第35話

 昼間より気温が下がり、冷たい風が吹き始めた夕暮れ時、如月夫婦と息子の春人、天野春香の4人がダンジョンから帰ってきた。

 彼らを門の前で出迎えたのは、同じく如月夫婦の長男である薫と、大勢の見知らぬ人物たちだった。


「お帰り。みんな無事で良かったよ」

「ただいま。しかし、これは一体どういう状況なんだ? あと、あの看板はなんだ?」


 薫の出迎えの言葉に、父親の武彦は返事を返しながら、周りにいる連中を見まわして問い掛ける。

 薫だけでなく、武彦たちも用心スキルを習得しているので、連中に敵意等がない事はわかっているが、問いかけずにはいられなかった。薫は立札の件をスルーする。


「なんか日本政府の関係者みたいだよ。取り敢えずは、みんなちょっと休んで来なよ。1時間くらい待たせても問題ないよ。午前中から来てるんだし、いまさらだよ」

「わざわざご苦労様なことで。こんな世の中になったんだ、アポイントメントも取らず勝手に押しかけた連中には、もうちょっと待っといてもらうとするか」

「さあ、みんな家に入りましょう」

「うー、疲れたー」

「帰ってこれましたー」

「春人も春香さんもおつかれ。ということで、皆さんもうしばらくお待ち下さい。疲れてるとイライラするんで、お互い良いことありませんから」


 薫は、4人が家の中に入るのを確認して今井らに声を掛けると、自身も家の中へと消えた。残された連中が大声で不満を漏らすような事はなかった。

 薫の言った言葉が正しい事を、彼らも理解しているからだ。今日、ここへ来ただけでも、かなりの収穫を得られた彼らだ。いまさら1時間2時間待たされようと、疲れている相手に焦って交渉をするほど、愚かな初心者ではない。それなりの経験と、プロとしての知識と自覚を持ってやって来ているのだから。事前に訪問の連絡をしなかったのは、情報の流出を避けたかったからである。だから、今日多くの野次馬とバッティングしたのは偶然であったし、如月薫の凶行で大勢が居なくなったのは、都合が良いことでもあった。




  ◇◇◇ 如月家リビングにある[安らぎのコテージ]内部


「みんな本当に疲れてるみたいだね。父さん達には、満足できたのかな?」


 薫は、1人だけソファに腰掛けお茶を飲んでいる武彦へ問いかける。


「おお、かなり楽しめたぞ。レベルが18や19のモンスターは、結構倒し甲斐があってな。ダンジョン内の罠も、運が悪ければ致命的なのがあって、昨日までのダンジョンとは大違いだった。ダンジョン内の見た目はほとんど変化がないから、同じダンジョンと思っていたら相当にヤバいぞ」

「ふーん、でもダンジョン探索はめないんだよね?」

「もちろんだ」


 武彦は笑顔でとても嬉しそうに話している。薫は、父親にダンジョン探索を止めさせるのは無理っぽいなと、感じてしまった。


「それで、父さんはシャワーを浴びに行かないの?」

「清浄があるからな。こりゃ、本当に便利なもんだぞ」

「確かに。予想外に便利なスキルだよね」

「ああ。……あと4・5日くらい掛かると思っていたんだがな」

「外にいる連中の事?」

「そうだ。まさか、接触してくるのがここの自治会と同じ日だとはな。ここの自治会の無能っぷりがよくわかるな」


 武彦は、今朝訪ねてきた自治会連中にとても悪い印象を抱いているようだと、薫は思った。


「無能なの? 何年も暮らしてきたのに?」

「あいつらは、自分たち幹部連中とその家族だけで避難所からの物資を使っていた事が分った。しかも、緊急時の手順も一切無視して行動している。家に訪ねてきたのも今日だぞ。モンスター発生からもう5日目だぞ。しかも、自分たちに迷宮化防止結界を使わせろと、言ってきやがった。だから、自治会から抜ける事を宣言してやった」


 今朝の出来事を思い出したのか、父親は険しい顔をしながらも話をしてくれた。役員報酬を受け取りながらも、会の取り決めを守らず共同物資の私物化と、自治会幹部たちを非難する父親の機嫌が悪くなっていくのを、薫はちゃんと察知した。

 薫も、ダンジョン化した場所から物資を調達した事があるので、自身に飛び火しては堪らない。薫と自治会が行った事は、まるっきり同じ状況とは言えないが。


「もう抜けたんなら気にしなくて良いじゃん。それとも、父さん達はギルドみたいなものでも作るつもりなの?」


 薫の見え透いた話題変えなのに、武彦は応じてくれた。


「ギルドか? 作るとするならクランだな。まっ、リアルで作る気はないぞ」

「え? そうなの?」

「当たり前だ。父さんも母さんも人を扱う厄介さは身に沁みている。今くらいの小さなパーティーで活動する方が、分相応で気楽でちょうど良い」


 薫は、両親たちを世間からの隠れ蓑に使おうと思っていたが、計画実行前に破綻していたようだ。薫なりに、両親たちの安全には気を配るつもりでいるのは、変わらない。

 薫はある程度SNSで情報を発信した後は、世間の注目を誰かに移して、自分は悠々自堕落な生活をしたいと、本気で考えているのだ。そのために、春香の加入にも賛成したのだ。

 しかしこうなると、日本政府が頼った勇者たちには、ぜひとも頑張って活躍してもらうしかない。今日のお見舞い品が、彼らの役に立って欲しいと思う薫である。


 薫は、文化の衰退を望んではいない。小説や漫画やアニメも好きだし、幅広いジャンルの映画を観るのだって好きなのだ。音楽を聴くのも歌を歌うのも好きなのだ。だから、人死にが増える事は望んでいないし、人々の生活水準が極端に落ちる事も望んでいない。自ら死地に飛び込んだ人間を助ける気は起きないようだが。ある程度の生活水準がなければ、娯楽は発達しないし生まれない事を知る薫は、新人族が育ち易い様に情報を流しているのだ。


 薫が総理補佐官である今井の名刺を武彦に見せていると、母親の美玖がさっぱりした顔でやってきた。手には、よく冷えたビールを持って。


「あ~、さっぱりした。何を見てるの、あなた」

「ん? ああ、内閣総理大臣補佐官の名刺だ。なかなかの大物が来ているみたいだ」

「大層ご立派な肩書ね。薫が相手をしていたの?」

「まあね」

「はあぁ。これからも、もっと増えそうね。私たちはダンジョンに回避しましょうね、あなた」

「うまいこと言うな、母さんは。無論、賛成だ」


 両親は、お互いに笑いだした。すると、春人がアイスカップを持ってやってきた。それからやや遅れて、春香もやってきた。

 全員が揃ったことで、薫が4人に今日の出来事を手短に説明した。


「兄貴、11人もっちまったのか。ひくわー」

「くそっ! 子ども相手に卑劣な奴らめ」

「ほんとよね! 私がいたら、きっちり詫びをいれさせてあげたのに!」

「薫くん、大丈夫?」

「ん? 全然、心配無用。それよりさ、国会議事堂の件だけど。生き残りがいる可能性も僅かにあるし、救出作戦を受けようかと思うけど、どう思う?」


 春人は、いつもと変わらない薫に怖れを抱いた。

 春香は、薫が強がっているのではと、心配し声をかけたが軽く流され戸惑っている。

 両親はイケイケになりつつあるようだ。

 武彦も美玖も、相手の親たちが子供を失った悲しみは理解できるが、そもそもが薫を殺そうとしたのだから逆の結果になって文句を言う前に、愚息の行為を謝罪するのが道理であると考えている。本当に大切なものを失った時、人の理性は感情を止められないことも知っている2人であるが、自分の息子が被害者であるために相手を赦す気も哀れむ気も全くない。



「薫がやる気なら構わないぞ。瞬間移動を使って救出する気なんだろ。さて、いくら請求しようか」

「父さん達は、国会議事堂ダンジョンに興味はないの?」

「入口付近は問題ないだろうが、人が隠れていたとして、場所的に奥の方だろうし、無理だろうな」

「そうね。潜りたい気はあるけど、今の私たちだと無理でしょうね。薫はいくら請求しようと考えてるの?」

「調査で1億。あとは、救助者1人につき1億の成功報酬?」

「兄貴、大臣とか副大臣を見つけ出すんだろ。もっと値段をあげるべきじゃね」

「生存者がいると仮定して、ほかにも議員や秘書や衛視の人とかいた場合を考えての価格設定だ」

「そっか。で、えいしって何?」

「簡単に言えば、特別な警備をする人の事だな」

「兄貴って物知り~」

「春香さんの意見はどうなの? 遠慮しないで思った事を言ってね」

「私は……1千万は少ない? ……薫くんの意見で良いと思います」

「そうね。1千万は私も少ないと思うわ。薫がやるんだし、薫の案で良いと思うわ」

「なら、それでいいだろう」


 武彦が薫の案に許可を出す。


「次に薬の件はどうする? 父さんはパスだ。1度でも販売すれば、ずっと催促されるだろうからな」

「あなた、稼げる時に稼がないでどうするのよ! ダンジョン探索に邪魔にならない程度に販売すればいいのよ。どうせ、今のアドバンテージも長くは続かないでしょうし」

「だが、薬機法とか税金とかとても面倒じゃないか」

「そんなもの、非課税に決まってるじゃない! 今、強気に出ないでどうするのよ!」

「ふむ。取引相手は、政府や自衛隊若しくは警察って事か?」

「その方が確実でしょ。価格は限定期間関係なく基本価格の5倍でいくわよ」

「「「5倍!?」」」


 美玖を除いた、全員の驚きを含んだ声がハモった。


「当たり前じゃない。今はライバルがいない稼ぎ時なのよ。他者が参加してきたら旨味は減るか消えるんだから、徹底的に稼いで勝ち逃げするのよ。春香さんもいいわね!」

「は・はい、了解」


 共働きとはいえ、家計を預かる美玖は金銭には厳しいようだ。


「いいわね、最初は10倍で交渉を始めるのよ。0.5倍ずつ減らしていって、最終ラインが5倍よ。これを切る様なら、交渉は決裂よ!」

「あ、ああ、分った。ん? もしかして俺がやるのか?」

「あなたが交渉するに決まってるでしょ! この家の大黒柱なんだから、しっかりしてよ」


 勢いに押し切られる武彦であった。なお、彼の援軍は1人もいなかった。春香は、美玖を尊敬の眼差しで見つめた。小さな愛娘のためにも、資産はいくらあっても困らないのだから。

 薫と春人は、父親の姿を情けないとは思わず、心の中で頑張れとエールを送った。


 薫は、レベル21になるまでは、ダンジョンで活動して欲しいと4人にお願いした。理由は、薫以外でもダンジョンコアを10個討伐すればレベルが上がるのかを確かめたいからだ。勿論、対象のダンジョンコアは、マナコイン(小+)と迷宮核の宝箱(小+)をドロップするもの限定である。


 両親は快く承諾したが、春人が難色を示した。というのも、今日討伐出来たダンジョンは、2ヶ所だったからだ。モンスターのレベルが近い事もあり、あまり余裕がないことに不安が増した結果のようだ。しかし、両親がすぐ慣れると説得した。薫はちょっと春人が心配になったが、両親に任せる事にした。

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