第29夜「スキとキス」

第29夜「スキとキス」(上)

 初めての制服デート――。

 5月も半ばを過ぎたというのに、キョウカはユキにアメリカ留学のことはまだ聞けずにいた。

 

 もう、理科部にもクラスにも付き合っていることは知られているから、こうして手をつないでいるところを見られてもへっちゃらだ――。そう思っているのはキョウカだけで、ユキは恋人繋ぎの手に汗をかいて恥ずかしそうにしている。

 キョウカは「ずっと気になってたの」なんて言い張って、観覧車のあるお台場に彼を連れ出した。思い出という情報で2人を繋ぎ止めておくための、記号が欲しかったのかもしれない。

 

 おしゃれ雑貨屋さん巡りにゲームセンター。ユキのリクエストで科学館のロボットショーも見に行った。海の見える公園では、キョウカが作ったお弁当を2人で頬張った。そして歩き疲れた頃、ようやく見つけたコンビニで買った雪見だいふくを1個ずつ味わった。

 こうやって、1人ぶんの宇宙を2人で分けるのは楽しかった。キョウカは優柔不断が喉につかえたままだったけれど、どんどん思い出をかきこんだ。


 それでも、夕暮れのプロムナードを歩いたら、とたんに出逢ってからの1年を思い出してしまった。考えないようにしてきたのに――。

 

 最初は打算だった。レネを紹介する代わりに、スバルを紹介してもらう。それだけの関係だ。ユキはぎこちなかったけれど、困った時はキョウカを助けてくれた。

 彼の前では嘘つきたくなくて、好きと伝えた。気持ちを受け取ってもらったはずなのに、落ち込んでいるときに相手にしてもらえず、キライになった。それでも星を見て仲直りして、月を見て一緒に迷った。

 

 また好きになった。ウサギばっかりの神社に行き、とんぼ玉を交換した。離れたくないと思ったけれど、キョウカはちゃんとさよならした。

 想いを確かめた。月を目指そうって決めた。もうこれで終わりだ、なんて何度も挫けそうになった。


 ――震える手で、私の手を握ってくれた。私の全部を認めてくれた。


 もう迷ってる場合じゃない――。そう心に決めたキョウカは、凛とした表情で切り出した。


「あのさ……」

「? どうした?」

「今日は、ありがと。楽しかった」

「うん。良かった」


 彼は笑顔で立ち止まるとベンチを見つけ、キョウカの手を引いた。科学館や巨大ロボットを臨む小高い丘の上で、ちょこんと座った2人を西日が優しく照らす。


「アメリカ行くって、本当?」

「ああ。本当だよ」

「そ、そっか。……すごいね」


 繋いだままの手を、ユキは少しだけ強く握り直してキョウカの瞳を見つめた。


「ごめん。ちゃんと伝えてなくて」


 レネが赴任予定だった大学の教授が、ローバーのAIを訓練した成果を聞きつけ、ユキを研究生として招待することになったのだという。


「いつ、行くの?」


 答えは知っていたけれど、キョウカは念の為に尋ねた。


「6月から」

「そっか。もうすぐだね……。大学、どこにあるの?」

「パサデナ。ロサンゼルスの郊外だよ」

「いつまで?」

「まずは半年、かな」


 こうして問答を繰り返し、2人の世界は次々に確定していく。


 キョウカは自分から聞いておきながら、彼の答えに耳を覆いたくなった。予定は半年でも、途中で試験を受け合格すれば入学もできるそうだ。ユキのことだ、そのままアメリカに残るなんて言い出しかねない。


 ――引き止めるなら、今なのかな?


「すごいね。私たち、同じとこからスタートしたと思っていたら、あっという間に先に行っちゃうんだね」

だよ。ほら、これ見て。ローバーのAI、キョウカさんのプログラムのほうが稼働率が高いって、先月の報告書に書いてあったよ?」


 彼女の目に浮かぶ涙に気づき、ユキは慌ててスマホをポケットに戻そうとするも、ストラップ代わりの白ウサギのとんぼ玉が縁に引っかかってしまった。


「あっ、一緒に来る? 竹戸瀬たけとせさんにお願いしたら、なんとかなるんじゃない?」


(どう答えるのが正解なんだろう?)


 キョウカは一呼吸置き、覚悟を決める。そして、吸い込まれるような黒い瞳で彼を見つめた。


「――いい。私、まだやることがあるの」

「そう?」

「天文部、再建するんだ。羽合はわい先輩と約束した」

「……そっか。それはすごいな」


 そう呟くと彼はポケットから飛び出たままの白ウサギを大切そうに握った。セル縁メガネの奥で瞳はゆっくりと色を失い、やがて夕陽がセピアに上塗りしていった。

 彼の作り笑顔を見るのが辛くなったキョウカはおもむろに立ち上がり、ベンチから5歩ほど後ずさりすると、とびきり明るい声を出した。


「暗い顔、しないで! またすぐに会えるんだからさ。エヘヘ」

「うん。そうだね」

「よーし。じゃあ、天文部の私から、クイズを出しちゃおう! 地球から一番近い星は何でしょう?」

「え? 星?」

「そう。恒星で」

「なら、太陽だね。自明」


 彼はあっけなく正解して、でも少しだけ笑顔を取り戻した。彼には簡単すぎたけれど、今はそれがちょうどよかったらしい。


「むぅ。さすがに正解! じゃあさ、太陽ってどれくらい遠いと思う?」

「え? どういうこと?」

「例えばさ、ユキくんが地球、私が月だとするじゃない?」


 ユキはキョトンとした様子でキョウカのつま先から頭の天辺までを眺めたあと、首元に下がるとんぼ玉を見つけた。


「2センチの月だね。OK」

「うん。そしたら、この縮尺で、太陽はどこにあると思う?」


 キョウカは夕陽に照らされた彼の顔を、ニコニコしながら眺めた。


「えーと、チョット待てよ……400の法則だから――」

「あと、25秒ね」


 太陽と月は『400』という魔法の数マジックナンバーで繋がっている。地球から月までの距離のおよそ400倍が太陽までの距離だ。そして不思議なことに、太陽の大きさは月の400倍もある。だから、見かけの大きさがほぼ等しくなるのだ。

 これは物理法則ではなく、こうなっているだけである。


「えーと、そうだな……ほら、あそこに科学館が見えるでしょ? あれくらいは離れてるんじゃない? 球体ディスプレイの大きさもちょうど良い。ハハッ」

「えぇっ? 結構、遠いんだね……」


 キョウカは別に、答えを知っていたわけじゃなかったのだ。


「フフフ……そうだね、遠いね」

「……遠いよね……パサデナ」


 キョウカは泣き出しそうになるのを必死に堪えながらベンチに戻り「頑張ってね」と彼に伝えた。歯を食いしばっていたら、言いたくないほうの言葉が、つい口から出てしまった。

 うつむいたままちょこんと座るキョウカに、彼は少しだけ驚いた様子で「ありがとう」と寂しそうに答えた。

 400倍で輝かないといけない――。キョウカは、遠くに離れたらその分だけ、互いの存在が小さくなってしまうような気がした。


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