第7話

 4月10日


 長かった経過観察の期間も、ようやく終わりだ。

 今日、如月薫は退院する。

 家族は、来ない。

 薫が一人で帰れると意地を張ったためだ。

 両親は2人とも共働きで、弟も学校が始まっているので、わざわざ休んで欲しくないためだ。

 その替わりと言ってはなんだが、夜は豪華な料理にして欲しいと伝えて、そんな事は当たり前だと返された。


 朝のバイタルチェックも問題なく朝食も食べ終わり、後は退院を待つだけの身となった薫は、今か今かと病室内を落ち着きなく歩いていた。


 軟禁生活(薫視点)から自由になれるのだ。

 薫のボルテージは上がりまくりで、テンションなんてゼロだ。




 そして、運命の時間がやってきた。


 世界が生まれ変わる時が。


 2020年4月10日、AM09:13

 世界の至るところで、ダンジョンが発生した。




  ◇◇◇ 某総合病院


 ウロウロしていた薫の耳に、たくさんの悲鳴まじりの叫び声が聞こえる。

 薫のいる部屋は5階の西棟で、主に個室が多い場所である。なので、多少騒いでもプライバシーが守られるようになっている。


 薫は、この部屋へ移ってから廊下にさえ出た事もないが、スキルの効果を知るための実験で、自身のいるフロア周辺は既に把握している。

 このフロアは、普段から患者と施設従事者以外は、ほとんど人気がないことを。少なくともここ数日では……。


「なんだ? この階というよりは、下の階と上の階からみたいだな。そうだよ、こんな時こそスキルの出番だよな」


 もはや、独り言が完全に身に付いてしまった薫である。


 いつもと違う状況に、薫は動転することなく、冷静に地図スキルと用心スキルを発動する。


 地図サイズを中にして、B2階から屋上までを表示する。なお、表示される範囲は、西棟のみと中庭と駐車場である。

 レベル1のスキルなので、改造したとはいえ、劇的に範囲が広がったわけではない。


 地図には、初めてみる赤い点が、多数出現していた。そして、その赤い点は、緑の点を追いかけている様な動きをしている。

 緑の点は、経験上人間であることがわかっている。


「おおっ。初めてみる。赤いのが……増えていってるな」


 現在進行形で、赤い点が急激に増加しているのだ。そして、赤い点の近くにいた緑の点が、消えていくのだ。緑の点の大半は、赤い点から遠ざかろうとしている。


「ん? お隣になんか出たな。隣は空室なのに」


 薫は、隣部屋に突如現れた赤い点に、意識を集中した。

 すると、灰色の縦も横も大柄な人型の映像が浮かび上がってきた。

 薫が意識して千里眼を発動させるまでもなく、改造の成果が発揮される。

 ぼやけていた存在が、豚顔の怪物へと変わった。


「……ふむ。こりゃ、オークでいいよな。茶色いけど」


 頭が天井に近い位置にあるから、3m近くあるだろう。ほんの少しジャンプすれば、簡単に天井へ頭が当たること間違いなしだ。それほど豚顔の怪物は上背がある。

 汁まみれの豚鼻と口が前面に突き出す形となっており、下顎から上向きにメガネケースサイズの牙が左右に1本ずつ生えている。

 筋肉の発達した太くて逞しい上下肢は、ものすごいパワーを秘めている事が容易に想像できる。

 しかも、無骨ではあるものの、身の丈ほどの槍を持っている。


「どれどれ、オークだろうけど、初めてのモンスターだし、鑑定してみるか。記念撮影もな」


 そう、スキル改造によって、念写ではなく、千里眼で見た映像をスマホで撮影できる仕様にした薫。

 この辺りは、若者特有の発想であろう。ただ、薫に映えたい気持ちは一切なかったりする。着替え中のナースを、偶然見たことはあっても盗撮した事はない。


 鑑定スキルにより、モンスターの情報が表示される。



   名無し(0)


 【種族】 オーク

 【Lv】 36

 【職業】 伯爵ランク4

 【状態】 健康

 ・HP  33200/33200

 ・MP  7050/7050

 ・腕力  13200

 ・頑丈  15120

 ・器用  6660

 ・俊敏  9650

 ・賢力  2330

 ・精神力 1960

 ・運   1940


 【スキル】

 ・物攻上昇レベル4    ・槍術レベル4

 ・雄叫び


 【アーツ】

 ・連突レベル3      ・薙ぎ払いレベル3



「……ふーん。オークだったな。まあ、職業が伯爵とか偉そうだけど。しかし、アーツ。槍術レベル3とか持ってるし、槍の必殺技みたいなものか?」


 口を尖らせて、悔しげに呟く薫である。

 相手が爵位持ちの所為なのか、モンスターが【アーツ】を持っているのが羨ましいのかは、不明である。


 同フロアにあるナースステーションから、数人がこちらへと向かって来ている。移動速度から考えると、駆け足のようだ。

 このままだと、隣部屋にいる豚野郎に襲われるのも時間の問題だろう。

 事実、隣室の豚野朗は、扉の方へ視線を向けた。

 その威圧感の在る巨体は、今にも扉へ向けて動き出しそうだ。


「どっちにしようかな? うーん、空間拡張でいいか。正面から物理で戦ったら辛勝……間違いなく僕が殺されちゃうな」


 暢気にスキルの選択で迷う薫。

 実は薫は、自分のステータスにそこそこ、否、かなりの自信があったのだ。しかし、オーク(伯爵)の鑑定結果を見て、自分の能力に感謝した。脳筋プレイは、リアルではNGだと悟った薫である。


 日本人は、狭い島国統一で殺戮の歴史を繰り返し、外敵には強硬に抵抗してきた超戦闘民族であり、世界の大国は大戦後に日本人の牙を抜くのに必死だった。しかも、ヤマト民族たる薫には、殺すと決めた相手に一切の温情はない。

 後は、ナースが襲われてから助ける案が一瞬脳裏を過ったが、面倒事が増えそうだし、こちらへ来るナースに対して余り食指も動かないので、光速で破棄した薫である。


 オーク(伯爵)が一歩踏み出そうとしたその時、薫はオークの脳内へ向けて(眉間の奥めがけ)、空間拡張スキルを使用した。


「!? ――ブギャ」


 豚野朗は、断末魔を発する途中で、永遠に沈黙した。


「ぐっ……あああぁぁぁぁぁ。くるくるくる、ああぁ力が漲るぅ~~~」


 直後に、薫の身心をエネルギーが駆け巡った。

 男のシンボルもギンギンである。


 ラノベだと、レベルアップしたら苦痛に苛まれるのが流行なのに、薫に起きた変化は真逆であった。


 レベルアップにより身心の機能が造り替えられると同時に、回復される。つまり、身心が強化されて行きながら完全回復するのだ。


 凄まじい痛みと同時、発狂しないためのホルモンが分泌され、痛みを上回る快楽へと変わるのだ。


 男である薫のナニが、臨戦態勢になってしまうのも無理からぬことである。


 ――賢者タイムであった。


 そのタイミングで、薫がいる部屋の扉が開け放たれた。


「如月さん、緊急じた――なにしてるのっ!?」


 扉近くにいた薫。

 股間をナースに凝視され、叱られる。


「あっ!?……うぅ」


 ようやく、正気に戻った薫は俯く事しかできなかった。シャイボーイを演じている薫であったが、耳が赤くなっていない事を、ナースは気付く。観察力の高さは流石である。

 数多の患者で見慣れているナースにとって、恥じらいは皆無だった事が、薫にとっては幸運だったと言えよう。

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