第91話

 USの話が一通り片付いたのを見て取ったボリス大使は、マイク大使と同じく薫をフランスへ勧誘しつつ、解決して欲しい案件があることを告げた。


「ギャルソンキサラギ、ダンジョン化したルーヴル美術館を元に戻してくれないだろうか。報酬として1千万€と大統領から勲章も授与される」


 薫はボリス大使をそのままに、ダンジョン化しているというルーヴル美術館とその周辺情報をSNSで検索してみた。ほんのちょっと調べただけで、地下鉄は全て機能しておらず、巨大な地下迷宮であるといった情報が次々ヒットする。現在のパリ地下は、東京と似た状況であることが判明した。


 人口密集地の巨大都市は、巨大ダンジョン化してしまっていると見て間違いなさそうである。件のルーヴル美術館も地下でつながっているので、巨大ダンジョンの一部と化しているのは、まず間違いないだろう。それなのに、報酬は微々たるものである。

 ダンジョンコアの討伐だけなら出来なくもないだろうが、どれほどレベルが上がるか分からない。その様なリスクを冒す気は1nもない薫なので、選択肢は断る以外にない。勲章? そんなものには全く興味がない薫である。


「あっ、これ無理だよ。そもそもリスクと報酬が見合っていないし、ルーヴル美術館というよりもパリを救えって事だよね。東京みたいに深さが100kmを超えてそうだし、この依頼は受けられないよ」


 ボリス大使は、栄誉ある勲章を軽く扱われたことに憤慨しそうになったが、続く薫の答えを聞いて、彼とその取り巻きだけでなく、マイク大使のアメリカ勢も驚きに目を瞠った。東京のダンジョンは超巨大だと発表されたことを承知していたものの、深度100kmを超えるなど、予想出来ようはずもない。

 彼らが想像していたのは、アリの巣を巨大化したものだ。深くても、せいぜい10~20km程度と考えていたのだから、驚くのも仕方のないことであった。


 ボリス大使もマイク大使も、平静な顔をしている日本政府の者を見て、如月薫の言は誤りではないだろうと考えた。


「ギャルソン……如月薫殿。それでは3日前にダンジョン化したバジリカ大聖堂の方を頼めないだろうか。サクレ・クールはとても重要なのだ。だから、どうか引き受けては貰えないだろうか」


 薫はまたもやSNSで検索する。どうやら、ボリス大使の言う通りであるようだ。条件付きで請け負ってもいい様な気がしてきた薫。


「ダンジョン内のモンスターレベルが、70未満だったらダンジョンコアの討伐をするけど、70を超えていた場合は無理。この条件で良ければ、請け負っても良いよ。でも、大切な物ならどうして迷宮化防止結界を設置していなかったのかな?」

「そこなのだ。迷宮化防止結界は確かに設置されていたのだ。それなのに、ダンジョン化してしまったのだよ」

「結界を破壊した能力者がいると考えるべき……何だろうね」

「その線で当局も捜査をしている。ダンジョンからモンスターが出て来たという報告がない以上、能力者が破壊したとみて間違いないだろう。生憎とダンジョン内に残っているかもしれない結界の状態を、まだ確認できた者はいないがね」

「僕がダンジョン化を解除できたとしても、そいつを捕まえなければまた同じ事が起こるんじゃない?」

「今回の件を受けて、能力者を警備として常駐させることに決まった。これは国へのテロ行為と認定されているのでね」

「そっか、それじゃさっきの条件で引き受けるよ」


 ボリス大使は、その条件で問題ないと即答し、薫に依頼を請け負わせることに成功した。本来は、ルーヴルを筆頭にオルセー、オランジュリーの3つの美術館の美術品だけでも回収したかったのだが、深度100kmを超えるかもと言われては、無理強いは悪手であるので出来ない。一先ずは、如月薫との繋がりを作ることを、最重要としたボリス大使である。

 実際、バジリカ大聖堂は、モンマルトルの丘にあるパリを象徴する物の1つでもあるので、テロ行為でダンジョン化させたままにはしておけないのだ。


 その場にいる者たちは、如月薫がレベル70に拘る理由に頭を悩ませるも、おそらくレベル70のモンスターというのは、レベル69のモンスターとは隔絶した能力を有する存在なのだろうと、勝手に解釈する事にした。

 それは、レベル69までのモンスターであれば対処できると明言しているのと同義であり、如月薫に対する両大使の期待と警戒心は、どんどん上昇することになった。


 新人族となっている今井ら日本政府勢は、視界に入る如月薫を、自分たちとは存在自体が異なる、超越者か何かと思っている始末。その大きな理由は、鑑定スキルを用いても、如月薫の名前と年齢以外のステータスが不明であるからだ。

 しかし、驚いてばかりもいられない。色々と聞きたいことが山ほど増えてしまった今井たちであったが、ここへ来た目的を達成することが第一優先事項なので、如月薫と話をする事にした。



「次の方どうぞ」


 軽い調子で薫に促された日本勢の中から、今井は薫の前へと歩み出た。


「如月薫くん、今日は確認と提案をしに伺いました」


 今井はそう切り出すと、動物園の動物保護に関する質問をいくつかしつつ、如月薫の認識も確認していった。そして、現在のSNSの荒れ具合と皇室による敵認定の取り消しを求めて、伊部総理と須田官房長官が動いている事を明かした。


 薫としては、誰が敵対しようがしまいが関係ない。少なくとも自身に実害を加える気がある者は容易に特定できるのだから、始末することに躊躇はしない。仮に相手の能力を確認でき、自分には到底敵わないと分かっても、チキンな薫は油断をせずに芽を摘む。驕りや油断で消えていった歴史上の英傑を数多く知っている薫は、敵対者に厳しくあたる考えを変えるつもりは、1nもない。

 薫を朝敵だと名指ししていながらも、真っ赤になっていないのだから、まだ生かしているに過ぎない。つまり、赤くなれば即消去することを今井に伝えた薫である。しかしながら、自分の書き込みに肝心の部分が抜けていたことを反省した薫は、今井らが責任をもって動物の移動作業の許可を取り付けるという提案を受け入れる事にした。


 薫は、特別にお詫びの品として[寛ぎの温泉宿・小島]を皇室へ献上することにした。さらに、交渉が成功した時は、[安らぎのコテージ]3つをお礼として政府へ譲渡することを告げた。

 今井は、驚きのあまり声を震わせている。


「こここ・これは[寛ぎの温泉宿・小島]! 山・海ときて小島もあったの!?」


 今井は薫から手渡された瞬間、体までも小刻みに震え出した。


「お金で買えない貴重な品だからね。ふぅ~。この預かり品は、今井洋人が確かに届けさせていただきます」


 今井がとても緊張しているのが可笑しくて、薫は失笑してしまったが、当の今井は気にする余裕はなかった。何せマイク大使の両眼は、今井が手にしている物を爛々と見つめているのだから。


 薫は、争いは些細なすれ違いで起こるという事を知っていたが、己の失敗を反省し、無用な争いを回避する手立てを提案してくれた日本政府勢に対して、感謝の言葉を述べた。薫の言葉を聞いた今井たちが、心底安堵したのは言うまでもない。

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