ダークブラッド
大河かつみ
(1)
人を殺してみようと思った。興味本位だ。別に殺したい人がいるわけではないし、何か社会に不満があるわけでもない。
今迄普通に生きていた人間が、自分の一撃で突然、その生を絶たれ物体と化す。そこに魅せられるのだ。
今、考えると私がその事に興味を持ったのは子どもの頃にさかのぼる。
父親の友人が割烹料理屋を営んでいたので、たまに家族で食事に出かける事があった。その際、私は父に連れられ、ご主人が厨房で魚をさばく様子をみさせてもらった。
そこで活きのいい鰻がいきなり目打ちされさばかれていく姿に目を奪われた。又、先程迄、いけすで泳いでいたアジが見事な包丁さばきであっという間に刺身になる様子に感銘を受けた。
「見事なものだろう?」
父は自身の友人の事を自慢気に評した。
「うん。」
とうなずいたが、私が感嘆したのは、父の友人の技ではなく、生き物があっという間に物体になってしまうという事だった。何か生命の不思議と哀れさを感じたのだ。
以来、そのお店に行くたびに父にせがんでその様子を見させてもらったが、やがて、そのお店に行くことがなくなってしまった。後日、そのお店がなくなったことを聞いた。
(2)
とある休日、両親と遅い朝食をとってリビングでくつろいでいると、新聞に目を通していた父が声を上げた。
「おい、俺が昨日でくわした事故の事、新聞に出ているぞ。」
「何?事故って。」
さほど興味もないが尋ねた。
「駅からの通りと国道が交差する所の歩道橋あるだろ?そこでお年寄りが階段から転げ落ちたんだよ。」
その交差点は交通量が激しく横断歩道も、あるにはあるが心なしか青信号の時間が短く感ぜられ、年寄りは怖がって渡りたがらない。仕方なく歩道橋を登り降りしている。
「へぇー。」
「たまたまその歩道橋にいて落ちた瞬間を目撃したんだ。」
「そのお年寄り、大丈夫だったの?」
「新聞によると亡くなったらしいな。お爺さんだったんだけど、落ちた後、ピクリともしなかったな。通行人が救急車を呼んだので、後のことは知らないけど気にはなっていたんだ。」
「あそこ、たまに同じような事故あるのよね。」
母が嘆いた。続けて
「お父さんもそろそろ足腰悪くなってきたんだから気をつけてね。」
と言った。父はうなずいた。
その時、僕は(これは使える)と思った。老人を階段上から突き落とすのなら訳ない。突き落とす瞬間さえ、目撃されなければ事故と思われる。今迄、人を殺す方法を考えあぐねていたので光明が差したような気がした。
(3)
別に何か具体的に社会に不満があるわけではない。就職氷河期世代ゆえ正社員にはなれなかったが派遣社員として、そこそこ収入はあるし、派遣先での待遇も悪くない。独身で両親と同居し、これといって趣味も無いので金銭を使う必要がない。おかげで貯金もそれなりにある。友人といえる人がいないというのは内向的な僕の性格によるところだが、ひとりでいる事は全く苦ではないので、なんら問題はない。両親は後期高齢者ではあるが、まだ元気で、いずれ介護をしなくてはならないとは思うが、直近の話ではないように思われる。
その様なわけで何も不満はないのだが、唯一つ、どうにもならない問題がある。それは生きている実感がないという事だ。あまりにも何もない退屈な日々。そこにじりじりと焦りを感じる。刺激。そう、今の僕には刺激が必要だ。だから実行する。人殺しをだ。
(4)
土日の休日のたびにうまい具合の歩道橋を捜した。階段が急で踊り場や地面まで一気に転落していきそうな歩道橋だ。それにあまり人通りが少ない所。なかなか難しかったが都内で数か所見つけ、観察していくと、その内の一か所、午後三時過ぎに決まって一人の老婆が往復する歩道橋があった。近所のスーパーへの買い物に行くのだ。三週に渡って観察し後をつけた。近所のアパートに一人暮らしであるようだった。その事が僕を安心させた。身寄りがないなら、家族から追究もされる事もあるまい。
(後はタイミングだな。その時に周りに人がいない事が重要だ。)確認する限り、三時過ぎの時間帯はまだ買い物に行く人は少ない。それ故、その老婆も混む前に買い物を済ませようとしていると思われる。チャンスはありそうだ。
(5)
一週間おいて土曜日、午後三時前、歩道橋のスーパー側で待機した。白いポロシャツに青いジーンズといったありふれた格好にした。念の為マスク、伊達メガネをかけた。
三時を十分ほど過ぎた頃、案の定、老婆が道路の向こう側を歩いてきた。幸い近くに人の姿はない。老婆が重い足取りで歩道橋の階段を登り始めたのを確認し、こちらも歩道橋の階段を登り始めた。やはりこの時間帯は人の往来が少ない。できるだけ何気なく、しかし軽やかに階段を登る。老婆はまだ三、四段しか登っていない。階段を登り終えると僕は早足で橋の部分を渡り向こう側の階段の降りて踊り場で老婆を待ち構えた。老婆はようやく四分の三ほど登った所だ。手すりに捕まっているのが目に入った。辺りを伺う。周囲に人がいないことを確認する。段々緊張していくのを自覚し興奮した。随分時間がたったように思われた。ようやく老婆が階段を登り切り、踊り場に到着した。手すりから手を離して一息ついたところで立ちはだかった。きょとんとした表情の老婆と目が合った。こちらも目を合わせたまま、両手で老婆の胸の辺りを突いた。
「ひぃ!」
受け身もとれず後頭部を打った老婆はそのまま転がり落ちていく。案外に早い速度で、たった今迄、目の前にいた老婆があっという間に小さく見えた。地面にしたたかに全身を打った老婆はそのまま動かなくなった。頭辺りから血が流れ、あっという間に赤黒い血溜まりが出来た。老婆が手にしていた杖が階段の途中に転がっている。・・・
なんという興奮!さっきまで生きていたのに!さっきまで目が合っていたのに!それがもう物体になっている!手足がガタガタ震えた。
しばらくして通行人の悲鳴が聞こえた。慌ててそのまま階段を降りる。さも、その声に反応したかのように。あたかも偶然居合わせた目撃者のように。
(6)
警察の事情聴取に応じ、帰宅した。それなりに名前や住所、職業等を聞かれたし、何処からきて何処に向かおうとしていたのか聞かれたが、特に怪しまれる事も無かったと感じた。老女とは何の面識もないのが強みである。
その日の夕食時、その目撃談を両親に話した。出来るだけ淡々と話したが、どうしても興奮して声が上ずっていくのを感じた。その様子に両親は最初ぎょっとしたようだったが後は黙って聞いていた。そして老婆に同情し顔を歪めたので、慌てて同調した。
翌日、新聞の地域ニュース欄にその記事を見つけると又、気分が高揚した。
「これ、僕がやったんです!」
と皆に教えてやりたかった。栄光は僕に輝いていた。
(7)
興奮冷めやらぬ日々を過ごしたある日、思わぬ事態に陥った。派遣先から契約更新されなかったのだ。業績が悪く人員を減らすとの事だった。派遣会社に直ぐに別の派遣先の斡旋をお願いしたが、世の中は不況で、なかなか次が決らなかった。幾つか他の派遣会社に登録してみたが過酷な労働条件のものしか空きがなかった。仕方なく自らも就職の為に奔走したが、四十を過ぎての再就職は難しく挫折した。今迄の貯えと両親の年金や貯金で生きていこうと考えた。父はせめてアルバイトでもしたらどうかと提案したが、やる気が起きなかった。この歳でアルバイトでは、みじめな気がしたのだ。
その内に父と折り合いが悪くなった。父にしてみたらまだまだ働き盛りの男が自室でニートのように引きこもっているのが嫌なのだと思う。貯金が目減りする事への不安もあるようだった。こちらには多少、貯金はあるし当分大丈夫なのだが。
しかし、たびたび僕と衝突した。そのたびに気分が沈んだ。あの栄光の瞬間が随分遠い昔の様に思われた。まだ半年も経っていないのにである。自信が失われていく。この鬱屈した気持ちをなんとかしないといけない。どうすれば気が晴れるのか?何を?どうする?
(8)
父親を殺す事にした。一人分の年金が減るのは惜しいが、将来、両親二人を介護する苦労と天秤に測ればこの選択は“あり”だと思った。そして何よりも口うるさい邪魔者がいなくなれば、どれだけ気分が明るくなるか。もうそれ以外考えられない。問題はどの様にするか、だ。
色々と考えてやはり事故に見せかける事にした。一度経験しているし、変に凝ると墓穴を掘る気がする。やはり歩道橋の上から突き飛ばすことにした。
以前の場所だと目撃者として僕の名前が記録されている。同じ場所は避ける事にした。その昔父が転落事故を目撃したという駅前通りの交差点にある歩道橋にした。たまにある事故らしいし、何せ、父と同行する必然性として普段使いの場所の方が適している。しかし、いつ、どの様にやればいいのか慎重に考えなければならない。今度は警察も疑いの目でみる可能性がありそうだからだ。
(9)
法事で両親と田舎にいる親戚の家に行く機会があった。車も免許もないので電車に乗る為に駅に向かった。日曜の早朝、五時を過ぎた頃で人はほとんどいなかった。残暑厳しいおり、黒い礼服を一日中、着るのは辛いだろうと考えると行くのが嫌だった。なんとかさぼれないものか。・・・その時、今がチャンスなんじゃないかとひらめいた。いくらなんでもこれから法事に行く人間が殺人を犯すとは警察も考えないのではないか?いきあたりばったりの犯罪の方が偶然の事故らしく見えるのではないだろうか。
問題はタイミングだが、母は比較的足腰がしっかりしているからスタスタひとりで階段を登る。父はその点で不安があるので僕が支えて階段を登る。当然、母から遅れをとる。チャンスはある。だが踊り場での犯行は難しい。母が直ぐ振り返ればバレてしまう。やはり母がてっぺんの橋まで到達し角を曲がったところが狙い目だ。
「父さん。僕につかまって。」
優しく声をかけ、手を繋いだ。
「悪いな。」
父が笑顔で答えた。案の定、母は先にひとりで登っていく。
父の背中に手をあてがい体重を支えるようにゆっくりと階段を登った。一段一段、階段をゆっくりゆっくり登る。(随分と軽くなったなぁ。)と思った。思えが身体も小さくなったような気がして感傷的な気持ちになった。ようやく踊り場まで来て少し休んだ。
「大丈夫かい?」
と声をかけると父は苦笑しながら
「ああ。」
とだけ言った。母も心配そうにしていたが、残りの階段を登り始めた。少し間をおいて後に続く。
ようやく登り切るまであと五段という所まできた。逡巡する自分がいる。ゆっくり登る。あと四段、幸い周りに人がいない。絶好のタイミングだ。あと三段、しかし今、僕にその身を任せている父を裏切ることが辛い。今一度考え直してもいいのではないか。あと二段、母はもう登り切って一息ついた。あと一段、母がこちらを一瞥してから角を曲がり死角に入った。一時の感傷に流されるな。そして遂に我々も登り切った。やるなら今だ。
父が
「ふーっ。」
と息を吐いた。僕は父を支える手を離した。そして父の前に立とうとした瞬間、父が僕の体を押した。
「え?」
バランスを崩し後方に倒れる。その瞬間、父と目が合った。喜悦の表情。それは見覚えのある僕の顔だった。勢いよく後頭部を打ち、そのまま踊り場まで転げ落ちる。その時いろんな事に合点がいった。かつて、父は目撃者でなく犯罪者だったのだ。父は友人の魚をさばく姿を僕に見せたかったのではなく自分が見たかったのだ。同じ嗜好。父は僕だったのだ。そして今日、絶好のタイミングを待っていた。
「お前に将来、俺たちの年金を使われたくはないんだよ。」
父の声を聞いた。なるほど。そういうことか。しかし次の瞬間、驚くべきことが起きた。父が僕の方に向かって物凄い勢いで転げ落ちてきた。後方に母の姿があった。
「あたし一人で、あんたの介護なんて無理よ!」
父の体が僕にぶつかり一つになった。父はもう動かない。物体となった。どくどくと父の頭から血が流れている。それは僕の血でもあった。次第に意識が失われていく。
「誰か!誰か助けて!」
母の叫び。誰も母が犯人とは思うまい。法事に行く途中の不慮の事故。うまい手だと思った。・・・
ダークブラッド 大河かつみ @ohk0165
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