」
と言って、綾瀬はにこっと笑った。
「俺、五平餅好きなんだよ。」
食べながらぼそっと言うと、綾瀬はまたにこっと笑った。
「僕も好きです。」
そして、そう言ってくれた。
あちこち見て回り、最後に展望台のある荻原城跡へ車で行ってみた。数人が群がっていたので、撮影スポットが一目でわかった。そこへ行ってみると、思わず感嘆のため息が漏れた。
「わあ、すごいですね!」
綾瀬もそう言った。また、ポエムに書くのかな、なんて事を考えた。いや、人の事を考えている場合ではない。これは取材旅行なのだから。この展望台に、きっと俺の書く登場人物も訪れるだろう。その時、何を思うのか。写真では分からない、この感動を覚えておかなくては。
そして、高山に戻って来た。高山駅から歩いて宿へ向かう途中、牛串と生ビールのセット1000円というのを見つけた。運転疲れただろうし、のども乾いたし、と思った俺は、そのセットを2つ注文した。ちなみに、五平餅やこのビールセットも俺のポケットマネーから出しているのである。経費で落ちるところは綾瀬が支払っているが、俺が勝手に買っているものは、俺の奢りなのである。
「綾瀬、運転お疲れさん。」
まずビールを2杯受け取った俺は、その一つを綾瀬に渡してそう言った。
「わあ、いいんですか?」
「もちろん。大変だったろ?」
「いいえ、そんな事は・・・まあ、少し緊張しました。」
「そうだろう。さあ、乾杯!」
プラスティックカップを合わせ、生ビールをぐびぐびと飲んだ。もう夕方である。綾瀬は珍しく半分くらいまで一気に飲み、ぷはーと言った。
俺は、二度見してしまった。ビールを飲んで嬉しそうな綾瀬の顔を。よっぽど重荷になっていたのかな、運転が。しかし、そんな風に嬉しそうな顔をするのか。
「え?どうかしましたか?」
と、綾瀬に聞かれてしまった。俺が綾瀬の顔を凝視していたから。
「いや、別に。ほら、飛騨牛も食え。」
2本の牛串が乗った発泡トレイを差し出すと、綾瀬はまた嬉しそうに1本取った。
宿に戻り、それぞれ風呂に入り、また部屋で食事を摂った。明日の予定を確認しながら刺身を食す。今日のメニューを聞いて、俺は日本酒を注文した。鮎の塩焼きや飛騨牛の握り寿司、飛騨牛鍋もある。
「少し飲むか?」
綾瀬に聞くと、
「いえ、日本酒は飲めませんから。」
と断られた。そうだろうと思ったが。俺は手酌で日本酒をお猪口に注ぎ、ちょびちょびと飲んだ。やはり、綾瀬のポエムの事が気になって仕方がない。ちらちらと伺うが、綾瀬は気づいているのかいないのか、黙々と食している。
「なあ、綾瀬。」
「はい?」
「お前、俺の事好きなのか?」
「え?」
綾瀬が驚いた顔で俺を見た。
「あの、それはどのような意味で・・・?」
「お前、俺のファンだとか言ってたよな?言ってたのは社長だったか。それは本当なのか?それとも嘘なのか?」
「世良先生、酔ってますね?あの、ファンなのは本当です。先生の作品は全部好きです。」
「ふうん。」
俺は尚もお猪口に酒を注いだ。
「俺さ、お前のポエム見ちゃったんだよね。あれはどういう意味だ?隣にあの人がいるから、だっけ?」
「読んだんですか!?あ、あれは・・・違いますよ。フィクションです。」
「フィクション?」
「そうです。仮想の恋人を想って、書いたものです。」
綾瀬は少し顔を赤らめて言った。俺の方が顔は赤いかもしれないが。酒のせいで。
「でもお前、詩は日記みたいなものだって言ってたじゃないか。」
「それは、だから、バーチャルな日記です。実体験と仮想の想いを掛け合わせて書いているわけで。」
綾瀬は目を泳がせる。どうも胡散臭い。そういう事もあるだろうが、この綾瀬の反応だ。どうも、なーんだ、そうだったのか、とは行かない気がする。だが、まあいいだろう。問いただしても仕方のない事だ。本当に好きですと言われたって困るわけで。
「そうか、見てしまって悪かったな。割とセンスのいい詩だったぞ。」
俺はそう言って、酒をぐびっと飲んだ。
「あ、ありがとうございます。」
綾瀬は、そう言ってもあまり嬉しそうではなかった。まあ、見るなと言われたのに俺が見てしまったのだから、それに腹を立ててもおかしくない。誉められたところで喜べないだろう。
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