第15夜「月とうさぎ」

第15夜「月とうさぎ」(上)

 9月最後の日曜日。

 今日が、これまでどおりの関係を続けられる最後の日になると2人とも理解していた。10月1日の作戦は、当たって砕けろ以外になかったが、2人は作戦会議という名目で、遊びにでかけた。


 待ち合わせの駅から徒歩15分の1本道。目指すは〈月神社つきじんじゃ〉。「科学部なのに、非科学的だよね」なんて笑いながら、キョウカが験担げんかつぎに神社に行きたいと選んだのだった。

 月神社はこの辺りでは「つきみやさん」などと親しまれてきた神社で、千年以上もの歴史をもつ古社こしゃである。最近は、社名に入る「ツキ」という言葉から、開運パワースポットとして、ちょっとした観光名所にもなっている。

 キョウカは狛犬を指差しながらユキの肩をたたいた。


「ねぇ、ユキくん見て。狛犬じゃなくて、ウサギがいるよ!」

「ほんとだ。狛兎こまうさぎ?」

「こっちのコには、子ウサギがついてる! アハハ」


 緑豊かな境内に入ると、そこは静寂に包まれ、9月の残暑もかなり和らぐ。

 手水舎ちょうずやでは、口から水を吹き出す大きな石のウサギが2人を出迎える。濃灰色の御影石みかげいしで作られた本格的な彫刻で、腰のくびれもしっぽの丸みも、ウサギっぽい。

 キョウカは「なんだか、かわいいな」とか言いながらウサギの後ろに回り込み、しっぽのあたりを撫でてみる。その様子を「なんだか、かわいいな」なんて目を細めてユキが見つめる。


「ねぇ、あっちも行ってみよう? 奥の池に、ウサギの噴水があるらしいよ」


 そう言うと、すっ、とキョウカは自然にユキの手をとった。

 顔を赤くするユキ。でも、今日は慌てて手を離したりしない。


「あ、お参りしてからに、しようか」

「それもそうだね」


 立派なケヤキに包まれた参道を進み、突き当りを左に曲がると古びた社殿に行き当たる。木漏れ日で涼しげな銅板きの屋根や木彫りの彫刻。

 獅子や龍にまぎれて大小さまざまなウサギの彫刻も施され、このおやしろが建てられた江戸末期から今まで、ウサギがずっと大切にされてきたとうかがえる。

 時空を超えた荘厳さに対峙し、2人はつないだ手も忘れ、思わず深呼吸した。

 湿っぽい石畳と、あたり一面の苔の匂いが鼻を抜ける。昔の人は、月に何を願ったのだろう。


「フフ。やっぱり、ユキくんが神頼みって、なんか、変!」

「そう?」

「そうだよ。だって、地球上でいちばん神頼みしなさそうだもん。アハハ」

「そうかな? でも、月面基地だって、ちゃんと地鎮祭じちんさいしたんだってよ?」


 誕生以来、45億年間も無人の月に、神様がいるかなんて、誰にもわからない。それでも、神の使いであるウサギは、こうして月から足繁く地球にやってきては、神社にまつられている。

 キョウカは「月の神様に、月のことをお願いするなんて」と思いながら、目を閉じる。人間が、月に望遠鏡を建てたなんて知ったら、神様も使いのウサギもどれだけ驚くことか。

 2人はお参りを済ませると、左にみえる池の方に歩きだす。今度はユキが、ぎこちなくキョウカの手をとる。少し汗ばんでるけど、優しい手。


 掃き掃除の行き届いた歩道を進むと、透き通った水で満たされた神池に出る。木々の間の空が、水面に映り込み、キラキラと反射している。その真ん中では、苔むした石のウサギが、口から必至で水を注いでいる。


「ほら、ここにもやっぱりウサギ!」

「ハハハ。なかなか徹底してるな」

「ねぇ、ユキくん。写真……とろうか?」


 ボソっと呟いたキョウカは「あ、いまのナシ!」なんて、慌ててとぼけて見せた。言おうか言うまいか、優柔不断を巡らせ、頑張って口に出してみたものの、やっぱり恥ずかしかったのだ。


 キョウカは本当は、2人の写真を撮るのが怖かった。だって、一度撮ってしまえば、今の幸せな瞬間は、ただの画像データになってしまうから。そして、その0と1の数列は、どんなに頑張って掴んでも、指の間をするりとこぼれ落ちていって消えてしまうと思ったからだ。

 

 ――2人一緒に過ごした数ヶ月の、がほしい。どうしても、ほしい。

 

 何かの定理をこねくりまわして、やっと出てくる証明ではなく、見てすぐわかる動かぬ証拠がほしかった。今日が終われば、この写真を2人で見る日はこのまま一生、やってこないような気がしていても、キョウカは証拠がほしいのだ。


 池にかかる小さな石橋の上に並び、ユキは右手でスマホを掲げた。慣れない手付きで恐る恐るキョウカの細い肩を少しだけ、抱き寄せる。


「キョウカさん。もうちょっと寄って。ウサギ、入らないよ……?」


 キョウカはやっぱり恥ずかしい。

 普段、制服姿しか見たことない男の子と、今日は私服で2人きり。いつもの理科室じゃない場所で会うせいか、緊張していた。

 めいっぱいお洒落してきたというわけではなかったが、キョウカはお気に入りの秋色ワンピースに身を包んでいた。髪も少しルーズなお団子スタイルで、垢抜けている。これで、明るく「かわいい?」なんて聞けば、さすがのユキも「う、うん。かわいいよ」なんて返さざるをえまい。でも、その4文字が聞けない。


「はい。この辺にきて」

「うん……」


 ユキはまたキョウカをほんの少しだけ抱き寄せた。近くで見ると、なんだか彼の身長が「こんなにあったかな?」というくらいキョウカには伸びているように見えた。彼の胸に頬を寄せ、自分の心臓の音が聞こえてしまうかと思うくらい、キョウカはどきどきした。


 恋人以上に恋人らしい姿が映っていた写真に、2人は赤面するしかなかった。急にキョウカが「桜餅の匂いがする!」なんて急に言い出して、ようやく2人は緊張から開放された。

 ユキは池のほとりをキョロキョロ見回してから、笑ってキョウカを振り返った。


「ハハハ。お腹すいた?」

「ちがうちがう! ほんとうに、そういう匂いがしたのになぁ……」


 彼は真面目だった。こういうときでも絶対に「本当?」なんてキョウカを疑ったりしないのだ。

 ユキは今度は苔むした林の方を振り返り「あ、コケの匂いか。ナンジャモンジャゴケ、とかかな」と楽しそうだ。キョウカは「アハハ。変な名前!」なんて言って頬を桜色に染めながら、再びユキの手をとった。

 ウサギが描かれた絵馬に「自己矛盾だ」とツッコミを入れるユキを尻目に、キョウカは必勝祈願を書き込む。羽合はわい先輩に、というより、優柔不断な自分に勝ちたい――。

 そんな気持ちで月神社を出てからも、その手はつながれたままだった。

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