第5夜「ババロアとぜんざい」(中)

 その日の夜、キョウカは羽合はわい先輩からの誘いの通り理科棟りかとう屋上にある天文ドームに集合した。カサネとユキ、アヤも一緒だ。

 天文部の理科部への吸収の話は、アヤと羽合先輩――スバルとの間で平行線のままのようだったが、とにかく、1ヶ月ほど前にアヤにより提出されていた夜間利用申請書に従って、今日も来るしかなかった。

 

 キョウカはスバルに真剣な面持ちで「星しか見られないけど、とにかく、明日は観測するから、来るんだぞ」なんて念押しされていた。

 

 ――なんか、カッコよかったけど、べつに星に興味はないの。ゴメンね、先輩。


 先輩を見るために屋上までやってきたキョウカが、屋上を吹き抜ける夜風のあまりの冷たさに「あったかい、ぜんざいが食べたいな……」なんて思い始めた頃、3人はようやく天文ドームに到着した。


 銀色の入口ドアには不釣り合いな木の看板がかけられ、古風な毛筆体で屋号まで記されている。


 ――茶室・瑛璃庵えいりあんへようこそ。星以外、何もお出しできせんが。


「フフ。渋いね」とキョウカがつぶやくと、後で「さむさむ」とカサネが続く。

 ドアは小ぶりで、くぐるようにして1人ずつしかドームに入れない。その、小宇宙に入る感じがまた、なんとも茶室感を漂わせている。


「集客にあえぐ老舗お茶処。いよいよイケメン亭主で勝負かけてきたか」

「ぷっ、アハハハハ。ちょっとカサネやめてよー」


 ドアをくぐる2人の後ろで待っているアヤも「くくく」と笑いをこらえている。まんざらでもなさそうだ。


 ドームに入ると、中央に、立派な望遠鏡が備え付けられている。少し古びてはいたが、丁寧に手入れされている様子。

 薄明かりに照らされた鏡筒が艶めき、キョウカには陶芸のようにも見えた。


「わぁ。これが、望遠鏡かぁ。大きいなぁ」


 キョウカのよく通る声が天文ドームに響く。


「お、みんな揃ったか?」


 スバルは高さ3メートルはあろうかという望遠鏡のまわりで、いそいそと準備を進めていた。

 「いいよ。じゃあそっちで設定してくれる?」というスバルの声の先の暗がりで、ユキの顔がパソコンのモニタに照らされ浮かび上がる。

 彼は彼で、なんだか楽しそうだ。

 キョウカは「そういえば、中学の時は天文部だったって言ってたな」と小さく独り言を言い、頼りがいありそうな姿に少し驚いた。


 キョウカはともかく、アヤにもカサネにも手伝えることは何もなかった。完全に手持ちぶさたの3人は、何をするあてもなくただドームの天井を見上げた。


 そこには、掛け軸みたいな夜空があった――。

 濃紺の星空がドーム上窓に切り取られ、見事な借景になっている。


「あ……」

「わぁ」

「おおおー」


 上窓からは時折冷たい夜風が流れ込んできて、髪をゆらして通り抜ける。

 短冊型の夜空は、外で見上げるより何倍も幻想的で、時が経つのも忘れてしまいそうになる。


 キョウカはいい機会だと思って、ずっと気になっていたことをアヤに尋ねた。


「そういえばさ、アヤちゃんの〈夜しかできないこと〉って何だったの?」

「あぁ、あれね。私ね、新しいセラミックスを作るのが研究テーマなの。それで、電気炉でんきろを使うんだけど、電気代がね……」

「電気代?」

「そう、夜間割引」


 キョウカには、アヤがとても大人びて見えた。自分のやりたいことを持ち、研究テーマとして構成し、そのために必要なことを考えて、自分で用意する。そんなことを、同じ高校2年生がいとも簡単にしているのを目の当たりにし、キョウカは自分がとてもちっぽけなものに思えてきた。


「ああ、なるほど。何だか、いいなぁ。理科部はそうやって、みんなそれぞれ研究テーマを持ってるんだね?」

「キョウカちゃんも正式に入部したら、自分の研究テーマ、持てるよ」

「いいなぁ、憧れるな。研究テーマ」

「優柔不断のキョウカに決められるかなぁ」

「もうー、カサネ!」

「ハハハハ……」


 3人の笑い声が、真っ暗な天文ドームを少しだけ明るくした。

 望遠鏡がモーター音をたてて少しだけ動き、スバルの声が聞こえる。


「よーし、準備オッケー。覗いてみたい人ー?」

「はい、はーい。北斗七星でしょ? 見たいみたい!」


 すかさずキョウカは手を上げた。望遠鏡が北斗七星に向けられているのは、さすがに分かった。


「仕方ない、新入部員、優先でいいですか部長?」なんておどけるカサネと、「え、あ、いいよ。キョウカちゃんどうぞ」と知った顔のアヤ。

 じつのところ、2人とも、天文ドームに入るのさえ初めてだった。


 キョウカは、おそるおそる接眼レンズを覗き込んだ。

 そこには、広い宇宙から切り出された2つの宝石が、濃紺のベルベットにちょこん、と飾ってあった。

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