こんな想いの伝え方

蓮水 涼

エイプリルフール


 私には、兄がいる。

 誰に似たんだか、ズボラで面倒くさがり屋で、絶対一人では生きていけないような人間だ。


 そしてそんな兄には、親友がいる。

 人付き合いすら面倒くさがる兄が、ずっと友達をやっていられるすごい人だ。

 彼は兄とは正反対で、誰とでもすぐに仲良くなって、いつも笑顔で、優しい。

 包容力のある人って、たぶんこういう人のことを言うんだろうなってくらい、兄と同じく面倒くさがり屋の私のことまで気にかけてくれる人。


「ただいまー」

「おかえり、莉子りこちゃん」

「あれ、陽斗はるとくん。今日も来てたんだ?」


 何気ないふうを装ってはいるけれど、心は正直だ。嬉しさに踊っている。

 兄の親友である彼は、よく家に遊びに来る。

 同じ高校に通っているはずなのに、彼は二年生で、私が一年生だからか、学校ではあまり鉢合わせない。

 それに、学校で会えたって、彼はいつも人に囲まれている。

 社交的で、いつも楽しそうに笑っていて、誰に対しても優しい彼は、みんなの人気者だから。

 たまに遠目に見かけると、彼は女の先輩とも仲良く喋っている。

 私はいつも、見ているだけ。


「お兄ちゃんは?」

いつきならリビングでゲームやってるよ」

「ふーん……ってあー! お兄ちゃん! それ私のゲーム!!」

「んー? あ、おかえり莉子ー」

「おかえりじゃない!」


 人のものを勝手に触っておいて、その間延びした返事はなんなんだ。

 しかもよりによってなんでそのゲームを――乙女ゲームをやってるの、この腐れバカ兄め!!


「酷いお兄ちゃん! 私のは勝手に触らないでって言ったじゃん!」

「え? そうだっけ。てか莉子さー、こいつなんなの? なんかめっちゃ冷たいんだけど。近づくなとか、出て行けとか。おまえがいっつもきゃーきゃー騒いでるから面白いのかと思ったのに、思ったより面白くないな」

「いやーっ! お兄ちゃんそれバッドエンド入ってる!! 嘘でしょ最低っ。勝手にやっておいて何勝手にバッドエンドになってんの!? しかも私が苦労して攻略中のルートじゃんそれ!!」


 もう何から何まで最悪だ。

 攻略中のクール系ツンデレイケメンである生徒会長は、私が二番目に推してるキャラだったのに。

 メインルートでもある彼は、本当に本当に攻略が難しいのに。

 しかも、何よりも、乙女ゲームを陽斗くんの前でやるとか! 隠してたのに! 友達にだって隠してるのに!


「お兄ちゃんのバカ! アホ! 面倒くさがりの人でなしっ!」

「はあ? ゲームやったくらいで何を――」


 恥ずかしくて陽斗くんの顔を見られない私は、言い逃げだけして自分の部屋に駆け込んだ。



 *



「莉子ちゃん? 大丈夫?」


 部屋の中でこの世のどん底に落ちた気分に浸っていたら、コンコンと扉がノックされた。

 優しい彼らしい、柔らかい叩き方だった。

 扉から聞こえてくる気遣う声も、闇の中に差し込む一筋の光のように淡く温かい。


 誰にでもそうなんだって、わかってる。

 私だけじゃないって。

 陽斗くんは、誰にでも優しい。

 こんな、気が強くて口の悪い私にも、彼は優しい。

 人によっては理解されにくい趣味ゲームを持つ私にも、彼の優しさは変わらないようだ。

 その優しさが、嬉しくて、辛い。


「莉子ちゃん、開けてもいい? 話があるんだ。怒るなら樹だけじゃなくて、俺のことも怒って。樹を止めなかったのは俺だから」


 ほら、優しい。お兄ちゃんにも。

 どうして陽斗くんがやってもない罪をかぶるのか。

 でも、そんなことを言わせたまま無視できるほど、私は彼をどうでもいい相手とは思っていない。


 扉を開ける。おそるおそる。

 わずかに開いた隙間から、陽斗くんの薄茶色の瞳が覗いた。

 ――ああ。

 やめて。そんな、私が扉を開けただけで、ほっとしたように笑わないで。


「入ってもいい?」

「……ん」


 実は、いつ陽斗くんが来てもいいように、部屋は常に片付けている。

 むしろいつか陽斗くんと二人きりで話せたらいいなって、部屋の匂いにまでこだわっている始末だ。

 男の人にも評判が良いらしい、柑橘系の香り。

 だから。


「莉子ちゃんの部屋、なんだかんだ初めて入るね」


 そんな何気ない言葉にも、手に汗を掻く。

 大丈夫かな。汚くないかな。臭くないかな。

 お兄ちゃんの仕打ちなんて、陽斗くんの一挙一動よりもぺらっぺらで軽い。たぶん陽斗くんの吐息で吹き飛ばせてしまうほど、どうでもいいことに変わっていた。


「ごめんね、莉子ちゃん」


 クッションに座った陽斗くんが、開口一番にそう言う。

 まさか謝られると思ってなかった私は、不安とか諸々もろもろの感情を忘れて、ただただ困惑した。


「さっきのゲーム、俺も、樹を止めなかったから」

「そんな。陽斗くんが謝る必要ないよ? だってあれは、勝手にやったお兄ちゃんが悪いんだから」

「うん。俺も、勝手に触った」

「え?」

「莉子ちゃんがどんなゲームに夢中になってるのか、知りたかったから」

「ええ? そうなの?」

「樹がさ、莉子ちゃんは毎日あのゲームをやってるって言って。最初は話題作りのために、どんなのやってるのかなって気になったんだ。でもそれが、乙女ゲームで」

「う、うん」


 陽斗くんの口から乙女ゲームと聞くと、ものすごい違和感だ。

 そしてやっぱり恥ずかしい。いたたまれない。

 

「乙女ゲームって、あれでしょ。イケメンを攻略するやつでしょ?」

「そ、そうだね」


 これはなんの罰ゲームか。


「莉子ちゃんは、どんな男がタイプなのかなって。少し、気になったんだ」

「え……」


 それはどういう意味だろう。

 わからない。わからないけれど、自分の胸が淡い期待に膨らみ始める。

 けれど。

 

「なんていうかな、莉子ちゃんってほら、樹と似てるでしょ? 顔じゃなくて、性格がね。だから放っておけなくて、これでも俺なりに大切にしてきたからさ。なんか、俺の知らない莉子ちゃんがいるっていうのは、寂しくて」


 期待に膨らんだ胸が、一気にしぼんでいく。

 これはあれだ。よくあるやつ。

 つまり私は、陽斗くんにとって〝妹〟という存在なんだ。

 もしくはお兄ちゃんの〝おまけ〟という存在。


「莉子ちゃんはああいう、クールな感じの男がタイプなの?」


 だめだ。だめだ。

 ダメージが大きすぎる。

 趣味バレに、妹宣言に、勘違い。

 私のタイプはあなたみたいな人だと、声を大にして言えたらいいのに。

 あのゲームで一番推してるのは、あなたみたいに優しくて包容力のある生徒会副会長なのだと、バラしたくないのにバラしたくなる。


「莉子ちゃんが好きなら何も言わないけど、俺はちょっと心配だよ。莉子ちゃんに平気で冷たいことを言う男には、引っかからないでね」


 ああ、だめだ。

 今夜はマジ泣きからのやけ食い決定だ。

 これも全ては、あのバカ兄がクール系ツンデレイケメンを選んだのが悪い。



 ***



 趣味バレしてからというもの、私はやけになった。そう、開き直ったとも言う。

 陽斗くんの前で乙女ゲームをやっては、楽しんでいるフリをする。――フリだ。

 だって、純粋に楽しもうにも、ゲームをやっていると必ず隣に座ってくる陽斗くんが気になって、正直画面の中の攻略対象者に集中できない。


 私は当てつけのように二番推しの生徒会長ルートを攻略するけれど、陽斗くんは生徒会長が冷たい言葉を吐くたびに、眉根を寄せたり、難しい顔をしたり、頭を捻ったりしている。


「莉子ちゃん、やっぱりこいつはやめたほうがいいんじゃない?」


 お兄ちゃんは一人でスマホゲームに興じている。

 一度集中すると周囲のことを気にしないタイプの人だから、今はそんな兄の性格に感謝したい。


 陽斗くんが嫉妬しているわけじゃないと、頭ではわかっているけれど。

 そんなことを言われたら、私が舞い上がらないわけがない。


「莉子ちゃんには……そうだな。もっと優しい奴のほうがいいと思う」

「このキャラも優しいよ」


 ただし惚れられてもらった後からだけど。


「莉子ちゃんを〝おまえ〟呼ばわりする奴に、優しい奴なんていないよ」

「……でも私、そう言われるの好きだもん。なんか距離が近いっていうか、特別みたいで」

「……ふぅん」


 嘘だ。本当は特に好きなわけじゃない。

 でももう、意地みたいになっていて。

 ゲーム画面の中では、生徒会長がヒロインわたしに告白していた。


「ねぇ莉子ちゃん」

「なに?」

「これって攻略したの?」

「したよ」

「でもこれ、本当に告白?」

「告白だよ。生徒会長にとってはね。生徒会長はね、クールでなかなか素直にならない――というかなれないキャラなんだけど、このエイプリルフールイベントで持ち前のツンデレを爆発させた告白をするの。本当はヒロインのことが好きなのに、素直になれないから、エイプリルフールに勇気をもらうんだよ。ほら、4月1日エイプリルフールは、嘘をついても良い日でしょ? だから生徒会長のう〝嫌い〟は、〝好き〟なんだよ」


 私としてはストレートに告白してよと思わないこともないけれど、素直になれない気持ちは十分理解できる。

 というより、勇気が出ないのだ。告白する勇気が。

 だって、好きな人に断られたら、その後からどうすればいいの? 諦めなきゃいけないの?


「ふぅん。やっぱり、こいつに莉子ちゃんはもったいないよ」

 

 陽斗くんがぽつりと呟いた。



 ***



 学校では、陽斗くんとはほとんどすれ違わない。

 その代わりというわけではないが、私が一方的に陽斗くんを見かけることはある。

 そりゃあそうだ。だって探しているから。

 無意識に、目が、彼の姿を探している。

 窓際の席だと、運が良ければ帰宅する陽斗くんを見つけられるときもある。

 だから私は、いつも放課後はしばらく教室に残るのだ。

 特に終業式の今日は、どの学年も同じ時間に授業が終わる。見つけられる可能性が高い。

 と思っていたら。


(あ、陽斗くんだ!)


 彼はお兄ちゃんと一緒だった。

 気怠そうに背中を曲げているお兄ちゃんと違い、陽斗くんの背筋はぴんと綺麗に伸びている。

 姿勢が良いのだろう。ただそれだけのことが、とてもかっこよく見えてしまう。

 

 すると、彼らの背後から、一人の女子生徒が駆け寄ってきた。

 たぶん陽斗くんの同級生だ。

 その女の先輩は、遠慮なくお兄ちゃんの背中を笑いながら叩くと、一転して、やけに神妙な顔つきで陽斗くんに話しかけていた。

 

(まさか)


 一瞬でピンとくる。

 それは女の勘か。それとも同族嫌悪か。

 

 陽斗くんがお兄ちゃんと別れる。彼は女の先輩と並んで歩き始める。

 見たくないのに、視線はずっとその二人を追ってしまって――。


 二人が校舎の影に消える最後、見えたのは、照れくさそうにはにかむ女の先輩の顔だった。



 ***



 春休みに入ってから、私はひたらすら出かけた。

 だって答えを知るのが怖いから。

 陽斗くんは、長期休暇のときも、よく家に遊びに来る。泊まりに来ることだってあるくらいだ。

 でも、この春休み、もし彼が来なかったら?

 

(それってもう彼女ができたとしか思えないよね)


 だから家を出るのだ。その答えを導き出さないために。彼が遊びに来ないのは、その時間を〝彼女〟のために使っているからなんだって、そんな嫌な想像をしないように。


 避けて、避けまくって。

 ついに、優しい陽斗くんが怒った。


「莉子ちゃん」

「は、陽斗くん。まだいたんだ?」


 今日も今日とて、外に出かけていた私。

 でも帰ってきた時に玄関で見た彼の靴に、彼が遊びに来ていることは知っていた。

 無意識にほっとしながら、慌てて2階の自室にこもったけれど、喉がかわいて1階のリビングに下りてきたのだ。

 もう夜も遅い時間。すでに帰っていると思っていたのに。


「俺のこと、避けてるよね?」

「そ、そんなことないよ?」


 目が泳ぐ。自分でもびっくりするくらい下手くそな、バタフライ。

 

「俺、莉子ちゃんに何かした?」


 してる。現在進行形でしてるよ。

 だって壁ドンって、漫画の中だけじゃないの?

 しかも上目遣いで訊かないで。陽斗くんは自分がいかにイケメンか、ちゃんと理解してないの? それ以上顔を近づけられたら、たぶん私死んじゃうよ。

 しかも良い匂いがする。え、今日泊まるの? お風呂入ったの? 反則でしょ、そんなの。

 

「莉子ちゃん」


 やだ。やめて。

 そんな縋るような声で名前を呼ばないで。

 私はまだ、伝える勇気が出てないのに。

 

「ねぇ、莉子ちゃん。お願いだから、何か言って」


 むり。本当にむり。

 心臓が破裂しそうなんだって。

 私にはまだ、告白なんて――。


 そう、思ったとき。

 私は唐突に思い出した。

 今日が何月何日で、どういう日なのかを。

 春休み。年度の始め。4月1日。

 ――エイプリルフール。


「……らい、なの」

「え?」


 一か八か。賭けてみてもいいだろうか。


「わ、私、陽斗くん、のこと……」


 だって今日は、素直になれない私でも、ある意味素直になれる日だから。


「私、陽斗くんのこと、き、嫌いなのっ」


 陽斗くんが息を呑む気配がした。

 怖い。伝わったかな。伝わってないかな。

 どっちだろう。どっちにしろ怖い。


 でも、何か言わないと、陽斗くんは許してくれそうになかったから。

 逃がしてくれそうになかったから。


「そ、そういうことだから、私、部屋行くね」


 彼の甘い檻から逃げようとしたら、許さないとばかりに腕を掴まれた。

 驚いて見上げた薄茶色の瞳の中に、いつも優しい彼からは想像もできないほどの熱を見つける。

 それに絡めとられたように、身体からだが、視線すら、動かない。動けない。


「ごめんね、莉子ちゃん」


 陽斗くんの手が、するりと頬をなでる。


「こんなに顔を真っ赤にしながら言われて気づかないほど、俺、バカじゃないよ?」


 大きくて、温かくて、いつか触れたいと思っていた手。


「今日は、エイプリルフールだね」


 そうだよ。嘘をついても良い日なの。

 だから、素直になれない私は、この風習に賭けてみたの。

 陽斗くんは、こんなかわいくない告白にも、気づいてくれるんだなぁ。なんて優しい人だろう。


「でも、ごめんね莉子ちゃん。俺は結構、莉子ちゃんに避けられて傷ついてたみたいだから。莉子ちゃんからちゃんと聞かなきゃ、許せないみたいなんだ」

「え?」


 陽斗くんがふわりと微笑む。

 ちらり。視線を少しだけ動かして。


「エイプリルフールは、あと5分で終わるみたいだよ。だから5分後、ちゃんと聞かせて――莉子ちゃんの本当の想いを」


 それは、私もまだ知らない、両想いへのカウントダウン。





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